2014/08/04 - 2014/08/06
10位(同エリア32件中)
kazimさん
- kazimさんTOP
- 旅行記32冊
- クチコミ21件
- Q&A回答48件
- 114,619アクセス
- フォロワー5人
イスタンブールから国内線で1時間45分、着陸直前、アタチュルクダムの湖水の明るい青が見事だった。降り立ったアドゥヤマンの空港は、小さいけれど近代的な設備だ。ここに来たのは、10年ほど前に知り合ったAさんが働いているから。しばらく疎遠になっていたが、彼が私の名をFacebookで発見してくれ、以来連絡を取り合うようになった。警察に勤める彼は数年ごとに異動をし、今はアドゥヤマンで働いている。「久しぶりに逢いましょうか」「どうぞ、いつでも待っています」との応答があったのだ。警察官だから自由に出入りできるらしく、バゲージの引き取り所で彼が待っていた。この街で2泊を過ごす予定だ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
8月4日、正午、空港を出て最初に感じたのは厳しい暑熱だ。天気予報でアドゥヤマンの最高気温は40℃とあり、覚悟はしていたものの、太陽は容赦なく照りつける。ただし、空気が乾燥しているので、日陰に入れば爽やかだ。
写真は、午後6時半のアドゥヤマン旧市街、まだ36℃と表示されている。 -
アドゥヤマンの空港は、キャフタ市との間にある。20キロほどを車で飛ばし、まず「ポリス・エヴィ」(警察官舎)で昼食、すぐにAさんの仕事場である警察署に向かう。エアコンの効いたオフィに入ると、彼は「裁判があるのでちょっと中座する」と言って出ていった。「いつでも待っている」と言ったものの、かなり忙しそう。ただし5歳になる息子も連れてきている。
写真は、アドゥヤマン市内で最も洗練された雰囲気の通り。 -
署長さん(彼のお姉さんの旦那さんだそうだ)に紹介されたり、他の警察官と話したり、トルコでの恒例としてお茶をごちそうになったり、室内禁煙のために暑い非常階段で煙草を吸ったりするうち、2時間ほどでAさんは戻った。
「よし、仕事は終わり。街を案内するよ」とのことで、旧市街に向かう。アドゥヤマンの街は、東西に延びる街道に沿って広がっており、その南側が旧市街だ。
写真は、旧市街にある時計塔。鷲の彫刻があしらわれているのは、翌日に行くカラクシュの遺跡と関わる。 -
「地元の名物だ」と彼がまず紹介したのが、現地で「テュテュン」という手巻きの煙草だ。写真のように、路上で葉を量り売りしている。ケースと紙も売っており、愛煙家は吸いたくなると、おもむろにケースを取りだし、適量の葉を置いた紙を丸め、つばで止める。かなりきつい味だが、フィルターも付けられる。
写真は、路上のテュテュン売り。 -
トルコ語で「タバコ」は通常「スィガラ」で、それと「テュテュン」の違いがわからない。「スィガラ」の名産地は黒海沿岸の、たとえばサムスンだが、空港と街の間にもテュテュンの畑が広がっていた。吸い方のみならず、品種が違うのだろう。
トルコには、これら以外にも、現地では「ナルギレ」という水タバコもあり、タバコ文化が発達しているが、最近、禁煙指向が強くなった。
写真は、テュテュンのケース。ケースだけなら5リラ。 -
街を歩きながらのAさんとの会話。
「Aさんはポリスなのに、なぜ制服を着ていないの?」
「捜査の時に警察だとわかると困るからだよ。うちのオフィスではみんな私服だったろ」
「(つまり私服刑事か?)仕事の内容はどんなこと?」
「麻薬の捜査だとか、違法な携帯電話の取り締まりとか…」
いよいよ私服の「デカ」なのであった。警察署入口の検問に加え、彼の部署に入るのに指紋認証のチェックがあった意味が判明した。 -
「そうすると、仕事大変でしょ」
「そうでもないよ。以前マルディン(シリアとの国境近く)で勤務したときは大変だったけど、アドゥヤマンの人はみんな穏やかだから、仕事がしやすいよ」
