京都駅周辺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
本願寺周辺<br /><br />親鸞聖人の没後、娘の覚信尼が現在の知恩院付近に廟を建てて御影堂としたのが起こりとされ、現在の場所に移ったのは、天正19年(1591年)になる。<br /><br />本願寺(ほんがんじ)は、浄土真宗本願寺派の本山で、その所在(京都市下京区堀川通花屋町下ル)する位置から、西本願寺ともいわれている。<br /> 浄土真宗は、鎌倉時代の中頃に親鸞聖人によって開かれたが、その後、室町時代に出られた蓮如上人(れんにょしょうにん)によって民衆の間に広く深く浸透して発展し、現在では、わが国における仏教諸宗の中でも代表的な教団の一つとなっている。

本願寺周辺

22いいね!

2009/10/28 - 2009/10/28

951位(同エリア3706件中)

0

57

kubochan

kubochanさん

本願寺周辺

親鸞聖人の没後、娘の覚信尼が現在の知恩院付近に廟を建てて御影堂としたのが起こりとされ、現在の場所に移ったのは、天正19年(1591年)になる。

本願寺(ほんがんじ)は、浄土真宗本願寺派の本山で、その所在(京都市下京区堀川通花屋町下ル)する位置から、西本願寺ともいわれている。
浄土真宗は、鎌倉時代の中頃に親鸞聖人によって開かれたが、その後、室町時代に出られた蓮如上人(れんにょしょうにん)によって民衆の間に広く深く浸透して発展し、現在では、わが国における仏教諸宗の中でも代表的な教団の一つとなっている。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
その他
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄 徒歩

PR

  • 西本願寺

    西本願寺

  • 西本願寺<br /> 御影堂門

    西本願寺
     御影堂門

  • 西本願寺

    西本願寺

  • 西本願寺

    西本願寺

  • 西本願寺<br />阿弥陀堂<br /> 宝暦10年(1760)再建。東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートル。中央に阿弥陀如来の木像、左右にインド・中国・日本の念仏の祖師七師と聖徳太子の影像が安置されています。<br /> 

    西本願寺
    阿弥陀堂
     宝暦10年(1760)再建。東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートル。中央に阿弥陀如来の木像、左右にインド・中国・日本の念仏の祖師七師と聖徳太子の影像が安置されています。
     

  • 西本願寺<br />御影堂(改装中)<br /> 寛永13年(1636)建立。東西48メートル、南北62メートル、高さ29メートル。中央に親鸞聖人の木像、左右に本願寺歴代門主の御影を安置し、重要な行事は、この御堂で行われます。<br />

    西本願寺
    御影堂(改装中)
     寛永13年(1636)建立。東西48メートル、南北62メートル、高さ29メートル。中央に親鸞聖人の木像、左右に本願寺歴代門主の御影を安置し、重要な行事は、この御堂で行われます。

  • <br />西本願寺<br /> 竜虎殿<br /> 


    西本願寺
     竜虎殿
     

  • 西本願寺

    西本願寺

  • 西本願寺

    西本願寺

  • 飛雲閣 <br /> 金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つ。秀吉が建てた聚楽第(じゅらくだい・てい)の一部で、三層からなる楼閣(ろうかく)建築です。

    飛雲閣 
     金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つ。秀吉が建てた聚楽第(じゅらくだい・てい)の一部で、三層からなる楼閣(ろうかく)建築です。

  • 滴翠園

    滴翠園

  • 滴翠園

    滴翠園

  • 滴翠園

    滴翠園

  • 滴翠園<br />  鐘楼

    滴翠園
      鐘楼

  • 滴翠園

    滴翠園

  • 滴翠園

    滴翠園

  • 滴翠園

    滴翠園

  • 滴翠園

    滴翠園

  • <br />西本願寺<br /> 大玄関


    西本願寺
     大玄関

  • 西本願寺<br />唐門<br /> 桃山時代の豪華な装飾彫刻を充満した檜皮葺き(ひわだぶき)・唐破風(からはふ)の四脚門(しきゃくもん)で、伏見城の遺構。彫刻の見事さに日の暮れるのを忘れることから&quot;日暮らし門&quot;とも呼ばれています。

    西本願寺
    唐門
     桃山時代の豪華な装飾彫刻を充満した檜皮葺き(ひわだぶき)・唐破風(からはふ)の四脚門(しきゃくもん)で、伏見城の遺構。彫刻の見事さに日の暮れるのを忘れることから"日暮らし門"とも呼ばれています。

