2014/04/11 - 2014/04/20
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azianokazeさん
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はじめてのパキスタン 少しテロも心配・・・ 初日はタキシラに残るガンダーラ遺跡を回ります。
ギリシャに源流を持つヘレニズム文化と仏教の融合で、はじめて「仏像」なるものがつくられたといわれるガンダーラですが、なにぶん遺跡の数も多いので、まずは前半。
(写真は「シルカップ」遺跡の“双頭の鷲のストゥーパ”)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
いつものインド以東から少し範囲を広げて、初めてのパキスタン。
最初に予約していたタイ航空(バンコク乗継)がフライトキャンセルになったため、ドバイ乗継のエミレーツ航空を利用。
10時間かけてドバイまで行って、パキスタンへ引き返すのも無駄な感じですが、行き帰りともにドバイで16時間の乗継時間があります。
ただ、エミレーツ航空が無料のホテルを提供してくれますので、ゆっくりとトランジット観光はできます。
そのドバイ・トランジット観光は別編で。
話は、20日午前2時頃、イスラマバード空港に到着したところから。
テロの不安が消えないパキスタン、しかも深夜着・・・ということで、現地旅行会社「日通ペリカントラベルネット・パキスタン店)に空港への迎えを頼んでありました。
そのため、いつもの到着時のゴタゴタ・トラブルはありませんでした。
車内で頼んでおいた両替も。 1万円が9400ルピーということで、ほぼ1円=1ルピーです。 -
ホテルはラワルピンディの「シャリマールホテル」
首都イスラマバードは観光的には面白味のない都市ですので、空港にもむしろ近い隣(イスラマバードの南約10km)のラワルピンディに宿泊。
こちらも「日通ペリカン」を通して予約。
普段は3000円前後の安宿が多いのですが、何があるかわからないパキスタンですから「一応まともなホテル」で、停電などにもかかわらずWiFiが使えるところ・・・・という条件で選ぶと、1泊79ドルのこのホテルになりました。
まあ、保険ということで。
室内はこざっぱりしており、WiFiもストレスなく室内使用できます。
ただ、客が少なく、ガランとした感じがあります。 -
道路からの入り口には遮断機が二重に設置され、警備員の詰所があります。
深夜2時半頃に着くと、「何の用だ?」という感じでチェックを受けます。
さすがに客商売ということで、普段は自動小銃を構えていることはないようです。
もっとも、隣の高級ホテルは敷地が高い塀で囲まれており、どこから入るのだろうか?という感じですが、敷地の両側には監視塔があってまるで要塞です。 -
写真は、2009年11月にラワルピンディで起きた自爆テロのときの様子【2009年11月2日 AFP】
日本で聞くパキスタン関連のニュースはテロに関するものばかり。
それも、数十人が死亡するようなテロが連日のように起きています。
外務省の勧告でも全土が“渡航の是非を検討するように”となっています。もちろん、ペシャワルなど北西部は更に高いランクの警告で、通常の観光は無理です。
首都イスラマバードの隣であるラワルピンディと、テロが多発している北西部とは反対側の東部ラホールなら多少は安心では・・・・と思って、今回旅行を計画したのですが、1月20日にはラワルピンディで軍の検問所を狙った自爆攻撃があり、兵士6人と近くにいた住民7人の計13人が死亡、約20人が負傷しています。
考えてみれば、ブット元首相が自爆テロで暗殺されたのもラワルピンディでした。
金融機関などの街の主だった建物・店舗には自動小銃を抱えた警備員が常駐して出入りする者をチェックしています。
もちろん、検問所の警官、軍施設を警護する兵士などもいますので、いたるところで銃を抱えた人間を見ます。
ある意味では、テロ以外の犯罪に関しては安心な街かも・・・・。 -
4月20日 床に就いたのは昨夜3時過ぎでしたが、朝8時半から観光へ出発。
先ずはガンダーラ遺跡が点在するタキシラへ。
日本語ガイドのフェイサルさんと、タクシーをチャーターして向かいます。ラワルピンディからは30分あまりの近場です。
タクシーのチャーター料金は、朝から午後までということで2000か2500ルピーだったと思います。
写真は途中に立ち寄った、かつての「王の道」
16世紀にアフガニスタン系スール族のシェール・シャー(明後日の観光を予定しているロータス・フォートも彼によるものです)が建設させた石畳の道路で、アフガニスタン・カブールから、パキスタンのペシャワル、ラホールを経て、インド・デリーまで続く道です。
この日、偉い人が同じコースを訪問する予定らしく、警備のための先乗りの警官隊が駐車場にたむろしていました。もちろんカメラは向けません。 -
タキシラに到着。まずはタキシラ博物館へ。
入館料は200ルピー。
