2012/12/25 - 2013/01/10
22位(同エリア43件中)
ちゃおさん
ムアンクーン(เมืองคูน)は小さな町ではあるが、歴史のある町で、このジャール平原の中で最初に開けた町。今シェンクワン県の中心はここから30−40分離れたポーンサワンに移っているが、それ以前の千数百年に渡って、この盆地の中心的な都市であった。
覆いを取り払われた仏像、ワット・ピアワットからバイクで10分、15分の丁度町の反対側に当たる位置に、古びた、半ば崩れかかった仏塔がある。ワット・フーンだ。周辺が公園様になっていて、樹木は取り払われ、少しばかり小高くなっている台地の上に高さ30m程の苔むした仏塔が立っている。僅かな入園料を払えば誰でも自由に入ることもでき、無論地元民は無料の筈だが、仏塔の周りは子供達の良い遊び場になっている。先刻の仏像と違って、この今にも崩れ落ちそうな仏塔にお祈りを捧げる地元人はいない。何も知らない当方だけ静かに両手を合わせるだけだ。
Ruin. 文明の崩壊をすべて米軍の爆撃に帰する傾向のあるこの土地で、この仏塔は遥かそれ以前に崩壊の道を下り降りていたに違いない。歴史を知らない自分にはいつの頃とは言えないが・・。
ラオスが文明化したのはタイよりも相当に早い段階だ。アレキサンダー大王の東征に啓発された文明の波は、インドからマレー半島を経由し、タイ湾を横切って、カンボジアの南端に達した。2−3世紀の頃だ。Archaicの文明はメコン川を遡り、既に5−6世紀にはクメールの地、今のカンボジアに高度な文明を作り上げていた。サンボーやシェリムアップだ。
その波は更にメコンの上流、このラオスの地まで波及した。川筋から離れてどんなルートを辿ってこの山中の地、ジャール平原まで到達したのかは、定かに知らないが、あの膨大な数の石棺群やこの仏塔、仏像は、5−6世紀の築造と言われる。どんな山岳の種族が、どんな経緯で死者を弔い、仏教に帰依したのか・・。
土くれで出来ていると思われた仏塔は近づいてみると、赤レンガが積み重ねられて出来上がったものだ。中が空洞になっていて、出入りできる。背を屈めて中に入ってみると、乾いた土の匂いがした。完成した当時は、この洞の中には仏舎利か黄金佛が置かれ、香が焚かれ、灯明で明るく照らされていたに違いない。多くの人々が引きも切らずに祈りを捧げていたに違いない。今は外で遊ぶ子供の遊び声が聞こえてくるだけだ。そっと赤レンガを撫で、土くれのひと塊を手にし、掌に載せ、目踏みする。うーん、当時宿っていたに違いない信仰の高さ、精神性もどこかへ霧消したようだ。掌の土くれは、単に土に過ぎなかった。
- 旅行の満足度
- 5.0
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ムアンクーン(เมืองคูน)の街並み。元のシェンクワン県の県庁所在地。
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商店も貧しげだ。
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仏塔は、この町の仏像とは反対側の郊外にある。
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ああ、仏塔が見えてきた。
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ワット・フーンの仏塔だ。
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Wat Foun,中に入ってみよう。
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ああ、今にも崩れ落ちそうな土の塊。
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苔むしている。これぞつわものどもの夢の跡か・・
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中に入れそうだ・・
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ああ、中が空洞になっている。女性器を思わせる穴だ。
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中に入ってみよう。
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塔の真下には小さな祭壇のようなものがあった。ここに仏舎利とか金剛佛が安置されていたのか・・。
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千数百年の風雪に耐えたレンガの切れ端をそっと手に取ってみる。
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遠くから子供達の遊び声が聞こえてくる。
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うーん、見事な夏草だ・・。
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記念写真を1枚撮って、最後のサイトへ向かうことにする。
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