2014/05/18 - 2014/05/18
178位(同エリア472件中)
滝山氏照さん
JR横浜線矢部駅北口から徒歩で約20分、この地域の鎮守社で鎌倉時代末期に創建されたと伝えられる山王日枝神社(さんのう・ひえじんじゃ、神奈川県相模原市中央区上矢部)があります。
説明板によれば日枝神社の創設は鎌倉時代第9代執権北条貞時(ほうじょう・さだとき、1272~1311)の頃の徳治2年(1307)です。
貞時は祖父の北条時頼(ほうじょう・ときより、1227~1263)と同様に僧となって各地を遊歴するなか、当地に来て現地官吏の善悪賞罰を正します。その折境川の瀧池に棲んで人を襲っていた大蛇を退治する際山王大権現を祀り、地頭の淵辺義博(ふちのべ・よしひろ、生誕不詳~1335)に命じて大蛇を殺させます。
また後年、天文11年(1542)には小田原北条の3代当主氏康(うじやす、1515~1571)が武蔵国各戦地に赴く際戦勝を祈願する神社としていました。
以降日枝神社は度々修復されており、現在の社殿は昭和42年(1967)に再建されています。
境内に建てられた説明板には次のように記述されています。
『 日 枝 神 社
大 山 昨 命
飯 綱 大 神
大 鳥 連 祖 神
山王日枝神社は第94代後二条天皇徳治2年(西暦1307年今より693年前)大将軍久明親王執権北条貞時僧となり淵野辺に遊歴して官吏の善悪賞罰を正す。
その時各所より溝流れ入り池となり大蛇あらわれ人民を食せし故貞時溝内の高山に山王大権現を祈願し、淵野辺伊賀守義博に命じて大蛇をうち殺す。
住民大いに喜こび山王大権現を淵大永有主神として祈願天文11年8月27日北条氏康関東平定のため大友義家山王大権現を祈願所とする。
その悪病流行の時伊賀権現大酉明神のおつげにより知行岡野孫一郎の命を受け氏子一同8月27日及び11月の酉の日に五穀豊穣氏子安全福作永年を祈る。 』
- 旅行の満足度
- 3.0
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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日枝神社
JR淵野辺駅から北進約15分、左手に住宅に挟まれた窮屈な鳥居と参道が現れます。 -
日枝神社・境内
広々とした境内の中央部は拝殿に向かう石段が見えます。 -
日枝神社・神楽殿
境内右側には神楽殿と思われる建物が見えます。 -
日枝神社・境内
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日枝神社・説明板
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イチオシ
日枝神社・拝殿
御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)/飯綱大神(いいづなのおおかみ)/大鳥連祖神(おおとりむらじのおやがみ)の三神となっています。 -
日枝神社・社号額
「日枝神社」の社号額が設置されています。別名「山王大権現」ともいわれ、現地では三王様の名で親しまれています。 -
日枝神社・境内
拝殿から登ってきた参道を見渡します。 -
日枝神社・境内
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日枝神社・境内
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日枝神社・本殿
本殿は拝殿と共に改修されたようで真新しい雰囲気が漂っています。 -
日枝神社・社殿改修浄財奉納者一覧
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日枝神社・境内
狛犬・石燈籠も改修されたようです。 -
吉祥國霊神
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日枝神社・境内
高台にある拝殿から境川方向を一望します。 -
日枝神社・境内
境内石段から広場方向を見下ろします。 -
天野兼三郎功頌徳碑
明治初期において郷土発展に尽くした人物で、明治22年に初の大野村村会議員、同26年から大野村村長として教育や殖産の発展に尽くし併せて横浜鉄道(現在のJR横浜線)淵野辺駅設立に尽力したとされます。
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