2012/07/08 - 2012/07/08
50位(同エリア137件中)
トンボさん
磐田市は浜松市の隣、天竜川を越えた対岸が磐田市です。
http://www.city.iwata.shizuoka.jp/
磐田市にある旧見付学校を見学しました。
http://www.kanko-iwata.jp/history/mitsuke_gakko.html
〒438-0086
静岡県磐田市見付2452
中年カップル(二人とも独身ですから・・・)極楽トンボと、秋アカネの旅行記です。
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【アクセス】
JR磐田駅北口2番乗り場から、
遠鉄バス31 磐田市立病院・大藤・神増原行き、32 磐田市立病院・笠梅原・山梨行き乗車、「旧見付学校」下車、徒歩約1分
JR磐田駅北口1番乗り場から、
遠鉄バス80見付・磐田営業所行き乗車、「新通町」下車、徒歩約5分
JR磐田駅北口2番乗り場から、
秋葉バス 遠州森行き乗車「旧見付学校」下車、徒歩約1分 -
見付学校は遠くから見える建物ではありません。
地元の人でなければ、そこに史跡があるとは気が付かないで通り過ぎてしまう程奥まったところに建っています。
昔は他に建築物がなかったのでランドマークになっていたかもしれませんが、今は後から建築された建物に隠れてしまってわかりにくくなっています。 -
休館日
月曜日(祝日または振替休日にあたるときは開館)
国民の祝日の翌日(土・日・月曜日にあたるときは火曜日休み)
年末年始(12月29日から1月3日) -
利用時間
【火曜から日曜】午前9時から午後4時30分 -
http://www.city.iwata.shizuoka.jp/midokoro/bunkazai/bun13.php
旧見付学校は明治8年に落成・開校式をあげた、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎です。 明治16年に3階部分を増築し、5階の建物となりました。現在は教育資料館として、教育関係の資料を中心に展示しています。
当時は最上階に「伝酒井の太鼓」が置かれ、時を告げていました。伝酒井の太鼓は三方原の合戦の際、浜松城で酒井忠次が打ち鳴 らしたと伝えられる太鼓です。
旧見付学校の北側には、総社の神官であった大久保忠尚が元治元年(1864年)に創建した磐田文庫があります。磐田文庫は今の図書館のような存在で、一般にも開放されました。
旧見付学校とともに国の史跡に指定されています。 -
入館無料。
ご自由にお入り下さい、と書いてあります。 -
現存する日本最古の木造擬洋風小学校だそうです。
「洋式」という点がミソでしょうね。
映画などで良く見るタイプの和式小学校なら、ここが最古とは言えないでしょうから。 -
見付学校の説明と概略があります。
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昭和生まれの人たちが懐かしむ
木造の小学校とは、 ↓↓URL↓↓ こんな感じだろうと思います。
http://www.geocities.jp/kihatagumi/mokuzoukousya.html
しかし、磐田市にある、この見付学校の中に入れば、
洋式、和式の区別無く、共通のその懐かしさに胸が熱くなります。 -
入館料は無料ですが、訪問記録簿に記名してパンフレットなどを戴きました。
無料のうえに色々いただけます。 -
http://otakara-iwata.net/index.php?FUNC=Detail&Id=132
明治5年(1872年)の学制発布を受け、見付学校は翌年宣光寺・省光寺で仮校舎として開講された。同時に淡海国玉神社神官・大久保忠利ら町の有力者の協力によって資金調達が行われ、新校舎の建設が進められた。
明治8年(1875年)に完成した校舎は、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎で、磐田文庫とともに国の史跡に指定されている。
当時は基礎石積み(横須賀城の石垣)の上に木造擬洋風2階建ての屋上に、2層の楼を重ねた校舎であった。新築工事は、名古屋の堂宮棟梁、伊藤平右衛門の手による。
大正11年(1922年)に小学校校舎の役目を終え、准教員養成所、裁縫女学院、病院、郷土館としての使用を経て、現在は教育資料館となっている。磐田文庫 名所・史跡
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入り口はふたつに分かれています。
片方の入り口は「女生徒用」で、もう一方が「男子生徒用」の入り口です。
禅寺でも男女の入り口は違うのですが、ここは学校ですから
「男女七歳にして席を同うせず」
という儒教の教え(礼儀の根本、教育の礎)から来ていると思います。
注目すべきは男女が別々にわかれていますが、その差はありません。
どちらかが立派な入り口で、どちらかが粗末な入り口ということがない点が、近代的で、西洋式なのかもしれませんね。 -
入り口に掲げてある看板です。
さて・・・なんと書いてあるのやら・・・ -
就学する年齢である7歳をもって、男と、女は、違うのだということを教える入り口です。
当時の このジェンダー教育には、人へのいつくしみと、子供たちへの愛を感じます。
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「男女七歳にして席を同うせず」
(だんじょ ななさいにして せきを おなじう せず)
《「礼記」内則から》
7歳にもなれば、男女の別を明らかにし、みだりに交際してはならないということ。
当時の「席」とは、ムシロやゴザのことです。
【礼記】らいき
中国、前漢時代の経書。五経の一。49編。
「儀礼(ぎらい)」の注釈および政治・学術・習俗など礼制に関する、戦国時代から秦・漢時代の説を集録したもの。
今の「礼記」は戴聖(たいせい)が戴徳(たいとく)の「大戴礼」を削って編集した「小戴礼」をさす。
「大学」「中庸」はその一部。三礼(さんらい)の一。
【三礼】さんらい
儒教の経典のうち、礼に属する儀礼(ぎらい)・周礼(しゅらい)・礼記(らいき)の3書。 -
入り口から門扉をのぞむ。
柱の背に、背割りがしてあります。
西洋式の建物ですが、建築技術は日本建築の大工さんのもののようです。
建物の中に入りますと、それが一層よくわかります。
匠の技が、純和製なのです。 -
この建物の創立当時の写真が館内にあります。
周りの建物は物置小屋かという民家が並ぶなか、この洋館だけが神々しく、威風堂々と建っています。
