2014/07/17 - 2014/07/17
875位(同エリア4016件中)
おしどりさん
1965年から32基ある山鉾巡行は1日で行われていましたが今年より先祭と後祭の2回に分けて行われる事になりました。祇園祭りの山鉾巡行は重要無形民族文化財に指定され2009年にはユネスコにも登録されています。
とに角感動しました。かなり蒸し暑く腕は真っ赤に日焼けしましたが本当に良かったです。9トン前後の鉾は大迫力、14基の山もそれぞれ見ごたえが有り時間の経つのも忘れ楽しんできました。
四条烏丸から四条河原町、河原町御池を左折して市役所の前を通り烏丸御池、新町御池までのコースです。
観覧席は河原町御池から西に少し行ったところが招待席、そこから西に行き市役所を越えた辺りからが一般観覧席です。
7月17日の先祭の観覧席の申し込みに予約発売日の朝9時58分から近所のローソンへ行き10時ちょうどに申し込みをしました。なんと座席は80番と81番のA席(一番前列の席)でした。
どこまで感動が伝えられるか分かりませんが、最後まで見て下さい。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄
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地下鉄京都市役所前駅の御池通りです。観覧席がずっと並んでいます。
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観覧席の予約分の入り口と当日券の売り場です。まだAM9時過ぎなので暑い事もありほとんど着席されていません。
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通路を挟んで一番前の席でした。観覧席では日傘の使用や席から立ち上がる事は禁止されています。
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10時を過ぎたのでぼちぼち見物の人が増えてきました。道路の向かい側は本能寺会館です。
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午前9時に四条烏丸を出発した祇園祭、前祭の山鉾巡行がもうすぐ御池通りに到着します。さすがに観覧席も満席のようです。
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巡行の先頭の長刀鉾が見えてきました。
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長刀鉾は毎年、「くじ取らず」として、必ず巡行の先頭を行きます。現在、生稚児が乗る唯一の鉾であり「しめ縄切り」で巡行が始まります。鉾頭にかざした長刀は三条小鍛冶宗近の作でしたが現在は三条長吉作で、疾病邪悪を払いながら進み、刀先は八坂神社と御所の方角には向かないと言われています。
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巡行の鉾は重さ約7〜9トン
高さ 鉾頭までは約25m
屋根まで約8m
車輪 直径約1.9m
曳手 40〜50人 -
大勢の曳手に曳かれ長刀鉾が着ました。
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勇壮です。
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二階の中央にお稚児さんがいます。
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大きな車輪です。大人の背丈ほどです。
胴懸は中国玉取獅子図絨毯と十華図絨毯です。 -
囃子方です。
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すごい迫力でした。
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次は占出山です。
神功皇后が外征に際し、肥前国松浦郡玉島川で鮎を釣って戦勝の兆しとしたという日本書紀の説話からの山です。神功皇后は安産の神として祀られ、山鉾巡行のくじ順が早いとその年はお産が軽いと言われています。 -
御神体は金の烏帽子に太刀をはき、右手に釣竿、左手に釣り上げた鮎を持っています。
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日本三景を描いた前懸、胴懸です。
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次の山は芦刈山です。
貧しさのために夫婦は離別し、妻は都へ出て宮仕えをするが、別れた夫が気掛かりになって探したところ、夫は落ちぶれて芦を売っていたと言う謡曲「芦刈」を題材にした山。 -
天文六年康運作の墨書銘がある御神体や、重要文化財指定の「綾地締切蝶牡丹文片身替小袖」は山鉾最古の衣装です。
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前懸は山口華楊原画の緞通です。
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胴懸は尾形光琳原画の「燕子花図」です。
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次は孟宗山です。
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中国の史話「二十四孝」の一人である孟宗が、病気の母の好物である筍を、雪の中を探し回り、ついに掘り当てて母を喜ばせた逸話を題材にしていて「筍山」ともいいます。
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人形は七条大仏師康朝左京の作と言われ、唐人衣装に笠を付け右手に雪をかぶった筍、左手に鍬を担いで立っています。
