2014/05/25 - 2014/05/25
37位(同エリア1094件中)
hiro3さん
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- 444,299アクセス
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世界文化遺産の富士山をグルリと一周して感動してしまいました。その余韻がなかなかさめないので、近くの世界遺産に行ってみようと高野山におまいりです。いつものように車で出かけます。南海電車で行く方が多いと思います。「天空」という車両が人気です。逆に車は、なかなか大変な道のようです。すれ違いが困難な場所もかなりあるそうです。バスが来れば大騒ぎになるようです。燃えてきました。一般道が多いので距離の割りに時間がかかりそうです。
結構歩きましたね。標高は、およそ900メートルです。山上近くなのにアップダウンは以外とありません。
凛とした空気に包まれて、来年、平成27(2015)年には開創1200年を迎えます。
とても長い時間に刻まれた歴史と、守り育てきた自然を見に出かけましょうか?
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車
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大門です。(9:40)
近くに駐車場がありませんので、大伽藍参拝者用駐車場に車を置いて歩きました。
200mほど西側を入ったところにも駐車場が出来ています。ガソリンスタンドのある交差点を北側に上がったところです。昼食時に利用しました。
反対側から見た大門です。
高野山までの道路はなかなかタフです。先頭のペースメーカーなる車が次々と脱落して、自信のある人が、引っ張って行ってくれるような感じです。下りてくる車が少なかった時間帯なので、うまく上れたのかもしれません。 -
正面側です。
高さ25.1m!入り口としての総門としてふさわしい、かなり大きな立派な門です。
両脇には、金剛力士像がいらっしゃいます。 -
金剛力士像(阿形)
奈良の東大寺の仁王像に次いで2番目の大きさを誇るようです。向かって右側に立つのが阿形像でその高さは546.0cm、京都の仏師・康意が造立です。 -
金剛力士像(吽形)
吽形像で高さ558.0cm、京都の仏師・運長が造立しました。
東大寺の仁王さんもイイのですが、こちらの仁王さんもすばらしいと思います。 -
少し離れたところにありますが、訪問された時にはぜひここまで歩いてきてくださいね。
その迫力に圧倒されます。 -
西南院
弘法大師の高弟真然大徳によって開基された西南院。
宿坊としても利用でき、重森三玲作の石庭が人気のようです。 -
西南院
落下傘部隊が紅く待機中です。 -
壇上伽藍と呼ばれる金剛峯寺を中心とした地域を訪問します。
こちらは、六角経蔵と呼ばれる六角形の経蔵です。
経蔵の下部が回転式になっており1回転すると一切経を1度読んだご利益があると伝わっています。残念ながら一人や二人では動きませんでした。 -
登天の松、杓子の芝
久安5年(1149)4月10日、明王院の僧・如法上人が悟りを得てこの松より弥勒菩薩の浄土である兜率天(とそつてん)へと昇天した事から呼ばれるようになりました。
また、如法上人が昇天された時、昼食の準備をしていた弟子の小如法が師の後を慕って松の木にのぼると、一心の願いが天に通じ、上人とともに登天することを許されました。その時に持っていた杓子が、昇天の途中に松の木の下の芝に落ちてきたことから「杓子の芝」と呼ばれるようになりました。(案内板より) -
大塔(だいとう)が見えてきました。
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准胝堂(じゅんていどう)
弘法大師が得度の儀式を行う際に自ら造立したという本尊、准胝観音を祀る堂。
幾度となく焼失し現在の堂は1883年(明治16年)に再建されたものです。 -
孔雀堂
昭和57年(1982年)の再建。快慶作の孔雀明王像安置されています。 -
鐘楼
日本で4番目に大きいことから「高野四郎」と呼ばれた鐘があるのは、こちらではありません。 -
西塔 (10:10)
弘法大師の御意志に従い真然大徳により887年(仁和3年)に建立された西塔。内部には金剛界大日如来と胎蔵界四仏を安置し、金胎両部不二の深義を表すとされています。現存する塔は、1834年(天保5年)に再建されたもので、高さ27.27mです。
大塔は鮮やかで目を引きますが、西塔もいいでしょ! -
細工と柱がイイですね。
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イチオシ