  • <br />西本願寺<br /> 唐門


    西本願寺
     唐門

  • 西本願寺<br /> 唐門

    西本願寺
     唐門

  • 西本願寺

    西本願寺

  • 西本願寺<br />大銀杏

    西本願寺
    大銀杏

  • 西本願寺

    西本願寺

  • 西本願寺

    西本願寺

  • 西本願寺

    西本願寺

  • 西本願寺

    西本願寺

  • 西本願寺

    西本願寺

  • 遠くに京都タワー

    遠くに京都タワー

  • 龍谷大学本館<br /> 1879(明治12)年に竣工した、大宮キャンパスのシンボル的建物。

    龍谷大学本館
     1879(明治12)年に竣工した、大宮キャンパスのシンボル的建物。

  • 旧守衛所<br /> 本館や北黌・南黌と同じく国の重要文化財に指定されている建物。昔は守衛所として利用されていました。<br />

    旧守衛所
     本館や北黌・南黌と同じく国の重要文化財に指定されている建物。昔は守衛所として利用されていました。

  • 龍谷大学

    龍谷大学

  • 渉成園<br /> 池泉回遊式庭園をもつ東本願寺(真宗本廟)の飛地境内地(別邸)。1641(寛永18)年に三代将軍・徳川家光から当地(約一万坪)が寄進され、石川丈山の趣向を入れた作庭がなされました。園内の諸殿は1858(安政5)年、1864(元冶元)年の二度にわたって焼失。現在の建物は明治初期から末年ごろに至る間に順次再建されたものです。庭園には四季折々の花が咲きほこり、変化に富んだ景観は「十三勝」や「十景」と称されています。<br />

    渉成園
     池泉回遊式庭園をもつ東本願寺(真宗本廟)の飛地境内地(別邸)。1641(寛永18)年に三代将軍・徳川家光から当地(約一万坪)が寄進され、石川丈山の趣向を入れた作庭がなされました。園内の諸殿は1858(安政5)年、1864(元冶元)年の二度にわたって焼失。現在の建物は明治初期から末年ごろに至る間に順次再建されたものです。庭園には四季折々の花が咲きほこり、変化に富んだ景観は「十三勝」や「十景」と称されています。

  • 渉成園<br /> 枳殻邸の正式名は「渉成園(しょうせいえん)」といいますが、造園当時、周囲に「枳殻(からたち)」を生垣として植えたことから、「枳殻邸」という別称を持っています。私たち地元の人には「キコクテイ」の名で親しまれています。<br />

    渉成園
     枳殻邸の正式名は「渉成園(しょうせいえん)」といいますが、造園当時、周囲に「枳殻(からたち)」を生垣として植えたことから、「枳殻邸」という別称を持っています。私たち地元の人には「キコクテイ」の名で親しまれています。

  •  渉成園の敷地はほぼ正方形に近く、一辺が100間(約180m)あったために「百間屋敷」とも、また外回りにカラタチ(枳殻)を植えていたために「枳殻邸(きこくてい)」ともいわれました。正式な「渉成園」の名は、中国の詩人陶淵明(とうえんめい)が官を辞して故郷に帰り、故郷での田園生活をうたった『帰去来辞』の一節から採られたものです。<br /><br /> <br />

     渉成園の敷地はほぼ正方形に近く、一辺が100間(約180m)あったために「百間屋敷」とも、また外回りにカラタチ(枳殻)を植えていたために「枳殻邸(きこくてい)」ともいわれました。正式な「渉成園」の名は、中国の詩人陶淵明(とうえんめい)が官を辞して故郷に帰り、故郷での田園生活をうたった『帰去来辞』の一節から採られたものです。


  •  渉成園の庭は、敷地北西寄りの小さな池から、東南寄りの大きな池(印月池)まで、遣水(やりみず)でつながれ、大きな池には中島を作り、橋を架け、瀟洒(しょうしゃ)な茶亭・縮遠亭(しゅくえんてい)などを設けた回遊式の庭園です。

     渉成園の庭は、敷地北西寄りの小さな池から、東南寄りの大きな池(印月池)まで、遣水(やりみず)でつながれ、大きな池には中島を作り、橋を架け、瀟洒(しょうしゃ)な茶亭・縮遠亭(しゅくえんてい)などを設けた回遊式の庭園です。

  • 渉成園

    渉成園

  • 渉成園

    渉成園

  • 渉成園

    渉成園

  • 渉成園

    渉成園

  • 渉成園

    渉成園

  • 渉成園

    渉成園

  • 渉成園

    渉成園

  • 文子天満宮<br /> 文子天満宮は、菅原道真の乳母だった多治比文子の住居跡に建立された天満宮で、菅原道真公を「天神」としてわが国で最初におまつりをした神社であることから、「天神信仰発祥の神社」と位置づけられており、北野天満宮の前身と言われています。

    文子天満宮
     文子天満宮は、菅原道真の乳母だった多治比文子の住居跡に建立された天満宮で、菅原道真公を「天神」としてわが国で最初におまつりをした神社であることから、「天神信仰発祥の神社」と位置づけられており、北野天満宮の前身と言われています。