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胴懸は平山郁夫画伯の「砂漠らくだ行」です。左側が日で右側が月です。
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見送りは竹内栖鳳作の白地墨画竹林図です。この白黒の地味な見送りは、極彩色豊かな他の山鉾の中にあって、かえって異彩をはなっています。
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次は函谷鉾です。
この鉾の名前は中国戦国時代斉の孟嘗君が泰の国を逃れ函谷関に着いたが、この関は早朝の鶏の鳴き声で開く規定なので家来に鳴き声をまねさせたところ、本物の鶏が和して鳴いたため、門が開き見事通り抜けたという故事によります。 -
やっぱり鉾はすごいですね。
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曳手も大勢です。
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この鉾は天明の大火(1788年)で焼失し、1839年に再興されそれ以後「嘉多丸」という稚児人形を用いています。
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前懸は旧約聖書創世記の場面を描いた16世紀末の毛綴で重要文化財を平成18年に復元新調したものです。
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下水引は山鹿清華作の手織群恵図です。
胴懸は右が17世紀李氏朝鮮の梅に虎の絨毯、真中が花模様インド絨毯、左が玉取獅子図中国絨毯です。 -
見送は弘法大師筆と伝えられる紺地金泥の金剛界礼懺文です。
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次は6番、山伏山です。
この名は山に飾る御神体が山伏の姿をしているのでこう呼ばれています。 -
御神体の山伏は、昔、八坂の塔が傾いたとき、法力によって治したと言う浄蔵戸貴所の大峰入りの姿を現しています。左手に刺高数珠、右手は釜を持ち腰には法螺貝を付けています。
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次は綾傘鉾です。
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河原町御池の交差点での方向転換(引き回し)に手間取って暫し休憩です。
用意周到です。 -
やっと動き始めました。
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大きな傘と棒振り囃子の行列です。
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六人の公家風装束をまとった稚児も巡行します。
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綾傘鉾は鉾の非常に古い形態を残す傘鉾の一つです。
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棒振り囃子。
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平成四年に町在有志の寄贈になる綴錦「飛天の図」です。
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こちらは人間国宝の染織家 森口華弘さんの友禅「四季の花」です。
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次の山は伯牙山です。
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中国 周の時代、琴の名人伯牙が自分の琴を理解してくれた鐘子期の死を聞いて、その琴の弦を断ったという故事を題材にしてできた山です。琴破山(ことわりやま)とも言います。
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人形は手に斧を持ち前に琴が置かれています。
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次は菊水鉾です。
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鉾頭には金色の菊花が付いています。
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曳手に留学生でしょうか外人さんが多かったです。
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菊水鉾は町内にあった「菊水井戸」にちなんで名付けられました。
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稚児人形は魏の文帝の勅使が薬水を求めて山に入った時に出会った、菊の露を飲んで700年生き続けた枕慈童で能装束の舞姿です。屋根は唐破風造りで彫師海老名峰彰作の鳳凰の懸魚を飾っています。
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次は10番 太子山です。
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聖徳太子を祀る山です。聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良材を求めたと言う所伝にもとづき、他の山がいずれも松を立てているのに対してこの山のみは真木に杉を立て、その木に小さな如意輪観音像を奉戴しています。
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太子は少年像で右手に斧、左手に衵扇(あこめおうぎ)を持っています。
前懸は緋羅紗地に阿房宮の刺繍です。