大日如来の密教世界を具現するため、空海が設計し、仁和2年(886年)に空海の弟子で甥でもある真然が建立しました。
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やっぱり大塔が気になります。
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御社
810年(弘仁10年)高野山山麓の天野社より地主神として弘法大師により勧請され高野山の鎮守とされました。現在の社殿は1594年(文禄3年)に再建されたものです。
仏教の教えによる諸尊仏と日本古来よりの神との融和を大切にされた、弘法大師の考えが目の当たりにできる場所です。 -
逆指(さかし)の藤
平安時代に活躍した高僧・祈新上人が1016年(長和5年)に高野山を訪れた際に、見るも無残に荒廃した高野山の現状を悲しみ願掛けとして逆さに藤を植えました。しばらくすると藤が芽生え、高野山にも復興の兆しが訪れたことから、祈新上人は弘法大師の生まれ変わりとして多くの人から慕われることになりました。
ひっそりと建物の奥で咲いていました。 -
御影堂
弘法大師の持仏堂として建立されましたが、後になって真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安したことから御影堂と名づけられました。高野山内でも最重要な聖域とされ堂内には限られた人しか入ることが出来ませんでしたが、近年旧暦の3月21日に行われる「旧正御影供」の前夜、御逮夜法会の後に外陣への一般参拝が許されるようになりました。外陣には弘法大師の十大弟子像が掲げられています。 -
三鈷の松(さんこのまつ)と御影堂
弘法大師が唐より帰国する折に、日本で真言密教を広めるための場所を求める為に中国・明州の浜よりさ三鈷杵と呼ばれる法具を投げたところ日本へ向かい飛んでいき、帰国後に弘法大師が高野山近くへ訪れた際に狩人より毎晩光を放つ松があるとの話を聞き、その場所へ行ってみると唐より投げた三鈷杵が松に引っかかっていたと伝わる松の木です。
松葉は、普通は二葉か五葉ですが、こちらは三鈷杵のように三葉です。多くの人が探されてなかなか見つかりません。 -
大塔(だいとう)
一際鮮やかな朱色で目を引く大塔で、高野山を紹介するときに外せない建物です。
度重なる落雷等で何度も焼けましたが、その都度再建されており現在の塔は、1934年(昭和9年)に再建されたものです。 -
金堂
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中門 (10:20)
1843年(天保14年)の大火によって焼失してしまいましたが、来年の高野山開創1,200年記念大法会の記念事業として再建中です。 -
中門
かなり完成しています。とてもキレイです。 -
金堂
薬師如来を本尊とする金堂は、一山の総本堂です。公認10(819)年の創建で、、現在のお堂は昭和7(1932)年に再建されたものです。
こちらもかなりの大きさです。 -
愛染堂
本尊は愛染明王で、後醍醐天皇の御等身といわれています。
このお堂も何度か罹災し、現在の建物は嘉永元年(1848年)に再建されたものです。 -
大塔
巨大です。
高野山は、雷の通り道。何度も落雷にあい、出火する建物があります。
そこで、コンクリート造りになったとか? -
不動堂
伽藍内で唯一の国宝建造物です。
12世紀末に創建された堂で、現行の建築は鎌倉時代に再建されたもの。やはり、もともとは別の場所にあったものが、後世になって現地に移されている。
屋根の勾配のゆるい桧皮葺で、平安時代の寝殿造の面影が残る建物です。 -
大会堂(だいえどう)
鳥羽法王の皇女である五辻斎院(ごつじさいいん)内親王というお方が、父帝の追福のため建立されました。
こちらも別の場所にあったものを移築されたようです。 -
三昧堂
歌人としても有名な西行法師は、久安5年(1149)32歳頃から約30年間ほど高野山を往来していたといわれています。
左手にあるのが、「西行桜」
西行法師が三昧堂を伽藍へ修造した際の記念とし、て三昧堂の前に手植えされた桜と伝えられています。元の桜は枯れてしまったようです。 -
東塔 (10:30)
大治2年(1127年)、白河院の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正(だいごさんぼういんしょうかくごんのそうじょう)によって創建されました。
天保14年(1843年)に焼失してからしばらくの間再建されず、140年たった昭和59年(1984年)に再建されました。 -
東塔と大塔
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蛇腹路(じゃばらみち)
紅葉の時期の撮影ポイント!
