2014/04/30 - 2014/04/30
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picotabiさん
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奈良方面への旅。メインは三輪山登拝。
◆1日目4/28: 綺麗になった平等院へ
◆2日目4/29: 三輪山登拝
◆3日目4/30: 平城京跡地観光
この記事は3日目の行程です。
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GWの旅最終日。
ホテルをチェックアウトし、荷物を夕方まで預けます。 -
この日はかつての都 平城宮跡に行ってみます。
奈良市内は寺院の多い東側のエリアの方が人気ですが
平城宮跡は駅より西側。やはりこちら側は人が少ない。
朝から閑散としていました。 -
1乗車100円のぐるっとバスで平城宮跡へ。
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ぐるっとバス貸し切り状態 笑。
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バスの中から。この辺は田んぼなのですね。
遠くに大極殿が見えます。 -
大極殿では降りずに
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朱雀門から見て行くことに。広い駐車場があるけど、車はほとんどいません。
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校外学習をしているのか学生の団体さんが多かったです。
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それにしても…この都の跡地に線路が横切ってるなんて面白いわー
当時の方達もこんなのがここに走るなんて思いもよらないでしょうね。
電車が止まるとおもしろいのに。 -
朱雀門にきました。
朱雀門 名所・史跡
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朱雀門からみる大極殿。
あまり調べずにきましたが、遷都祭のために復原された大極殿とこの朱雀門の間は野っ原が広がってるんですね。しかも大極殿までは距離がありそう。朱雀門 名所・史跡
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せっかく来たし、ありがたいことにボランティアのガイドさんがいらっしゃいましたのでお話を聞きました。
日本で最初に作られた貨幣 和同開珎の頃だから和銅3年 西暦710年に、藤原京からこの平城京に都が移されました。モデルは長安の城。1/8のサイズだそうです。
この朱雀門から大極殿までが平城宮で、ここからまっすぐ南に伸びるメインストリートを中心に、碁盤の目のように道が上下左右に並んでいたとのこと。710年に遷都されてから長岡に都が移るまでの75年間、平城宮は作り変えられ続け、その間も2回都を移しましたが、建物はその度に移築してるそう。すごいな。。
私はこの復原が、発掘された柱の位置で大体の大きさはわかるとしても、屋根の大きさや形までどうしてこの姿にできたのか不思議でそれを質問すると、屋根の大きさは雨だれの後から予測でき、あとは当時主立った建築様式からこのような形になったということでした。また、まだ発掘調査は続くしこの復原したものの下から何がでてくるのかは未だ未知なので、建物は軽くできてるそうで、しかし耐震はしっかりしてるとのことでした。
ボランティアさんですが、今回この朱雀門と大極殿の方にお話を聞きましたが、やはり歴史好きの方たちなので泉のようにお話が次から次へと湧いてきます。
私も自分の知ってることを再確認できありがたかったですが、女性のボランティアさんだと世間話のようになったり脱線したりするので、時間のない方は注意が必要かも。朱雀門 名所・史跡
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ボランティアさんからスタンプラリーやってるから是非回ってみてくださいと、ラリーのできる散策マップをいただきました。
しかし広そうだし…どこから回るのがおすすめですかと聞くと、庭園は当時の想像ができておもしろいですよ〜とおっしゃるのでまずはそこを目指すことに。
この日は学校の野外授業を多くみました。 -
サツキが綺麗な季節。
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広い…。
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とても広い。。。
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未だ続く発掘調査の跡。
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なのに普通に車が通行してるし、電車が通る。
そしてたまに見る「花火禁止」の看板。あまりにも広いしどこからでも入れるので、そういうことされるだろうなと思いました。 -
見晴らしのよい第二大極殿の跡で学生さんたちの野外授業。もうお昼の時間だったので、これからここでお弁当を広げて食べる模様。
第二大極殿は奈良時代後半の平城京に遷都してから長岡京に遷都するまで機能していたようです。
これら敷地内の跡地は市民の方の憩いの場所になってるのですねぇ。
トランペットを演奏してる方がいたり、ジョギングしてる方がいたり犬の散歩してる方がいたり。なので「糞は持ち帰りましょう」の看板も。 -
ようやく東院庭園。ああ自転車が欲しい…
東院庭園 公園・植物園
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東院庭園の年表。宴や叙位を行ったことが書いてあります。
楊梅宮で吉兆を現す双頭蓮が咲いたことも書かれてますが、「楊梅宮の南の池で」というのはここの庭園の池のことを言ってるのだそう。
平城宮跡資料館HPより---
平城宮は他の日本古代都城の宮殿地区には例のない東の張出し部を持ちます。この張出し部の南半は、奈良時代をつうじて「東宮」とよばれたようですが、孝謙・称徳天皇の時代にはとくに「東院」とよばれていました。
称徳天皇はこの地に「東院玉殿」を建て、宴会や儀式を催しました。最近の研究では、光仁天皇の「楊梅宮」はもとより、聖武天皇の「南苑(南樹苑)」もこの場所を中心として営まれていたとする説があります。いずれも発掘された「東院庭園」と深く関わる施設でしょう。東院庭園 公園・植物園
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朱雀門にいたボランティアさんに聞きましたが、植栽も復原だそう。種や葉の遺体から当時植えられていた植物を予測できたとのことです。
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池は曲線が多く浅い。
平城宮跡資料館HPより---
