2014/04/28 - 2014/04/28
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picotabiさん
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奈良方面への旅。メインは三輪山登拝。
◆1日目4/28: 綺麗になった平等院へ
◆2日目4/29: 三輪山登拝
◆3日目4/30: 平城京跡地観光
この記事は1日目の行程です。
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2014年のGW。さてどこに行く!?
昨年のGWは通しで連休だったのもありパリに一人旅行。
今年は5/6まで通しで連休ならず、前半4連休、平日3出勤、後半4連休となりました。
この中途半端な連休に、彼氏が今年も激忙で休日出勤すると言うのでまたの一人旅となり、どこに行くか1週間前まで悩む。
帰省するか、行きたいところに行くか…
結局健康保険組合の提携ホテルが予約できたので、飛鳥奈良時代に触れたく奈良へ行くことにすると彼に言うと、平等院が修復作業を終えて綺麗になってると聞きます。
へーーあの10円の…とあまり最初は興味がなかったのですが、宇治を調べると応神天皇の皇子の墓所があるということを知り、興味がでてきたので行ってみることにしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
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2014年のGW前半戦3日目。
東京10:30発ののぞみ25号でまずは京都へ。 -
旅程の4/28-30までは残念なことに3日間ともお天気がよくない模様。
今回の旅行メインの三輪山登拝時に雨が降ることを考え、長靴を持っての旅です。
えきねっとで座席指定を窓側とだけ指定してとった切符は、富士山側でラッキーでした。 -
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東京駅ホームで買った柿の葉寿司。
これ、大好き。
連続テレビ小説ごちそうさんでは、いけずの義姉さんが大量に作って送ってくれたのを家族みんなでおいしそうに食べてたっけな。 -
京都から奈良線に乗り換え。
行く前の予定では、1日目を平城京に、最終日を宇治にしてましたが
雨の状況を考えて最終日に三輪山になるかもしれないなと思ったら、
行きに宇治に寄るのが英断な気がしてきました。
ということで宇治で降りて、ロッカーに荷物を入れ
平等院鳳凰堂に向かいます。 -
予報通り雨がパラパラ。
でも小雨だったのでそれほど大変でもない。 -
銭湯がありました。
ここから出てくる桶を持ったおじさんを発見。 -
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あまり下調べをせずに、ガイドブックも買わずに来ましたが
他の皆さんと同じ方向に向かえば辿り着きそうなので、人の流れにまかせて歩きます。 -
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平等院までの道ではお店に必ず藤の植木が置いてありました。
そうか。桜も散ったしそういう季節ですね。 -
お茶屋さんの入り口。宇治だけにお茶屋が多く並んでます。
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平等院の入り口の方に向かうと藤棚が。
平等院 寺・神社・教会
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咲き始めでしたが十分綺麗です!
しかも雨に濡れてしっとり。 -
入り口で入場券を購入して中へ。
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おーー10円の建物だ。
本尊の内部拝観は1回20分、50人ずつの入れ替え制となっており、さらに入場料が必要です。
ここ、修復工事を終えたばかりで混雑していると思ってきたのですが
この日が雨だったからなのかそんなこともなく、内部拝見は入場して1時間後の時間に予約できました。
時間の5分前にはお堂の橋の前にきてくださいとのことなので、それまで庭や宝物館を見て回ります。 -
赤い鳳凰堂にこれまた赤のツツジがすごくお似合い。
私はこれが初めて見る姿です。修復前はどんな感じだったのでしょうか。平等院 寺・神社・教会
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このツツジは大変雅に感じさせてくれます。豪華ですね。
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正面から。
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枝垂れ桜がすでに散っていて残念だけど、
これは満開だとまたすごくいい絵になりそう。ますますお堂が優美に感じられます。 -
平安期前に建立された代表的な国宝建造物ということで、10円硬貨にもなった平等院鳳凰堂。創建は1052年。摂関家関白藤原頼通が、父道長の別荘を寺院に改め創建しました。この頃は末法思想が流行し、誰もが極楽浄土へ行ける阿弥陀如来の教えを信じていました。その中でも貴族はお金があるから、私はこんなに阿弥陀様のことを信じてるんですよーー!! と主張したいがためにこんな豪華な建造物を作ったそうです。