ガンダーラは“現在のアフガニスタン東部からパキスタン北西部にかけて存在した古代王国・・・紀元前6世紀〜11世紀の間存続し、1世紀から5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えた”【ウィキペディア】とのことです。
簡単に歴史をたどると、
紀元前6世紀前後、ネパール・ルンビニ付近に誕生したゴータマ・シッダールタによって仏教の教えが世に出る。
紀元前326年、アレクサンダー大王がペルシャを破り、北西インド地域に進攻。ギリシャ人がこの地に移り住む。
紀元前3世紀、インドほぼ全域を支配したマウリヤ朝は北西インドからギリシャ勢力を駆逐し、全盛期のアショカ王は仏教を手厚く保護。
紀元前2世紀頃、ギリシャ系バクトリアが北西インドに侵入。
紀元後2世紀、バクトリアを駆逐したクシャナ朝のカニシカ王のもとで仏教文化が興隆。
5世紀初頭、法顕がインドを旅行。
7世紀、玄奘がインドを旅行。
といった感じになります。 -
残念ながら博物館内は撮影禁止です。
入口の外から館内を撮影。これもブレてしまいました。
左は日本語ガイドのフェイサル氏。
1日100ドルのAランクガイドとあって、日本語は完璧で、ガンダーラの歴史・美術に関する知識もこれまた完璧です。
こういう文化遺跡はガイドがいないと、素人には何の価値があるものかわかりません。
正面の仏塔は「モーラ・モラドゥ」遺跡の奉納ストゥーパ(3.7m)のレプリカで、現地で本物が見られます。 -
写真は“flickr”より By Farrukh
インドで生まれた仏教は当初、仏陀そのものの偶像を崇拝することを否定し、具体的に礼拝する対象はシンボル(菩提樹や仏足石、金剛座)で間接的に表現していましたが、この地ガンダーラでギリシャ・ヘレニズム文明と出会い、仏像を初めて生み出しました。
従って、仏像の初期ものはギリシャ風の顔立ち・衣装が目立ちます。
アレクサンダー大王の東征でギリシャ系の人々がこの地に入ってきたことは歴史的事実として知ってはいますが、その後数百年にわたり異郷の地に住み続けた彼らがどんな思いを抱いていたのか?(おそらく異郷という思いはすぐになくなり、現地に同化したのでは・・・)、エーゲ海世界との交流はあったのか?・・・など、不思議な感じもします。 -
写真は“flickr”より By Dr. Shahid Iqbal
博物館には仏像・仏塔以外にも日常道具や装身具など多くのものが展示されています。
そのひとつ、復元された装身具をまとった当時の女性の姿。 -
博物館でのお勉強後に訪れたのがタキシラ最大の仏教寺院跡である「ダルマラージカー」遺跡。
紀元前3世紀、マウリヤ朝アショカ王がつくった、仏陀の聖遺物を納めた8つのストゥーパのひとつです。
その後、拡張・修復が続き、紀元2世紀にクシャナ朝カニシカ王によっても整えられています。 -
高さ15m、直径50mのメイン・ストゥーパを中心に、多くの祠堂や僧坊が時代を追って増築されました。
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メイン・ストゥーパの跡。
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当時の状態を残す基壇。
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石垣の積み方で大体の年代がわかります。
(博物館でガイド氏が教えてくれます)
より古い時代のものは、大きめの石がも少し小さく、更にさかのぼると積み方がよりランダムになります。 -
一方、時代を下ると、このように整然と並べられ、層を区切るような水平に並べられた部分が出てきます。
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足だけが残る仏像
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「ダルマラージカー」の入場料は他の遺跡と併せて200ルピー(2〜3回、そういう形で支払いました。どことどこがセットになっているのかはよくわかりません)
左の人物は施設管理人。100ルピー程度を支払います。 -
敷地はかなり広いです。
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境内の菩提樹 釈迦がこの木の下で悟りを開いたという木菩提樹ですが、他の樹木に巻きついて枯らしてしまう絞め殺し植物でもあります。
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水や染料など、いろんなものを貯蔵した穴
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水をためていたところ。 乾燥した感があるこの地域ですが、当時は近くの川の水量も豊かで、農作や生活に支障はなかったようです。