  • 文子天満宮<br /> 菅原道真公の乳母をつとめていた多治比文子は、自分の家の庭に小さな祀をもうけ、道真公を拝んでおりました。そんなおり、天神となった菅原道真公は多治比文子に現在の北野天満宮の地にまつってもらいたいと託宣しました。このように北野天満宮がまつられるきっかけをつくったのが、多治比文子だったのです。当社が「北野天満宮の前身神社」と称する由縁です。

    文子天満宮
     菅原道真公の乳母をつとめていた多治比文子は、自分の家の庭に小さな祀をもうけ、道真公を拝んでおりました。そんなおり、天神となった菅原道真公は多治比文子に現在の北野天満宮の地にまつってもらいたいと託宣しました。このように北野天満宮がまつられるきっかけをつくったのが、多治比文子だったのです。当社が「北野天満宮の前身神社」と称する由縁です。

  • 長講堂<br /> 後白河法皇の持仏堂です。もともと西洞院六条にありましたが、再三の火災に見舞われ、豊臣秀吉によって今の地に移転されました。<br />本堂には阿弥陀如来像、御影堂には後白河法皇の木像が安置されております。ところどころに見える菊紋がこの場所に御所があったことが伺えます。

    長講堂
     後白河法皇の持仏堂です。もともと西洞院六条にありましたが、再三の火災に見舞われ、豊臣秀吉によって今の地に移転されました。
    本堂には阿弥陀如来像、御影堂には後白河法皇の木像が安置されております。ところどころに見える菊紋がこの場所に御所があったことが伺えます。

  • 長講堂

    長講堂

  • 蓮光寺<br /> 明応年間(1492〜1501年)に天台宗真盛派の開祖・真盛が高野山の苅萱堂(かるかやどう)を模して新町通松原に草庵を結んだのが始まりとされる。 <br /> その後、天正年間(1573〜1592年)に豊臣秀吉の命により玉譽が現在地に移転し浄土宗に改宗した。 <br />

    蓮光寺
     明応年間(1492〜1501年)に天台宗真盛派の開祖・真盛が高野山の苅萱堂(かるかやどう)を模して新町通松原に草庵を結んだのが始まりとされる。
     その後、天正年間(1573〜1592年)に豊臣秀吉の命により玉譽が現在地に移転し浄土宗に改宗した。

  • 蓮光寺

    蓮光寺

  • 市比売神社<br /> 御祭神は全て女神様をお祀りしているところから女性の守り神とされ、女性全ての願い事にご利益があります。特に「女人厄除け」の神として厄除け女性の参拝者が全国から絶えません。<br /> 

    市比売神社
     御祭神は全て女神様をお祀りしているところから女性の守り神とされ、女性全ての願い事にご利益があります。特に「女人厄除け」の神として厄除け女性の参拝者が全国から絶えません。
     

  • 市比売神社<br /> 平安時代より市場の守り神である市比賣社は、多くの人々で賑わっていました。昭和2年日本で初めて「中央卸売市場」が京都に開設された折、分社として「市姫神社」が祀られています。「五十日百日之祝」(いかももかのいわい)は生後五十日目か百日目に当社より「五十顆之餅」を授かり健やかな成長を祈り子供の口に含ませる現在のお食べ初めの発祥として知られています。源氏物語など多くの古典文学にも描かれ、歴史にその名を残しています。

    市比売神社
     平安時代より市場の守り神である市比賣社は、多くの人々で賑わっていました。昭和2年日本で初めて「中央卸売市場」が京都に開設された折、分社として「市姫神社」が祀られています。「五十日百日之祝」(いかももかのいわい)は生後五十日目か百日目に当社より「五十顆之餅」を授かり健やかな成長を祈り子供の口に含ませる現在のお食べ初めの発祥として知られています。源氏物語など多くの古典文学にも描かれ、歴史にその名を残しています。

  • 市比売神社  稲荷神社<br /> 

    市比売神社  稲荷神社
     

  • 上徳寺 世継地蔵<br /> 上徳寺は、1603年(慶長8年)に徳川家康の娘、泰誉院とその生母上徳院の菩提を弔うために創建されたお寺 です。<br />通称の「世継地蔵」は本堂とは別に、左手奥にあります。このお堂は、江戸時代より安産と子授けで広く信仰を集めてきました。

    上徳寺 世継地蔵
     上徳寺は、1603年(慶長8年)に徳川家康の娘、泰誉院とその生母上徳院の菩提を弔うために創建されたお寺 です。
    通称の「世継地蔵」は本堂とは別に、左手奥にあります。このお堂は、江戸時代より安産と子授けで広く信仰を集めてきました。

  • 上徳寺 世継地蔵

    上徳寺 世継地蔵

この旅行記のタグ

関連タグ

22いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP