2014/07/10 - 2014/07/12
1458位(同エリア27620件中)
阿蘇美忍さん
景福宮は1395年(太祖4年)創建された朝鮮王朝の正宮です。
1392年、朝鮮を建国した李成桂(イ・ソンゲ)は首都遷都を決定して、即位から3年後の1395年に、
高麗の首都だった開京・現在の開城(ケソン)から首都を漢陽(ハニャン、現在のソウル)に移転しました。
景福宮はその過程で造られた宮殿で、現在の青瓦台(大統領官邸)のような機能、王朝の心臓部でした。
尚、景福宮の「景福」は「詩経」に出てくる言葉で、王とその子孫、すべての人民(百姓)が太平の御代の大きな幸せを得ることを願う、という意味だと言われています。
景福宮の背後には白岳山(ペックァッサン)が、山から見て左側に宗廟と右側には社稷がそれぞれ配置されている。
昔、古代中国の周で定められた宮城の様式にそのまま従い、礼にかなうように建てられました。
しかし中国とは異なり、宮殿を市内の北方ではなく西方の白岳山のふもとにおきました。
これは自然に依拠して家を建てるという韓国人従来の考えが反映されたためと言われています。
山が多い韓国では家を建てるとき、風水地理に基づき山の形態や水の流れを考慮し、家を建てる位置をきめました。景福宮を建てる時にも風水地理を考えて、王宮を市内の北方に置かずに、ソウルの代表的な山である白岳山の麓に置いたと言われています。
動画も是非、御覧ください。
https://plus.google.com/u/0/photos?pid=6035087324387881218&oid=111367616953169968724
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- 大韓航空
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地下鉄の中に、オブジェが有りました。
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地下鉄を出ると、大都会♪
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四方を見渡しても♪
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ビルばかりです。
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ビルが立ち並ぶソウル中心部の一角に、壮厳な佇まいを見せる景福宮
(キョンボックン)があります。 -
朝鮮時代(1392〜1910)の正宮として、王の政務の場、
王の生活の場として知られています。 -
その後も多くの宮殿が建てられましたが、これほど壮大な規模を誇るものは他になく、韓国を代表する古宮のひとつに挙げられます。
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ビル街の中を、大きな通りが現れます。
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此処を進んでいくと・・
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光化門が見えてきます。
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噴水や♪
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銅像が有り♪
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観光客から♪
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地元の人たちも♪
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思い思いに寛ぎます。
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民俗衣装を着ての、撮影?
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昔の国王様でしょうかね?
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うーん♪(^・^)
威厳が有る。 -
様々なオブジェも♪
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手入れをされた、花々がお出迎えです♪
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此処は♪
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流石に♪
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ゴミ一つ、有りません。
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イチオシ
見事なユリです♪
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彼方に見えてきたのが、光化門です。
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景福宮の正門として、当初「四正門(サジョンムン)」という名称で、
太祖4年の1395年に創建されました。 -
1425年に「光化門」に変更し、1592年の文禄の役で景福宮とともに焼失する。
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約270年後の1864年、景福宮再建の際にその姿を取り戻したが、日本植民地時代の1927年に朝鮮総督府が景福宮東側に光化門を強制移転しました。
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イチオシ
そして、1950年の朝鮮戦争で再び焼失して1968年に鉄筋コンクリートで、
復元されるという波乱の歴史を経てきました。 -
そして、高宗当時のもとの位置に戻すために約4年の復元工事を経て、
2010年8月15日に新しい姿に生まれ変わりました。 -
門に掲げられている額の「扁額」は、1968年に朴正煕(パク・チョンヒ)
元大統領によって書かれたものが掲げられていました。 -
しかし、復元工事の際に高宗時代に書かれたものがデジタルで復元される。
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又、光化門から正面にのびる世宗路(セジョンノ)の中央には、
2009年8月に「光化門広場」が造成されました。 -
光化門・興礼門の広場では朝鮮時代の守門軍の交代儀式を再現した、
王宮守門将交代儀式が行なわれています。 -
儀式の合間は、鮮やかな伝統衣装を着た守門将と一緒に写真を撮れる。
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尚、休館日の火曜をのぞく毎日、10:00、13:00、15:00の3回、
最大で約20分開催される。
(悪天候時は中止になる場合有り) -
興礼門は光化門の後方に建っていて1997年に復元工事を行ない2000年に、
竣工した。 -
光化門の後ろから、パチリ♪
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興礼門から中へ入るとすぐ右側に案内所があり、日本語無料ガイド案内有。
希望の場合、時間に合わせて案内所の前で待てば参加が可能です。
(10:00、12:30、14:30) -
<勤政門(クンジョンムン)>
国宝第223号に指定されている景福宮の正殿です。
要約すると、「民を勤勉に治める」という意味を含んでいます。 -
<勤政殿(クンジョンジョン)>
国家の公式的な行事、王の即位式や外交官の接待などが開かれた場所です。
景福宮の中でも最も雄大な建物で、中央には玉座があります。
その後ろの屏風に描かれた「日月五峰図」は余りにも有名です。
2007年1月に発行された1万ウォン紙幣の絵柄としても採用されています。 -
景福宮は1592年(宣祖25年)、豊臣秀吉による壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の戦火によって全焼するという悲運にみまわれる。
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以降、王宮としても不吉だという理由で273年もの間、再建されませんでした。
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しかし1865年(高宗2年)、興宣大院君(フンソンデウォングン)が、
再建に着手し、1868年(高宗5年)には創建当時の規模に復元しました。 -
そして、1865年(高宗2年)7月に高宗が昌徳宮(チャンドックン)から、
この地に王宮を移しました。 -
しかし1895年、閔妃が日本人の暴徒に殺害されるという事件が起こり、
翌年2月に高宗がロシア公館に避難したことで景福宮は王宮としての運命を、終えることになりました。 -
そして1910年、日韓併合によって日本の統治下になると、景福宮内にあった約200の殿閣のほとんどが壊され、慶会楼や勤政殿などの10棟のみが残り、さらに日本が勤政殿の南側正面に朝鮮総督府庁舎を建てたことにより、
景福宮の景観は完全に破壊されてしまいました。 -
そして、日本の植民地から解放された後の1945年から朝鮮総督府は政府の中央庁舎、その後は国立博物館として使われましたが、景福宮復元事業(1991年6月5日起工)に合わせて1996年11月14日、総督府の建物が完全に撤去されました。
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現在も少しずつ景福宮のもとの姿を取り戻すために復元工事の真っ最中です。
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この復元工事が終わるのは2025年のこと!
