2014/04/30 - 2014/05/01
43位(同エリア493件中)
のまどさん
フランス第二の都市リヨン。パリで悩まされる喧騒とは無縁で穏やかな町でした。車で二時間ほどのディジョンとも全く雰囲気が異なり、レベルの高いグルメな町でした。
周辺にはル・コルビジュエの建築があり、ローヌ川沿いのワイン街道には素敵な村が点在しています。90キロ離れたシュヴァルの理想宮もなかなか見ものです。
できることならば3泊したかったです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 5.0
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
フランス旅行はこのステーキチェーン店、バッファローグリルで幕が開けます。
これがないと始まらないフランス旅行。以前、旅の始まりに他の店に行ったことがありますが、結果として満足度の低い旅になりました。株を買おうかと思ったこともあります。
(↑誇張あり)
ルクセンブルクとの国境に近いティヨンヴィル店、焼き加減が見事でした。ワインは伝票に安く付けられていて、頼んでもないのに出てきたサラダは載っていなかったのでチップを多めに払ってトンズラしました。 -
リヨン到着前に寄ったル・コルビュジエ作ラ・トゥーレット修道院。なんちゃって鉄道ファン並びにいいかげん建築ファンを長年やっておりますが、不覚にもル・コルビュジエがスイス生まれであることは最近まで知りませんでした。
モダニズムの代表作品、コンクリートの革命。床下の細い柱はピロティと呼ばれ、彼の説いた近代建築の五原則の一つです。 -
1960年に竣工した修道院の宗派ドミニコ会はル・コルビュジエ自身が信仰していたようです。
ウィキピディアによると波形のガラスが使われていたり、蚊よけのネットを張った換気口があったりと興味深いです。 -
修道院という神聖な場所にワインの箱。こういうの好きです。
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受付があるのに見学は不可のもよう。鍵が掛かっていないドアを開けるとチャペルの中に人がいたので写真を撮っていると・・・追い出された;
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リヨンに到着。
フランス第二の都市ですが、パリに比べて随分穏やかです。もっとも人口は10分の1にも満たない規模ですが。
二本の川の交点に町があるので真ん中が中州のように見える、非常に面白い地形です。 -
西側にある旧市街。リヨンの建物はローズ・ピンクです。キイチゴのお菓子みたい♪と、たまにはガラにないことを言っておきましょう。
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旧市街のフールヴィエールの丘はシーザーの家臣が最初に植民地を築いた地。リヨンという地名はケルト民族の一派ゴールの言葉に由来します。
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中州のように見える中心部にあるラ・クロワ・ルスを上ってみました。ローマ劇場を臨む展望台からの景色。
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先ほど紹介した旧市街方面。丘の上のノートルダム聖堂はパリのサクレクール寺院を思い出させます。
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ベルクール広場。その中心にあるのは
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太陽王ルイ14世の銅像。その名の通り、フランスブルボン王朝最盛期の王で、絶対王政の下ヴェルサイユ宮殿の建築やバレエなどの芸術向上に力を入れました。
ブルボン王朝の3代を三言で表すと以下の通りです。(主観です)
ルイ14世:カツラ、不健康、暴君
ルイ15世:美貌、好色、負け戦
ルイ16世:錠前造り、引っ込み思案、ギロチンベルクール広場 広場・公園
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ルイ16世の妃は有名なマリー・アントワネット。ブルボン家歴代の財政悪化に加えて王妃の浪費が国民の反感を招き、1789年7月14日に市民と下層貴族がテニスコートに集い平民議会の復活に向けて誓いを立てたことに始まるのがフランス革命。
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ジャコバン広場。
中心を担ったジャコバンクラブは様々な身分や思想を持つ者が会員となっていたため、平民議会が復活し目的が達成されるようになると、異なる利害関係を持つグループに分かれていった。 -
テロー広場もしくは恐怖広場(写真はバルトルディの噴水)。派閥争いに勝った急進派、山岳派が政権を握るようになる頃には恐怖政治と呼ばれた。
リヨン周辺のローヌ地方を基盤としていた穏健王党派ジロンド派は派閥争いに敗れたことによって失政し、この広場で2000人が断頭台にかけられて命を断たれた。
断頭台ギロチンはギロチン博士なる人物が発明したと遥か昔に学校で習ったが、調べると断頭台の使い方のルールを定めた人のようだ。人の言ったことは迂闊に信じてはならないものだ。テロー広場 広場・公園
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その後山岳派もクーデタによって失脚し、フランスは混沌とした時代を迎える。王侯貴族は次々と襲撃されたり処刑され、政府はころころ代わり、国政がぼろぼろなのに他国に戦争を仕掛け、この時代に外務省の海外安全情報があったら間違えなく退避勧告が出ていたことでしょう。(←もーそー)
(写真は市庁舎) -
自由、平等、友愛という響きは美しいスローガンの下に断行されたフランス革命。
サッカーの試合などで耳にするフランス国歌マルセイエーズは革命中に一人の士官が作曲したもの。ブランドのデザインにも多用される国旗トリコロールは革命の結果成立した国民議会で制定されたもの。
国家成立の裏には、必ずと言っていいほど正義と信念を胸に命を断たれた犠牲者がいる。
(写真はトロワの市庁舎) -
テロ―広場に面する南側の建物はリヨン美術館。
革命中に破壊された修道院を改築したらしい。入ってみましょう。 -
まずはダブルピース
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痛そ〜
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誰か殺虫剤持って来て!