ということは、青モミジがキレイということ。壇上伽藍へのアプローチとしてとても魅力的な参道です。 -
蛇腹路
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蛇腹路
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イイ感じですね。「苔の森」に行きたくなっちゃいました。
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蛇腹路
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蛇腹路
高野山はお大師さまが「東西に龍の臥せるがごとく」と形容され、壇場伽藍を頭として現在の蓮花院(れんげいん)までを龍が臥している形に例えたのでした。そして、ちょうどこの小道が龍のお腹付近にあたることから蛇腹路と呼ばれるようになりました。 -
高野山大師教会
高野山真言宗の布教、御詠歌、宗教舞踊等の総本部で、各種研修会や講習会が開催されています。 -
金剛三昧院(こんごうさんまいいん)
参道入り口 石楠花が咲いています。 -
金剛三昧院 (10:50)
建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建されました。承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰された。 -
大シャクナゲ - ホンシャクナゲの群生。高さ10m以上の大木もあり、樹齢400年以上とも伝わる。
見頃は過ぎていました。 -
まだ咲いているところを切り取りました。
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本堂
本堂の前には大錫杖が立ててあります。この柱部分を左右に廻し六輪を鳴らすと愛染様に願いが通じるそうです。 -
きれいに咲いているものもありました。
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柔らかい感じのする石像です。
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多宝塔 (国宝)
貞応2年(1223年)建立、檜皮葺、高さ14.9m
石山寺塔に次ぎ日本で2番目に古い多宝塔です。
この多宝塔は、源頼朝、実朝の御霊を供養するため、西暦1223年(貞応2年)頼朝の妻北条政子により建立されたものです。現在、高野山に現存する最古の多宝塔で、鎌倉様式を残す数少ない建物です。西暦1900年(明治33年)4月には、国宝に指定され、また、西暦2004年(平成16年)には、世界文化遺産にも指定されています。 -
多宝塔
高さはおよそ15メートル。屋根の一辺はおよそ9メートル。
平成二十四年秋から冬にかけて、檜皮の葺替えを行われました。 -
毘張杉(びちょうすぎ)や六本杉とも言われている大変大きな杉。
樹齢推定400年以上と言われる杉の巨木は、根元は三本ですが、上にいくと六本に分かれています。昔、この寺の守り神である毘張尊師という天狗が、この杉の木に舞い降りたという由来から、毘張杉とも呼ばれ、火災、盗難除けの神様として厚く信仰されてます。
パワースポットですね。 -
三寸アヤメかな?
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チューリップ色々
色々な種類が増えましたね。 -
おもての通りに出てきました。 (11:50)
とらや藥局さんです。レトロな雰囲気の看板や、行灯、照明器具など雰囲気があります。
創業は、明治23(1890)年だそうです。現役の薬局です。 -
招き虎!
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胡麻豆腐 濱田屋 (11:35)
創業百数十年の老舗で、高野山のごま豆腐といえばこの店が紹介されるほどの超有名店!