東院庭園の池は前期と後期の2時期に分けることが出来ます。前期の池は汀沿いの池底に大きな玉石を帯状に敷きつめていましたが、後期の池では池底から岸にかけて前面に小礫を敷き詰めた浅い池となっていました。池の形も前期の単純な逆L字形から、後期にはいくつもの入り江や出島をもつものに作り直されており、池の北岸には築山石組が新たにつくられました。奈良時代中頃の池のつくり替えにともない、建物も何度か建て替えられました。東院庭園 公園・植物園
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日本庭園といえば池と橋。いいですね。
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ここに私一人。
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向こうの隅楼に立つ鳳凰の奥にボーリングのピン。笑
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さて頑張って大極殿まで歩きます。
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黄色く咲く花が綺麗。(たんぽぽではない。なんだろう)
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時折通過する電車。
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それにしたって広い。歩きながらベルサイユ宮殿に似たものを感じました。でもあっちのほうはここより比較にならないほど広いのですが、カートやプチトラン、セグウェイまで貸し出ししてたっけ。ここはそれほど観光客も多くないから、有料でいいから貸し出し自転車ぐらいあるとよいのに。
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大極殿近づく。
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屋根の端に鴟尾。東大寺の屋根にもあります。
私にはエジプトの壁画によく見る古代の人の横顔に見えるんですけどね。でもあれは魚の尾っぽを模してるそうです。 -
先ほどの復原の話になりますが、当時は高さのある建物には鴟尾が必ずつけられたのでここにも復原されたのだと思います。法隆寺の宝珠を参考にしているそう。
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あとこの鴟尾は発掘調査で出土されてない理由として、当時は溶かして再利用されていたからということだそう。
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欄干に華美な装飾の擬宝珠(ぎぼし)。色は写真で見ると5色はあるっぽい。
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小学生の校外学習風景。
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「大極(太極)とは宇宙の根源のことで、古代中国の天文思想では北極星を意味します。大極殿は和銅8年(715)には完成していたと考えられます。」
へぇーー -
パネルで当時の様子や建物の説明が展示されてます。
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実際に屋根に施されてる鴟尾と同じ大きさのレプリカ。
鴟尾---
古代の宮殿や寺院の大棟の両端に据える,沓形の飾り瓦。魚の尾をかたどったものといわれ,防火のまじないとした。後世の鬼瓦や鯱(しやちほこ)はこれの変形。鴟吻(しふん)。沓形。とびのお。 -
天皇の玉座 高御座。屋根に鳳凰の飾りが見られます。
京都御所に本物があるそうですが、それと比べるとシンプルな感じ。
黒い台座にくぼみが見えますがここに何かまたはめ込まれるんじゃないでしょうか。これからさらに手を加えられそう。 -
復原とはいえ華美さがないのが当時っぽい。
この玉座に元明・文武・元正・聖武天皇が座ったそう。 -
これは高御座を背にした風景。平城宮を一望できるようになってます。
あと写真が暗いですが、この手すりについている擬宝珠(ぎぼし)の丸い部分は色が鮮やかで艶もあるだけにプラスチックかと思いきや、調べると七宝焼みたいですね。失礼しました。ネギの花に似ていることから「葱台(そうだい)」とも呼ばれるそう。そういえば1週間前に買ったネギにこの形の花が咲いてたことがあったっけ。さて、この形がなぜネギの花なのか。
wikiより---
ネギのもつ独特の臭気が魔除けにもなると信じられ、その力にあやかって使われるようになったとする説であり、擬宝珠という用字は葱帽子、葱坊主に後から付けられた当て字であるとするもの。 -
ここで様々な国家儀式が行われているのを天皇はご覧になっていたことでしょう。
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屋根下の壁に、この建物には違和感のある動物の絵が描かれてます。(質問せずにはいられません)
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これらを描いたのは上村松園という女流画家の孫の上村淳之さん。中国の四神(青龍、白虎、玄武、朱雀)と十二支の壁画が描かれてますが、「当時はもちろんこんなの描かれていません」とボランティアの方。
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ここでもボランティアの方に色々お話を聞く。東側の春日大社の方を見ながら歴史の話から世間話へ。やはり女性のボランティアの方は話が長い。切り返すタイミングがなかなか難しい!
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長話を終息に向かわせ、ボランティアの方にお礼を言って一人見物に戻ります。
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平城宮跡、史料館までは行く気力が残ってません。これにて退散。
しかし見てよかった。この場所が長くこの地に残ることができ、復原という形で蘇させられることができたのは素晴らしいことです。 -
ぐるっとバスで奈良駅に戻ります。日中も閑散としている西口側。
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お昼ご飯を食べずに歩いていたので新しくなった駅ビル内にて天極堂さんに入りました。
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ビールと…
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冷やし葛うどんです。
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駅ビル ビエラ内のお持ち帰り寿司店で新幹線で食べるお寿司を購入。
こちらもおしいくいただきました。
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