平等院 寺・神社・教会
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当時は藤原家の摂関政治最高潮の時代。道長は関白に就任したことはないのに、三人の娘を天皇に嫁がせています。天皇の外戚ともなり、当時は農民や小豪族からの寄進、租税免除の動きもあり朝廷にはお金はなくとも貴族は相当潤っていたと思います。
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「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることもなしと思へば」
by. 藤原道長
道長自身がこの世の中は私の世の中ではなかろうかと思うほどだったのだから、敵も多くいたはず。
いろんなしがらみや妬みもあったろうし、自分たちの私利私欲のために酷いことも随分してきたものだから、それでもあの世で幸せになるようにと頼通は父の別荘を寺にしたのでしょうかね。 -
さてこの旅行記を書くのに前の姿を調べましたが、寂れた平等院もいいものですね。
というので結構修復にも意見があったようですね。まぁ好みというのもあると思いますが、でもこの修復、瓦や柱の塗料などは当時のものだそうで、まさに創建当時の姿だそう。 -
近年の調査で鳳凰に金箔を施していた跡もわかったそうで、
写真の露盤宝珠の塔飾りも輝きが眩しいくらいに見えますが、あれも創建当時の見た目ということのようです。
さてもともと屋根の上にあった鳳凰や露盤宝珠は、宝物館に展示されています。梵鐘や本尊におわします如来像以外の仏像、雲中菩薩像の半分を近くで見られるように展示されていました。 -
宝物館を見終え、外にでてきました。
本物の梵鐘は展示されていたから、この外のは復元品。 -
平等院の歴史や創建当時の建物のCGが見れるミニシアターなるものもありました。
その横でこんな一休みできるところがあります。寺院からみる庭みたいですね。平等院 寺・神社・教会
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内部拝見の時間が近づいて来たのでお堂に戻ります。
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鳳凰。
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1万円札の裏にも描かれていますね。
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本尊の中は撮影禁止なのでこれは見終えた後の写真。
金箔の如来像は光背が天井につく直前で曲がっており、如来様の頭にかぶさっています。模様も素晴らしく見応えがありました。仏像は仏師で初めて僧侶の位階を叙位された定朝の作だそうです。説明時には仏像にライトアップしてくれ、金色の如来様がさらに輝いて見えました。 -
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外からちょっと失礼…
ちなみに扉絵は復元のようです。 -
素晴らしいですね…
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仏像は寄せ木で作られているそう。
泊は奥州藤原氏が勢力を増すのがこのあととはいえ
やはり陸奥国のものなのですかね。 -
次の時間の方達が並んでいます。
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すぐ近くに鵺退治で知られる源頼政公の墓がありました。
清盛と後白河法皇に確執があったころ、側近たちを清盛に次々処罰させられた後白河法皇はもう頼るのがこの頼政公しかいなくなります。でもそのころの頼政公は常に戦いを避けてきたご老人。
そんな頼政公も動くしかなくなる以仁王の挙兵といわれる戦がこの地でありました。
wikiより----
以仁王の挙兵(もちひとおうのきょへい)は治承4年(1180年)に高倉天皇の兄宮である以仁王と、源頼政が打倒平氏のための挙兵を計画し、諸国の源氏や大寺社に蜂起を促す令旨を発した事件。
準備不足のために露見して追討を受け、以仁王と頼政は宇治平等院の戦いで敗死、早期に鎮圧された。しかしこれを契機に諸国の反平氏勢力が兵を挙げ、全国的な動乱である治承・寿永の乱が始まる。以仁王の乱、源頼政の挙兵とも呼ばれる。 -
源頼政の墓。
コデマリが手向けられていました。
この頼政が生きてる保元の乱の時代には、摂関家の権威は地に落ちていたようで、この墓標はその象徴になっているかのようです。この鳳凰堂を含める場所には藤原氏の栄華とその衰退の証があるのですね。 -
平等院を後にし、宇治上神社に向かいます。
この橋の写真、浮世絵みたいじゃないですか?
宇治川の中州にかかる、橘橋。色が塗られてないのが昔から変わらない景観のように見えて素敵です。宇治川 自然・景勝地
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橘島に降りて、次の橋へ。
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こちらは朝霧橋というそう。
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河川工事していました。流れの調整か?
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ちょっと…ガ━━(;゚Д゚)━━ン!!
