2014/07/14 - 2014/07/17
129位(同エリア418件中)
KmPさん
黒龍江省ハルビン市、尚志市、一面坡。終戦まで満州国と呼ばれた中国の東北部を旅して、日本軍(関東軍)による戦争の歴史を学ぶ。
2014/7/14: 日本→ハルビン
2014/7/15 AM:侵華日軍七三一部隊遺址、
2014/7/15 PM:東北烈士記念館、市街散策、松花江
2014/7/16 ハルビン→一面坡→尚志→ハルビン
2014/7/17 AM:龍塔、聖ソフィア大聖堂
2014/7/17 PM:ハルビン→長春
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- Agoda
PR
-
2014/7/14 羽田空港
最初の目的地は哈爾浜(ハルビン)。中国国際空港AirChinaを利用。乗換のため経由地の北京空港へ。一人旅スタート。 -
北京首都国際空港
は巨大で空港内が複雑。Eエリアが国際線、Cが国内線。EとCの中間にDエリアがあり、これも国内線。国内線乗換の手続き後、掲示板でターミナルを確認し、自分はDエリアへ移動。
乗換方法はANAサイトがわかりやすい↓
http://www.ana.co.jp/int/airinfo/guide/bjs/airport.html -
哈爾浜太平空港
ハルビン空港に到着。1h出発が遅れたので現地23時着になってしまった。もうバスはないため、哈爾浜駅までタクシーで移動。高速代込みで150クワイ。タクシーの運転手が話しかけてくるが、さっぱりわからん。降りるときに「あんた内陸の人か?」と言われた。「日本人から来た」と言ったんだけどなぁ。通じてない。 -
中国式コンビニ
駅からまたタクシーで中山通り近くのホテルに到着。デポジット(押銭)400クワイが必要。日本式のコンビニはなく、「超市」という個人商店がある(写真)。飲み物とアイスを買う。 -
2014/7/15 ホテル前のバス停。
今日は731部隊跡地に向かう。とりあえず、哈爾賓駅まで路線バスで移動。1クワイ。1元はたくさん用意しておこう。
ハルビンの道路は広い、片側4車線。 -
駅近くの338路バス停
「侵華日軍七三一部隊遺址」行くには、哈爾賓駅の向かって左側(西)の道路沿いにある昆ロン大酒店(ホテル)の隣から338路バスが出ている。「新疆街」まで1hかかる。2クワイ。電子掲示板に停留所が出るので安心。とは言えども乗っているときは不安。 -
731部隊跡地
「侵華日軍七三一部隊遺址」に1hで到着。アウシュビッツ収容所のような負のオーラ出てるな(ドイツ行ったことないけどね) -
侵華日軍七三一部隊遺址
本部大楼は博物館になっていて、日本軍による生物化学兵器の歴史が日本語でも解説されている。「マルタ」と呼ぶ捕虜に残虐非道な人体実験をしていた。
細菌兵器ばかりが目立ってしまうが、この施設は感染症や伝染病ワクチンの開発などを行う当時としては本国に引けを取らない最先端の研究所であった。那須戦争博物館の館長が馬の病気(炭疽、鼻疽)のワクチンをもらいにここに来ている。 -
凍傷実験
の再現シーン。残酷ひえー。 -
専用引込線
-
動力班ボイラー棟
迫力あるなぁ。当時も生物化学兵器は国際法違反。終戦が決まり直ちに、証拠隠滅のために捕虜は全員殺害し、ほとんどの施設は爆破したが、これは爆破しきれず残った。 -
冷凍実験室
ここで、捕虜を使い人間は氷点下何度まで生きられるか実験したのだろうか。 -
小動物の飼育小屋
実験用のリスのような動物を飼育していた。 -
貯水槽跡地
蓋も金網もしてない。子供とか落ちたら死んじゃうじゃないか。危険(ウェイシェン)。 -
煙突
731部隊跡地の正門を出ると。道路を挟んで中学校がある。その先に煙突があるのでこちらも見学。実験で使った死体を焼いたのだろうか?
