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フィレンツェ美術館巡りの旅

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2014/01/30 - 2014/02/04

3227位(同エリア3773件中)

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わったんさん

はじめに
 12月初め、新聞を見ていると、阪急トラピックスの広告で「フィレンツェ5つの美術館巡りツアー・・・中心部のホテルに泊って、ベテランガイドが美術館をたっぷりとご案内します!」というのを見つけて衝動的に申し込みをしてしまいました。
~~実は、4年半前イタリア一周ツアーに参加し、それはそれで良かったのですが、フィレンツェに関しては、遥か郊外の鄙びた宿に泊まり、市内はサッと見てと通り過ぎるだけで、何処にも入館することなく、残念な思いが残って、いつかもう一度フィレンツェへ(特にウフッティ美術館へ)行ってみたいなぁ!と思っていたのでありました。
1月30日出発ということで、冬の真っ盛り。フィレンツェは例年1月末以降になると、寒さは厳しいものの降水量は少ないということですが、今年はシベリア寒気団はアメリカや日本へ張り出して、ヨーロッパは暖冬気味。しかしその反動か?衛星動画を見ると、雲がヨーロッパ大陸を西から東へ次々と移動して、途切れることがありません。
フィレンツェの10日間予報も殆どが傘マークで、まぁ雪の心配はなさそうですが、天候が些か気掛かりです。やはり旅は天気がイチバンです。まぁ2年前のオランダ・ベルギーの時も事前予報は雨ばかりでしたが、行ってみると殆ど降られなかったので、同じことを期待しましょう!

1日目(1/30・木)
 さて、当日成田空港に集合したのは34名。13時発のルフトハンザ機でミュンヘン経由フィレンツェへと向かいます。

スペインやフランスへ向かう団体もいて、機内はほぼ満席。A330の中型機で、シートは2-4-2、後方窓側2席でこれは好都合。12時間20分のフライト。シベリアの雪山を越え、日が沈み、夜明けにジェットストリ-ムを棚引かせて・・・
     
 ~~で、恒例の機内食。メインは牛又はチキン(牛が売り切れ、我が席の少し前からチキンのみ・・・嗚呼!)
夜中(?)にオニギリ(又はケーキ)がサービスされ、到着前に軽食。チキン又はラビオリで、今回は無事ラビオリをゲット(!)チーズソースたっぷりのラビオリは意外と(!)美味しかったです。
     
 映画は13年秋の新作から2つ。「マン・オブ・スティール」・・・6年ぶりの“スーパーマン”復活。今回は彼の誕生物語で、消滅するクリプトン星から彼を追って地球に来たゾッド将軍との対決。CGをこれでもかと多用した画面はよく言えばスピーディでダイナミック。しかしなんとも大味で、CG頼りの行きつく先を見たような印象です。次に「エリジウム」・・・「第9地区」で大成功を収めたニール・ブロムカンプ監督作品で、140年先の荒廃した地球(LA)と空中400kmに浮かぶエリジウム=不老不死のエデンの園が舞台。理想郷への脱出を図る男(マット・デイモン)と、密入国者を阻止する冷酷な管理者(ジョディ・フォスター)の対決。前作ほどの切れ味はありません。両方とも5.5点くらいか!・・・・。

 ~~そうこうするうちに、雪に覆われた北欧の村々を越えると・・・17時20分、定刻でミュンヘンに到着です。郊外に少し雪があったものの、空港エリアに雪は無く、一安心。
     
 海外の空港ビルは広い。長い、長い廊下を歩いて乗り継ぎ便へと移動です。

ここで難題が待ち構えています。というのは・・・最初のパンフでは、「約2時間の待機でフィレンツェ又はピサへ到着で、19:50~22:50にはホテルへ」となっていましたが、出発10日ほど前に届いた予定表を見ると、「ミュンヘンで4時間の待機で、ボローニャ到着が22:30」となっています。ボローニャからフィレンツェは、バスで約1時間45分・・・ということはホテル到着は、なんと25時を過ぎることになってしまうのであります!イヤハヤ、のっけから難儀なことです。
 で、早めに搭乗口近くの椅子に落ち着き、ウオークマンでジャズを聞きながら、ジェフリー・アーチャーの「クリフトン年代記」を読みながら時を過ごします。面白い小説で、長い待ち時間を苦にせず、搭乗時間となりました。

 21:25ボローニャ発の機内も満席。座席に行くと、シートの上に何やらポンと置いてあります。手に取ると「機内食」のようで、プラケースの中にはミニ・サラミとビスケットが入っています。安全飛行に移ると、水が配られてザッツ・オール。ビールもジュースもありません!なんともシンプルな機内サービスです。
     
 幸いというか、ほぼ定刻(22:30)でボローニャ到着。無事荷物をピックアップして迎えのバスに乗り、深夜の高速道路をフィレンツェ目指してひた走ります。天気予報通り、しっかりと雨が降っています。
 25時前に到着したホテル=「ディプロマット」はサンタマリア・ノヴェッラ駅の真ん前。旧市街全域が世界遺産ですから、フィレンツェにはヒルトンやハイアットといったような大型アメリカンホテルは無く、此処もこじんまりとしています。狭いフロントにスーツケースを抱えた34名が入ると、もうスシ詰状態。
ユーロ危機以降、イタリアでは税収を増やすために、宿泊客にホテルのグレードに応じて「宿泊税」が課せられています。このホテルは(これでも!)「4つ星」なので、一人1泊€4を払わなければなりません。

ラッキーなことに、イの一番にルームキーが渡されたので、大急ぎで部屋に入り、妻は洗面道具を取り出すと、一目散にバスルームへ。・・・此処に限らずイタリアのホテルはボイラーの能力が小さいので、宿泊客が一斉にシャワーをひねると、忽ちお湯が水になってしまうのです。こんな時間シャワーを使っている人は殆どいないハズですが、果たせるかな“一番シャワー”でも“ぬるい湯”しか出ませんでした。バスルームはリニューアルされたとみえ、広くて奇麗なのですが、大きなバスタブは宝の持ち腐れです。4泊ともぬるい湯のシャワーで我慢するしかありませんでした。
ちなみに「4つ星のスーペリアグレードのホテル」といっても、日本で言えばスタンダードなビジネスホテル程度で、ツインベッドを置くと、室内に殆ど余裕はありません。
その後荷ほどきを終えて床に就くと、もう午前3時をまわっていました。嗚呼!
  