胴懸は金地孔雀唐草図のインド刺繍です。 -
お稚児さんも曳手で参加です。
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次は霰(あられ)天神山です。
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錦小路通り室町西入にあるので「錦天神山」又は「火除天神山」とも言われます。
永正年間(1504〜1520)京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまち消えたが、その時一寸二分(3.6cm)の天神像が降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の始まりと言われています。
欄縁上に朱塗り極彩色の廻廊をめぐらし、中央には唐破風春日造りの神殿を安置しています。
前懸は16世紀にベルギーで製作された「イーリアス」物語を描いた毛綴を用いています。
左右の胴懸は上村松篁、上村淳之親子の原画花鳥綴織です。 -
次は12番油天神山です。
古くから町内の風早家に祀られていた天神を勧請してつくられた山。油小路通にあるところから「油天神山」と呼ばれています。 -
山は正面に朱の鳥居が特徴です。真木の松の他に天神さんと深い関係のある紅梅の枝を立て、鈴をつけます。
前懸は平成6年に新調した龍図錦織、胴懸は平成12,13年に新調した前田青邨先生原画の紅白梅です。 -
次は鶏鉾(にわとりほこ)です。
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鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が諌鼓の中にあるという意味で、鶏鉾の名の象徴になっています。
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中国・堯の時代、天下が良く治まって太平が続き、訴訟用の太鼓に用がなくなり鶏が巣を作ったという故事を題材にした鉾です。
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真木の中ほどの「天王座」には航海の神といわれる住吉明神を祀っています。
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天水引、下水引は四条派画家の下河辺玉鉉や松村呉春、松村景文などの下絵になるものです。
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見送は16世紀ベルギーで製作され、江戸時代初期に輸入されました、トロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図で、国の重要文化財になっています。
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木賊山(とくさやま)です。
世阿弥作の謡曲「木賊」を題材にした山です。
我が子を人にさらわれて一人信濃国国伏屋の里で木賊を刈る翁をあらわしています。 -
御神体は腰に蓑をつけ、左手に木賊、右手に鎌を持っています。
前懸は唐人交易図刺繍です。
胴懸は復元新調した中国故事人物図の綴織です。 -
続いて四条傘鉾です。
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明治四年に巡行に加わって以降絶えていた四条傘鉾」ですが、昭和60年、町内の人々の努力が実り傘鉾の本体が再現され、昭和63年から巡行に欠かせない踊りと囃子が復元されました。
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四条傘鉾は、織物の垂りなどをつけた傘と棒振りばやしが巡行する古い鉾の形態である傘鉾の一つで、応仁の乱以前に起源をもち、傘の上には御幣と若松を飾ります。
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踊りと囃子は、室町時代に京都から広まった風流踊で、今も滋賀県の滝樹神社に伝わる「ケンケト踊を参考に復元されました。
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次は人気の蟷螂山です。
「とうろうやま」ですが「かまきりやま」とも呼ばれます。 -
「蟷螂の斧を以て隆軍の隊を禦がんと欲す」という中国の故事にちなんでいます。
その起源は南北朝時代で、足利義詮軍に挑んで戦死した当町在住の公卿、四条隆資の戦いぶりが「蟷螂の斧の」ようであったことから、渡来人で当町居住の陳外郎大年宗奇が卿の死後25年目の永和二年(1376)、四条家の御所車にその蟷螂を乗せて巡行したのが始まりと言われています。 -
蟷螂山の特徴は、かまきりと御所車の車輪が動くなど、祇園祭の山鉾としては、唯一からくりが施されていることです。
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この蟷螂山は声援、拍手が大好きで大きな声援や拍手があればいつでも羽根を広げてくれます。
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17番月鉾です。
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鉾頭に新月型(みかづき)をつけ、真木のなかほどの「天王座」には月読尊を祀っています。
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前懸は17世紀のメダリオン絨毯、左甚五郎の破風、軒桁、四本柱の飾り金具など全てが豪華です。
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インド絨毯の前懸。
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車輪の間に沢山の細い竹があります。