その落成を祝う地元の人々はフロックコートの紳士達でも、気取った燕尾服の名士達でもなく、煮しめたような和服を着た原住民のような人たちが映っていました。
郷土の誇りだったのでしょう。 -
左の入り口。
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右の入り口。
現在はどちらから入っても問題ないのですが、スリッパはこちら側にありました。 -
左側の入り口から中に入るといきなり校長先生(?)が居て、ドキっとします。
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人形ですが、ホンモノなのかと間違えてビックリします。
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伝酒井の太鼓。
三方原の合戦の際、浜松城で酒井忠次が打ち鳴 らしたと伝えられる太鼓です。 -
古い傘つきの裸電球がぶらさがっています。
1880年、発明王エジソンが日本の京都男山八幡付近の竹の繊維を炭化したフィラメントが電球に適していることを突き止めた、という話しはとても有名なのですが、実はそれ以前から「電球」はありました。
電球を発明したのはエジソンではありません。
エジソンは、「簡単に切れてしまうで使い物にならなかったフィラメント」を、竹の繊維を炭化させセルロースを酸の溶液中で処理したフィラメントで長く発光するフィラメントの「開発」に成功したのです。
改良、かな。
だから、もしかすると見付学校建設当時からあったものかもしれませんね。
電球が発明されたのは1799年、寛政11年(江戸幕府将軍は第11代、徳川家斉)ですが、日本での発売は1911年だそうです。
でも、2010年3月17日にCO2排出削減に伴う国の政策を受けて、各社一斉に一般白熱電球の生産を終了したのだそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%80_(%E9%9B%BB%E7%90%83)#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.A7.E3.81.AE.E5.B1.95.E9.96.8B
近い将来、裸電球の光を見ることが出来なくなるのかな?
(もう電球が無く、電球の交換ができないのなら、この照明の光がハロゲンやクリプトン、LEDになるのかな?) -
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トイレと磐田文庫は学校の外にあります。
学校の中にはトイレのような施設はありませんでした。
電気は通っていましたが水道のような施設もありませんでした。
建設された当時の昔は電気も無かったのかもしれません。 -
磐田文庫は見付学校の裏庭にあります。
大久保忠尚が創建し、この地域の最初の私設図書館として、一般に開放される。南に隣接する旧見付学校とともに、国指定史跡。 -
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展示物の向うに人影が見えます。
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回り込んでみると、教員と生徒達のリアルな人形でした。
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当時としては、超ハイカラなお教室です。
◎ 私の通った小学校は明治7年創立の、当時がちょうど築100年目の木造校舎でしたが、こんなにモダンではありませんでした。(A) -
少年少女よ、しっかり学べ!
いいですね、この凛とした潔さ。
「よいこのみなさん、しっかりおべんきょうをしましょうね」
という語調とは随分違います。 -
先生、ちゃんと雪駄履いとるに。(遠州方言/雪駄を履いてるね)
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仲間に入れそうな雰囲気ですね。
単なるレトロさとは違う、一段ウエの品格のある懐かしい展示です。 -
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100年前のタブレット。
石墨(せきぼく)と石版(せきばん)。 -
験し書き。
この見付け学校は、よほど保存状態が危ういもの以外は触れて楽しむことが出来ます。
また、全館撮影OKが嬉しいです。 -
ボランティアのガイドさん。
楽しいお話を沢山伺いました。 -
一階には100年前の学校の様子がわかる展示が並んでいました。
50代の私達には懐かしく感じるものもありました。
実際に、私たちが40年余前に使用したものも展示されています。 -
二階にあがってみましょう。
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階段の途中で振り返ると、パーティーションで区切ってあるだけのお教室だということがわかります。
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二階から階下を眺めた図です。
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二階には学童の日常が展示されていました。
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それにしても、明治の匠達が建てた建物の、なんとシッカリした造りでしょうか。
建築物に興味のある方にもお奨めですね。 -
ぼーっとしていると、座っている人形にドキっとさせられます。
まるで、そこに本当に人が居るかのような丁寧な作りです。
雑な展示はひとつもありません。
創建当時からの高い意識(モチベーション)が受け継がれているのでしょうね。 -
随分乱暴な言葉遣いに見えますが、これは男言葉ではなく、おそらく「おかあさん」のしゃべり言葉だと思います。
100年ぐらい前の遠州方言をしゃべるおかあさんの言葉を文字にすれば、現代の感覚ではかなり乱暴な言葉遣いだったろうと思います。 -
猫が居るあたりの芸も細かいです。
ほのぼのとさせられます。 -
明治か、大正時代の学童の様子です。
昭和の初期までは洋服は着ていませんでした。
◎ 私の両親や伯父、伯母達の幼少の頃の集合写真を見ると、全員こんな服装で、軍人の祖父だけが軍服(洋服)でした。
我が家に残っている当時の写真を見ると靴をはいている軍服の兵隊さん以外は、みな草履でした。(A) -
男子は丸刈り、女子はオカッパというのは昭和20年過ぎてからの話かな?