2日目(1/31・金)
バルジェッロ美術館へ
(美術館内は1階回廊など一部を除いて撮影禁止の為、以下美術館内の写真は公開写真よりお借りしました)

6時半過ぎに起床。外はやはり小雨が降っています。先ずは朝食へ。小さなホテルなので、長い廊下を渡って棟続きの系列ホテルのダイニングが朝食会場。照明をめいっぱい落としてありますが、ガラス張りのモダンで奇麗な空間です。
    

 最近というか、数年前から世界中を中国人旅行客が席巻していますが、此処も奥の席は中国人が朝早くから占拠して賑やかにやっています。(後で聞いたところによると、3年ほど前のフィレンツェは中国人が押し寄せてそれはスゴかったそうです。「何しろ、彼らは金を落としてくれましたからねぇ・・・」と)

さて、メニューは一通り揃っており合格点です。生野菜やフレッシュヨーグルトがあるのは有難いですね。さぁ、モリモリと頂きましょう。
  
食事を終えると時間があるので、外へ出て、前の駅構内をちょっと覗いてみます。ホームではユーロスターが発車するところでした。
  
(トラムも走ってます)  (ノヴェッラ駅)
     

 9時半フロントに集合して、ペンギンの行列よろしくフィレンツェの中心街へ。大通りの石畳は石の周りをセメントで埋めてあるものの、「年代物」ですから、中央がすり減って歩きにくいこと甚だしい。窪んだ所に雨水が溜まって、足許を注意して歩かないと、靴がビショビショになってしまいます。やっぱり雨はやっかいですねぇ。

ドゥオーモを横に見てプロコンソロ通りを進むと、ホテルから30分ほどでバルジェッロ美術館に到着しました。入り口前で美術館ガイドの関さんが待っていました。(この方はまさに歩く百科事典で、フィレンツェのあらゆることに精通していました。彼女の解説でフィレンツェ芸術を堪能できたといっても過言でないでしょう)
さて、この建物は、都市国家フィレンツェ共和国時代の1256年にポデスタ(=市長)官邸として2階建で創建されたフィレンツェ最古の公共建築物で、約70年後に3階部分が増築され現在の姿になった。当時域内には多くの塔があったが、此処の塔の高さを越えることは禁止されたという。建物のデザインは近くのヴェッキオ宮殿のモデルになったそうで、そう言えば良く似ている。
  
(バルジェッロ美術館)   (こちらは、ヴェッキオ宮)
16世紀後半メディチ家統治の時代にはバルジェッロ(=警察長官)の本部となり、兵舎や牢獄も設置され中庭で罪人の処刑も行われたという。19世紀半ばのイタリア独立=統一後にトスカーナ臨時政府は此処を国立美術館として使用することにし、現在に至っている。

元警察本部であったからという訳ではないのでしょうが、入口では空港搭乗時並みの厳重なセキュリティ・チェックが行われます。扉を抜けると、中庭・・・フィレンツェの昔の建築は多くが上から見ると「ロ」の字型で、中央が吹き抜けの中庭になっています。壁には数多くの彫刻が並べられています。市内の教会等から持ってきたもののようです。獅子はフィレンツェのシンボルです。
     
        

(ちょっと目を引いたブロンズ像は19世紀の作家ヴィンチェンツォ・ジェミートの「魚釣り」)

 この美術館のメインは彫刻ですが、2階展示室(代表委員会の間)のメダマがドナテッロ(1386?~1466)の「ダビデ像」・・・相手から奪った剣で倒した、巨人ゴリアテの頭を左足で踏み敷いたイスラエルの英雄ダビデの姿・・・美少年の面影を宿した優美な裸体のなんと瑞々しいこと!後ろへ廻って見ると、ピンと張りつめたヒップの曲線がなんとも素晴らしい(注:あくまでも芸術の話であって、私にはソッチの趣味はありませんので念の為!)
 雄大で逞しいミケランジェロのダビデ像とは180度違いますが、思わず見惚れるほどの素晴らしい作品です。近くに同じくルネッサンス期の巨匠・ヴェロッキオ(1435?~1488)のダビデ像がありますが、これはもうドナテッロに軍配が上がります。(因みにヴェロッキオのダビデのモデルは、彼の弟子であった若き日のダ・ヴィンチという話です)
          
                 (ドナテッロのダビデ)              (ヴェロッキオのダビデ)

 他にもドナテッロの傑作が並んでいます。大理石のダビデもあります。ヨハネはちょっと変わった趣きで、一方、ニッコロの生き生きとした表情が印象的です。聖ゲオリギウスは(下の写真と違って実際は大きな像です)、オルサンミケーレ教会の壁面にあったものを移設したということです。
        
(大理石のダビデ像) (洗礼者ヨハネ) (ニッコロ・ダ・ウッツアーノの胸像) (聖ゲオリギウス)

 壁に2つのブロンズ彫刻板があります。
1401年フィレンツェの毛織物商組合は、ドゥオーモの向かいにあるサン・ジョヴァンニ礼拝堂にブロンズの門扉を寄進することを決め、その制作者を決めるためのコンクールを実施し、その課題は旧約聖書からとった「イサクの犠牲」でした。そして6人の出品の中から優劣つけ難いと最後に残ったのが、ギベルティとブルネレスキの二人の作品。その実物がこうやって目の前に並んでいるのですが、確かにどちらも素晴らしいですね。
  
(ギベルティ作)      (ブルネレスキ作)
で、審査委員会は最終的にギベルティの作品を優勝とし、彼が20年の歳月をかけて礼拝堂の「天国の門」を製作しました。
尚このコンペに敗れたブルネレスキは、その後彫刻から建築にシフト。次に1418年にドゥオーモのクーポラのコンペが行われ、これに両者も参加しますが、今度はブルネレスキの見事な設計が採用され、1420年に起工、彼は総監督として建設を主導し、1434年に完成しました。・・・いやぁ、2枚のレリーフに興味深い歴史が秘められています。

別のコーナーには色鮮やかなマヨルカ焼きのテラコッタもあります。左の2枚は「受胎告知」ですね。
     
その他、フランス人篤志家が収集した夥しい象牙コレクションも展示されていました。あまりにも大量の為、最初寄贈の申し出を受けたフランスの博物館が受け入れを断ったため、此処に持ち込んだそうです。
3階に上がると、これまた大量のメディチ家のメダルコレクションや、武器、織物の展示がありました。

