2014/08/20 - 2014/08/20
23位(同エリア604件中)
ベームさん
今年5月から6月にかけてのフランス旅行に続き2回目の外国旅行となりました。フランス旅行の計画を決めた後で、3年前ドイツ語勉強仲間で行ったドイツ旅行が楽しかったのでもう一遍やろうという話が持ち上がったのです。
年に2回ともなると私一存というわけにはいかず、家の大蔵大臣の許可が必要です。機嫌の良い時を見計らって話を持ち出し半ば愛想を尽かされながらも承諾を得ることが出来ました。
行けるとなると欲が出て同じ飛行機代なら長く滞在しようと、仲間より6日早く先発し1日遅く帰国する計画を立てました。8月20日~9月9日、丁度21日間です。心配なのはフランス旅行で散々だった2か月後の体力ですがなんとか持ちこたえました。ただ初めの1週間ほど寒くホテルの暖房が利かず咳の発作が始まり、旅行中治まりませんでした。
成田空港からルフトハンザでフランクフルト入りし、ライン川沿いの古都を見ながら北上、ハンブルクで仲間と合流、ドレスデンで別れて一人フランクフルトに戻り近郊の町を回りルフトハンザで羽田空港に帰りました。
前回2011年の旅行記では皆の写真を載せましたがあれから3年、と言うことは全員洩れなく3歳年を取っているわけで当然しわも3年分増えています。で今回は止めました。
昨年のドイツ旅行はヨーロッパで大洪水があったときで旅行中殆どが雨か曇りでしたが、今回は天気に恵まれ傘の出番は2回ほどでした。
第1回目はマインツです。ライン川とマイン川の合流点で人口20万人、ラインラント・プファルツ州の州都です。紀元前からローマの軍事拠点。8世紀半ばにボニファティウスが初代マインツ大司教になり以後首位司教座を占める。1353年にカール4世により制定された金印勅書ではマインツ大司教が7人の選帝侯の筆頭選帝侯に据えられた。
13~14世紀に最盛期を迎え黄金のマインツと謂われる。ドイツ30年戦争、プファルツ継承戦争、さらに先の大戦で大きな被害を受ける。グーテンベルクの生地。
写真はマインツの大聖堂。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅の前半はマインツからスタートしライン川沿いの古都をデュッセルドルフまで。
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8/20(水)、1日目。
成田空港、ターミナル1。今回往きは成田空港、還りは羽田空港です。
横浜のYキャットからバスを利用しました。老人は2千円です。 -
9時45分発LH711便。
腕時計を見ると針が動いていません。振れど叩けど駄目です。先日フランスでも時計が止まり急きょ屋台で買ったメード・イン・チャイナの5ユーロの時計です。空港内の時計屋で電池交換できるか見てもらうと、裏蓋が開けられないので交換不能とのこと。まさに安物買いの銭失いです。でも搭乗前でよかった。でまたまた買いました。今度はれっきとした国産品で4千円の高級時計です。電池の持ちを店員に訊くと、仕入れてから約1年なのであと1年くらいは大丈夫ですとのこと。旅行期間は21日間なので大安心。 -
成田空港9:45発LH711便のボーイング747機。
ジャンボ機ですね、今時大手航空会社では引退したのかと思っていましたがルフトハンザでは健在、帰りも同じでした。
利用するたびに思うのですがルフトハンザの機内は寒い。今回もブランケットを1枚余分にもらいました。 -
機中で見た映画「カサブランカ」。
見ている途中でハッとしました。この映画は第2次世界大戦下のまだかろうじてドイツの占領から免れているフランス親独ヴィシー政権下のアフリカはモロッコのカサブランカが舞台です。ここから運がよければリスボンを経て自由の国アメリカに脱出できるのでナチに追われた人たちが集まってくる町です。 -
映画はカサブランカに逃げてきたナチ抵抗運動の指導者(ポール・ヘンリード)とその妻(イングリッド・バーグマン)、その妻とドイツ占領下のパリで束の間の恋をしたアメリカンバーの経営者(ハンフリー・ボガート)、ナチ抵抗者を捕まえようと乗り込んできたドイツ軍の大佐(コンラート・ファイト)、表面上はドイツに協力しながらも根は自由フランス人の警察署長(クロード・レインズ)達が自由への手形・パスポートを巡っての駆け引きとラブロマンス。
ボガートとバーグマンの酒場での劇的な再会。酒場の黒人ボーカリストの歌う「アズ・タイム・ゴーズ・バイ/時は過ぎゆく」。酒場でドイツ軍将校連が歌うドイツ愛国歌に対抗してほかの客、バンドマン達全員が「ラ・マルセイエーズ」を歌って圧倒する場面。ボガートのバーグマンに対するセリフ:「君の瞳に乾杯」、昨日のことを訊かれ「そんな昔のことは覚えていない」、明日のことを訊かれ「そんな先のことは分からない」。名場面が一杯です。
ではなぜハッとしたか。私の周りの客がドイツ人だったのです。映画の内容がドイツ人、勿論今ではなくナチ時代ですが、を揶揄し、批判しているからです。最後にドイツ軍大佐はボガートに射殺されナチ抵抗指導者と妻はリスボンに向け飛び立ちます。このボガートとバーグマンの空港での別れの場面がまた良い。ハンフリー・ボガート、憎い男です。
でも杞憂でしょう。今のドイツは過去のナチを徹底的に拒否し清算しているからです。それに何よりもドイツの基幹航空会社が機内サービスで提供している映画なのですから。 -
フランクフルト空港14:59着。
空港地下駅。フランクフルト近郊への鉄道は地下駅から発着します。いつも地下駅に行くのにけっこう迷うのですが今回はスムーズに行けました。
しかし少し不安がありました。あれだけ満席に近い飛行機だったのに入国審査、税関に向かう通路に私以外ほとんど人がいないのです。皆どこに行ったのだろう。でも通路の標識はパスコントロール/入国審査とあります。私の前後誰も居なくあっという間に入国しました。今もって狐につままれたようです。 -
