2014/04/05 - 2014/04/05
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chiaki-kさん
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グラナダは周囲を山々に囲まれた平野にあり敵の侵入を防ぐには適した地形である。カスティーリャ王国とアラゴン王国を中心としたキリスト教国によるレコンキスタにより、1085年にはトレド、1236年にコルドバ、1246年にはセビーリャが奪回された後もグラナダだけはイスラム最後の砦として繁栄を極めた。
表紙の写真はアルハンブラ・ナスル朝宮殿、コマレス宮にあるアラヤネスのパティオ。アラヤネスとは天人花を、パティオは中庭を言う。少し風があったため、水面に映る宮殿がぼやけてしまった。ちょっと残念。
2024/03/02 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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-
4/5
険しい山岳地帯を抜けると、バスの前方に平野が開け、街が見えてきた、グラナダだ。 -
バスはA92号線に別れを告げA44号線に入ると、街の向こうの丘の上にアルハンブラ宮殿が見えてきた。
1238年、イスラムの支配者の一人、アル・アフマル(ムハンマド1世)はグラナダに王国(ナスル朝)を建国。1246年、ムハンマドはフェルナンド3世と条約を結び、カスティーリャに臣従して貢納する代わりに、グラナダ、マラガ、アルメリアを保有することを許された。
ナスル朝グラナダ王国は、イベリア半島における最後のイスラム王朝として約250年間存続し、経済・文化が繁栄した。アルハンブラ宮殿は、ナスル朝時代に建てられたもので、イスラム建築の傑作と評価される。しかし、15世紀末にカスティーリャ王国とアラゴン王国が連合王国となると、ナスル朝支配地への征服が始まり、1492年1月2日にグラナダが降伏してナスル朝は滅亡した。(Wikipediaより) -
高速道路を降りてトンネルをくぐり、坂道を上り始めるとバスの左手にはグラナダの街が見えた。人口24万人のスペインでは大きな街である。
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15:40 アルハンブラ宮殿近くにあるホテル・アリサレスに到着。一旦入室し、500km走った疲れをしばし癒やす。
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部屋はこんな感じで古い。Wifiはあるようだが電波が弱く部屋ではほとんど使い物にならなかった。
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16:15 ホテル・アリサレスのセールスポイントは宮殿まで徒歩で行けること。途中に何軒かレストランと土産物屋があること。
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世界中から来る観光客で混雑する入口。ここで日本語の上手なスペイン人の現地男性ガイドさんと合流する。
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アルハンブラ宮殿は時代ごとに、いくつかのパーツで組み合わさって出来ている宮殿。
1.図の一番左側の<部分がアルカサバと呼ばれる要塞。ここが一番古い。
2.□の中に○がある建物はカルロス5世宮殿で新しい宮殿。
3.その上の赤い部分が一番有名なナスル朝宮殿。ガイドブックやTVなどで最も登場する場所はここ。
4.右側の緑の部分には教会、ホテルなどがあるが、それ以外は庭園か、かつて建物があったと思われる基礎などがある。
5.宮殿を囲む赤い線は城壁で、右上の城壁の無い緑の部分の上の方がヘネラリフェと呼ばれる離宮となっている。 -
これがチケット、ナスル朝宮殿のみ入場制限時間が指定されている。我々の入場時間は17:00。
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現地ガイドさんの後について入場する。最初はヘネラリフェから。チケットは何度かチェックされるので無くさないよう注意。なお、カミさんがブルゾンのフードをかぶっているのは寒いのでは無くて日差しが強く暑いから。
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アルハンブラ宮殿入り口の門、あとでまた来る。
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ヘネラリフェはこう書く。
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農園の向こう側にアルバイシン地区が見える。
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谷の反対側には宮殿の城壁がある。ところどころに四角い塔が建っているのがイスラムっぽい。
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アルハンブラ宮殿、アルバイシン、そして手前にはブドウ畑が。
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アルハンブラ宮殿のUP
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ヘネラリフェへはここから入ると説明する現地ガイドさん。
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イチオシ
ヘネラリフェの庭園。ヘネラリフェは14世紀に造られた夏の別荘で別名を「水の宮殿」と言う。シエラ・ネバダ山脈から流れてきた冷たい水が、夏は40℃にもなる宮殿を冷やしたのだろう。
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日なたと日陰のコントラストが大きいのは、日差しが強烈な証拠。
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ヘネラリフェの庭園を反対側から見るとこんな感じ。ん、水盤の中に落書き発見。
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イスラムの王様は妻を4人、妾は無限大に持てた。この建物はそうした女性達を住まわせたもの。
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ヘネラリフェの内壁にも見事な模様がほどこされている。
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見事な透かし彫りもある。アーチの向こうにアルバイシン地区が見える。
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ヘネラリフェから見たアルハンブラ宮殿。
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そしてサクロモンテの丘。今夜ここの麓へ行くのだ。
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オレンジを説明する現地ガイドさん。レイバン・ブラックメタル?がおされ。(顔出しOKです)
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階段のてすりにも冷たい水が流れている。
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ヘネラリフェの入り口に戻るとこんな野外劇場発見。ここでなにをやるんだろう?フラメンコそれともべりーダンス?
