2014/08/14 - 2014/08/14
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はくさんちどりさん
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今年の6月に享年99歳で逝ってしまった母の葬儀に参列できなかった長女と次女が、お盆休みで帰省したのを機会に、せめて墓参りだけでもしたいと切望したので、秋田まで行ってきました。
長女が長距離のドライブにも耐えられる車を買ったので、今回は初めて後部座席に妻と並んで座り、お客様気分を楽しみたかったのですが、普段と様相が違うので、かえって気疲れしました。
でも、長女の運転は丁寧なので、自分からの事故の心配はしなくていいかなと思えたのは、乗せてもらっての収穫でした。
両家の墓参りと、母校(浜口小学校)への立寄り、お気に入りの八郎潟産チカの佃煮を買ってから、母親の介護で滋賀県から戻った高校以来の友人と会うために能代市へ!
できるだけお昼の時間を避けるため、能代港に隣接したはまなす画廊の公園で、遠く白神山地や能代港付近の景色を眺めながら、屋根のあるベンチで持参の昼食を食べ、時間調整をしました。
気を使わせるのが申し訳なく、事前の連絡はしていませんでしたが、友人の自宅近くで独り降車し、自宅前に滋賀ナンバーの乗用車が駐車しているので、在宅を確信し、25年ぶりに再会を果たすことができました。
約1時間ばかりで辞し、秋北バスのバスステーションまで送ってもらい、別れを告げました。91歳になる母親の介護、自分の体に気を付けて、夫婦二人で頑張ってくださいと、心に念じることしかできませんでした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
ホンダのヴェゼルをキャッシュで買い、ご機嫌な長女の初ロングドライブの車窓から、遠く栗駒山方面を撮りました。
東北道の志波姫PAを過ぎ、金成若柳ICまでの間ですが、高速移動のためシャッターはめくら押しです。 -
秋田道に入り、焼石連山方面を撮ろうとしますが、道路わきの植栽が邪魔をして、なかなか思ったアングルで写ってくれません。
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秋田道の錦秋湖SAまで、大した渋滞に巻き込まれずやって来れました。
これも普段の行いのおかげです。
下り線側の駐車場は混んでいました。 -
子供連れの帰省客目当てに、焼ポンも出張で商売です。
はくさんちどりが子供のころは、出来上がる時に大きな音がしたので、『ドン』と言いましたが・・・今は音が可愛いんでしょうか、『ポン』だそうです! -
上下線の駐車場は分離されていますが、サービスエリア自体は1ヶ所なので、帰省を終えて帰る人達用に、秋田のお土産が多く取り揃えてあります。
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こちらには、ハタハタ、稲庭うどん、横手焼きそばなどが並んでいます。
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錦秋湖SAの秋のお薦めは、何と・・・栗拾いです!
案内図にあるように、広い栗林が隣接して、歩いて行けます。 -
案内図を拡大すると、ちゃんと『クリ林』と書いてあります。
ちなみに、錦秋湖は湯田ダムのダム湖です。
ダム湖に臨んだ芝生公園は、眺めがいいらしいので、秋には栗拾いと紅葉が楽しめるかもしれません。 -
今年は栗の生育が良さそうです。
いっぱいイガグリがついています。 -
ご覧のとおり、たくさん見えています。
十数年前に一度、いい時期にSAに入ったことがあり、たんまり良品の栗を拾い、帰宅してから栗ご飯にして美味しく頂いたことがあります。 -
下り線側の駐車場から見た施設建物です。
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こちらは上り線側の駐車場です。午前中なので、まだ混んでいないようです。
車の向こうに見えているのは、温泉です。 -
次女お気に入りの『とんぶり入り味噌』で、東京の友人にお土産として買っていくそうです。
妻も負けじと、買いました。 -
隣には本物のトンブリが瓶詰で売っていました。
幼少時から短冊に切ったトロロに載せて、お醤油をかけて食べていたので、懐かしさがこみ上げてきます。 -
岩手のお土産としては、お菓子類以外に前沢牛を使用したコロッケ、しゅうまい、ハンバーグ類がありました。
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先へ進んで、はや八郎湖PAまで来ました。
2月には雪だらけだったのに、今は青葉がまぶしいくらいです。 -
上り線側の上の方です。
ちょっと気になるのは、松枯れが進んでいるような感じに見えることです。 -
八郎潟が見えないかと、高台の方に歩きます。
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八郎太郎にまつわる『八郎湖伝説』の説明板があります。
自分にとっては、あくまでも八郎潟、別称単にカタですが・・・。 -
興味のある方用に拡大しました。
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琴丘ICで自専道を出て、東側から母が眠るお墓にやってきました。
妻の実家の方では、墓所(ハカショ)と呼ぶそうです。 -
この写真の大きな欅の木の広がりが切れる右にあるお墓がそうです。
新盆なので、今日14日は家へ帰っているかもしれませんが
。 -
戒名は『篤媼寿仙大姉』と名づけられました。
お寺さんもなかなかのもので、生前の故人の行きようがよく表現されていると思います。
涙もろい長女の眼は、心なし潤んでいました。 -
墓地の南側に広がる何気ない田園風景です。
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火野正平さんがこころ旅で近くを通ったため池が、墓地の駐車場と隣り合わせにあります。
この風景も変わらない時を感じさせてくれます。 -
続いて、車で直行すると30分足らずの、はくさんちどりの実家の墓です。
長兄が数年前一念発起して墓所(ハカドコ)を新しい墓石で置き換え、立派にしました。
ここへ来る前に、国道101号沿いにある佃煮屋さんに寄って、最後になるかもしれないと思い、奮発して1万円近く佃煮を買いました。 -
旧盆なので、どこのお墓もきれいにしてあります。
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墓地から歩いてすぐのところに、6年間お世話になった小学校があります。
鉄柵も扉も何もない正門です。
今でも、通学する子供たちが一人ひとり、皆どこの家の子供かわかっているので、扉は不要なのでしょう。 -
ただし、目の前を国道101号男鹿街道が通っているので、車には要注意です。
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フェンスに張ってありました。
今も頑張っているんですね、学校植林(クロマツの砂防林です)!