「そうなんだ」
「麻薬はシリア、イラク、イランから入ってくる。ヨーロッパに向かう闇ルートの通過点がトルコなんだ。取り締まらなくちゃね」
大変ではないと彼は言ったが、この翌日、彼は捜査に忙殺された。
写真は、市内で最大のウル・ジャミィ。 -
話すうちに、旧市街の中心にある「カレ」(城跡)に着いた。小高い丘の上が公園になっている。陽がだいぶ傾き涼しくなってきた。
「アドゥヤマンはとても古い町だ。市内にはあまり残ってないが、明日は近くの遺跡を見に行くといい」とのこと。
調べてみると、近くの洞窟には4万年も前に人が住んだ痕跡があるらしい。ここはユーフラテス川上流で、最も早く文明が花開いた土地の一つなのだ。
写真は、城跡からの眺め。 -
町の中心から車で10分ほどの、彼の住まいに案内される。警察官のためのアパートの5階、ひんやりとエアコンが効いた部屋で、奥さんと3人の子供が出迎えてくれた。
彼の家で最初に撮ったのが、この写真。彼がFacebookに載せて、私にタグ付けをしたものだから、トルコ語と日本語が混ざったコメントが飛び交った。
「夕食までもう少し時間があるから、もう一度外に出よう」と言われうなずく。 -
彼の住まいの近所に、写真のような油田がある。ほとんど石油がとれないトルコだが、アドゥヤマン一帯だけはわずかながら石油を産するのだとか。
翌日にも何カ所かで、こうした石油採掘施設を見た。 -
そして、街を一望できる丘に車で登った。「セイィル・テペスィ」(「テペ」は「丘」の意)というところで、眺めは写真のように壮大だ。アドャマンの町並みとともに、遠くアタチュルク・ダムの水面も見える。
-
家に戻ると、豪華な夕飯が用意されていた。マントゥと鶏肉料理がメインで、サラダ、果物などが多数並ぶ。
髪を隠したトルコの女性の中には、外国人と話すことを嫌ったり、恥ずかしがったりする人が多いが、彼の奥さんは初対面にもかかわらず、フランクに話ができて好印象だ。 -
10数年前に知り合った頃のAさんはまだ独身で、アンタクヤ(ハタイ)の警察独身寮に住んでいた。私を泊めたものの、他の友人もいて狭い部屋に場所がなく、彼はバルコニーに寝たことを思い出す。それから月日が経ち、結婚して子供にも恵まれ、10人近い部下を持つ地位にある。
-
近くに住む彼の姉の一家(つまり警察署長さん一家)がやって来てしばらく雑談。陽がとっぷり暮れ涼しくなった頃を見計らい、再び「セイィル・テペスィ」に行く。夕方は閑散としていたテーブルが、この午後10時頃には人で埋まっており、お茶を飲みながら夜景を楽しんだ。
向かいの山の中腹、周囲に何もない一角に小さな明かりが密集しているのは、シリアからの難民キャンプだそうだ。国境から直線距離で150キロほど、「電気も水も食べ物も、全部トルコが援助している」というお巡りさんたちの説明。一方、街では平日にもかかわらず結婚式を祝う花火が時折打ち上げられ、その対照があまりにも鮮明だ。 -
イチオシ
翌8月5日は、ネムルト山周辺を回る1日。8時半に朝食をいただいて、ともに警察署に出勤する。車内で彼が「急に捜査が入った」と言う。私を連れ回れないので、友達に案内を頼むことにする、とのこと。しばらく警察署内で待ち、昼前に友人のSさんがやってきて車で出かける。
アドゥヤマンからキャフタを経て45分ほど、キャフタからは北へ10キロほどで、最初に着いたのか「カラクシュ」の遺跡だ。
写真は、「カラクシュ」遺跡のシンボル、鷲の塔。 -
「カラ・クシュ」は「黒い鳥」の意だが、1語で「カラクシュ」は「鷲」のこと。柱の上に立つ像が鷲であり、アドゥヤマンの町中の塔もこれに由来する。今は鷲が生息できそうな森はないが、建立当時は木々が豊かだったのだろうか。
-
