2014/08/29 - 2014/08/29
282位(同エリア1184件中)
杏仁豆腐さん
夏も終わり。
東武伊勢崎線で足利へ。
小雨の降る朝、足利の天気予報は曇り、晴れ。
よーし、今日は足利だ。
昔、若い頃に一度訪れたことのある街ですが、それも記憶の彼方。
見所満載の足利学校と鑁阿寺でした。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄
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伊勢崎線の足利市駅を降り、足利学校に向かいます。
渡良瀬川を渡ります。 -
この先が足利学校です。
孔子像と石畳のある松並木を通って行くと足利学校。 -
そこに、足利まちなか遊学館があります。
http://www.yu-gaku.com/ -
足利の伝統産業である織物関係資料の展示があります。
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足利学校の入口。
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足利学校の前に、麦とろ銀丸があります。
店頭には地下12メートルから汲みあげた清水が流れています。 -
参観料を払うと、入学証がいただけます。
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足利学校の中に入ると、最初に孔子像があります。
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孔子(BC552-BC479)は中国春秋時代の思想家で儒学の始祖とされる人物です。
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孔子像の隣には、稲荷神社。
正一位霊験稲荷社です。 -
学校門。
寛文8年(1840年)の創建。 -
足利学校のシンボルです。
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旧遺蹟図書館。
大正4年(1915)に建てられました。市重要文化財。 -
収蔵庫です。
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字降松(かなふりまつ)です。
読めない字や意味のわからないことばなどを紙に書いてこの松の枝に結んでおくと、翌日にはふり仮名や注釈がついていたことから、学徒ばかりでなく近所の人まで利用するようになり「かなふり松」と呼ばれるようになったと伝えられています。 -
そばに質問箱があります。
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杏壇門
孔子廟の門です。寛文8年(1668)創建ですが、明治25年(1892)学校西方の火災により屋根、門扉が焼け、その後再建したものです。 -
孔子廟(こうしびょう)の中央にまつられている孔子座像(こうしざぞう)です。これは複製です。
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小野篁公(おののたかむらこう)像です。
古くから『足利学校は小野篁の創建なり…』と伝えられるので創始者としてまつったとされています。 -
不断梅(ふだんばい)
この梅は実が熟さないため、青い梅のまま冬を迎えます。
そのため冬になると黒い実となり落ちることがありません。 -
東郷平八郎手植えの月桂樹。
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南庭園
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方丈
学生の講義や学習、学校行事や接客のための座敷。 -
寄棟造りで屋根は茅葺き、禅宗寺院の方丈形式であるのが特徴です。
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玄関
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方丈の中を見学する入口に、宥座の器(ゆうざのき)があります。
「宥座(ゆうざ)」とは、常に身近に置いて戒めとするという意味で、孔子の説いた「中庸」ということを教えるものです。
壺状の器に水が入っておらず空の時は傾き、ちょうど良いときはまっすぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれてしまいます。
孔子は、「いっぱいに満ちて覆らないものは無い。」と慢心や無理を戒めました。
器に水を入れます。いっぱい入れようとすると器が傾き、すべての水がこぼれ落ちます。
人生に役立てたいです! -
欹器図(ききず)の解説
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庫裡(くり)から中に入ります。
庫裡は、竃(かまど)のある土間、板敷の台所、畳敷きの四部屋、その奥には湯殿などがあり、庠主(校長)や学生の日常生活の場として使われていました。
扁額「杏壇(きょうだん)」
天保14(1843)年、徳川治宝(とくがわはるとみ) 筆
この扁額は明治25(1892)年、足利町に起きた大火の折、黒焦げとなってしまいました。
現在の門にある扁額はこれをもとに複製されたものです。 -
扁額「學校(がっこう)」
寛文8(1668)年、蒋竜渓(しょうりゅうけい) 筆
現在の門に掛かっている扁額は、これを元に複製されたものです。 -
上杉憲実(うえすぎのりざね)像
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脇玄関の前には、孔子像が並んでいます。
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方丈から見た南庭園
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方丈の中にも、宥座の器(ゆうざのき)。
