2014/05/29 - 2014/05/30
5位(同エリア63件中)
ベームさん
5/30(金)、5日目。
トゥールに来たのは昨日ですが、アゼー・ル・リドー城、シノン城を先に回ったためトゥールを歩くのは今日が初めてです。
午前シノンを訪れた後トゥールの街を歩きました。
シノンであれほど良かった天気もトゥールでは曇ってきました。
人口約14万人、サントル・ロワール地方最大の都市です。
この地で聖マルタンが司教を務めその墓がありかっては聖マルタン詣での巡礼が絶えなかった。
オノレ・ド・バルザック(1799~1850年)はトゥールの生まれ、この地方(トゥーレーヌ地方)のことをその作品で風物は美しく、人物は皮肉に、特に貴族、聖職者はこっぴどく嘲笑している。登場するお偉方は金と権力、色事にしか関心がない。
「パンタグリュエル物語」のラブレーもシノンの生まれで、この地方はそういう人物を輩出する風土なのかもしれませんね。
ロワール渓谷の古城めぐりをする人はここを基地とすることが多いようです。古城めぐりのツアーもたくさん出ています。
写真はサン・ガシアン大聖堂。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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トゥールの付近には古城がたくさんありロワール渓谷の古城めぐりの中心です。
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トゥール駅。
シノンから12:26着のTERで帰ってきました。 -
ロワール渓谷のワイン祭りが6月1日から30日まで開かれるようです。
このポスター、あちこちで見かけました。
フランスのワインはボルドーとかブルゴーニュがポピュラーですが、ロワール渓谷もワインの名産地だそうです。 -
駅前にある宿泊したホテル、アリアンス・オテル・トゥール・サントル。
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ホテルの部屋からトゥール駅。
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駅前にある国際会議場。
トゥールには昨日来たのですが先にアゼー・ル・リドーとシノンに行ったので街を歩くのは今日が初めてです。 -
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ベルナール・パリシー通り。
遠くに見えるのはサン・ガシアン大聖堂。 -
ブフォン通り。
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突き当りにあるトゥール歌劇場。
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2014~2015年シーズンの出し物はコシ・ファン・トゥッテ、こうもり、椿姫、ジャンニ・スキッキなど。
人気があるのは世界どこでも同じですね。 -
フランソワ・シカール通り。
突き当りにトゥール美術館があります。 -
ショーウインドー。
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トゥールのランドマーク、サン・ガシアン大聖堂。
巨大な建造物です。 -
13~16世紀にわたって建設された。
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トゥール生まれのバルザックはトゥレーヌ地方の人間、風景、風俗などを「人間喜劇」(ゴリオ爺さん、ウジェニー・グランデ、従妹ベットなど)の中でしばしば描いています。この大聖堂も然り。
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タンパン。
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精緻な彫り物で縁どられています。
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側面。
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後ろ側。
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以下サン・ガシアン大聖堂の堂内です。
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オルガン。
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身廊の天井の高いのに驚きました。
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洗礼者聖ヨハネから洗礼を受けるキリスト。
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ステンドグラスの説明図。
古いのは13世紀のものだそうです。 -
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これ自分の衣を半分切って乞食/キリストに与える聖マルタンですね。
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ほとんど消えかかっています。
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キリスト奉献の場面?
