2011/02/06 - 2011/02/06
6位(同エリア43件中)
アリヤンさん
ラオスは大好きなトコロです。
その中でもワタクシたちの一番好きなトコロはルアンナムターです。
ルアンアムターも山の中ですが、今度の「ジャール平原」も山の中です。
つまり、「ワレワレは山ん中が好き」と言えよう。
*ルアンナムター旅行記
⇒http://4travel.jp/traveler/ariyan-eurasia/album/10220371/
⇒http://4travel.jp/traveler/ariyan-eurasia/album/10223387/
⇒http://4travel.jp/traveler/ariyan-eurasia/album/10309335/
今までラオスの北部と中部と南部は巡りました。
ココはひょっとして危険じゃないか?と思ってはずして来た、「神秘のジャール平原」についにやって来ました。
*パクセー以降、タケク、ナコーン・パノム、ウドンターニー、バンビエン、ポーンサワン、サワンナケート、フエ、ホイアンなど、撮り貯めていた写真がPCの不慮の事故で(というか、メモリーMDの扱いの不備というか、PCウィルスのせいか?)どこかに飛んで行ってしまったのです。
ゆえに、最近復元ソフトで復活できた一部の写真を駆使してのプアな旅行記となります。
あしからず、、、、
当ページでは、関連の写真が結構生き残りました。
何百枚と撮ったうちの半分もなかった。
その中からなんとか使えるヤツを引き出しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
石壺のあるサイト1、2、3、を見て回る一日ツアー。
途中、ラオスの酒、ラオラオ製造所と放置されたロシア製タンクを見る。
10人乗りミニ・バスでホテルまでのお迎え付き。
一人160000キップ(1600円)
この価格はツアー販売する各旅行社によって、上下はある。
街のアチコチにある旅行社前を通ると、セールスされます。
ワタクシたちは、ポーンサワンに着いたときの宿紹介者がドクーンGHの向かい側にあるインター旅行社(Inter Travel)の人で、感じが良かったので、最初からここでお願いしようと考えていた。
アチコチの旅行社の値段も事前にチェックしていた。
インターの値段は、適正価格だと思えた。 -
観光地図でいえば、写真のような位置関係にあります。
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9912/SiteMap.jpg
確か、サイト1までは町から8キロくらいのところにあり、ローカル・バスで行けないことは無い。
でも、このあたりはインドシナ紛争中に敷設された地雷がまだ残っており、むやみに歩き回ると、地雷を踏んでしまう危険性があるらしい。
それで、ガイド付きのツアーに参加することにした。 -
各サイトには写真のような、赤白のマークが歩く道の両側に埋められていて、白い側は「地雷の有無をチェックしたところで安全」という意味。
赤い側は「まだチェックしてないので、地雷があるカモ知れないので、危険」という意味、とのことです。
気をつけて歩きましょう! -
さて、インター旅行社前、9時出発のミニ・バスは、イギリス人ヤング・カップル、フランス人老夫婦2組、カナダ+スイス人夫婦、日本人老夫婦(ワレワレ)の10人とガイド+運転手の計12人で予定通り出発。
1時間ほどでサイト1に到着。
ガイドさんについてちょっとした岡を登って行きます。 -
岡の上で、ガイドさんの周辺に対する説明。
「神秘のジャール平原」にやって来た!
という喜びで、周りを見回しました。
アレッ?
想像したワタクシのジャール平原と、若干違うのです。
ジャール平原(Plain des Jars 石壺平原)と呼ばれているから、「平原全体に石壺が散らばっているのだ」っと思い込んでいました。
見渡してもどこにも石壺が見えないのです。 -
ガイドさんに、「ジャーはどこじゃ?」と聞いた。
「そこらに有ります」と指差した方に、アリマシタ。 -
付いてきた連中みんながカメラを出してきて、石壺風景を撮り始めました。
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イチオシ
石壺がアチコチに転がっていたり、立ってたりする地域は、非常に限られたエリアで、「平原全体ドコにでもある、という訳ではナイ」ことが分かった。
ガイドさんに聞いても、サイト2、3や他の地域にある石壺エリアは限定されたエリアにのみある、とのこと。
2000〜2500年も前に造られたと云われるこれらの石壺には、いろんな説があって、食料貯蔵庫だったとか、酒の壺だったとか、、、、
一番有力な説は、お墓だった、という説。
こんなに限られたエリアにあるのなら、お墓に違いないだろう、とワタクシは思います。
今まで、「平原全体に平均的に散らばっている」と想像していたので、どの説も無理があるナア、本当に「ナゼ、古代の人はこのような重い石をわざわざ運んできて、平原一帯にちりばめたのか???」っと不思議で仕方無かった。 -
「百聞は一見にしかず」という諺通りです。
限定されたエリアに石壺が集まっている=お墓、と結論付けられてもおかしくはナイ。
神秘性が随分と抜けました。
古代のお墓だ、として落ち着いて見学することにしました。 -
「これは何だ?」というより、こんなデカイ石をどうやって運んだのだ?