(メダルコレクション)
 さぁ、1階に戻って入口右手の部屋に入ると、又々、彫刻の展示です。ここのメダマは若き日のミケランジェロ(1475~1564)の作品群。
           
(酔っ払いのバッカス) (ピサを征服したフィレンツェ)( (ピッティの聖母子) (ブルータス) (バッカス※)
 「バッカス」は肉体の筋肉の表現が後年ほど鋭くはありませんが、楽しげに酔っ払って、千鳥足で今にも歩きだしそうな一瞬がよく捉えられています。フィレンツェに踏みつけにされたピサが可哀そうです 「ブルータス」は室内改装中の余波で埃よけのビーニールを被せられていて、その御尊顔をしかと拝見することが出来なくて残念です。
※ 尚、ミケランジェロの「バッカス像」の近くにヤコボ・サンソヴィーノ(1486~1570)の「バッカス」もあります。完成度は
高いですが、見比べてみると、ミケランジェロの作品を参考にしたような気がしてきます。

 他にはメディチ家の重要宮廷彫刻人のひとりであったジャン・ボローニャ(1529~1608)の作品もあります。↓左は“理想の女性像”ということですが、随分と腕が長いですね。右のブロンズの「メルクリウス像」の絶妙なバランスには驚かされます。

  
 そして、チェッリーニ(1500~1571)のコジモ1世の胸像。メディチ家中興の祖で、フィレンツェの都市改造を行い、今日の景観を造り上げた傑物の堂々たる雰囲気を現わした作品です。鋭い眼差しは壮年期の仲代達矢を彷彿とさせます。
  
 ~~こうして2時間近いバルジェッロ美術館の見物が終了しました。

 館を出ると、近くのオルサンミケーレ教会を覗いてみます。元は穀物市場だったという建物の外観は教会らしくありません。14世紀に市場が移転した後、教会に変わったということです。中に入ると外観とは一変・・・教会です!。アーチや天井画、ステンドグラス、そして床の装飾など立派なものです。観光客の出入り自由で、係員など誰もいません。神様の前で狼藉をはたらく者などいないということかもしれませんが、大丈夫かな?
  

     
  
     
 外に出ると、四方の外壁には石像とブロンズ像がずらりと並んでいます。ルネッサンス時代に様々な業種組合が寄贈したもので、ルネッサンス期の大物たちが製作した彫像ということですが、本物はそれぞれ何処かの美術館等に収蔵され、此処にあるのは皆レプリカだということです(残念!)。最後の写真=聖ゲオリギウスの「本物」は先刻バルジェッロで見たばかりです。
       
   
                    ギベルティ       ナンニ・ディ・バンコ     ドナテッロ       ピエロ・ランベルティ  
(聖ステパノス)    (聖エリギウス)    (聖マルコ)      (聖ヤコブ)      
       
バッチョ・ダ・モンテルーポ  ギベルティ      ヴェロッキオ      ジャンボローニャ   シモーネ・フェルッチ
(福音史家ヨハネ)   (洗礼者ヨハネ)  (聖トーマスの不信)   (聖ルカ)       (薔薇の聖母)
     
 
            ナンニ・ディ・バンコ     ナンニ・ディ・バンコ    ドナテッロ        ドナテッロ
            (聖ピリッポス)     (4殉教聖者)     (聖ペテロ)     (聖ゲオリギウス)
 
 お昼をまわったので。お腹が空いてきました。添乗員さんは「ご希望の方には昼食場所をご案内します」と言っていましたが、先を急ぐ身(!)には、ゆっくり昼食を楽しむ余裕はありません。教会から出た表通りのカルツァイウォール通りで『スナック・セルフサービス』という看板に目が止まり、“ここなら素早く食べられそう!”と飛び込みました。
「Marchetti」というお店です。ケースの品を選ぶと、少し温めて出してくれます。奥にはゆったりとしたテーブル席があって落ち着いて食事出来るのは有難い。“軽く”ということで、2品をテイク。ハムとチコリの「カネロニ」(€8.5)は中にも上にもとろ~りチーズがたっぷりで美味。サイドの野菜とのバランスも結構。「ピザ風パニーニ」(€5)もグー。偶々飛び込んだスナックで、美味しいフードを味わえるのは、やっぱりイタリアならでは!ですかねぇ。
     

ピサ大聖堂へ

 予定では、3時からアカデミア美術館見物です。従って何もそんなに慌てることはないのですが、先を急ぐのは理由があります。~~出発前に妻から「せっかくだから、どうしてもピサに行きたい!」との強いリクエストがありました。アカデミア美術館のメダマ=ミケランジェロのダビデの本物にも是非お目にかかりたかったのですが、逡巡した挙句、妻の希望に従うことにしました。
ノヴェッラ駅からピサ行き列車は頻繁に出ているので、自力で行くことも可能ですが、リスク回避を考慮して現地ツアーを利用することにしました。ネットで調べると、「マイバス・イタリ-」という会社(JTB系列?)が毎日半日ツアーを催行していることが分かり、今日の午後を予約しておいたのです。
1時45分にアドゥア広場(=ノヴェッラ駅の東側)集合ということですが、距離感に確信がありませんから、地図を片手にドゥオーモ広場から急ぎ足で目的地へ向かいます。で、少し早目に着きましたが、指定場所には何の表示も目印もありません。
「大丈夫かいな?」と心配になった頃、「○○さんですか~?」と、どこからともなく日本人ガイドが現れて一安心。11人の参加者がマイクロバスに乗りこんで無事出発です。バッソ要塞横から旧市街を抜け、高速(A11)に入ると一路西進、時速100キロで、すっ飛ばします。
ガイドは道路沿いの景色・・・畑、林、丘陵などを、「イタリア人はちゃんと計算、計画して、こうした素晴らしい景観を創り出しているのです!イタリアは財政危機で大変だぁ・・・とか言われますが、実際は蓄積豊富で豊かなんですよ!」と、イタリア礼賛することしきりです。

「雨のときのほうがしっとりとして、かえって周りの景色がいいですよ」と。確かに真冬ですが、冬枯れではなく、麦畑や林は早春の緑色であります。所々池のように水を湛えた箇所があります。「用水池ですか?」と尋ねると「いえ、畑なんです」とのこと。水はけが悪いというよりも、それだけ長雨が続いているということなんでしょう。

目指す西方の雲が切れてきました。「これはいいゾ!」と思ったら、ルッカを過ぎると南へ左折し、高速を出ると又雨が降ってきました。どうも雨殻は逃れられないようです。快調に飛ばして、フィレンツェを出てから1時間ちょっとでピサ到着です。観光バスの駐車場は、「騒がしい!」という近隣住民のクレームの結果、大聖堂から800mほど離れた所にあります。バスを降りると、アフリカ系の若者がカトコトの日本語で傘を売りに来ます。こちらは傘を持っているのに・・・“ピサ絵柄の傘を記念にどうぞ!”ということなんでしょう。そういえば、傘売りはアフリカ系の専業のようで、フィレンツェ市街でも目につきました。

 ガイドさんは、「観光客を見つけると、ジプシーのスリが寄ってきます。此処のジプシーは民族衣装でなく、普通の格好をしていますから、欧米観光客に紛れたら見分けが付きません。皆さん周りに知らない人がいないか、よお~~く注意しながら歩いて下さい!」と何度も注意します。彼は毎日のように此処へ来ていますから、ジプシーのスリと顔見知りなんだそうです。果たせるかな、若い女の子がにこやかな表情で近づいてきました。ガイドが「ビヤーッ!」と大声を挙げると、二人は苦笑いしながら去って行きました。

15分ほど歩くと、旧い城壁(?)が見え、その門を潜ると・・・
  
目の前に写真で見た光景が!・・・傾いてます!
    