崩れかけてわかりにくいが、よく見ればライオンらしい像もあるが、そのバックの小石の堆積は、ネムルト山と同様に人為によるもので、BC36年に作られた墳墓だという。大変な労力が費やされたことだろう。
-
ほかにも人が握手を交わしている彫像を最頂部に配した柱もあり、これには何か政治的な意味がありそう。この墓はミトリダテス2世の女性血縁者の墓だそうで、もしかしたら、その女性と王様か。
-
さらに2本の柱があるが、本来はもっと多くの円柱が並んでいたらしい。次に見るジェンデレ橋を造るために、転用されてしまったとか。すでにコンマゲネ王国がローマ帝国の一部になっていた時代だ。
-
遺跡からの眺めは荒涼としており、遠くまで来たことを実感させる。高台にあるので、乾いた強風が吹きすさぶ中、南方を望めば、アタチュルク・ダムの湖面がはるかに見える。
-
東側には山塊が広がり、写真の山の最頂部、つまんだようにとがっているのがネムルト山頂だ。ここから50キロほどだが、道も険しく、おいそれと行って帰ることはできない。15年ほど前に山頂を極めた経験があるので、今回は「無理しなくていいです」と辞退した。
-
だから以下3枚は昔の写真で、正確には1997年のものだ。
地震で崩れ落ち頭部だけ残った像が並ぶ不思議な遺跡。そのうえ、背景の石積みは、やはり人為による墳墓だ。 -
紀元前1世紀に栄えたコンマゲネ王国がどういう体制だったのか、この大きな像と石積みを作り上げた労力には想像を絶するものがある。カラクシュの像と似た作りであることも明らかだ。
-
ネムルト山は世界遺跡であり、今も変わらない不思議な姿で多くの人を引きつけているようだ。その詳細については、他の方の旅行記があるだろう。標高は2000mを超え、朝晩はかなり冷えるので、行かれる方はご注意を。
-
さらに北へ、起伏もきつくカーブも多い道を10キロほど行き、ジェンデレ古橋に着いた。ユーフラテス川の支流に架かり、2世紀にローマ帝国によって造られた橋で、先ほどのカラクシュの円柱を石材として用いたものだ。
ジェンデレ橋 史跡・遺跡
-
驚いたことに、2000年近く前に造られたこの橋が、つい最近まで実際の交通に使われてそうだ。しかし、トラックの通行が増えたことにより崩壊し、少し下流に新しい橋を渡した上で、この橋も修復されたのだという。
-
橋の迫力もさりながら、その上から眺める渓谷の深さが印象的だ。地元の人か、水遊びに興じる人間が小さく見える。夏の今は乾燥して水量が少ないが、河原の幅からわかるように、春にはネムルト山一帯の積雪が解けて、大量の水が流れるそうだ。
-
イチオシ
それにしても、紀元2世紀に、これほどの橋を造る必要と、技術と、労力があったのだ。道造りに長けたローマ人らしいが、それを必要とするだけの交通量があったのだろうと思えば、今は完全な奥地になっているのが不思議な気がする。
-
運転してくれているSさんは、カラクシュでもここでも、一通り見所を歩き終わると必ず「お茶を飲もう」と提案する。暑い上に空気が乾いているし、お茶好きのトルコ人らしいと思うが、そればかりでなく、座るたびに「テュテュン」を1本、2本と吸い続ける。
-
「Sさん、タバコ吸い過ぎでしょう」と、喫煙者の私が心配するくらいだ。
「実は、失恋したばかりなんだ。この橋の奥にある村の娘とつきあっていたんだけど、うまくいかなくて…。難しいね」
彼にとってジェンデレ橋は「泪橋」だったようで、ここに来て、いっそう本数を増やしてしまったらしい。
写真は、ジャンデレ橋のたもとの茶店で、飾りに置いてあった古いライフルで遊んだもの。 -
Sさんは、実はクルド人だ。Aさんとの会話では(私の聴解能力を超えるくらい)流暢にトルコ語を話すが、携帯電話では(私の聴解能力でもわかるくらい)耳慣れない言葉を使っている。そこで、「もしかしたらクルド語?」と尋ねたのだ。失恋相手でもクルドの人だという。そればかりか、カラクシュでもジェンデレ橋でも、茶店の人との会話はすべてクルド語である。