また、こんな硬い石を石器や青銅器しかなかった時代に、どうやってくり抜いたのだろう??
っという疑問が湧いてきます。 -
どれもが大きく、中には3メートルにも達するものもあるそうです。
そんな大きくては、重さも何トンもあって、どうやって運んだ???
エジプトのピラミッドやアンコール遺跡を見ても、同じ疑問があって、本当に不思議です。 -
人間のやることには、ホント、不思議なことが多い。
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こうした石壺エリアも紛争中は戦場となっていた。
米軍機が落とした爆弾で多くの石壺が傷ついています。
これは爆弾に焼かれたのか?
爆弾のイオウが飛びついたのか?
いずれにせよ、こんな山奥にまでCIAが潜入して来て、爆撃をしていたという事実。
地の果てのような地域の無垢な人々は、無き寝入り状態だけど、当時のアメリカのやったことは、ヒドイです。
ちょっとは反省してもらわないと、、、、 -
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イチオシ
アメリカ軍の爆撃のことを聞いて、スイス人の奥さんがしきりに言います。
「ワタシは無実です。罪はアメリカにあります。スイスは戦争には無関係ですから」っと。
まあ、今日の参加者にアメリカ人が居なかったので、良かった。
アメリカ人にとっては、随分と居心地悪いツアーとなったでしょう。 -
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来て、見て、その神秘性がちょっと薄れたせいか、天を仰ぐアリヤンさんでした。
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これは古い昔からあった洞窟ですが、爆弾が雨アラレと降っていた時、村の人たちが隠れた場所でもあります。
直撃弾を受けて、アワレ、何百人もここで死んだ、とのことです。
そうした死者の霊を慰める祠が入り口に祀られてありました。 -
イチオシ
おおきな石壺。
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何トン爆弾かが落ちた跡。
大きなクレーターを記念に残しています。 -
さて、サイト1を終えて、再度ミニ・バスに乗って、サイト2に移動。
移動中の写真は、どこかに飛んでいったのでありません。
いきなりサイト2の石壺群の始まりです。 -
ここのはみんな大きめです。
背が高い。
ふたのあわせ口がクッキリ見えます。
ふたは今では持っていかれて、殆ど残っていません。 -
イチオシ
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熱帯植物が石壺を破壊しています。
放って置けば、石壺はドンドン壊されていくでしょう。
早く世界危機遺産にでも認定して、この珍しい石壺群を保護すべきだと思います。 -
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壊れたフタが転がっていました。
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フタにはヒトの形をした彫り物があり、子供のお墓のフタだったかも知れません。
同行者たちと、これは子供に違いナイ!っと言い合っていました。
ここらでお昼近くなり、サイト3へ移動。
途中でラオラオ酒製造工場を訪問。
そこでラオラオをちょっと試飲。
ちょうど食前酒となりました。
でも、山ん中の小さな村の「どぶろく製造所」ですから、あまり衛生的とは言い難いところでした。
フランスの老婦人が、酒壺を覗いて「アー、キチャナ!」とつぶやいていました。 -
サイト3です。
この橋を渡る手前に食堂があって、全員、田舎風フォーでランチ。
ビールがあったのでビールでフォー。
フランス人夫婦2組+スイス・カナダ夫婦が集まってフランス語で午後のペチャクチャ。
フランス人は食事が遅いのです。
酒を飲みながら、あまり美味くはないフォーでも食事とおしゃべりを楽しんでいました。
ワタクシたちはイギリス人カップルと一緒に旅行のことなどおしゃべりをしていました。
さて、ランチ後、この橋を渡ってサイト3の見学です。 -
畑の中を結構歩いて行って、サイト3に到着です。
道中、あの赤白マークの石が道の両側に埋め込んであって、神経を使いました。
でも、途中の小さな池では子供たちが魚とりをしていて、「あれ?赤色地域なのに、大丈夫?」というような風景もありました。 -
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サイト3まで来ると、今まで沢山の石壺を見てきたので、参加者はてんでバラバラに勝手に見学します。
ガイドさんも質問に答えるだけで、説明はなし。 -
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イチオシ
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背の高い外人が中に入って、全身が隠れてしまうような背の高い石壺もありました。
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サイト3の出口にあった、MAG(地雷処理団体)の看板。
今までどれだけの地雷を処理したかが分かります。 -
小さな小屋で少数民族の衣装が売られていました。
モン族のもののようでした。 -
最後帰り際に「放置されたロシア製タンク」を見学。
写真が1枚で、しかも上の部分しか残っていなかった。
スイマセン。
見学中、MAGの緊急車両がサイレンを鳴らしながらやって来たのには驚きました。
付近で不発弾が見つかったので処理をします、という。
それまでは車に乗り込むのにお互い譲り合いしていたが、われ先に乗り込んだ日仏英であった。
ワレワレは早々に帰路についた。
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