2014/05/01 - 2014/05/01
232位(同エリア573件中)
滝山氏照さん
武蔵七党のうち西党の主流は日奉(ひまつり)氏でその出自は日奉宗頼(ひまつり・むねより、生没不詳)が平安時代に武蔵守となって下向して、その子孫が国衙役人となって土着したと伝えられています。
西党は横山党に代表されるような一族の統制は比較的緩やかで、その背景は多摩川流域という肥沃な土地を有している事情もあり他所への積極的な勢力拡大の動きはどちらかと言えば緩慢です。
それでも西党諸氏は多摩郡一帯から都築・橘樹郡(現在の横浜市北部や川崎市宮前区周辺)に拡がりますが、一族の中核の地は平山・立川・日野などの多摩川流域にあります。
その中で日奉氏は既述の宗頼の孫の宗忠(むねただ、生没不詳)の時に西氏と称することになり、現在の日野市北西の台地に居を構えたと言い伝えられています。
居館と伝えられる地勢については北には多摩川、西には谷地(やち)川という自然の要害に恵まれ、他方南東には平地が広がり中世時代の豪族居館としてふさわしい立地ですがそれを示す遺跡等はなくまた裏付ける史料もないのが実情です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
-
東光寺神明社
日野市と八王子市を結ぶ道路から高台に向かう途中に中腹を削って平らになった所に忘れられたかのような神社があり、そこへは急な石段を登らければなりません。 -
東光寺神明社
鳥居の向こうには緩やかな道が施され、直接西公園側の台地に行くことが可能です。 -
東光寺神明社
高台に向かう中腹に建立されているので石段の参道を登ります。 -
東光寺神明社拝殿
石段を登るとすぐ目前に拝殿が視野にはいります。誰がいつ頃創建したのか判りませんが、もしかすると高台に館を構えていた日奉氏一族が関係しているのかもしれません。 -
境内風景
狭い境内の傍らには社殿改修記念石碑が建てられています。 -
境内風景
小さな祀堂がひっそりと座しています。 -
東光寺神明社本殿
狭い敷地に拝殿に繋がる本殿が控えています。 -
境内風景
手前に狛犬、その向こうに小振りながら水取舎が配置されています。 -
多摩川遠景
樹間を通して多摩川の対岸(立川市側)が見えます。多摩川水運と眼下の日野~八王子を繋ぐ主要道路をそれぞれ支配するうえで当地に館を構えることは当然の事と言えます。 -
東光寺西公園
東光寺神明社の南側は台地状にある敷地となって、すぐ近くには公園が造作されています。 -
東光寺西公園説明
天正年間(1573~1592)まで存在していた東光寺に因んで「東光寺村」と呼ばれており、昔から日野と八王子を連絡する重要な道路で現在でもその役割は変わりません。(自分もかつては通勤の際この道路を通るバスを利用していました) -
東光寺西公園風景
最近刈られたと思われる公園芝が鮮やかです。左端歩道の左は急崖で神明社敷地となっています。 -
東光寺神明社本殿
西公園歩道から神明社本殿を背後から見下ろします。 -
竣功記念碑
当地域は明治初期から養蚕が盛んになり、昭和15年頃にはほとんど桑畑だったそうです。 -
碑文説明
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西公園風景
それほど広くない公園の東端からきれいに清掃された芝生を捉えます。 -
西公園風景
公園を右に見ながら簡単に作られた柵と並行した歩道を東に歩いてみます。 -
高台展望
公園道路の柵を越えると急崖の谷が眼に入ります。 -
高台展望
2~3歩先は崖となっており落ちると這い上がることができません。 -
高台展望
なだらかな斜面状も所々見られます。樹間から多摩川方面を見下ろします。 -
高台北端
平地から台地方向を捉えます。樹木や竹林が茂っており昼間でも光が入りません。
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