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これらの竹は十字路で方向を90°変えるときに使用します。
最大12トンにも達する鉾を支えて方向転換させるのですから、こんなに細いのに竹は強いですね。 -
汗だくのカメラマン、右側は外人カメラマンです。
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つぎは白楽天山。
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唐の詩人白楽天が道林禅師に仏法の大意を問うところです。
道林禅師は緞子地の紫衣を着け、藍色羅紗の帽子をかぶり手に数珠と払子を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐織白地狩衣の衣装に唐冠をかぶり笏を持って立っています。 -
見送は山鹿清華作の北京万寿山図の毛織錦です。
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次は保昌山です。
明治初年まで「花盗人山」と呼ばれ、平井保昌が、和泉式部のために紫宸殿前の紅梅を手折ってくる姿をあらわしている。
山の故事にちなみ宵山には縁結びのお守りが授与されます。 -
御神体は緋縅の鎧に太刀をつけ、梨地蒔絵の台に紅梅を一杯にもってこれをささげています。
前懸の緋羅紗地に蘇武牧羊図、胴懸の張騫巨霊人に鳳凰虎を配した刺繍はどちらも丸山応挙の下絵です。 -
20番は郭巨山です。
貧困のあまり、母と子を養うことができず、思い余って我が子を山へ埋め捨てようとしたところ、黄金の釡を掘り当て、母親孝行をしたと言う中国の史話「二十四孝」の一人である郭巨の故事を題材にした山です。 -
御神体の郭巨と童子は1789年金勝亭九右衛門利恭の作です。
前懸は1785年製の唐美人遊楽図、胴懸は石田幽汀の下絵による呉道子描龍図の刺繍です。 -
放下鉾。
真木の天王座に放下僧の像を祀る鉾。
鉾頭は日・月・星の三つの光が下界を照らす形をしています。またその形が洲浜に似ているので「すはま鉾」ともよばれます。 -
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破風正面の三羽の丹頂鶴は幸野楳嶺の下絵を高浮彫し大正6年に完成しました。
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下水引は栂尾高山寺の国宝華厳宗祖師絵伝を下絵にした綴織になっています。
前懸はインドの絨毯です。 -
かっては長刀鉾と同様「生稚児」であったが昭和4年以降稚児人形にかえられている。
稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名せられ巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞ができるよう作られています。 -
観覧席から見ていると稚児人形が生きているように見えます。
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見送は1828年京都西陣で作られました。
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岩戸山です。
「古事記」、「日本書紀」に記される「国生み」と「「天の岩戸」の神話を題材にした曳山(鉾と同じに車輪を付けた山)です。 -
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屋根の上には太刀をはき天瓊矛を突き出した伊弉諾尊が安置されています。
曳山なので鉾柱のかわりに屋上に真松を立てています。 -
前懸は玉取獅子図中国絨毯。
胴懸は唐草模様インド絨毯です。 -
いよいよ最後です。
23番の船鉾です。 -
神功皇后の御神体は安産の神とされ、巡行のとき、岩田帯を多数巻いており、祭りの後妊婦に授与され安産のお守りとされています。
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「日本書紀」の神功皇后野の新羅出船を題材にした鉾です。
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舳先には想像上の瑞鳥「鷁(げき)」が飾ってあります。
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鉾の上には皇后と陪従する磯良、住吉、鹿島の三神像を安置しています。
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艫には黒漆塗螺鈿の飛龍文様の舵が付いています。
山鉾巡行は予定より2時間以上かかりましたが、とても良かったです。
今回の旅行記を編集しまして、今まで知らなかった事を再認識しました。
次回(来年?)来ることが有りましたら、更に詳しく報告できると思います。
最後までお付き合い下さり有難うございました。
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この旅行記へのコメント (7)
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- うふふ♪♪さん 2019/04/13 23:59:35
- おしどりさん、お久しぶりです。 うふふ♪♪です♪
- おしどりさん―
随分、随分、ご無沙汰しちゃって失礼致しました💦
覚えていただいているでしょうか??
”なにわの食い倒れ女王(苦笑)”・うふふ♪♪です。
久しぶりに伺ったら、
おしどりさんは、4Traveをお休みされているのでしょうか?
旅行記、止まったままなので、この書き込みも見ていただけるかどうかわかりませんね。
今頃でホント申し訳無いのですが、
うふふ♪♪の旅行記:モルディブ編5・6、なにわ食い意地紀行4・5・6、
京都食い意地紀行3、札幌食い意地紀行1に、
ご訪問と投票をありがとうございます!