空港ローカル(レギオナルバーンホフ)駅。
地下にあります。今日の宿泊はマインツ、2泊します。 -
マインツ駅。
2008、2011年に続き3度目です。2008年は初めての一人旅で初めてドイツに足を下ろした駅です。2011年は駅からライン川クルーズの船乗り場に行っただけでした。 -
駅の真ん前ホテル・ケーニヒスホーフ。
王の宮殿とはいささかオーバーな名前。でもまあまあでした。2泊で136ユーロ
。 -
早速街中へ。バーンホフ通りを進みます。
ミュンスター広場。 -
ミュンスター広場。
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シラー通り。
エルターラーホーフ。ラインランド・プファルツ州の文化財保護関係の官庁のようです。
マインツには○○○ホーフという名の豪華な建物が多いです。宮廷とか宮殿と言った意味で、マインツはかって権勢並ぶものの無い大司教が君臨した町なので領民から搾り取った金でやたらに造ったのでしょう。
幾つかある大司教のなかでマインツ大司教は歴代いちばん強欲な人物でした。
伝説ですがあるときのマインツ大司教は散々領民から搾り取ったあげく領民の怨念のこもったネズミに追われ、ライン川のネズミ塔で食い殺されました。
史実としてはマルチン・ルターの宗教改革運動の発端となった「贖宥状」を思いつき売り出して大儲けをしたのもマインツ大司教です。
金と権力と色にかけての欲望の強さの程度に差はあってもカトリック教界の大司教、大修道院長などは同じ穴のムジナと思っているベームはそういった高位聖職者が大嫌いです。今はどうなんでしょうねえ。ローマ教皇/法王の選出にもいろいろ権謀術数があるのでは。 -
プロヴィアント・マガチン。
謝肉祭博物館。かって1865年オーストリア軍の要塞。 -
中を覗くとカバレット/寄席資料館がありました。
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シェーンボルナー・ホーフ。
バロック風貴族の邸、1670年。 -
シラー広場にやってきました。
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広場にはシラー像。
シラーとマインツの関係はよく分かりませんが、シラーは近くのマンハイムで活動した時期がありマインツとも縁があったのかも知れません。 -
オストアイナー・ホーフ。
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広場の真ん中にある泉です。
謝肉祭・カーニバルの泉?。 -
謝肉祭で踊る道化?。
町のあちこちでカーニバル/謝肉祭関係の事物があるのはマインツがケルンと並んでカーニバルの最も盛んな町だからでしょう。 -
鼓笛兵。これもカーニバル関係?。
広場には面白いモニュメントがあります。 -
広場からザンクト・シュテファン教会の塔が見えます。明日行くつもりです。
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広場を左折しルートヴィヒ通り。
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大聖堂が見えてきました。
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サン・マルタン大聖堂。
あとでお邪魔します。 -
グーテンベルク広場のマインツ州立劇場。
1833年。 -
9月の上演品目に「椿姫」などがあります。どこの劇場の出し物でもヴェルディ、プッチーニ、モーツアルトは必ず含まれています。
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グーテンベルク広場のグーテンベルク像。
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ちょっと歌劇場の横を入ります。
ヨハネス・グーテンベルク大学。
昔のイエズス会神学校。1618年。 -
サン・カンタン教会。
1330年。 -
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マルクト広場を囲む建物。
ボーデラム・ハウス。
1691年。 -
レーヴェン・アポテーケ/獅子薬局の華麗なファサード。。
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何かの柱。
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ルネッサンス様式の掘り抜き井戸。1526年。
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広場の南側に大聖堂がそびえています。
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サン・マルタン大聖堂。
975年大司教ヴィリギウスにより造営開始。しかし当初のは完成直後の1009年に焼けてしまう。今のは12~13世紀のもの。ヴォルムス、シュパイヤーの大聖堂と共にライン川流域で最も重要な大聖堂。かの権勢を誇ったマインツ大司教の本拠です。 -
大聖堂の前に建つ聖ボニファティウス像。675~754年。
746~754年初代マインツ司教。
ドイツ各地にはボニファティウスの像があり、中世初期にドイツ中北部の異教徒をキリスト教化させた最大の聖人として祀られています。が、とんでもないことでして、そのやりかたは異教徒の神殿をぶち壊す、あがめる木を斧で切り倒すといった力ずくの乱暴なものでした。その最後は異教徒の恨みをかい殺されたそうで、キリスト教界では殉教者とされていますが因果応報でしょう。