先ずは、此処へ来たらお約束事のショットです。(因みに、これは日本人が始めたということですが、本当かな!?)
     
念には念を入れて(?)反対側からも撮ってみました。近くに寄ると、なるほど、大きく地面にめり込んでいるのがよく分かります。(写真だとイマイチですが・・・)こんなに傾いて、よく倒れないもんだ!と感心です。
     
 次は大聖堂。1063年から1118年、および1261年から1272年と2回に分けて長期にわたり建設されたロマネスク建築の傑作です。(因みに大聖堂は入場無料ですが、ずっと奥の建物でチケットを貰わないと、聖堂に入れません!)

 外観も格調高いですが、中へ入ると豪華絢爛です。建設当時のピサの繁栄ぶりがよく分かります。
~~11世紀の頃ピサは、アマルフィ、ジェノヴァ、ヴェネチアと共にイタリア4大海洋国家として覇を争い、やがてジェノヴァとの闘いに勝利して、シチリアから旧カルタゴ地域まで勢力を伸ばし(この時サラセン人から奪った黄金財宝が大聖堂建設に充てられたという)、コルシカ、サルディーニャの宗主権を持ち、11世紀末には第1回十字軍に参加し、シリア・レバノンといった東地中海沿岸に植民都市を建設。12世紀初頭の数年間はヴェネチアを打ち破り、コンスタンティノープル東部に居住区を保有して東ローマ帝国と軍事同盟を結んだ。1136年にはアマルフィ共和国を征服し、西地中海の覇権を握って、12世紀半ばから13世紀にかけて繁栄を極めたのでありました。(その後、バルジェッロ美術館のミケランジェロの彫刻にあったように、フィレンツェの支配下に入ってしまうのですが・・・)

 広い堂内には祭壇に向かって68本の柱列がずらりと並んでいます。(↓写真右は後方方向を見たところ)
     
 祭壇に近づくと、正面には、どことなくアヤ・ソフィアのモザイク画を思わせるようなビザンチン風の「玉座のキリスト」のフレスコ画。天井を見上げると、これまた鮮やかな「聖母被昇天」の絵画が見えます。思わず見惚れて首が痛くなってしまいそうです。祭壇に向かって左側の釣りランプは、ガリレオがその揺れを見て、“振り子の等時性”を発見したことから「ガリレオのランプ」と言われているそうです。ことの真偽は定かではありませんが、ガリレオがピサで生まれたことは事実です。

        

 壮麗な堂内ですが、↓黄金色に輝く天井中央を見上げると、ちょっと違和感があります。どことなく東洋というか、和風の趣です。枡の中の紋様はメディチ家の紋章だそうです。実は、1595年に火災が起き、天井が損傷。当時フィレンツェを支配していた(=ピサも支配下においていました!)メディチ家が、“改修するなら豪華に!”いうことで、こんな天井にしたんだそうです。
  
 正面祭壇から右に折れた処にも豪華な祭壇があります。誰か(聖人か、メディチ家の当主か?)の遺骸が収められた
棺が安置されているようです。
      
 次に大聖堂の向かいというか、手前にある礼拝堂に入ります。(此処は有料です)


 見上げると、天井はドーム状になっています。ガイドさんによると、元は天井など無くて、1階部分のみの吹き抜けだったそうです。中央の8角形の祭壇のようなものは、清めの水浴びをする施設(=ピガレッリ作)で、ところが冬場に寒空の下で水浴するのは難儀だということで、2~3階と建て増して、天井をスッポリと覆ってしまったそうです。
     
 傍らに,凝った造りの説教壇があります。1260年に彫刻家ニコラ・ピサーノが製作したといい。説教壇は普通4角形なのに、これは珍しいことに、実は6角形何だそうです。欄干(?)にはイエスの生涯が5枚の石板に彫り込まれています。

     
  
 突然中央の「祭壇」に黒づくめ&ロングヘアーの女性が現れました。30分に一度、この堂内の音響の素晴らしさを示す為、デモ(=発声)をするそうです。軽く、“ア~~!と詠唱するがごとく発声すると、澄み切った声が空間に広がり、それがこだまとなって昇り、さらに次のこだまとなってドームの上から帰ってきます。・・・たったそれだけのことですが、惚れ惚れするような「こだま」の響きでした。
  
 ここまでちょっと慌ただしかったので、ガイドさんにお願いしてチケットを取ってもらい、もう一度大聖堂をじっくりと見物しました。「こんな人は初めて」と彼は言っていましたが・・・。
 これで見物を終了し、土産物屋で我が家の旅行恒例の、見物先のマグネットを購入するとバスに戻ります。もう一度橋を渡ると、その下は濁流が流れています。ここでガイドさん、「皆さん、行くときに、“此処は小学校です”と言いましたが、誰もいなかったでしょう。ピサはもともと沼地に出来た都市ですから、よく川が氾濫するんです。実は今日も洪水警報が出ていて、小学校は臨時休校だったんですよ。皆さん無事見物出来て本当によかったですね!」。・・・一同、あんぐりでした!

川の氾濫も無く、全て順調にいったので、6時過ぎにはフィレンツェに帰ってきました。ホテルで一休みすると、夕食に出掛けます。今回は格安ツアー(=いつもかな!)なので、昼食と夕食は自力です。予めネットで調べておいたトラットリア(・・・因みにイタリアでは、高級レストラン=リストランテ、並み=トラットリア、大衆向け=ピッツァリアというわけで、我が家は当然トラットリアです!)の中で評判のいい「アル・トレッビオ」へ行くことにします。サンタマリア・ノヴェッラ広場を過ぎて石畳の路地へ入って少し行くとその店はありました。開店時間の7時なんですが、ガラス扉を覗き込むと、正面の椅子でで店員達が“まかない夕飯”を食べていました・・・こんなところもイタリアならです。躊躇していたら、横合いから地元の人と思しき老夫婦がサッサと入って行ったので、後に続きました。(本日2番目の客です!)
  
