2014/08/06 - 2014/08/08
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kazimさん
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ドルトヨルもイスケンデルンも、地中海側トルコの東の奥、ハタイ県にある中都市だ。ドルトヨル市の人口は8万、イスケンデルン市は18万。トルコの友人が住んでいるので出かけたが、観光的に目立つスポットはない。特にドルトヨルは全く普通の街、一方イスケンデルンは一応、海が見所であることはたしか。そこでの2泊を日記風に。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
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イチオシ
8月6日、メルスィン行きのバスでアドゥヤマンを午前9時半に発ち、4時間(30リラ)でオスマニエに着いた。ドルトヨルへは、ここで南に道を折れる。オスマニエの近代的なオトガルからそのままミニバスがあり、さらに30分(5リラ)でドルトヨルに着いた。
写真は、ドルトヨル市内の公園。 -
十数年来の友人Yさんに、ここで再会。Yさんは、前旅行記「トルコ東部-アドゥヤマンとネムルト山周辺」でお世話になったAさんの元同僚のお巡りさん。2人がアンタクヤ(ハタイ)に勤務していたときに知り合ったのだ。Aさんが勤務する警察署に案内され、夕方になって街へ出る。
写真は、ドルトヨル市内の青果店。 -
「街を案内するよ」と歩き出したが、市役所、公園、チャルシュ(繁華街)を見ただけ、15分で終わる。予想どおり観光的には何もない街だ。個人的にはこの街の名前がおもしろい。「ドルト」は「4」、「ヨル」は「道」で、「ドルトヨル」は「交差点」の意味。地中海沿いを東西に走る道とアンタクヤ(古名アンティオキア)やシリアに至る道の分岐点であることから付いた名らしい。
写真は、市内最大と思われるモスク。 -
市内で夕食をとり、まだ明るい午後7時半、Yさんの部屋に着いた。奥さんと子供はラマザン明けのお祭り以降、実家のあるカーラマンマラシュに滞在しており、しばらく単身赴任のような生活をしている。だから、彼とともにした食事はすべて外食だった。
写真は、Yさん、市内の公園で。
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真面目で口数の少ないYさんとは、土産を渡すと大した話もなく、「海へ行きませんか」と提案した。「きれいじゃないし、かなり遠いよ」と言いながらも車を出してくれた。そして、かなりの人が散歩を楽しんでいる海辺の遊歩道に着いたが、たしかにきれいとは言えない。南に光る街の灯を見ながら「イスケンデルンは海がきれいだよ」とYさんが言うので、翌日はイスケンデルンへ出かけることにした。
写真は、市内のアタチュルク(多分)広場。 -
8月7日、「起きろ! 9時までに出勤しなくちゃならない」というYさんの声で目が覚めた。時計を見たら8時45分、あわてて身支度をして車に乗り、なんとか間に合う。とりあえず出勤すればよいようで、15分ほど仕事をしてから、彼のおすすめのスープ屋で朝食。メルジメッキ(レンズマメ)のスープがうまい。
写真は、イスケンデルンの埠頭から。 -
近距離のミニバスが発着するオトガルを教わり、ここから先は1人でイスケンデルンへ日帰り旅行だ。南へ15キロほど、途中には製鉄所や化学関連の大きな工場がいくつかあり、5リラ約30分で着いた。
写真は、イスケンデルンの海辺にある彫刻。
位置情報は、イスケンデルンの近距離ミニバスのターミナル。大型バス、市内バスのターミナルは別の場所だが近い。 -
何の情報も持たずに来たので、とりあえず「きれいだ」という海を目指す。10分ほど歩いてたどり着いた海辺は、なるほどよく整備されていた。地中海に突き出す埠頭、観光用の客船もあり、長い海岸線には遊歩道が延びる。そこには点々と茶店やレストランが並んでおり、いくつかのモニュメントが建てられている。ただし砂浜はないので泳げない。おそらく、この一帯は埋め立て地だろう。
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「イスケンデルン」とは「アレキサンダー大王」のことだ。街の古名は「アレキサンドレッタ」、BC333年にアレキサンダー大王がここでペルシャ軍を破り築いた街なのだ。そういう歴史とは別に、20世紀にはイラクからパイプラインが通って栄えた街でもある。湾岸戦争でそれが閉鎖され、今では50キロほど北のジェイハンに新たなパイプラインが通ってしまったけれど。
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こうした歴史的な知識は、帰国後に「ロンリー・プラネット」やWikipediaで得たものだ。ちなみに、「ロンリー・プラネット」のイスケンデルンの項には、「面白味もない近代的な街」「あなたの後ろ髪を引くような場所は一つもない」とある。ずいぶんな評価だが、ドルトヨルには項目さえ立てられていない。