胡麻豆腐は鮮度が命と生にこだわり、保冷容器を持たないお客には持ち帰りを許さない徹底ぶりです。保冷容器は、お店でも用意されています。通りより少し入ったところにあります。警備員の誘導が的確で、ユーモラスです。
ごま豆腐のイメージが変わるかも?白いのです、高野山のものは、ごまの表皮を丁寧に剥いて中身だけをすり潰して作られるそうです。少しアッサリは、森下商店さんです。 -
御菓子司 かさ國 (11:40)
「みろく石」「高野通宝」「佛手柑」(ぶっしゅかん)
やきもちなどもあります。買って帰ったのは、「高野通宝」と「佛手柑」です。
おいしいですよ。
「佛手柑」は、実の形が仏様の手に似ていることから佛手柑と呼ばれて珍重された果実を秘伝の製法で甘露煮にした「珍菓」です。ありがたくいただきました。 -
ツバメさん、もう大きくなってきたね。
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通りにあったベンチです。
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明泉院・増福院
増福院の院号は「福祐増進を祈るべし」の意味だそうです。
長く続く塀がきれいです。 -
高野山霊宝館
高野山に伝えられている貴重な仏画・仏像などの文化遺産を保護管理し、公開する目的で開設された博物館相当の施設です。 -
高野蕎麦 天宏 (12:20)
場所は、ガソリンスタンドの裏側です。中央食堂・さんぼうに寄ったのですが、団体さんが入られるようで、貸切になっていました。 -
以前は、生ワサビを自分でするスタイルのようでしたが、今日は、違いましたね。
お塩をかけていただきました。 -
お昼を食べて車を移動します。中の橋の駐車場に来ました。 (13:05)
奥の院を歩きます。 -
無縁塚
今はその係累や由来の分からない人々の供養の証しが、積み上げられています。 -
玉川の行場のあたり
凍てつくような水に浸かりながら、冬でも修行されるそうです。 -
水向地蔵
「玉川」を背にして、ここに並ぶ「地蔵菩薩」や「不動明王」「観音菩薩」等を総称して「水向地
蔵」と呼び、奥の院に参詣する人々は、御供所で経木(水向塔婆)を求めて、「水向地蔵」に
納め、水を手向けて先祖の冥福を祈るという。
御廟橋からは、撮影など一切禁止です。目に焼き付けてきました。 -
織田信長の墓所 (13:40)
隣は、筒井順慶!なるほど。
メインの通りから少し入ります。 -
五輪塔
方形の地輪、円形の水輪、三角の火輪、半月型の風輪、団形の空輪からなり、地水火風空の五大を表すものです。 -
豊臣家の墓所
母のなか、弟の大和大納言秀長夫妻、秀次の母である姉のとも、長男の鶴松、それに淀君の逆修碑(生前に用意されたもの)と推定されるものの六基です。
柵が設けられて広い敷地にあります。 -
備前島原 松平家
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結城秀康
父は徳川家康です。不幸な星のもとに育ったともいえる、戦国の時代を駆け抜けた武将。
家康の次男として生まれたのですが、生母は家康の正室・築山殿の奥女中、於万の方!
「秀康は双子で誕生した」との説もあるそうです。家康に嫌われ、3歳まで父子の対面を果たせなかった。それをとりなしたのが、松平信康(家康の長男)です。その兄信康は、内通疑惑から切腹となった。本来なら次男である秀康が徳川の後継者となるはずだったのだが、家康と羽柴秀吉が和解するときの条件として、秀康は秀吉のもとへ養子(実際は人質)として差し出されることとなった。養父・秀吉と実父・家康の名を取り、「羽柴秀康」と名乗ることとなる。家康は、三男秀忠を将軍に決め、秀吉も甥の秀次を後継者としたため、秀康は、鎌倉時代から続く、没落した名家・結城氏を継ぐことになった。
武将としての才能が高く評価され、秀忠よりも優れていたようです。 -
法然上人
浄土宗の開祖である法然上人圓光大師です。法然は比叡山で天台宗を学んだ後、浄土宗の開祖と仰がれました。 -
天樹院千姫供養塔 「千姫」
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崇源夫人五輪石塔 「お江」
高野山の石碑の中で最も高く、大きく「一番石」と呼ばれている。 -
播磨姫路、本多家墓所
徳川二代将軍・秀忠とお江の娘、「千姫(天樹院)」の供養塔が、「崇源夫人(お江)」の供養塔と、千姫が嫁いだ播磨姫路の、本多家墓所の間に挟まれるように建っていました。 -
高野杉
参道には、見事な杉などの巨木があります。2股や3股に分かれたものがたくさんありました。低地だと「夫婦杉」などといわれ、御神木として祭られるのでしょうが、この地ではたくさんあって特別なことにはなっていません。 -
パナソニック墓所
企業の墓所もたくさんあります。 -
汗かき地蔵
この汗かき地蔵は世の中の人々の苦しみを身代わりになり、一身に受けているので、いつも汗をかいていると伝えられています。また、高野七不思議のひとつ -
姿見の井戸
この井戸を覗きこんで自分の顔が映らなければ三年以内に死んでしまうと言われているのだとか。さらに、昔の人はこの水で目を洗えばどんな眼病も治ったと言われています。 -
明智光秀墓所
「信長の呪い」ともいわれている。
五輪塔の水の部分が見事に割れています。他にこのような割れ方をした五輪塔が見当たらないので、いっそうそんな風に感じてしまいます。 -
石田光成墓所
戦国時代には考えられない関係の武将達が、仲良く隣人関係にあったりして、興味深く考えさせられました。 -
薩摩島津家 島津家
中央が島津家久、左が島津光久(家久次男)、向かって右側が島津綱久(光久長男)の墓です。