 メニューを見て(英語で判断)纏めてオーダーします。で、その内容は・・・先ずはハウスワイン(赤=€12)=まずまずです。アンティパストに「洋梨とペコリーノチーズのサラダ」・・・↓の写真では見分けが付きませんが、細いのが洋梨で、太いのがチーズ。ペコリーノとは“羊のチーズ”で、イタリア特産です。本来は塩味が強いと聞いていましたが、此処のはまろやか&クリーミーでとても美味しい。洋梨も季節外れかと思ったら、固さも甘さも程良くて、この2つの組み合わせは素晴らしい。洋梨が好みでない妻も“美味しいわ!”
 次に、「ほうれん草のムースを衣で包んで、チーズを載せオーブンで焼いた」もの。(後で、BS・TV番組の「コロンブスの台所」で知ったのですが、ほうれん草はフィレンツェの名物野菜だそうです)・・・ほうれん草のムースというのは珍しいですが、これも美味しい。それから、妻が「本場のリゾットを食べてみたい!」というので、「チーズとチコリのリゾット」・・・これも美味しい。

 ところで、この店のいいところは、私達は半分壁で仕切られた奥の席に通されたのですが(日本人だからという訳ではなく、先着順!)担当のお兄さんがマメにやってきて食事の進み具合をチェックして、ひと皿が終わってから次の料理を運んでくれます。行き届いたサービスです。彼と目があった妻が「ブオーノ!」と言うと、彼はニッコリ笑って、「アリガトウゴザイマス。“オイシイ”はブオーノ、“オイシカッタ”はブオニッシモね」と。隣の(1番乗りの)オジさんもニッコリ笑って「ブオニッシモ・・・オイシカッタ !」と。

 かなりお腹が膨らんでいましたが、もうひと品フィレンツエ名物をと、牛肉のタリアータ。ものの本によると、“ローストした牛肉の薄切り”ということですが、出て来たのはビーフステーキをカットしたもの。尤も、赤身肉なのに、柔らかくて非常に旨味のある肉で大変美味しい。ちょっと苦味のあるルッコラとの相性も抜群です。普段は食事を押さえている妻も“美味しいわ!”ということで、完食です。
味よし、サービスよしで、満腹&大満足でした。お代はというと€54.5(=7,728円 @141.81)。因みにイタリアは提示された料金を払えばザッツ・オールなのが簡単でいいですね。(=チップは不要です)

     
     


3日目(2/1・土)

中央市場
 今日は5時半起き。なんで、そんなに早起きなの?というと・・・フィレンツェに来たら、中央市場に行ってみなくちゃぁ!というわけですが、営業時間が朝の7時過ぎから午後2時までということなので、美術館に出発前に行ってこようという魂胆です。
朝食は6:30からなので、いのイチバンで朝食を済ませて、今日も小雨が降る中を、そそくさと市場へ向かいます。これもネットの「アーモ・イタリア」というHPで、“市場では、クリスチーナという店が安くて親切!”とあったので、その店が狙いですが、四角四面の市場の建物に入ると、はて、目指す店はどの辺りだか見当がつきません。入り口のスナックのおじさんに尋ねると、彼は親切にも、クリスチーナまで案内してくれました。“グラッチェ!”
       
     
(中央市場の店々・・・乾物・野菜・魚・チーズ・肉・・・何でもあります!)

既にツアー仲間の女性二人が店内にいて、「まぁ、どんどん買いたくなて困っちゃうわ!」と叫んでいました。私達の一番の狙いは乾燥トマトで、日本で買うと結構な値段ですが、本場では格安なんです。「壜もの」で逡巡していると、店主は「ダイジョーブ、プチプチね!!」と言って、例のプチプチビニールで包んでくれました。€50以上買うと5%引きということですが、先ほどの女性は「40ユーロでも値引きしてくれたわ!」と喜んでいました。
この店には置いてない品が欲しくて「○○を買いたいんだけど、良い店を紹介して!」と頼むと、“マカセナサイ!”とばかりに連れて行ってくれて、ビックリするほどの値段(=安さ)で購入した品を店に持ちかえって真空パックにしてくれました。いいお店です。で、両手にズシリと重い袋を抱えてホテルへ戻ります。

(クリスチーナの店主と)

サン・マルコ美術館

 さぁ、今朝はサン・マルコ美術館です。此処は12世紀に修道院として建築され、15世紀半ばに(フィレンツェのコジモ家支配を確立した)コジモ・デ・メディチ(1389~1464)の命によって再建され、ドミニコ派の拠点となった。
ドミニコ会は清貧を重んずる一方、神学の研究に励み、多くの進学者を輩出した。(「神学大全」を著したトマス・アクィナス(1225~1274)はその頂点に位置する人物と言える。)教義に厳格で、異端尋問の審問官を務めることが多かったが、会派の支援者でもあったコジモの死後、修道院にとんでもない人物が現れる。それがサヴォナローラ(1452~1498)。 

~~1482年サン・マルコ修道院に転じる(修道院長になる)や、激烈な言葉でフィレンツェの腐敗堕落を断じ、メディチ家の独裁体制を強く批判し、人々に信仰に立ちかえるように訴えた。いつの世も奇妙な言葉に踊らされる人はいるもので(=やれ、政権交代!だとか・・・)、当時のフィレンツェ市民は彼の過激な説教に熱狂したのである。やがてメディチ家をフィレンツェから追放し、彼は共和国の政治顧問となって、神権政治を確立して事実上支配者となった。その「原理主義」は、華美な生活を戒め、更には“裸婦をモチーフにしたものなどもっての外!”と、ルネッサンスの優れた美術品、工芸品や文書を贅沢、堕落、神への冒涜として全否定し、これ等を広場に集めて焼却するという暴挙に至り、市民生活は殺伐としたものになった。

彼の過激な行動はやがてローマ教皇とも対立し、1497年には教皇アレクサンデル6世から破門され(因みにこの教皇は好色、強欲と教皇にあるまじき超俗物でサヴォナローラならずとも断罪したいところであるが・・・)、翌年には、あまりの過激さについていけなくなった市民から反サヴォナローラの火の手が上がり、共和政府は彼を拘束。(教皇の意を酌んだ)裁判の結果、絞首刑の後シニョーリア広場で火あぶりに処された。フィレンツェ10数年の狂気の時代であるが、彼の暴挙によって失われた芸術上の損失は惜しみても余りある・・・。
  
(サヴォナローラの肖像と、火刑の図=作者不詳=)
~~といった曰く因縁を持つサン・マルコ美術館ですが、此処はいわば“フラ・アンジェリコ(1395~1436)の美術館”であります。ドミニコ派修道士にして画僧であったアンジェリコはフィレンツェ近郊のフィエーゾレ修道院からサン・マルコ修道院の建設とともに移籍。此処でコジモ・ディ・メディチの知遇を得て、その豊かな才能を存分に発揮し、修道院内部の装飾を主に創作活動に勤しんだ。その作品は彼が敬虔な修道士で、温厚誠実な人柄であったと偲ばれるものであるが、それゆえに後の修道院長サヴォナローラも彼が院内に残した宗教画は「原理主義」にも適うものとして残したのであろう。


        
 (美術館正面)         (塔の向こうに珍しく青空が!)   (中庭回廊)        (アーチの壁にはフレスコ画)
     
(回廊の絵は誰の手によるものか?)