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長い海岸線をがんばって歩いていると、何個目かのモニュメントに地球儀があしらわれていた(その全体像が前の写真)。近づいてみると、地球の中に日本がない(この写真)。誰かにそれを指摘しようにも、ほとんど人が歩いていない。暑いのだ。この前に訪れたアドゥヤマンも暑かったが空気が乾燥しており、意外に過ごしやすかった。しかし、ここは海辺で湿気がある。暗くなってからなら夜景も美しくてよかっただろう。
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海辺から町中に入る。碁盤目状の通りは狭いが、バザールもあり、なかなかの繁盛だ。ただし、取り立てて目に付くものはない。ぼんやり歩いていると、床屋のおやじに声をかけられた。暇な私も店先に座る。お茶をごちそうになりながらしばらく話すうち、「ちょっと髪が伸びてるじゃないか、切ろうよ」ということになり、結局、鏡の前に座った。
写真、鏡が多い床屋の中で不思議な雰囲気。 -
トルコの床屋は安い(この時は10リラ)ので、こうしたときに私は何回か利用している。とりあえず髪を切ることについては問題ないが、難点はそのあとの洗髪にある。掛けてくれるタオルが小さいので、服がびしょ濡れになるのだ。その上、シャンプーで顔も洗われ、耳の穴まで無骨な指をつっこまれる。
写真は、床屋のおやじと店先で、私のポロシャツはびしょ濡れ。 -
イチオシ
これでこの街の全てを見たつもりになり、遅い昼食を海辺のレストランで取る。ビールが飲める店があることを確認していたのだ。この暑さはビールに限る。結局、海を見ながらぼんやりと時間を過ごし、再びミニバスでドルトヨルに戻ったら、ちょうど17時、Yさんの退勤時刻だった。
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Yさんとの少し真面目な話。「ここはシリアが近いけど(50キロほどで国境だ)、内戦の影響はあるの?」「難民がかなりいるね」。何かの登録のためか警察署の窓口に並ぶ人を指して、「シリアからだ」とYさんに教えられていた。「それより」と続けて、「あそこの山にテロリストがいるんだよ」と、街の背後の山脈を指差し物騒なことをささやく。
写真は、まだイスケンデルンの海辺、雲がかかっているあたりが背後の山。 -
ドルトヨルもイスケンデルンも海辺の街だが、そのすぐ東側には急峻な山脈が迫っている。そこはトルコ警察の手が及ばない深い山で、テロリストがいると言うのだ。実際、2006年にドルトヨルでテロがあったことは確かだ。見上げる山は緑深くゆったりとたたずんでいるのだが。
写真は、再びドルトヨル市内。 -
明るい話を書こう。このドルトヨルには美人が多い。あくまで私の主観だが、もし根拠があるとすれば、さまざまの血が入り交じった人々が住んでいることだろう。もともとトルコ人自体が、中央アジアを紀元としながら移動を重ねて現在の地に移り、ヨーロッパも含めて、多くの血が混じる人たちだ。そのうえ、このハタイ県一帯は、アラブの人たちも多く、またトルコの中でここだけフランスの植民地だった歴史を持つ。美人は混血で生まれるという、私の勝手な理屈だが。
写真は、市内レストランの女の子。これより美人も多し。 -
この夜は、Yさん宅の広いベランダでお茶を飲みながら長い時間を過ごした。通りを眺めていると、パトカーが頻繁に付近を巡視をしていることに気づいた。それを指摘すると、Yさんは「テロがあったのはこの100mほど先なんだよ」と教える。「こんなに見回っているならかえって安心だね」と私は返したが、真面目な警察官のYさんは笑わなかった。
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この2泊でドルトヨルをあとにし、アクサライへバスで向かったが、そのチケットを買ったときのこと。ドルトヨル市内のオフィスで「アクサライまで50リラ」と言われた。それを聞いたYさんが口をはさむ。「高いじゃないか、アンカラならいくらだ」。係員の答えは「50リラ」。アクサライはアンカラの200キロほど手前だ。それで結局45リラになったが、距離から考えると35リラあたりが相場だろう。「何でそんなことをするんだ」と叱るYさん。それに対する係員の答えを聞いて、私は笑ってしまった。「だって外国人だし、1回しか乗らないだろうし…」。それくらいのトルコ語なら私にもわかる。そもそも客を前にぬけぬけと言うことかね。観光客がほとんど来ないこういう街ならではの対応だろうと信じる。
写真は、Yさん宅のベランダから。羊も放牧されるのんびりした雰囲気なのだが。
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