奥の院の石塔群の中で4番目に大きいので、「島津家四番墓」と呼ばれています。 -
伊達政宗墓所
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上杉謙信霊屋(うえすぎけんしんたまや)
上杉謙信・景勝の廟墓(びょうぼ) 謙信の奈は、1574年、45歳で上洛した時に高野山にも訪れ、その折に贈られた法名であるといわれています。 -
一の橋から来れば、武田信玄・勝頼墓所をすぎて、反対側の斜面を上がった所にあります。
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大師の腰かけ石
弘法大師空海が、ちょっと休憩にと、腰を掛けた石であるという言い伝えが残されています。 -
武田信玄・勝頼墓所
こちらは、参道沿いにあります。上杉謙信・景勝の廟墓に比べるとシンプルな墓所です。上杉さんところが変わりすぎですが・・・ -
大岡越前守供養塔
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阿波徳島蜂須賀家墓所
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初代市川団十郎墓所
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長い年月を経て祠ができたのでしょうね。宿られているような雰囲気があります。
このような木々もたくさんありました。 -
参道の様子です。
バスなら一の橋で降りて、奥の院へ向かって歩き、中の橋から帰るような順路になると思います。中の橋に駐車したので、一の橋まで往復したことになります。少々ヘロヘロです。 -
徳川家霊台にやってきました。
徳川家霊台とは、徳川家康と秀忠をまつる東照宮をいいます。 -
三つ葉葵の紋入りです。
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かなり色が退色していますが、当時はかなり豪華な感じだったと思われます。
内部は、見れませんが写真で拝見すると、金箔をふんだんに使ったような眩しいくらいの内部でした。 -
1643年(寛永20年)に徳川3代将軍・家光によって建てられた霊舎で、向かって右側が初代将軍・家康、左側に二代将軍・秀忠が祀られています。
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日光東照宮の面影が見える、細工のすばらしさ!
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こちらは、秀忠、奥に見えるのが、家康です。
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木彫りの細工
失敗したら打ち首?そんなことを考えたら、それだけで手が震えます。 -
金具にも三つ葉葵
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金輪塔
四面が二間半で、本尊は金輪仏頂尊とのことです。
明算検校と言う人が創建しており、現在の塔は天保5年(1834)に再建されたものだそうです。 -
胡麻豆腐 濱田屋
白いでしょ。高野山のものは、ほとんどが白い!ゴマの皮をむいているからだそうです。 -
真言密教の聖地で、山々すべてが修行の場!寺院数は、117か寺に及び、その約半数が一般に人が泊まれる宿坊も兼ねています。聖地、高野山!
鳥居のあるお墓、明治政府の神仏分離令が及ばなかった時代からの聖地。
宗派を超えた修行の地!
そして戦国の武将たちの夢の跡、みんな仲良く敵味方の区別なく酒でも酌み交わしているのでしょうか?
世界遺産、やはりとても重い歴史の流れを感じられる場所でした。
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この旅行記へのコメント (10)
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- asuwaさん 2015/04/01 10:07:07
- 五月に高野山に行きます。
- 今日は hiro3さん
五月に、初めて高野山へ行きます。
橋本市に1泊して朝8時頃ホテルを出てR371号
で高野山に入りお参りと見学をして宿坊に泊まり、翌日
周りきれなかった処を見て何処かで3泊目をして、家
には6時頃までには戻る予定をしています。
(3泊目以降は予定がたっていませんので調べて
います。)
詳しく書かれている旅行記を参考にさせて頂きます。
asuwa
- hiro3さん からの返信 2015/04/01 18:53:05
- ありがとうございます。
- asuwaさん、こんばんは。
ご訪問、書き込みありがとうございます。
自分は、高野山に日帰りで、サラッと見てまわりましたので、見逃したところもたくさんあったと思います。あまりにも広大です。宿坊に泊まられると早朝や夜など、観光客のいない景色も新鮮でしょうね。
R371号ですか!酷道371号と呼ばれていますね。
高野山へのアクセスは、R371号<R370号<R480号と道幅が広くなっていきますね。自分は、R370号から向かいましたが、少しハードでしたね。ストレスないのは遠回りですが、観光バスも走れるR480号ですね。あまり時間が違わないのにも驚きです。R371号は、離合困難なほぼ1車線道路の名ばかりの国道です。後半かなり神経を使うと思います。
高野山道路(バイパス)も開通したようで、山上の混雑も緩和されるのでしょうか?