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洗濯場
「なんで、洗濯に使ったことがわかるの?」と尋ねたのですが、次が証拠写真です。 -
手前の石が、洗濯物を叩きつけて洗うのに使うものです。 なるほど・・・・
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次は、都市遺跡である「シルカップ」
タキシラには、「ビル・マウンド」「シルカップ」「シルスフ」の3つの都市遺跡があります。
年代的には「ビル・マウンド」が最も古く、その後紀元前2世紀バクトリア(アフガニスタン北部)のギリシャ人によって建築されたのがこの「シルカップ」、紀元2世紀にクシャナ朝によって「シルカップ」から遷都されたのが「シルスフ」という関係になります。
日本で言えば、弥生時代になります。 -
「シルカップ」遺跡全景
南北を貫くメインストリートを挟んで、整然と区画割りされた住居・商店・宗教関係施設が並び、奥には王宮があります。
更に南に連なるハティヤール山には仏塔・僧院「クナーラ遺跡」が建てられ、ギリシャ的なアクロポリス構造の都市になっています。 -
かなり広いメインストリート
ガンダーラのギリシャとの関わりではアレクサンダー大王の東征がエポックメイキングな出来事になりますが、それ以前の紀元前6世紀頃にはすでにアケメネウス朝ペルシャの支配が及んでおり、クセルクセス1世のギリシャ遠征(紀元前480年)にガンダーラからも出兵しているそうです。
土着型の中国・インドの定住農耕文化に対し、ガンダーラ、中央アジア、更にはマケドニアなどの遊牧騎馬民族の世界では、想像以上に自由で活発な往来があったようです。
そしてここガンダーラは、インド、ペルシャ、ギリシャ、更には中国からの文化が流れ込み、“文明の十字路”的な存在であったと思われます。 -
右手の区画は住居でしょうか(記憶が曖昧ですから、あまり信用しないでください)。
それぞれの区画は小さ目です。 -
商店
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石積の様式で年代が推定できます。
「シルカップ」では、紀元前4世紀ギリシャ以前の都市からクシャナ朝まで7層の都市跡が発掘されており、地上に現れている層は、上から2層目のパルティア時代のものが主となっています。 -
観光しているのは現地の方ばかりで、外国人観光客はみかけません。パキスタン内の他の観光地も同様です。
テロの影響で外国人観光客は激減しています。
日本人観光客も同様で、案内してくれた「日通ペリカン」のガイド氏は「以前は月に5000人ぐらいお世話したこともありますが、今では夢のようです。先月は大きなグループが入りましたが、今月はあなたが二人目です」と語っていました。
他人事ながら、それで経営が立ち行くのか心配になった次第です。
そんなこともあって、日本人が珍しいのか、よく現地の観光客から「写真を一緒に撮って欲しい」と頼まれました。
本当は、疲れて髪もボサボサの老人顔の写真など撮られたくないのですが、日パ友好のために笑って応じます。 -
ペルシャから入ってきたゾロアスター教(拝火教)の施設跡
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殺生を禁じるジャイナ教の寺院跡だったように思います。
いずれにしても、仏教、ゾロアスター教、ジャイナ教・・・多くの宗教が共存しています。神様は多い方が、ご利益も多く、しっかりと守ってもらえる・・・という発想だったとか。 -
謎のストゥーパ
当初は屋上にあったものが、地震による建物崩壊により地上に落ちてきて、そのまま屋内に安置されることになった・・・とも -
日時計
紀元前1世紀から紀元1世紀頃に作られたもの -
「シルカップ」というか、ガンダーラの地域的特徴をよく示しているということで有名な「双頭の鷲のストゥーパ」
基壇のレリーフは、ギリシャ・コリント式の支柱で区切られています。 -
基壇のレリーフ
インドのチャイティア・アーチをもつ戸口の上に双頭の鷲が彫られています。
双頭の鷲は西アジア起源でスキタイ民族に好まれたモチーフであるとか。 -
同じく基壇のレリーフで、ギリシャ風の三角の破風
このストゥーパの基壇に彫られたレリーフ・支柱は、インド・ペルシャ(イラン)・ギリシャの三文化融合を示しているとされています。 -
街の奥まった部分にある王宮跡
王宮としては小さな感じですが、一般住居跡に比べると大きな区画になっています。 -
なぜか、壁が異様に分厚いようにも思えました。
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遺跡奥から入口方向を望む。
「シルカップ」遺跡はこれでおしまい。でも、まだまだ遺跡があります。
少々疲れてきたので、中締め。他の遺跡は「後編」で。
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