ふざけるのはこのくらいにして真面目に鑑賞すると -
最近その存在を知ったスペインのズルバラン。17世紀のバロック画派。宗教画を多く手掛けていましたが、夢に出てきそうななかなか怖いタッチです。
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ロダン作『接吻』。パリに行くことがあればロダンと愛人カミーユのクローズアップ旅行記も是非書いてみたいです。
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ピサロ作『ポンヌフ橋』
パリの名所です。あんまり関係ありませんが、隣のポンデザール橋は縁結びスポットとして有名で、カップルが錠前を欄干に付けて帰っていくのですが、昨今その重みに耐え切れず欄干が落下したというニュースがありました。 -
この人にも非常に関心があります。パリに移住した日本人画家、レオナール・フジタもしくは藤田嗣治。ランスの礼拝堂、近いうちに見に行きますね。
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美術鑑賞はエネルギーを使うので、ここからはグルメ紹介です。
巨大ブリオッシュはリヨンの名物なのでしょう。 -
食前にイングリッシュパブ、キングアーサー。本場の雰囲気を再現していて、有名な逸話にちなんで丸テーブルなんて憎い演出。ビールの売り文句もツボを押さえています。
http://www.kingarthur.fr/ -
リヨンの郷土料理を出すレストランはブション(bouchon)と呼ばれます。肉料理、内臓系とこってりしたものが多いですが、リヨネーズ・サラダはお勧めです。もっとも、ベーコンとポーチド・エッグが主な材料なのでコストは掛かってないと思います。(←職業病)
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コース料理を食べたのはル・サマータイム。オーナーはジャズ好きだな、きっと。
Le Summertime
2 Rue Verdi, 69001 Lyon, France
http://www.tripadvisor.com/Restaurant_Review-g187265-d1331558-Reviews-Le_Summertime-Lyon_Rhone_Rhone_Alpes.html
トリップアドバイザーの評価は低いですが、隠れ家的な感じで良かったですよ。料理もおいしかった。 -
さて、今度はリヨンの南、ワイン街道コト・デュ・ローヌ(Côtes du Rhône)を少しだけ走ります。ローヌワインはやや甘口というのが今回の感想。とりあえずエルミタージュ、サン・ジョセフ、シャトーヌフ・デュ・パプの3銘柄は覚えました。
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寄ったのは同行者が関心を示したヴィエンヌ。元々西ヨーロッパの広域に暮らしていたケルト民族のうちフランスに暮らしていた一派はゴール族と呼ばれ、シーザーによる制圧後、ローマ帝国の配下でゴール・ローマ文化を築いていった。(以下、ウィキピディアより)
どういう訳か今日のオーストリアの首都ウィーンにちなんで名付けられたこの町は(フランス語でウィーンは発音と綴りが同じ)ローマ帝国7地方州の州都だったようです。非常に興味深い地図。サン モーリス大聖堂 寺院・教会
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聖モーリス聖堂。500年の歳月をかけて完成したのは1533年。それから間もなく宗教戦争の際にプロテスタント派によって装飾の一部が破壊されたようです。
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教会の回廊。どこも同じですが。
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ここのステンドグラスはモザイクのようで変わっていました。
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最初は何の目的で建てられたのかは知りませんが、紀元前20世紀に建設が始まった神殿。ローマ皇帝アウグストゥスとその妻リヴィアの名前を冠しています。キリスト教国教化以降は教会として使われたようです。
オーギュスト エ ド リヴィー神殿 城・宮殿
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劇場。遺跡だと思いますが、丘を上った所にもっと見ごたえがあるローマ劇場があります。今も現役のようです。(我々はパスしましたが)
http://www.athenapub.com/vienthe1.htm古代劇場 建造物
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リヨンから90キロほど南下したところにある「郵便配達員シュヴァルの理想宮」。遠いので躊躇ったが、やはり誰かの創造物はなるべく見ておこうと決意。思いを形にして後世に残すことができるのは人間のみだから。
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シュヴァル。配達中につまづいた小石に興味を覚えて、それから1個ずつ小石を拾うようになり、理想宮を築くことを決意したのは43歳の時。以来33年掛けて文字通り自分の手一つで完成させた。
(以下、出所は苦手言語のウィキピディアより) -
実家の親族に見せると「気持ち悪い」と。確かに写真にすると異様ですが、
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建築の知識がない、小学校卒のずぶの素人がリアカーとシャベルだけで、人が中に入れる空間のある宮殿を作ったなんて涙ぐましいじゃありませんか。
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巨人とか聖書の物語、
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動物がいる自然界など彼の世界観が存分に表現されています。どこを見てもディテールに凝っています。
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モスクやヒンズー寺院などを模している部分もあり、別の旅行記で印象派やアール・ヌーヴォーを紹介したとおり、19世紀後半フランス人が異文化に高い関心や憧れを持っていたことがここでも分かります。
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木立の間から離れて見るとアンコールの寺院のようにも見えます。
親しみやすいテーマなので家族連れがいっぱい。未来を担う子供たちよ、お願いだから触らないでくれ。そして保護者よ、文化遺産なんだ、注意してくれ。 -
理想宮を作っている間は周囲から奇異の目で見られたでしょう。それでも気の遠くなるような長い年月、初志貫徹させたシュヴァルの情熱に天晴れです。完成作品は世紀の大天才ピカソらプロの芸術から高い評価を受けました。
(写真は広場の胸像) -
理想宮から徒歩10分ほどのところに一族の墓があります。シュヴァルは死後理想宮に埋葬されたいと願っていたが、政府から却下されたため、80歳の時に一族の墓を建てました。
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88歳という大往生を遂げたシュヴァル。
今は愛する家族とともに天国で幸せに暮らしているだろう。
ありがとう。合掌。
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