かく云うはくさんちどりは、今から約55年前、横手市で全国植樹祭が開催された際、小学校を代表して植林コンクールの表彰状を頂きに行ったことがあります。 -
2年連続の表彰、おめでとうございます。こちらが前の分ですが・・・。
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校庭の松は健在ですが、桜は老齢となって、弱っているようですね。
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創立120周年記念の小さな庭園ですが、ちゃんと池もあります。
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記念の石碑です。
今は百といくつになるのでしょうか? -
校舎正面玄関です。
かつては木造2階建てでした。 -
校舎東側です。
はくさんちどりが通学していた頃は、1クラス50人ほどで、1学年3〜4クラスある田舎のマンモス校でしたが、今はどれくらいの数の生徒が学んでいるのでしょうか?! -
正面玄関の拡大写真です。
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後輩たちよ、命あるものすべてを大切にしようね!
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校庭にある松に囲まれた土俵が見えています。
授業がだれて来た時に、教科に関係なく、全員で外へ出て相撲を取った記憶があります。
図画工作、習字、作文、いつも居残り組だったので、放課後の外で響く楽しい遊び声を聞きながら、いつもわが身を呪っていましたね! -
妻と娘たちにせかされて小学校を後にし、昼食と時間調整をするために、能代港にある『はまなす画廊』の公園の駐車場に案内しました。
駐車場から海が見える方に歩くと、慰霊碑のようです。 -
日本海中部地震による津波被災者の慰霊碑でした。
これまで、日本海側では地震時の津波に対する警戒心がなかったため、能代火力の工事現場や男鹿半島の磯、八森漁港などで、地元育ちの逃げなかった大人や子供が大勢犠牲になっています。 -
能代港工事現場での殉難者のご芳名が刻印されていました。
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はまなす画廊に行く途中に発電用風車があり、下から見上げました。
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風車の基部に小さな子供たちの力作が描かれています。
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思い思いに描いているのが何とも言えませんね!
絵を見るだけで、可愛くなります。 -
こちらは能代港の岸壁堤防に描かれているはまなす画廊の制作者名簿です。
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はまなす画廊の南側部分です。
背後に見えるのが東北電力の能代火力です。 -
はまなす画廊の北側部分。
遠くの山は世界遺産の白神岳と秋田・青森県境の山並みです。 -
お昼を食べたベンチの近くに花が咲いているので、近寄ってみました。
クローバーのようです。 -
ハマヒルガオのような葉っぱにピンクの花が・・・でも、ピンボケ!
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はまなす画廊の記念石碑。
丸く加工していますが、ひび割れており、当時の県知事さんの姓と名が別れています。 -
古びた能代港の計画図とライオンズクラブの低い展望台。
その向こうに高いはまなす展望台があります。 -
展望台では螺旋階段を上ることになり、5段ごとに数字をふってありました。
上まで全部で何段でしょうか?・・・正解はクチコミを参照してくださいね! -
展望台から米代川河口方面と能代港、そして遠くの白神岳です。
白神岳は花崗岩でできているそうです。 -
展望台には、きれいな能代港の案内図がありました。
カラフルでわかりやすいです。 -
時刻が午後1時近くなったので、駐車場に戻ります。途中の道の脇にハマナスが咲いていました。
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ハマナスの濃い橙色の実もついています。
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友人宅で小一時間ほどすごし、親御さんの元気な姿と本人夫婦たちの息災を確認できたので、自宅前での写真を撮ってから、バスステーションまで送ってもらいました。
高校に通学するのにいつも利用していましたが、その当時のステーションは郡内一円のバス発着の中心地として、今と比べ物にならないほどにぎわっていました。 -
現在のバスステーションのバス乗り場を正面から見ました。
後方に高いビルが建っています。
能代ふれあいプラザで、3階以上が市営住宅として利用されているそうです。 -
バスステーションのある交差点から、県道205号(旧国道101号)の北の方を見ています。
緩く上りになったあたりを過ぎると、米代川に架かる橋になり、その向こうは向能代です。
思い出に浸るまもなく、迎えがやって来たので、拾ってもらいます。
(復路篇へ続く)
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