 1階回廊の各部屋内はアンジェリコの傑作でいっぱいです。絵は殆ど全て壁に直接描かれたフレスコ画ですから、此処に来なければ見ることが出来ないんですね。
     
(聖母子と8聖人)          (最後の晩餐)                (これも最後の晩餐?)
     
(キリストの変容)       (聖母戴冠)       (聖ピエトロの三連祭壇画)
  
十字架降下         キリストの埋葬
     
サン・マルコの祭壇画   ボスコ・アイ・フラーティの祭壇画  これも祭壇画
 階段を上がった正面の壁に、彼の代表作と言われる「受胎告知」↓があります。彼は多くの「受胎告知を描いていますが、これが最高傑作なのかもしれません。
  
 2階は修道士たちの居住区・・・・個室になっていて、各室内の壁には見事な宗教画が描かれています。小窓一つに白壁と至って殺風景な小部屋ですが、絵ひとつで、居住区らしくなるところがスゴイですね。奥まった部屋はサヴォナローラの住まいで、彼が着ていたという濃紺のマントも展示されています(本当に彼のものかな?)。
  
        

        
一番奥の大きな個室(=3部屋に仕切られている)はコジモ・デ・メディチが瞑想するための部屋。彼も時には煩わしい俗世間から離れて、此処で思索にふけりたかったのかもしれませんね。

 アンジェリコの宗教画を堪能して、外へ出ると、再び中央市場へ向かいます。昼食を市場内で人気の「ネルボーネ」で戴こうということなんです。お昼時には行列が出来ています。⇒ステファーノさんというオジさんが手早く調理してくれます。⇒売り場の向かい側には席があって落ち着いて食べることが出来ます。
     
 注文したのは、一番人気の「ランプレドット」・・・牛の第四の胃袋を煮込んだのをパンにはさんであります。そして「トリッパ」・・・牛の臓物の煮込みです。私は日本では絶対に臓物は食べないのですが、“怖いもの見たさ”ならぬ“怖いもの食べたさ”で、思い切って取って見ました。ランプレドットは牛肉に近いもので、文句なしに美味しかったです。トリッパも意外にしつこくなくて、二人で完食しちゃいました。ある意味で貴重な体験でした。尚、ワインはカラフェで出してくれます。お昼だったので、小カラフェ(=300ccくらいだと思います)が、€2と格安です。
     

 食事を済ませて表に出ると、革製品や雑貨などを売るテントが市場の周りを取り囲んでいるので、覗いてみます。ピサの時のガイドが「あまりイタリア製はありませんよ」と言っていたこともあり、妻は「興味ないわ」と。

ところが、テントの後ろの建物にもショップが並んでいます。レザー関係の店先を眺めていると、早速店員が「マダ~ム!」と寄ってきます。アフリカ系の陽気なお兄さんです)  (妻)「ジス、チャイニーズ?」  (店員)「アハハッ、マダーム、ジョーダンキツイヨ。全部イタリア製ダヨ、」  (妻)「ほんとかな?」  (店員)「マダム、どれがイイ?」

・・・ここから店員と妻の駆け引きが始まります。私は彼が用意してくれた椅子に座ってにやにや眺めるだけ。 
(妻)「これ、ハウマッチ?」  (店員)「€320ネ」  「たか~い!」  「マダムならいくら?」  「そうね、€130かな」  「オーノー!、値札ミテ。€450ヨ・・・デモ、€250ニシトクヨ」」  「€150ならいいわよ」  
・・・ここで顔を出したオーナーらしきイタリア人と店員はヒソヒソ・・・「モーッ、€220ニスルヨ」  「€160ね!」
「マダムにピッタリダカラ、€190ニマケル」  「だめ、€170までね!」・・・オーナーが両手を挙げ、店員は「€190、ギリギリネ!」  「じゃぁ、中をとって€180」  「€190マデネ」  「仕方ないわ、じゃぁ、あなたもう帰りましょう!」と、妻は私を立たせて店を出かける。  「オー、マダ~ム、チョットマッテ。ワカリマシタ。€180ニシマス」

~~で交渉成立。すると、「ハ~~イ!」と笑顔で若い男性が現れました。オーナーの息子だそうで、「サンキュー、うちは50年以上営業してる老舗だよ。レザーは絶対自信あるよ。そう、今コーヒー用意するから飲んでってね」と、一転和やかな雰囲気に変わりました。で、雑談しながら、折角だからコーヒーを頂きました。
     
 外へ出て見上げると、青空が広がっていました。(後から振り返ると、今回青空を見たのはこの時の数時間のみでした・・・トホホ!) 空模様はイマイチですが、気温は15度を越えているでしょうか、とにかく予想外に暖かいです。北極寒気団はアメリカや日本に向かい、ヨーロッパは暖冬のようです。雨が多いのはそのせいかもしれません。

パラティーナ美術館
 一旦ホテルに戻って小休止すると、午後の集合場所=ドゥオーモ前の広場へ。3時前に皆が集まってゾロゾロとピッティ宮へ向かいます。街中の石畳に青年が色チョークで絵を描いています。聖母がテーマのようで、チョークでこれだけとはなかなかの腕前です。なんでもこの一角は石畳に自由に絵を描いて言いようになっているそうです。さすが芸術の都・フィレンツェです。しかし今のような天候だと、完成した頃に雨が降って作品はアッと言う間に流れ消えてしまうでしょうが、でも彼らはそんなことは気にせずに創作に励むのですね。

 レプッブリカ(共和国)広場は、パフォーマンスの場になっているそうで、我々が通りぬけたときは、若い女性がイタリア民謡を歌っていました。声量豊かで奇麗なボイス、そして豊かな表現力・・・そのまま立ち止まって聞き惚れていたいくらいでした。毎週末にこうしたレベルの高いパフォーマンスがあるなんて素晴らしいですね。

 新市場のロッジアを通り過ぎます。建物の南側に“子ブタちゃん”(=Porcellino)というニックネームを持つ、猪像があります。この鼻をなでると、再びフィレンツェを訪れることが出来るというので、皆が鼻をなでる。それで、鼻先はピカピカに光っています。私達も、09年10月15日に妻が鼻をなでたので、こうやって再訪できたのかもしれません(?!)
     