エアフルトの市庁舎には異教徒の神木オークの木を切り倒し傲然と構えるボニファティウスの絵が飾られていました。今回旅の後半で訪れたフリッツラーには持つものに事欠いて斧を持っているボニファティウス像が堂々と建っていました。異教徒を屈服させるには手段を択ばない、暴力を以てしても良い、ということでしょう。 -
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大聖堂東、後陣側。
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堂内に入ります。
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2008年に一度来ていますがゆっくり見るのは初めてです。
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以下大聖堂。
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薄暗く重々しい雰囲気です。
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説教壇。
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基本がロマネスク建築なのかステンドグラスは少なく華美でもないです。
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キリストの埋葬。
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回廊に出ました。
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回廊の碑板。
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足元のはすり減っています。
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ピエタ。
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洗礼者ヨハネより洗礼を受けるキリスト。
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回廊に囲まれた中庭。
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再び堂内へ。
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歴代の大司教などの墓碑が並んでいますが、末端の教会の神父、牧師はいざ知らず昔の司教、修道院長など高位聖職者は金と権力と色を好む糞坊主だと私は思っています。
だいたいそういう連中は本当に神につかえる信徒ではなく領主、大貴族の次男坊以下が多く、家督を相続できないので已む無くというより、甘い汁が吸えるので喜んでその地位に就いたのです。 -
嫌いなら写真を撮らなければよいのにと思いますが。
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意外におとなしいパイプオルガン。
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オリーブ山の麓ゲッセマネの園で神に祈るキリスト。いぎたなく眠りこけるのは弟子のヨハネ、ペテロ、ヤコブ。
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大聖堂を後にします。
大聖堂らしく重々しい雰囲気ではありました。 -
グーテンベルク博物館。明日にします。
1900年。 -
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官庁関係の立派な建物。
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ライン川に出ました。
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KDライン観光船の乗り場。
リューデスハイムから乗る観光客が多いですが、始発のマインツから乗ると乗客が少なく良い場所が取れます。 -
掘立小屋はチケット売り場。
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KDライン以外にも色々なクルーズ会社があります。
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テオドール・ホイス橋。
戦後西ドイツの初代大統領の名。ハイデルベルクにも同じ名前の橋がありました。 -
川べりのレストラン。
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市庁舎広場です。
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マインツ市庁舎。
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1973年建築。
ドイツの古都の市庁舎でこういった近代的建築は珍しいと思います。 -
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向かい合って建つラインゴルトハレ。