今頃の御礼ですみません💧💧
祇園祭!
学生から社会人の頃は宵山に毎年行っていました。
山鉾巡行は1度見たことがあるだけです。
最前列なんて、なんてラッキー!!
旅行記の文章から、おしどりさんの興奮とワクワク感がとてもよく伝わってきました!
鉾はどれも立派ですね~。
うふふ♪♪は、綾傘鉾が綺麗で好きです♪
保昌山は”縁結び”のご利益があるそうで、やはり好きです💕
(一体、今から、どういう”ご縁”を望んでいるのでしょうか??・笑!)
船鉾は3度くらい乗ったことがあります。
勿論、長刀鉾に乗りたかったんですが、高いし、待ち時間1時間とかだし。
(今ならもっと混んでいるように思います。)
旅行記、拝見しながら、うふふ♪♪の祇園祭の想い出を振り返っていました♪
ありがとうございます♪♪
他の旅行記の感想も。
”赤穂のかんぽ”・ご馳走がすごい!!
”姫路”・緑の美しさに感動!
おしどりさんはお寺や神社がお好きなんですね。
これからも”おしどり”のように、仲良しご夫婦でいらして下さい♪
もしも、ご病気とかで、4travel休まれているのなら、
この書き込みに返信は無用です。
しっかり静養なさって下さい。
興味深い旅行記を幾つもありがとうございます♪
うふふ♪♪
- おしどりさん からの返信 2019/05/29 13:58:54
- うふふ♪♪さん ありがとう
- うふふ♪♪さん ご連絡有難うございました。充電も随分出来ました、今年こそは投稿復帰と意気込んでいましたが何と40歳の長女が3人目を出産するので3月から戻って来ました。予定日が遅れまして令和生まれかなと思った途端4月24日無事平成女子を授かりました。二人目の時に出血がひどく生きるか死ぬかの状態だったので今回も心配していましたがやはり大出血でした。しかし和泉市にある府立母子医療センターでの出産で1週間で退院し今日現在も我が家で大きい顔をして暮らしています。来週には娘夫婦の家に帰るそうです。2歳の孫に毎日振り回されて楽しく苦しんでいます。
6月からぼちぼち投稿の準備を始めたいと思っています。
ご心配をしていただき有難うございました。
うふふ♪♪さんの投稿を楽しみに待っています。
- おしどりさん からの返信 2019/05/30 17:08:09
- RE: うふふ♪♪さん ありがとう
- > うふふ♪♪さん ご連絡有難うございました。充電も随分出来ました、今年こそは投稿復帰と意気込んでいましたが何と40歳の長女が3人目を出産するので3月から戻って来ました。予定日が遅れまして令和生まれかなと思った途端4月24日無事平成女子を授かりました。二人目の時に出血がひどく生きるか死ぬかの状態だったので今回も心配していましたがやはり大出血でした。しかし和泉市にある府立母子医療センターでの出産で1週間で退院し今日現在も我が家で大きい顔をして暮らしています。来週には娘夫婦の家に帰るそうです。2歳の孫に毎日振り回されて楽しく苦しんでいます。
> 6月からぼちぼち投稿の準備を始めたいと思っています。
> ご心配をしていただき有難うございました。
> うふふ♪♪さんの投稿を楽しみに待っています。
- うふふ♪♪さん からの返信 2019/06/12 11:37:13
- お孫さん、ご誕生、おめでとうございます!!
- おしどりさんへ☆
うふふ♪♪です♪
こんにちは!
なんと、お孫さん、誕生!!
おめでとうございます!!
> > うふふ♪♪さん ご連絡有難うございました。充電も随分出来ました、
それは良かったです!
> > 今年こそは投稿復帰と意気込んでいましたが何と40歳の長女が3人目を出産するので3月から戻って来ました。予定日が遅れまして令和生まれかなと思った途端4月24日無事平成女子を授かりました。
あと1週間で”令和生まれ”でしたネ!