針生清司さん製作。針生さん(館林市在住)は鍛金の伝統技法の伝承に努め、平成11年に国の「現代の名工」に選ばれています。 -
方丈から見た孔子廟
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北庭園
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石祠
弁才天を祀った祠(ほこら)で、昭和57(1982)年から行なわれた足利学校跡の発掘調査の際、北庭園より出土したものです。
往時は、池の中島に祀られていました。(現在、中島にあるものは複製です) -
書院
床の間、違い棚、付書院(花頭窓(かとうまど)や松川菱欄間付)があり、庠主の接客の場として使われたところです。 -
庫裡は展示コーナーになっています。
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小屋
薪や農具などの置き場のほか、漬物などの食料品を保管した建物です。 -
土蔵(どぞう)
大切なものを格納する耐火建築として建てられました。周囲は漆喰仕上げで屋根は栗板の柿葺きです。 -
庠主の墓(しょうしゅのはか)
室町時代、関東管領上杉憲実は、鎌倉円覚寺から僧快元を招いて初代の庠主(校長)とし、足利学校の経営にあたらせました。
以後、明治元年までの430年間に23代の庠主が在任しました。孔子廟の裏手には、このうち17人の歴代庠主の墓があります。
多くは無縫塔で、庠主の名前がわかるのは8基あり文字が判読されていますが、残りの9基は不明です。 -
衆寮(しゅりょう)
僧房または学生寮です。 -
衆寮の内部
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裏門
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足利学校は、世界遺産を目指しています。
足利学校は、現在のように何年制と定められてなく、自学自習だったので自分の学びたい学問が終わったら生徒は帰って行きました。ですから、長い人では10年以上、短い人では 1日の在学だったようです。自分自身で納得するまで学んだら卒業したのです。
寛大な学校でした。 -
足利学校を出て、鑁阿寺に向かいます。
石畳の風情のある道。大日大門通りです。 -
レトロな店構えの建物があります。松村写真館です。
明治26(1893)年創業。映画「八日目の蝉」のロケ地です。 -
鑁阿寺の手前に足利尊氏像
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鑁阿寺です。
鑁阿寺は、源姓足利氏二代目の足利義兼(あしかがよしかね)が、建久7年(1196年)に、邸内に持仏堂(じぶつどう)を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりといわれています。
その後、三代目の足利義氏(あしかがよしうじ)が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。 -
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えています。
太鼓橋を渡って鑁阿寺に入ります。 -
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立派な山門
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『徒然草』第216段、最明寺入道 の石碑
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2013年(平成25年)に本堂が国宝に指定されています。
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鐘楼
建久七年(1196年)足利義兼建立 -
天然記念物の大銀杏
樹齢550年前後といわれ、栃木県指定の天然記念物に指定されています。 -
11月下旬の黄葉の頃は、さぞかし美しいでしょう。
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多宝塔
県指定文化財、江戸時代初期 元禄五年(1692年) -
本堂の銅鑼
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銅鑼のお守りを購入しました。
熊よけの鈴替わりにもどうぞと言われました。 -
本堂の屋根には鬼瓦
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本堂から山門を眺めた風景
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経堂
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本堂の裏に回ると、校倉がありました。
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庚申塔
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蛭子堂(ひるこどう)
足利義兼が平家追討のため留守にしたところ、室の“北条時子”は懐妊。
別の男の子どもではないだろうかと怪しんだ義兼が問いつめたところ、侍女の藤野が「筆頭家臣の足利忠綱と通じた」と報告した。
激怒した義兼が時子に命じたのは自害。時子は涙を流しながら自ら命を断った。すると、時子の大きなお腹から出てきたのはたくさんの蛭だった。無実の罪で命を断った時子の無念が、蛭となって現れたのだろうか。
悔いた義兼は鑁阿寺を建立。そして、時子を供養するために、蛭子堂を建てたという。 -
大酉堂
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御霊屋
足利氏の祖霊を祀る社で、現在の建物は徳川十一代将軍家斉の寄進による。 -
西門を出て、これから織姫神社に向かいます。
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