                              (子ブタちゃん)    (4年半前に子ブタちゃんの鼻をなでる人)
 そしてヴェッキオ橋。両側は金ピカの宝石・宝飾店が並んでいます。中央は商店街が切れていて、此処がアルノ川の上に架かる橋であることが分かります。アルノ川は長雨で水かさが増し、濁流となっています。
     
 店々の2階部分を貫くヴァザーリ回廊は、メディチ家の執政所であったウフッツィと、住まいであったピッティ宮を繋いでおり、↓右のように途中サンタ・フェリチタ教会の前を通ります。教会側正面の壁の窓からは通りながらミサを聴くことが出来るようになっているそうです。
  
                    (サンタ・フェリチタ教会)
 石畳の道を進むと視界が開け、ピッティ宮殿が見えてきました。正面から入場すると、回廊には多くの彫刻が並んでいます。
  

     

 ピッティ宮殿は1457年にコジモ・デ・メディチのライバルであった銀行家ルカ・ピッティが建設を始めたが完成を見ることなく1472年に死去し、彼の死とともに建設は中断していた。それから約100年の後にコジモ1世がそれを買い取り、以降メディチ家の私邸として使用された。ルネッサンス芸術家のパトロンであった歴代当主は多くの美術品を収集し、此処に収蔵した。やがて18世紀半ばにメディチ家が途絶えると、宮殿の主はハプスブルグ・ロートリンゲン家に移り、トスカーナ大公国の宮廷として増改築が繰り返され、又歴代大公によって美術品のコレクションも続けられた。

1799年にナポレオン率いるフランス軍がトスカーナに侵入し、その際に宮殿のメディチ家のコレクションの一部がフランスへ持ち出された。ナポレオン支配下において1809年には彼の妹マリア=アンナ“エリザ”ボナパルト=パッチョッギが女大公として宮殿の主となるが、1814年ナポレオンが失脚すると、彼女はローマに亡命し、再びロートリンゲン家が復帰する。やがてイタリア統一と共にトスカーナはサルディーニャ王国に併合され、此処の主はサヴォイ家に交代した。
~~こうした歴史を持つピッティ宮殿であるが、現在は2階がパラティーナ美術館、3階は近代美術館や銀器博物館、衣装博物館となっている。

 で、我々は2階のパラティーナ美術館へと入ります。本来は宮殿ですから、先ず豪華絢爛の室内&天井の装飾に目が眩む思いがします。(その一端が下の写真)
そして、壁いっぱいにこれでもか!とばかりに、歴代当主の集めた絵が飾られています。体系的に展示されているわけではないので、個人でやってきて効率良く観賞しようとすると大変です。我々は“スーパーガイド”の関さんの行き届いた解説があるので大助かりです。
  

 此処はラファエロ(1483~1520)のコレクションで有名です。彼はルネッサンスを代表する巨匠ですが、37歳の若さで世を去っています。早熟の天才として早くから名声を得て、50人にも及ぶ弟子たちを抱える大工房を経営していたことが、その短い生涯の中で驚くほど数多くの傑作を残していることの背景かもしれません。

 先ずは、聖母子像・・・穏やかで温かみのある、調和のとれた、ラファエロの特徴がよく表れた作品群です。
           
      小椅子の聖母      大公の聖母    カルデリーノの聖母   布張窓の聖母子      天蓋の聖母

 次に肖像画。穏やかな作風の中にも、各人の個性を的確に表現しています。
↓左の「ヴェールを被った婦人」のモデルはラファエロの恋人で、パン屋の娘だったマルゲリータ・ルーティ(通称フォルナリーナ)。彼は当時実力者の枢機卿から姪マリア・ビッビエーナとの結婚話を持ちかけられ、恋仲のフォルナリーナと別れたものの、募る思いを断ち切れず、花嫁衣装姿を描くことによって自らの想いを表現したという。マリアとは婚約したものの、その後婚礼を延ばすうちにマリアが死亡し、夫婦となることはなかった。
 ・・・ロマンチックというより、身勝手ともいえる話ですが、ラファエロは結局独身のまま若すぎる死を迎え、遺言にはフォルナリーナの為の基金設置が記されていたという。彼の死の数カ月後にフォルナリーナは修道院に入ったそうで、やっぱり二人は深く愛し合っていたということなんでしょうか・・・。

 富裕な毛織物商人だったアニョロ・ドーニとマッダレーナ・ストロッツイは夫婦で、この2枚の絵はセットですが、ところで夫人のポーズはどことなく「モナリザ」に似ています。ダ・ヴィンチはラファエロより30歳年上ですから、共にフィレンツェで活動している間にダ・ヴィンチの影響を受けたのかもしれません。
 インギラーミは、ラファエロをの才能を誰よりも愛した教皇レオ10世の秘書で、ヴァチカン図書館を創設して館長を務め、当代一の碩学とうたわれた人物だそうです。
             
   ヴェールを被った婦人    身重の婦人     アニョロ・ドーニ   マッダレーナ・ストロッツイ    ドンマーゾ・インギラーミ

 ラファエロ以外にも多くの傑作が並んでいますが、以下その一部・・・ヴェネチア派の巨匠ティツィアーノの「マグラダのマリア」の気品あふれる姿は強く印象に残りました。
リッピは初期ルネッサンスを代表するフィレンツェ派の巨匠で、ボッティチェリの師匠としても知られるが、この聖母子は1枚の絵の中に3つの場面を描き込んでおり、優れた構成力がよく分かります。
 そして強いインパクトを受けたのがカラヴァッジョの「眠るキューピット」・・・光と影の表現はまさに彼ならですが、肥満体で太鼓腹をさらして横たわる、ちょっとグロテスクな姿はとてもキューピットには見えません。しかしよく見ると、闇の中にうっすらと光が当たった天使の羽が浮かんできて、天使であることが分かります。カラヴァッジョの面目躍如といった絵ですが、もし私がこの絵の注文主であったなら、断固受け取りを拒否したでしょう。
 「4人の哲学者」は“エッ、これがルーベンス?”と目を疑うほど、彼にしては珍しく“静的”な絵です。