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受胎告知。
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天使により天国に上るマリア。
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キリスト哀悼。
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イエスの生誕を村人たちが祝っています。
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同。
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内も外も美しい壮麗な聖堂でした。
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ロワール川のそばにトゥール城址があります。
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ロワール川の川べりにやってきました。
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ロワール川。
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1870~1871年、普仏戦争慰霊碑。
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ウイルソン橋。
アメリカ大統領の名を取ったのでしょうか。フランスの町の通りや広場、駅、橋に外国の、特にアメリカの大統領の名前を冠したのがよくあります。勿論一番多いのはシャルル・ド・ゴールです。それとフランスの将軍、元帥の名前も多いですね。フォッシュとかルクレルクとか。
日本で東郷広場とか乃木橋なんて聞かない。乃木坂っていうのが有りましたっけ。大山街道というのが有りますが大山元帥のことではない、山の名前です。もし日本が太平洋戦争に勝っていたら、あちこちに東条像、東条広場なんて出来たかもしれません。そうならなくて良かった。 -
ロワール川の水位。
1856年6月3日に7メートルまで水位が上がっている。 -
川沿いの遊歩道。
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ウイルソン橋。もう水に入っている人がいる。
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河岸のレストラン。
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町を東西に分けるナシオナル通りが突き当たる処、アナトール・フランス広場のサン・ジュリアン教会。
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フランソワ・ラブレー像。
ラブレーはトゥール近郊シノンの生まれ。 -
トゥール大学。
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トゥール一の賑わいを見せるプリュムロー広場。
トゥールは街の真ん中を南北に走るナシオナル通りをはさんでサン・ガシアン大聖堂のある東側とプリュムロー広場とか後に出てくるサン・マルタン聖堂のある西側・旧市街地に分かれています。 -
朝の広場。オープンカフェで埋め尽くされまわりをぐるっと木組みの家が取り囲んでいます。
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生憎の雨。
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アル通り。
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プリュムロー広場の少し南にあるサン・マルタン聖堂。
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サン・マルタン聖堂。
ここにはフランスの守護聖人の一人である聖マルタンの墓があります。
4世紀頃のローマの軍人だったマルタンはある冬の寒い日寒さに震えている一人の老人を見かけ、自分の衣を半分裂いてその老人に与えました。その夜マルタンは夢の中でキリストがそのマントを着ている姿を見ました。 -
悟るところが有りマルタンはキリスト教に入信し、軍隊を辞めヨーロッパ中でキリスト教の布教に務めました。
その謙譲と慈愛の心は数々の奇跡と相まって民衆の心を広くとらえ、請われてトゥールの司教になり近郊で397年亡くなりました。遺骸はトゥールに持ち帰られ墓の上にバジリカが建てられた。
もう一人ボニファティウスという有名な聖人がいます。700年代におもに今のドイツ中北部でキリスト教を布教した人物です。これは斧、まさかりを振り回し暴力で異教徒を改宗させた人物で、聖マルタンとはえらい違いです。最後に異教徒の恨みをかって殺されました。
今もってキリスト教ではボニファティウスを有力な聖人としています。その手段をいとわず異教徒をキリスト教に改宗させた大功労者だからでしょう。 -
バジリカは宗教戦争、フランス革命などで破壊され、今のバジリカは19世紀末のもの。
教会とか美術館で馬に乗った武士が剣で自分のマントを切り裂いており、足元に貧者がひざまずいている絵や彫刻をよく見かけます。これが聖マルタンとキリストです。 -
以下サン・マルタン聖堂。
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荘厳な堂内。
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ドームを見上げる。
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天井。
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板張りのようです。
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サン・マルタンの墓。
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聖堂の前。
柱の上の人物は馬上の聖マルタンとキリストです。 -
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聖堂の後ろにシャルルマーニュの塔が建っています。
最初のバジリカの遺構です。 -
シャルルマーニュの塔。
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シャルルマーニュの塔。
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少し離れて時計塔。
これも最初のバジリカの遺構。この二つだけが残っています。先の方にサン・マルタン聖堂のドームが見えます。当初の聖堂は巨大なものだったのです。 -
時計塔。
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駅の方に戻ってきました。
ベランジェ通りの並木。 -
2010年の同じころ来た時は花市が開かれお花であふれかえっていました。
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ジャン・ジョーレス広場に並んで立つ裁判所と、
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市庁舎。
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市庁舎。
パリ市庁舎を二回り小さくしたような建物。
これでトゥールを終わり明日はソーミュール、アンジェーを経てナントに行きます。
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