劇場、ホールなどのあるエンターテインメント施設。2007年。
日本語にするとラインの黄金ホールでしょうか。 -
ラインゴルトハレ。
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市庁舎広場から陸橋で大聖堂側に戻ると大きなショッピングセンターがありました。
家電量販店サターンなどが入っています。 -
マルクト広場に戻ってきました。
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適当なレストランに入りました。店の雰囲気が2008年に入った店と似ています。
やはり同じ店でした。数あるレストランの内同じ店に入るとは、偶然です。
あの時のビールは陶器のジョッキで出てきましたが。 -
揚げてある団子みたいなのは茸です。茸の季節なのですね。
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食後キルシュ・ガルテンの入り口まで散歩しました。
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戦災を免れた木組みの家がある人気スポットです。
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キルシュガルテン。
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大聖堂のそばのエヴァンゲリッシュ・St・ヨハニス教会。
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昔の司教宮殿庭園。
1666年。
今7時過ぎ。まだ明るいですが足が引きつり気味になってきたので今日はお仕舞。明日からが少し心配です。旅は始まったばかりなのに。
明日の予定は日帰りで古都シュパイヤーとヴォルムスに行きます。その後のマインツはその2でアップします。
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この旅行記へのコメント (5)
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- 万歩計さん 2021/07/29 22:13:38
- 半ば愛想を尽かされながらも…
- ベームさん、こんばんわ。
東京文学散歩シリーズを見終えたので、気分を変えて海外旅行記を見たらヨーロッパがぎっしり。私と嗜好がとても似ているようです。これからゆっくり順番に拝見します。
「年に2回ともなると私一存というわけにはいかず、家の大蔵大臣の許可が必要です。機嫌の良い時を見計らって話を持ち出し半ば愛想を尽かされながらも…」。
この下り我が事のようで、思わずニンマリです。
万歩計
- ベームさん からの返信 2021/07/30 11:14:35
- Re: 半ば愛想を尽かされながらも…
- 万歩計さん、
いつもご訪問いただきありがとうございます。
いやはや万歩計さんもご経験がありますか。定年退職後粗大ごみ扱の身分では山の神には何事も低姿勢でないといけません。もっとも今は海外旅行は諦めていますので前よりは大きな顔をしています。
ベーム
- 万歩計さん からの返信 2021/07/30 11:37:07
- Re: 半ば愛想を尽かされながらも…
- 「定年で 今日から妻が 我が上司」
誰かのサラリーマン川柳です。
万歩計
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- frau.himmelさん 2014/09/20 10:26:15
- 旅の始まりはマインツから・・
- ベームさん、おはようございます。
今回は20日間もの長期の旅でしたか。
まだ前回お帰りになってから日が浅いのに、ベームさんはやっぱりお若いです。
私もベームさんのお元気をいただいて、来月3日からの14日間のドイツ・オーストリア旅に行ってまいります。
今回は全くの一人旅ですからだれも頼りに出来ないし、健康管理をしっかりしなければ。
さて、マインツ、のんびりと散策なさっているお姿が目に浮かびます。
私も何度か訪れたマインツのあちこちのお写真、楽しく拝見しました。
次回はボルムス・シュパイヤーにいらっしゃるのですね。
ただ、旅日記は今回のマインツのお散歩のようにゆっくりのんびりアップしてくださいね。
読むのが追いつかない・・(泣)。
今回の旅でもピエタ像とアポテーケのお写真が随分集まりましたでしょう。
これも楽しみです。
himmel
- ベームさん からの返信 2014/09/20 20:23:31
- RE: 旅の始まりはマインツから・・
- himmelさん、
今晩は。
仰せのとおりのんびりやります。未だに昼と夜が逆転していまして、昼も眠たくて何事も捗りませんから。
いつの間にか(私のドイツ旅行中ですか)ヴュルツブルクとかニュルンベルク、バンベルクなどhimmelさんの方も進んでいたのですね。バンベルクはたしかホテル代の支払いのことで日本人の信用を守ってくださったところでしたね。もう何べん訪問なさいましたか。
ヴォルムスではラインゴルト・アポテーケというのを見つけました。「ニーベルンゲンの歌」の町なのでラインの黄金ですか。ピエタもフランクフルトのカタリーネン教会で素晴らしいのを見ました。おいおいゆっくりとアップしていきます。
もうじきドイツ、オーストリアですか。良いですね。今度は一人旅、存分に楽しんできてください。何処を回られるのか興味津々です。
では、 ベーム
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