ちなみに復元の基準は景福宮が最後に完成した1868年時点で、
その当時の姿を再現する予定だそうです。 -
なんだか、歴史を見る限りでは当時の日本政府の対応は悪いですね。
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とにかく、現在の政治的な揉め事が早く無くなることを祈ります。
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<思政殿(サジョンジョン)>
勤政殿の一直線上、すぐ裏側に位置しています。 -
勤政殿で公式的な行事が行なわれたのに対し、
思政殿は王が日常的な業務を処理していた執務室です。 -
王を象徴する龍の描かれた壁画も一見の価値あります。
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<康寧殿(カンニョンジョン) >
王と王妃の生活の場であり、寝室でもあった康寧殿と交泰殿は、
宮殿の中心部に位置しています。 -
<交泰殿(キョテジョン)>
国の最重要人物2人が生活していた場所であり、
外部からの侵入を防ぐため9つの壁で囲まれていました。 -
又、これら二つ建物は、装飾の施された格子戸で作られているのも特徴です。
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このアングルは、好きです。
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勤政殿は景福宮の正殿
(国王が臣下達の報告を受け命令を下したり、外国の使臣を迎える宮殿)で、
即位式をはじめとする国の公式行事を行なった場所。 -
景福宮の中でもっとも雄大で荘厳な建物です。
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建物内部の中央には玉座が置かれ、その背後には王の威厳を象徴する
「日月五峰図」(日と月、五つ峰を描いた壮大な絵)の描かれた屏風が置かれています。 -
なにか、此処にいると。
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時空を超えて。
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タイムスリップした気がします。
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この広い広場を埋めた当時の兵隊たち♪
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この宮殿のなかで。
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様々な♪
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戦略を。
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考えたと思うと。
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考え深い気がします。
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王様を、側近が囲むように♪
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慶会楼は国王と臣下が参席する重要な宴会や外国使臣を接待する宴会場でしたが、誰もが自由に出入りできる場所ではありませんでした。
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慶会楼は国王と臣下が出会いを楽しむ場所という意味からつけられた名前で、看板の字は太宗(テジョン・李朝第3代王)の王世子(皇太子)だった譲寧大君(ヤンニョンデグン)が書いたものと言われています。
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池の真ん中には2つの島があり、東側にある四角い島に慶会楼があり、
景色もとてもいいところとなっています。 -
1412年(太宗12年)、太宗の命令によって慶会楼は創建されましたが、
文禄・慶長の役で焼失。 -
その後、1867年(高宗4年)、興宣大院君によって現在の姿に再建されました。
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2005年からは特別観覧が開始され、内部の観覧には事前予約が必要です。
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■□■1階部分■□■ 「韓国観光旅行ガイド ソウルナビ」引用
中に入ると担当者の方が説明をしてもらえますが、慶会楼の案内は全て韓国語のみ。韓国語が分からなくても景福宮のパンフレットには日本語の説明が書かれているので、それを見ながら見学するだけでも十分に満喫できます☆
1階部分は柱だけがある広い空間となっています。この柱は全部で48本で、外側は四角、内側は円柱になっています。雄大で華がある慶会楼に比べると1階は石畳に石柱だけで少し味気なく感じてしまいますが、天井には色鮮やかな花の絵が描かれています。 -
■□■2階部分■□■ 「韓国観光旅行ガイド ソウルナビ」引用
1階で説明を聞いた後、階段のところで靴を脱ぎ、2階へ上がります。この2階こそ王が宴会場として使用した場所!2階の床はワンフロアではなく3段に分かれています。中央部分が一番高く3間、次に真ん中に12間、一番外側に20間。中央に行くほど高い官位の官僚たちが座り、中央部分の3間には王が座っていたとか!また、官位によって異なっているのは床の高さだけでなく、天井のデザインも異なっているんです。中央部分は青色、真ん中は赤色、外側は緑色になっています。
https://plus.google.com/u/0/+%E5%BF%8D%E9%98%BF%E8%98%87%E7%BE%8Easobininkoji/stories/31a513b0-1d74-33f9-85c2-eebb4759604c1472d28a215
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