帰国してから気づいたが、見逃した施設跡地もあった。案内看板は色あせていて分かり難い。 -
哈爾賓駅の東
午後は「東北烈士記念館」に向かう。駅から徒歩で線路沿いに行く。 -
東北烈士記念館
共産党の抗日戦争に命をささげた人たちの記念館。満州時代は関東軍憲兵司令部であった場所にある。 -
共産党抗日戦士の蝋人形
抗日活動家の歴史を紹介している。楊靖宇yang jingyuは抗日指導者で東北地方の英雄である。河北省の貧農に生まれ、
他にも哈爾賓の遊郭街(ヤナギマチ)の再現などもある。日本人・朝鮮人が従事していた。食事でも映画でも何でもそうだが軍人が優先であった。 -
東北抗日連軍の銃
事変前から抗日活動はさかんであり、中国共産党下の一路軍は、山道にめっぽう詳しく、村人を味方につけていたため日本軍・警は彼らを追うことが難しかった。 満州建国後〜1936年東北抗日連軍となってからも、ゲリラ戦を得意とし、満州国側の軍警はずっと手を焼くことになる。
-
旧哈爾浜ヤマトホテル
中に入ると満州時代の写真などがあった。薄暗い。 -
景陽街から東に入った靖宇街
古い建物がたくさん残っている。この辺は傅家甸(道外区)と昔言って、満州時代に入っても治安が悪かった。関東軍憲兵隊道外分隊や警察が治安担当したが、普通の日本人は近づけない中国人居住区であった。松花江沿いに、阿片窟「大観園」もあった。 -
古い建物
問題です。この建物に猫がいます。 -
猫発見
-
松花江(しょうかこう)(露語:スンガリ―)(中国語:ソンフワジャン)
でかい。おっさんが魚釣りしていいたり、子連れの親子が散歩していたり。市民の憩いの場である。 -
防災記念塔
松花江沿いを歩いてここに到着。噴水ショーが始まったが、夕立の大雨雷で見物どころでない。地下のショッピング街へ避難する。 -
中央大街(キスイスカヤ)
防災記念塔から南に伸びるショッピング街。夜はライトアップされ美しい。
この辺は埠頭区(道里区)(道内区)と昔言って、日本人や外国人商人が居住していた。
夕立で靴がびしょ濡れなので、スニーカーを買う。100クワイ。
7/15 終わり -
2014/7/16 哈爾賓駅(写真)から一面坡へ
死んだ祖父(大正11年3月)が独立守備隊歩兵第27大隊としていた一面坡に向かう。
列車(ディーゼル車)の鉄道である。席は指定で事前にネットで予約しておく必要がある。当日券は「無座」という立ち席しかない。アラチャイナっていうサイトを利用した。チケット売り場は「售票庁」と言って、駅の入り口とは別にある。ここでパスポートと印刷した予約番号を見せて、チケットをゲット。その後、駅入り口から中に入る。 -
哈爾浜駅の待合室
駅内には待合室が複数あり。自分の列車の待合室で待つ。ホームには20〜30分前になると切符を切って入れる。駅内は売店もある。
チケット売り場もすごい人だったが、待合室もすごい人。大きな荷物を背負いどこへ行く、あるいは帰るのだろうか。 -
一面坡駅
哈爾浜駅を出発して、3.5hで一面坡に到着。途中はトウモロコシかコウリャン畑と、小さな集落しかない。一面坡はかなりの田舎。 -
一面坡の民家
満州時代は関東軍の飛行場、青少年義勇軍の訓練所もあった。もともとはロシア人の街で、ワイン用のブドウの産地であった。石畳はロシア人が造った街である名残か。黒龍江省の家はレンガ造り。煙突が必ずある。冬は最低気温マイナス25℃。 -
一面坡のタクシー
駅の南(汚いアパート以外は何もない)を通り抜けると商店が並ぶ街に出る。南の山の上にはお寺がある。三輪タクシーで、街をぐるりと回る。 -
一面坡駅ホーム
一面坡の隣の尚志に向かう。満州時代の名前は「浜江省珠河市」という。列車20分くらい。 -
尚志市(珠河)
そこそこの街である。もちろん観光地ではない。当てもなくブラブラする。 -
トウモロコシ屋
写真の専用の焼き器で路上で売ってる。味は甘くない。白いのや黒いのもある。「味は違うのですか」と聞くと、「差不多(ほとんど同じだよ)」だそうだ。おばさんが椅子を出してくれたので、しばし休憩。 -
寝台車両
列車で哈爾浜へ戻る。尚志から哈爾浜までは3時間だが、寝台席を予約した。赤ん坊がいたり、家族で移動している人が多い。寝ないで景色を眺める。 -
「世界の車窓から」的な
日が暮れてきた。列車から見る風景は山間のトウモロコシ畑に霧がかかり、なんともきれいである。撮った写真じゃ、この壮大さが伝わらないのが残念。
7/16 終わり -
2014/7/17 哈爾賓市風景
哈爾浜は最後の日なので市内を散策する。
哈爾賓工業大近くの旧東清鉄道本社などを見る。
写真は「龍塔」というテレビ塔からの眺め。 -
聖ソフィア大聖堂
ロシア建造物。ウエディング姿で結婚写真撮ってる人もいた。 -
大聖堂内部
中も見学できる。毛沢東のすすめた文化大革命のせいだろうか、かつてはあったであろう壁画は無残に剥がされている。 -
昼の中央大街
バスで駅に向い。長春へ出発。
旅の続きは「満州旅行2(長春)」で。
再見。
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