       
  ティツィアーノ/悔悛するマグラダのマリア/コンチェルト        フィリッポ・リッピ/聖母子

        
カラヴァッジョ/眠るキューピット       ルーベンス/4人の哲学者  ベルジーノ/キリストの哀悼   ジョルジョーネ/人間の3つの時代

 ↓この絵はタイトルを聞かされて、エッ?と驚きます。クレオパトラのイメージと全く違いますし、蛇もえらく小さいですね。
もう一つ、タイトルを聞いてもさっぱり分からないのが「ユディト」・・・関さんの説明によると、旧約聖書にあるお話~~アッシリア王ネブカドネザルの命を受けた司令官ホロフェルネスはユダ王国のベトリアという町を包囲。指導者オジアは降伏を決意するが、それをよしとしない美女ユディトはある決意を持ってホロフェルネスにエルサレムへの道案内を買って出る。麗しいユディトを歓迎した司令官は彼女を陣中に留め置き、それから4日後、酒宴に呼び出された彼女は泥酔した司令官の首を切り取り、侍女と共に町へ帰り事の次第を知らせる。動揺したアッシリア軍に対し、ユダヤは絶好の機会を逃さず、アッシリア軍を打ち破った・・・という話。(※しかしこれはもしあったとしてもほんの一時的な事象に過ぎず、歴史の事実は“バビロンの捕囚”のとおり、BC589にネブカドネザルによってユダ王国は滅ぼされるのである)・・・それにしても、ジェンティレスキは女性にしては凄い迫力のある絵をかいていますね!侍女が持つ籠の中はホロフェエルネスの首でしょうか?

    
グイド・レーニ/クレオパトラの自殺     アルテミア・ジェンティレスキ/ユデイト

 時折、豪壮な宮殿内の窓から外に目をやると、周辺の光景を眺めることが出来ます。↓左は宮殿の南東側に広がるボーボリ公園。メディチ家が宮殿を買い取って以降、5万㎡ほどの広大な丘陵地に公園が造営されました。(この写真ではよく分かりませんが、噴水池の奥にある白い塔はエジプトにあったオベリスクだそうです)・・・残念ながら今回はこの公園を散策する時間の余裕はありません。↓右はサン・スピリト教会の鐘楼と本堂の丸屋根。教会は15世紀半ばに建てられた初期ルネッサンスを代表する建築ということで、行ってみたいと思っていたのですが、ちょっと時間がなさそうです(残念!)
  

近代美術館

 2時間近くかけて美術館の中を歩きました。これで予定は終了(ガイドの関さんとお別れ)ですが、3階に近代美術館があるというので、折角だから行くことにします。つぶさに絵をみて、豪華な天井を見上げて・・・の連続で、足は疲れ、首や肩が凝ってきた感じがしますが、階段途中のベンチで水を飲んで一休みすると、さぁ気合いを入れて3階へ・・・いやぁ、しかし大きな美術館見物というのは体力勝負みたいなところがあります。

 此処は主にロートリンゲン家のコレクションが展示されており、“マッキアイオーリ(マッキア派)”と称される画家達の作品が中心となっているそうです。19世紀半ばにフィレンツェのカフェ・ミケランジェロに集まった若い画家たちは伝統から脱却して新しい芸術の創造を目指しました。大胆な斑点(=マッキア)を用いた描き方から彼らは“マッキアイオーリ”と呼ばれるようになったとか。
美術&美術史に疎い私はマッキア派のことを此処で初めて知りましたが、光を存分に表現した描写が多く、“印象派”に似ているなぁ・・・と感じましたが、フィレンツェの彼らがマネ・モネ等の印象派よりも少し時代が早いということです。尤も略同時代で、イタリアからパリに赴いたりして印象派やバルビゾン派との交流があったそうですから、やはり影響はあったのでしょう。

 その代表格がジョヴァンニ・ファットーリ(1825~1908)で、「トンボロの~」の笠松の樹が印象に残りました。
     
            自画像          従姉妹アルジア     クルックストンの野営地におけるメアリー・スチュアート

  
トンボロの松林の馬                   トスカーナ地方マレンマ

 そして、↓左の「民謡を歌う女達」が代表作のシルヴェストロ・レーガの絵は,まさに印象派を想起しますね。
     
民謡を歌う女達    庭園での散歩    森の中の農民の娘   
  
                  乳母を訪ねる
 他にもこんな絵がありました。総じて技術の進歩は分かりますが、もう一つ心に迫ってくるものがなかったように感じました。(ルネッサンスの傑作群を見たあとだけに仕方ないかもしれません・・・)
    
テレマコ・シニョリーニ/リオマッジョーレの家並み             オドアルド・ポッラーニ/高地

    
アントニオ・ファンタネージ/サントリニータ橋付近のアルノ川   アントニオ・チゼーリ/キリストの埋葬

 窓から外を見ると、夕闇の中に、ジョットの鐘楼とドゥオーモのクーポラが浮かんでいました。・・・これでピッティ宮の美術巡りは終了です。


 外へ出ると、やはり小雨が降っていました。雨にぬれたグイッチャルディーニ通りの石畳が街灯に照らされて光っています。(全く関係ないことですが、自分で撮った写真を見て、「夜のカフェテラス」=ゴッホを思い出しました)
              

 ヴェッキオ橋から見た夜のアルノ川。↓左はサンタ・トリニタ橋方向で、↓右はその反対側で、ウフィッツィに繋がる
ヴァザーリ回廊。
  
 ヴェッキオ橋の商店街の向こうにはクーポラが見えてます。
  
 さぁ、6時半を過ぎたので、お腹が空いてきました。今夜はネットの「アーモ・イタリア」でイチ押しのワインバー「マンジャホーコ」がヴェッキオ橋を渡って近くにあるというので、探し当てて行ってみましたが、なんと!営業していませんでした。“休みは日曜日とあったのに・・・だいたい食べ物屋が土曜日に休んでどうすんだヨ!”と、毒ついてみてもどうしようもないので、急遽明晩に予定していた店に向かうことにします。途中「新市場のロッジア」に寄って、「子ブタちゃん」の鼻にタッチ・・・これで又いつかフィレンツェに戻ってくることができるでしょうか??

 ~~さぁて、今夜の食事処は・・・「チェントポーヴェリ」。ガラス張りのモダンな店です。7時ちょっと過ぎに入ったので、まだ客は少なく直ぐ奥の席に案内してもらいました。(昨夜もそうでしたが、何処も概ね8時を過ぎると混んでくるようです)
     
 フィレンツェは内陸部のため、いわゆるトスカーナ料理は、肉と野菜を調理したものが殆どですが、此処はシーフードが美味しいというので、リストアップしておいたのですが、店の入り口の冷蔵ケースには魚介類がならんでいました。

 今夜はコースは無視して、先ずは、“もうこれっきゃないでしょう”と、

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