写真は、沿線の車窓から。トルコの田舎にはありがちな風景。 -
ジェンデレ橋からの帰途、Sさんは来た道とは異なる脇道にハンドルを切った。裏道を通ってアドゥヤマンに帰るという。舗装はされているものの、疎林や野原が続き、まれに小さな村が現れる。
前のロバを連れた少年の写真も、この険しい岩山も、その沿線風景だ。はるか昔から人が住んでいた土地なのに、全く人の手が入っていないような自然が不思議だ。 -
イチオシ
途中の「キョメル」という村で、Sさんが提案した。「知り合いが住んでいるから、アイランをごちそうになろう」。ロバの糞が転がる道で車を停め、ある家に入っていく。実っていたイチジクを勝手にもぎ取って私に手渡しながら、農家の人々に私を紹介した。
写真のように、彼らは干した「テュテュン」を束ねる作業の真っ最中。そして、やはり全員がクルド語話者だった。 -
後にAさんに尋ねたところ、「彼らはアドゥヤマンの市内にも住んでいるけれど、田舎に行くとほとんどがクルドの人だね。みんな穏やかでいい人たちだよ」とのこと。
以前のトルコはクルド人やクルド語の存在さえ認めていなかった。十数年前、ディヤルバクルの公園で、「俺たちはトルコ人じゃない、クルド人だ!」と叫ぶおじさんたちに会ったが、今は融和政策でクルド語を話すことなど、彼らの権利を一応求めるようになった。あるいは、当時から静かに暮らす人たちなのか。 -
裏道に沿い、アドゥヤマンの北郊外までたどり着くと、今度は泉に案内された。ローマ時代からこんこんと水が湧き、絶えたことがないそうだ。確かに清冽な水が流れをなしている。
写真は、そこにいた子供たちとSさんの記念撮影。ここでも女の子が1人陰に隠れているが、私がSさんに代わって立つと、いっそう恥ずかしげに姿を隠した。 -
この泉の南側に、「ピリン」の遺跡がある。案内図には「Perre-Antik kent」とも表示されており、どうやら前者がこの地区の名、後者が遺跡の名前らしい。かなり広大な岩山一帯が、写真のように洞窟状に削り取られている。
-
ここは「ネクロポリス」、すなわち初期ローマ時代の墓跡で、それが280基も並んでいる。いささか気持ち悪い思いをしながら歩き回る。これほどのお墓があるということは、それだけ長い期間、多くの人が近くに住んでいたことになる。先ほどの泉のあたりに古代都市があったのかもしれない。
-
以上で、Sさんのガイドによるツアーは終了。Aさんと合流して、この晩は市内一のホテル「グランド・イシアス」のレストランで、イスケンデルン・ケバブを食べた。
Aさんの捜査は、まだ終わっていないと言う。 -
警察署に戻ると、彼の同僚の一人が、私への記念品制作の真っ最中だった。「あなたは捜査に参加しなくていいの?」と尋ねたくなるが、本人は至って真剣。趣味の Filografi という工芸で、トルコの日本の国旗を並べている。
「トルコは赤地に白で月と星、日本は白地に赤で太陽。何か縁があるんじゃないか」などと言いながら。 -
パチンコの釘のようなものを月や太陽の形に打ち、釘の頭に引っかけながら金属製の糸を何べんも渡して図案を造る。両国の国旗は単純なものだが、恐ろしく時間がかかった。
熱意のこもった作品を前に記念撮影。これもFacebookに載せられて、「親善大使みたい」と冷やかされた1枚。 -
結局Aさんの仕事は朝まで続き、徹夜明けの彼に送られて、アドゥヤマンをあとにする。オトガルまでの道では、トルコの田舎でときおり出くわす羊の行列に遭遇して時間を取られ、バスの出発時刻に危うく遅れそうになった。
なお、アドゥヤマンではキャフタ側の郊外に新しいオトガルを建設中だ。しかし、これができても、アンカラ方面の客は、みなオトガル手前の街の中心で乗り降りするのではないか。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
41