明治の頃の女子は、後に結うための髪を伸ばし始めていたのかもしれません。 -
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二階の窓から北側の外をみます。
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向うに見える土蔵のような建物が磐田文庫です。
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三階にのぼります。
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この大らかさは素晴らしいです。
◎ これからのマスメディアは、一般の訪問者に写真を沢山撮ってもらって、それぞれのブログやSNSなどに自由に公開してもらい、インターネットで世界中に広がっていくことによって価値や真価が見直されていくのだと思います。(A)
それぞれの施設の深いお考えもあると思いますが、もったいぶって写真不可にするのは時代遅れに感じる昨今、この古い建物が100年経った今でも先進的な考えを持っているように感じます。(A) -
階段というより段々ハシゴに近くなってきました。
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二階から、三階へ。
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三階には風俗資料が展示されています。
風俗と言っても性風俗ではありません。
当時の生活と、子供の日常の、風俗です。 -
普通にレトロと表現してよさそうな日用品が展示されています。
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これはまた・・・既に現代では使用しなくなった道具類が展示されていますが、昔は日常生活を営むために必要な道具ばかりです。
これは、綿花から糸をつむぐ、つむぎ車です。 -
筵機(むしろばた)です。
とても原始的な原理で藁を織る道具です。
◎ 大正元年生まれの祖母は若い頃、嫁いだ後も、雨の日にはムシロを織ったと言っていました。(A) -
藁で作った生活用品。
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中にはかつて自宅にあったものもあります。
高度成長期の昭和30年ぐらいに、どさくさにまぎれて処分したものばかりです。 -
竹で編んだ「み」すら、珍しいです。
竹製品は、現在でもホームセンターに行けば売っているような東南アジア産ではない、日本製の竹製品が並んでいます。
作りの違いが良くかわります。 -
このカマドは、文化カマドと言って、大正時代から昭和の初期に作られたハイカラなタイプですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%BE%E3%81%A9
カマドの前にあるのは火消しツボでしょう。
◎ 黒いタイルの張られた近代カマドも昭和40年代まで母の実家では使っていました。
私の生家では明治初期に作られたドガマでした。
昭和45年まで使用していました。(A) -
これは木製の冷蔵庫です。
上の段に氷を入れて、下の段に肉や野菜を入れるのですが、お金持ちの家にしかなかったものです。
棚に並んでいるのはオヒツです。 -
ミシンです。
◎ これと同じものが我が家にありますが、使っていません。(A) -
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石臼です。
穀類を粉にするために使った臼です。
茶臼はもっと小さいです。 -
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三階から四階にのぼります。
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三階が意外に広いのでオドロキました。
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階段の下に見えるのが三階です。
四階から、下を見た感じです。 -
四階です。
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四階から、五階にのぼる階段があります。
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◎ ステキだなぁ、こんなかわいいお部屋に住みたいなぁ。(A)
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この部屋は何に使っていたのでしょうか・・・職員室かな?(笑
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四階から、五戒にのぼります。
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最上階の、5階までのぼりました。
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5階、太鼓楼。
見晴らしもよく秘密基地のような素敵なお部屋です。
当時は最上階に「伝酒井の太鼓」が置かれ、時を告げていたそうです。 -
蛍光灯がついていますが、昔は無かったのかもしれません。
日本で初めての蛍光灯が発売されたのは1953年だそうなので、見付学校建設当時は、この太鼓楼閣には夜は登らなかったのでしょうね。
1953年: 東芝が日本で初めて環形蛍光ランプを製作した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%8D%E5%85%89%E7%81%AF#.E6.AD.B4.E5.8F.B2 -
高楼の説明書きです。
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高楼からの眺め。
海側(南側)です。 -
北側の窓から外を見ると山が見えます。
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下を見おろすと磐田文庫の屋根が見えます。
磐田文庫 名所・史跡
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ここが五階です。
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誰も居ない日当たりの良い、狭い高楼でふたりきり。
ちょっとドキドキ。
ハグをして、気が済んだので降りて行きます。 -
なかなかの冒険です(^^)
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混んでいる日はのぼる人と、おりる人がこのあたりで譲り合っています。
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平日に行くと貸切みたいな感じで見学できるのですが、ボランティアのガイドさんが居るのは日曜日だけみたいです。
土・日・祝日は混むかも(^^A -
お金がかからなくて良かったです(A)
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