世界遺産を楽しんできてくださいね。
hiro3
- asuwaさん からの返信 2015/04/02 13:13:54
- RE: ありがとうございます。
- hiro3さん 今日は
高野山迄の道路状況等を教えて下さいまして有難うございます。
> 自分は、高野山に日帰りで、サラッと見てまわりましたので、見逃したところもたくさんあったと思います。あまりにも広大です。宿坊に泊まられると早朝や夜など、観光客のいない景色も新鮮でしょうね。
サンデー毎日ですから今回は3泊する予定で行きますが、1泊目は
橋本市、2泊目は宿坊を予約していますが3泊目は今のところ何処で
宿泊するか検討している処でhiro3さんの旅行記は参考になりました。
> R371号ですか!酷道371号と呼ばれていますね。
> 高野山へのアクセスは、R371号<R370号<R480号と道幅が広くなっていきますね。自分は、R370号から向かいましたが、少しハードでしたね。ストレスないのは遠回りですが、観光バスも走れるR480号ですね。あまり時間が違わないのにも驚きです。R371号は、離合困難なほぼ1車線道路の名ばかりの国道です。後半かなり神経を使うと思います。
橋本市から高野山まで道路地図を見るとR371号が都合が良いと
思いましたがお勧めのR480号を走ります。山道で道路幅が狭い所
を走るのは神経を使って疲れますので教えて頂き感謝します。
> 高野山道路(バイパス)も開通したようで、山上の混雑も緩和されるのでしょうか?
最近完成して通行できると書いて有りました。
> 世界遺産を楽しんできてくださいね。
大変お世話になり有難うございました。
今後とも宜しくお願いします。 asuwa
- hiro3さん からの返信 2015/04/02 19:16:16
- そろそろ決めなくては?
- asuwaさん、こんばんは。
自分は愛読書をサンデ−毎日にするにはもう少し掛かりますので、もう少しお待ちくださいね(笑)
少々脅かしすぎたかもしれませんが、R370は後半に急勾配があり、パワーのある車だと問題なくいけると思います。軽自動車は少し可哀想な感じでしたね。橋本からだと京奈和道が無料で利用できるので、R370号もR480号かなり便利にアクセスできると思います。グーグルのストリートビューで確認できると思いますが、後半のクネクネとしたあたりが曲者です。
最終日は迷うところですね!帰宅を考えれば北上して、京都などの青モミジもイイ季節だと思います。
旅行のプランを考える時間も楽しいですね。
hiro3
- asuwaさん からの返信 2015/04/03 10:18:52
- RE:ホテルを 決めました。
- hiro3さん 今日は。
> 自分は愛読書をサンデ−毎日にするにはもう少し掛かりますので、もう少しお待ちくださいね(笑)
長くは待っていられません。誰も分からない事ですが次の世界が待ってい
ます。
> 少々脅かしすぎたかもしれませんが、R370は後半に急勾配があり、パワーのある車だと問題なくいけると思います。軽自動車は少し可哀想な感じでしたね。橋本からだと京奈和道が無料で利用できるので、R370号もR480号かなり便利にアクセスできると思います。グーグルのストリートビューで確認できると思いますが、後半のクネクネとしたあたりが曲者です。
普通車(2,500CC)ですからR370号については考えてみます。
この車は北は北海道から南は鹿児島まで、あちら此方と走っています。
> 最終日は迷うところですね!帰宅を考えれば北上して、京都などの青モミジもイイ季節だと思います。
今日、信貴生駒スカイラインに有るホテルに予約を入れました。
> 旅行のプランを考える時間も楽しいですね。
行程、訪問先とホテルの予約等を創る時も、旅行している時も
楽しいです。 旅行中は掃除、食事の用意等、無しにいる事を
家内は喜んでいます。
asuwa
- asuwaさん からの返信 2015/05/29 08:44:43
- 高野山へ行って昨日帰って来ました。
- hiro3 さん おはようございます。
> 自分は、高野山に日帰りで、サラッと見てまわりましたので、見逃したところもたくさんあったと思います。あまりにも広大です。宿坊に泊まられると早朝や夜など、観光客のいない景色も新鮮でしょうね。
> R371号ですか!酷道371号と呼ばれていますね。
> 高野山へのアクセスは、R371号<R370号<R480号と道幅が広くなっていきますね。自分は、R370号から向かいましたが、少しハードでしたね。ストレスないのは遠回りですが、観光バスも走れるR480号ですね。あまり時間が違わないのにも驚きです。R371号は、離合困難なほぼ1車線道路の名ばかりの国道です。後半かなり神経を使うと思います。
> 高野山道路(バイパス)も開通したようで、山上の混雑も緩和されるのでしょうか?