きっと高校生くらいになると、「くっ・・どうせ、平成生まれよ、私は・・」
と、”令和同級生”に囲まれて、悔しい想いをされるかもしれませんネ!(笑)
> >二人目の時に出血がひどく生きるか死ぬかの状態だったので今回も心配していましたがやはり大出血でした。
それは、大変でしたね・・
おしどりさんも、奥さまも、お嬢さんも、さぞご心配だったことでしょう・・
やはり『1つの命をこの世に生み出す』ということは、大変なことなのですね・・
> > しかし和泉市にある府立母子医療センターでの出産で1週間で退院し今日現在も我が家で大きい顔をして暮らしています。
経過が良くて何よりです!!
ほんと良かったです!
> > 来週には娘夫婦の家に帰るそうです。2歳の孫に毎日振り回されて楽しく苦しんでいます。
アハハ!
まだ、お嬢さま、おしどりさんのお家にいらっしゃるのかしら?
お孫さんに振り回されるのは、大変でしょうけど、
幸せなことですネ!
> > 6月からぼちぼち投稿の準備を始めたいと思っています。
おしどりさんの新しい旅行記を楽しみにしていますネ!!
> > ご心配をしていただき有難うございました。
いえいえ、そんな!
> > うふふ♪♪さんの投稿を楽しみに待っています。
うわぁ💕
とても嬉しい、勇気の出るお言葉をありがとうございます!
うふふ♪♪は、なぜかここしばらくドライ・アイがひどくて、
なかなか新しい旅行記が進みません💦
そんな次第で、返信も遅くなってすみませんでした💦💦
最後ですが、うふふ♪♪のカムバックモルディブ編7・8に、
ご訪問と投票をありがとうございます!!
うふふ♪♪
-
- 康さん 2014/07/30 16:00:34
- 祇園祭は『避ける物』というのが我が家
- 祇園祭レポ 拝読させていただきました。
母方が京都の古い家なので、料亭関係の仕事や観光関係の仕事をしている人が多く『祇園祭のような忙しい時に面倒かけないで』と…今年も祇園祭期間は京都には寄り付かず、連絡もしないという状態でした。
なにせこの期間は電話しただけで『時期を考えろ』と切られてしまうくらい殺伐としています(苦笑)
ただ、今年が最後のご奉仕。今年で母も職を辞して隠居する事が決まり、来年からは『客』として観に行ける様になります。私も来年、今さら始めて本物を真近で見ようと思っています。
来年は私自身が旅行記を書けたら楽しいな〜とか思いながら拝見させていただきました。
- おしどりさん からの返信 2014/07/30 16:57:04
- おしどりです。
- 康さんへ
旅行記、口コミ楽しく拝見させていただいています。特に口コミは参考にして何軒も訪問しました。
祇園祭り山鉾巡行良かったです。京都のご出身なら子供の時からよくご存じでしょうが、生まれも育ちも大阪の私にとっては感激、感動の連続でした。
来年は是非一番前で見物して下さい。
京都育ちの康さんの目線の山鉾巡行の旅行記を拝見したいと思います。私達とは違う目線の山鉾巡行を見せて下さい。
暑い日が続きますが熱中症に注意され豪快な旅行記の投稿を待っています。
- 康さん からの返信 2014/07/30 17:16:07
- RE: おしどりです。
- 早速の、お返事ありがとうございます。
実は京都育ちではないんですよ〜
横浜生まれの神奈川育ち。
ですから実家は神奈川で父もそっちに住んでます。
母方の一族が多く京都周辺に住んでおり子供の頃から行き来が多かったんですよ。なのに、祇園祭は一度も観たことが無いんですわ。(母も京都の観光産業に従事、今は夫と離れて京都の料亭関連の職です)
今は私も大阪が本拠地です。活動圏から、おしどりさんも大阪圏だろうなぁとは思っていました(笑)
最近は仕事が忙しくて旅行に行けないどころか旅行記すら遅延して、口コミをちょこっと書く程度しか出来ていませんが、またよかったら見に来てください。
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