この記事を作って気がつきましたが
私宇治上神社と宇治神社があるってのに気がつかず、ここが世界遺産なのか…と回ってしまいました。ショック!!!! どうりでそれっぽくなかったわけです(失礼)宇治神社 寺・神社・教会
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まぁ祭殿が2つあるとはいえ、ここの御祭神は第15代応神天皇の皇子 菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)。近くに陵もあります。
手水で水を口から出しているのは兎です。菟道稚郎子の漢字は「菟道(うさぎどう)」と描くこともあり、菟道(うじ)とも読みます。宇治の地名はこういう由来なのですね。 -
見返り兎。かわいいですねーー。
なぜ見返りなのかと言うと…
宇治神社HPより------
御祭神(菟道稚郎子)が、この地に住まいを定められて、河内の国より向かわれる途中、道に迷われ難渋している時に、一羽の兎が現れ、後からついて来られる御祭神を振り返り振り返り先導申し上げたという古伝により「みかえり兎」と言われ、この後、道徳に叶った正しい人生の道を歩むよう教え諭しているもので、神様のお使いとされております。
ですって。へーー。宇治神社 寺・神社・教会
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雨に濡れて色濃く写る緑たち。(五七五)
宇治神社wikiより-----
『延喜式神名帳』には「山城国宇治郡 宇治神社二座 鍬靫」と記載があり、「二座」はそれぞれ宇治神社・宇治上神社を指すとされている。この「二座」を祭神と見た場合、菟道稚郎子を一座とすることは動かないものの、もう一座については父の応神天皇・異母兄の仁徳天皇・母の矢河枝比売とする説がある。のち、近くに平等院ができると、両社はその鎮守社とされたという。
そうですか〜あとここは明治に入って宇治上神社とは分離し府社になったようです。宇治神社 寺・神社・教会
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随分反り返ってる狛犬がいます。
宇治神社HPより---
応神天皇が菟道稚郎子命を皇嗣と定められ、命の御兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと 後の仁徳天皇)を太子の輔導にあてられた。これは、わが国の古代の慣例で、なるべく若い者に嗣がせた方が一代の活躍期間が長く、国の繁栄を期待する可能性が強いとされていたからである。
ところが、菟道稚郎子命は博士王仁(わに)から儒教の思想を受けておられ、長男相続説を守っておられたので、応神天皇崩御の310年に兄宮に皇位に即かれるようにと勧められた。しかし、大鷦鷯尊は日本的な思想の方で、互いに皇位の譲り合いが続いた。
菟道稚郎子命は御父天皇崩御の後、312年に宮居を菟道に移され、皇位を早く定めて天下の煩いを除くために自害せられ、兄宮に譲られたである。 -
んーー 弟は儒教の思想だったから皇位は兄が継ぐものという考えだったけど、兄はなるべく若いものに嗣がせるという古来の日本の考え方のためにこの皇位の譲り合いで3年も天皇がいない状態であったようです。これを深刻に考えて弟は兄に皇位を譲るために宇治川に入水して自害したのですね。なんという美談…
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この近くに源氏物語ミュージアムというのもあったのですが
個人的にまだ源氏物語に興味がないもので、反対の方角にある興聖寺に向かいました。
しかし宇治上と宇治と神社が別れてるとは…調べると宇治上のほうにはかわいい兎のおみくじなんかもあるようですね。神社建築では、日本最古の本殿とのことですし、みなさんはワタクシのような間違いはしないように〜(ノД`) -
この時間は夕方ぐらいだったからか人も少ない。
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こちらは興聖寺の参道。
ちょーーと寺まで結構距離あります。しかしここは頑張る。 -
到着。人がいなくてめちゃくちゃ静かでした。
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ここは禅寺ですね。
HPより---
宗祖道元禅師は宋から帰朝された後、天福元年(1233)京都深草に日本初の純粋な禅道場として七堂伽藍を建立し、観音導利院興聖宝林禅寺(かんのんどうりいん こうしょうほうりんぜんじ)を開創。これが当寺のはじまりである。 -
これは住職さんの序列名ですかね。
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入り口。
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やはり住職さんの序列によって座る位置が決まってる様子です。
あと、ここは一般の方にも体験で座禅の会を開いてるみたい。 -
これ、お寺でよく見ますね。 魚梛(かいぱん)といいます。
木魚の原型。食事の時間の合図にこれを鳴らすそう。 -
ほんとに誰もいない。
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駅の方に戻ります。
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再び宇治川。ここはちょうど支流からとの合流点で流れがすごい。
もう歩き疲れて、菟道稚郎子の墓に寄る元気もなく…まぁ墓所は江戸時代では所在も不明で、明治以降に日本書紀を読んで作られたと聞くし。
というのもあり、平等院近くの甘いもの屋さんにでも行って休憩することに。 -
平等院近くにある赤門茶屋さん。
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お茶屋さんですが、飲食も中でできます。
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これを注文しました。
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濃い茶ぜんざい。
抹茶のぜんざいですが、ついきたお茶はほうじ茶です。
宇治茶のものを選べばよかったと後悔しながら食べました。 -
宇治駅前に戻り、今夜の宿の奈良に行きます。
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ホテル日光奈良。前回奈良に来た時もここに泊まりました。
もう4年も前。そのときは遷都祭をやる前で、駅の改修工事をしている最中でした。 -
そのJR奈良駅もすごい綺麗になってた。
駅ビルもそのときなかったなぁ。お土産やさんや本屋さんもあり、便利になったものです。 -
まぁでも相変わらず西口は閑散としてました。
こちら側はあまり飲食店が近くにないので、東口のほうに行ってみましたが… -
こちらも閑散としている…
コンビニで必要なものを買って、また西口に戻ります。 -
結局駅ビルのうどん屋さんで食事。
ほんと旅先のビールっておいしいです。
結構歩いたので酔いが回る。
ホテルについてすぐに寝てしまいました。
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