> 世界遺産を楽しんできてくださいね。
25日に車で家を出て27日に帰って来ました。
橋本市には初日に宿泊して翌日朝8時過ぎにホテルを
出発してR370号で高野山に向いました。
朝早いので車の往来は少なく山道そうして狭い道路で
したがスムーズに走れました。
26日は宿坊に泊まり、27日の11時頃まで高野山に
いて、今度はR480号を通行して信貴山のホテルに宿泊、
翌日、信貴・生駒スカイラインを通行して昨日帰って来ま
した。
情報を教えて下さいまして有難うございました。
asuwa
- hiro3さん からの返信 2015/05/29 12:56:42
- おかえりなさい。
- asuwaさん、こんにちは。
ロングドライブお疲れ様でした。
暑かったのじゃないですか?平地に比べると過ごしやすいと思いますが・・・
少しはお役にたてましたでしょうか?旅行記を楽しみにしています。
これからもよろしくお願いします。
hiro3
- asuwaさん からの返信 2015/05/29 15:08:35
- RE: 帰って来ました。
- hiro3さん、こんにちは。
ありがとうございます。
> ロングドライブお疲れ様でした。
>
> 暑かったのじゃないですか?平地に比べると過ごしやすいと思いますが・・・
総走行距離は644kmになりましたが1日にするとそれ程で
もないですが高速道路は疲れます。
高野山の日中は少し暑いくらいでしたが、翌日の朝は寒いので
朝食を食べる部屋にはフアンヒーターが稼働していましたが
それでも寒かったです。
寒いと思って半袖の用意はせずに、長袖を持参したので久々
の法隆寺の拝観(27日、2時過ぎ)の時は大変暑かったです。
28日の信貴山本堂毘沙門天王、宝山寺その他、の時も大変
暑かったです。
> 少しはお役にたてましたでしょうか?旅行記を楽しみにしています。
>
> これからもよろしくお願いします。
大変参考に成り有難うございました。
先日、行った富山、石川の旅行記に、もう少し掛かるので、毎度
上手く書けませんが待っててください。
asuwa
-
- 南国ぱいんさん 2014/06/06 11:00:34
- 去年行きました…
- 去年6月に高野山行きました!
残念ながら雨でかなり足元が悪かったので
hiro3さんみたいに散策できてなくて
後悔が残ってます…(;_;)
レポ見てまた行きたくなっちゃいましたよ!
建物も素晴らしいですが
奥の院もヨカヨカですよネ。
お互いに戦った武将の供養塔が
ほんの向かいあってたりして。
みな、あの世では一緒にお酒でも
飲んでいるのかな?
レポ、アザッス!
m(_ _)m
- hiro3さん からの返信 2014/06/06 16:05:50
- RE: 去年行きました…
- 南国ぱいんさん、こんにちは〜。
高野山の雰囲気、修行の場として身が引き締まるような空気感がイイですね。
そうだ!比叡山に修行(研修?)に行かれていたのでしたね。
比叡山もすばらしいですね。何度も足を運んでいます。
奥の院、ほぼ往復でしたので、ヒィヒィしてしまいましたが、パインさんもぜひ再訪してくださいね。
hiro3
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