2014/05/04 - 2014/05/04
421位(同エリア1229件中)
玄白さん
通常は混雑するGWに出歩くことはしないのですが、今回は現役時代の最初の所属部門が同じだった友人で、今も家族ぐるみの付き合いがあるO氏夫妻の山中湖の別荘を訪問することになりました。
別荘訪問前に、連れ合いが沼津で学生時代の同級生とミニ同級会があるというので会場に送り届け、終わるまでの待ち時間を利用して同級会会場近くの沼津御用邸記念公園で時間つぶしです。当初は、沼津市周辺のいくつかの富士山撮影ポイントを巡る予定でしたが、春霞で富士山撮影には条件が良くないことと、市内のいたるところ連休の大渋滞で移動がままならないので、富士山撮影スポット巡りは断念し、御用邸に行き先を変更です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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同級会が10:00開始ということなので、渋滞に備えて明け方4時に自宅を出発。東名高速厚木IC〜横浜町田ICで渋滞に巻き込まれたものの、これは想定内。
朝9時頃の東名高速道路松田IC付近を走行中、助手席から撮影した富士山。春の天気特有の霞がかかったようで、雲はかかっていないが、ぼんやりした富士山だ。 -
予定通り、連れ合いを同級会会場で下ろし、沼津御用邸に向かう。途中、沼津港近くの港大橋の上から見た狩野川と富士山。あいにく、雲がかかってしまった。15分ほど待ったが雲が取れそうもないので御用邸へ。
我々夫婦とも幼いときから富士山が見えるところで育ち、富士山が見えるのは日常的なごく当たり前のことだったが、故郷を離れて長く生活していると、あらためて富士山の存在が特別なものに思える今日この頃である。 -
沼津御用邸前の島郷海岸の風景。駿河湾最奥部の波おだやかな海岸で大勢の釣り人が釣り糸を垂れたり、ウインドサーフィンを楽しんでいる人たちがいる。
御用邸が閉鎖になる前は、皇族の方々も、この風景を楽しまれたに違いない。 -
東方向に目を向けると淡島が見える。淡島マリンパーク、三津シーパラダイスといった、水族館やレジャー施設がある。
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イチオシ
狩野川西岸から富士市田子の浦港まで10kmに及ぶ黒松の防潮林が千本松原として有名だが、島郷海岸および御用邸敷地内にも黒松の防潮林があり、松林越しに富士山を臨むことができる。
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イチオシ
黒松と富士山の取り合わせは、静岡県側ならではの富士山の景観だ。
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富士山と松林を背に、オカリナを吹く熟年男性。のどかな風景に似合う音色だ。
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幾何学模様のきれいなプロムナードを通って海岸から御用邸入口へ。
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御用邸敷地は、現在は公園として整備されている。
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御用邸記念公園正面入口。
沼津御用邸は明治26年に大正天皇(当時は皇太子)の静養のために造営された。明治期には、この地は小さな漁村だったが、風光明媚で温暖な気候のため、西郷従道(西郷隆盛の弟で、陸、海軍大臣を歴任)大山巌(陸軍大臣)、川村純義(海軍大臣)など明治政府高官の別荘が建てられていたことが、御用邸造営のきっかけになったようだ。 -
昭和44年に、御用邸は廃止され、現在では記念公園として整備されて沼津市民の憩いの場となっている。
園内入場には¥100の入場料が必要。西付属邸見学とのセット券は¥400 -
せっかく来たので、西付属邸も見学してみよう。
西付属邸は、明治38年に川村純義伯爵(海軍大臣)の別荘を買い上げて、翌年皇居内の一部の建物を移築して拡張し、昭和天皇の御用邸とした。
384坪の木造平屋建てである。
なお、本邸は、終戦直前の昭和20年7月の沼津大空襲で消失。 -
御用邸当時の扇風機と電気ストーブ。
部屋は、女官応接間として使われていた部屋。 -
皇族の別荘としては、質素な造りに思える。とりわけ、ヨーロッパの王侯貴族の屋敷が絢爛豪華でこれでもかというほどの装飾が施されているのとは反対に、日本文化という範疇の中で見ても、随分地味な印象だ。もちろん、使われている素材は当時の超一流のものが使われているのだろうが・・・
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昭和天皇の幼少期の愛用自転車が展示されている。
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君が代の歌詞にあるさざれ石
学名は「石灰質角礫岩」と言い、長い時間をかけて石灰岩が雨水で溶けて粘着力が強い乳状液になり、小石を凝結してコンクリート状に変質した岩石。
平安時代、文徳天皇の時代、歌人藤原朝臣石位左衛門が、長い年月を経て石が集まり苔むしている様を見て、皇統の永続を願うことに絡めて読んだ和歌「わが君は、千代に八千代に、さざれ石の巌となりて苔のむすまで」が君が代の歌詞となった。 -
窓ガラスは明治末期にベルギーから導入された手吹法という製法で作られたガラスが残っている。ゆがみが大きく、窓ガラスを通してみると、木の幹が大きくゆがんでいるのが、面白い。
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天皇の食卓
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謁見の間
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滞在中の居間として使われた部屋。畳に西洋家具のソファ、テーブルが置かれていて、和洋折衷である。明治維新後、西洋文化を取り入れつつも、日本の伝統をも生かして独自の文化として発展させてきた日本を象徴しているようで面白い。
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変わったフィラメント形状の電球
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オランダ王室との交流を示す写真が展示されている。
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天皇の風呂場。
なんと、湯舟がなく掛け湯しか使わなかった(使ってはいけなかった?)という。 -
女官控え室だった部屋にはつるし雛が飾られていた。受付の人に聞いたところ、伊豆稲取に伝わる伝統のつるし雛で、同好会の人たちの作品を展示しているのだそうだ。コンセプトとして、御用邸を市民の文化活動の場として活用するということのようだ。
そういえば、御用邸のところどころに生け花が飾られていたが、これも○○流華道会の人たちの作品なのだろう。 -
西付属邸を出て、園内をぶらぶら歩きながら東付属邸の方に向かう。
太い黒松の根元に植えられているチューリップは、温暖な沼津なので、すでに見頃は過ぎている。 -
沼津垣という浜の潮風を防ぐための垣根。箱根竹という細い篠竹を十数本ずつ束ねて網代網みしたもの。実用面はいざしらず、建築美がある造作だ。
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消失した本邸跡に造った芝生広場で、子供達の遊び場になっている。
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藤棚があったが、しょぼい藤しか咲いていなかった。
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東付属邸の門。この建物は昭和天皇の学問所として建てられた。こちらは¥100の入場券で内部を見られるが、西付属邸のような貴重な文物は展示されていない。さまざまな市民文化活動の発表の場として使われていて、当日は書道の展示会が催されていた。
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翠松亭という茶室。茶会や茶道教室として使われている。
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翠松亭に続いて駿河待庵という小さな茶室が設えてある。千利休作と伝えられる国宝の茶室「待庵」(京都府大山崎町の禅寺、妙喜庵に現存する)を、そっくり真似て造られた茶室だという。
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昔、連れ合いに連れられて本物の待庵を見に行ったことがある。外観の記憶はあまりないが、茶室の中は狭くて壁がシミだらけだったのは覚えていて、よく似ているように思える。
そろそろ、連れ合いを迎えに行く時間となったので、同級会場へ戻ろう。
連れ合いをピックアップし、御殿場経由で山中湖へ向かいます。以下続編へ。
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