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再び入り口に戻って、「新橋」と呼ばれる橋からアルハンブラ宮殿へ入場する。本気で暑い。
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記憶が正しければ、入ってすぐ左手にある門は「不浄の門」と呼ばれ1492年に宮殿を明け渡したイスラム最後の王ボアブディル(ムハンマド11世)達が出て行った門。それ以来開かずの門となっているらしい。(違っていたらごめん)
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昔はここに宮殿に使える家臣や召使い達の住まいがあったという。
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パラドール・デ・グラナダという名の公営ホテルが宮殿の敷地内にあり、庭園と建物の一部だけなら、いつでも入場可能。
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イザベル女王の墓だというが、たしか夫のフェルナンド2世とともにグラナダの街にある王室礼拝堂にあるはずでは?
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なんと敷地内にはもうひとつアメリカという名のホテルもある。
ちなみにアメリカ大陸を発見(コロンブスが発見したのは西インド諸島)したのはスペイン国王フェルナンドの支援を受けたアメリゴ・ヴェスプッチという名のイタリア人。 -
BARもやっている模様。なお、こちらのホテルの方がパラドール・デ・グラナダよりリーズナブルで人気があるらしい。
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イザベル女王とフェルナンド2世の孫にあたるカルロス5世が建てた宮殿。
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未完成の宮殿であるが、現在1階は博物館、2階は美術館として利用されている。
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トイレタイムの後、左にアルカサバを見て、
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目立たない坂道を降りると、そこはナスル朝宮殿の入り口。現地ガイドさんがいろいろ交渉したが、係員はチケットに印字された17:00まで絶対入れてくれなかった。
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時間になったので入場する。最初に見えてきたのはメスアール宮。なお、この庭はマドラシャの中庭。
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メスアール宮内部。ここでは行政と裁判が執り行われていたという。
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アリカタード(モザイクタイル)は、チケットに印刷されていた有名なアラビア紋様のタイル。
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柱の飾りもゴージャス。
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寄せ木細工もアラブから入ってきたらしい。
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壁にびっしりと描かれたアラベスク模様とアラビア文字。「アラーのみが勝利者」と書いてあるらしい。
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透かし彫りの窓もきれい。
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ここにも水盤が。
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イチオシ
コマレス宮に入って最初にあるのはアラヤネスのパティオと呼ばれる池のある中庭。
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反対側はこんな感じ。カルロス5世宮殿の屋根が見える。砂漠の民にとって水は最大の贅沢なんだろうね。
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大使の間。透かし彫りの明かり取りの窓と星が降るような天井にうっとり。
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天井のUP
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壁の模様とアラビア文字を説明する現地ガイドさん。
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何も言えない。ただ口を開けて見ていた。
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二姉妹の間。天井の細工がすごい。
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鍾乳石のような飾りは宮殿では一番の精密さをもつ。
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壁の細工。
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天井の細工もあきれるばかり。
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イチオシ
柱ごしにライオン像が見える場所なのだが、人が多すぎて残念。
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ライオンの中庭にある12頭のライオン像。
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ライオンというよりドラエモン似。まあ、像を彫ったことのない彫刻師達が、頑張って彫ったのだろう。
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リンダラハラの中庭が見えるバルコニーにも見事な装飾が。
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突然、趣が変わった場所へ入る。レコンキスタ後に付け足された部屋とのこと。
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19世紀の米国人作家ワシントン・アービングの「アルハンブラ物語」によって荒れ果てていた宮殿は世界の注目を浴びたが、アービングの部屋が今でも残されている。
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バルコニーから眺めた世界遺産アルバイシン地区。
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そしてサクロモンテの丘。
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ナスル朝宮殿を出ると、もともとはモスクがあった場所に建てられたサンタ・マリア・デ・ラ・アルハンブラ教会が見える。
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バルタル庭園。イスラム時代、この辺には貴族の屋敷や住宅があった。
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城壁の向こう側にヘネラリフェが見える。
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桜が満開。説明は無かったが、もしかしたら日本から来た桜かも。
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18:30 アルハンブラ宮殿の見学を終え一旦ホテルの部屋に戻ってから20:00に小型のバスとTAXIに乗り込みグラナダの街へ降りる。バスの運転手さんは新人らしく混んだ街の中をグルグル回ってからやっと目的のレストラン PACO MARTIN へ到着。
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サラダ、ビーフシチュー、アイスクリームの夕食だったがメインディッシュを撮り忘れる。なお、右下の写真の左隅に写っているのが夜の部担当の現地女性ガイドさん。
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21:00 夕食後、22人乗りの小型バスは、アルバイシンの狭い道を抜けサクロモンテの丘のふもとにある VENTA EL GALLO という店へ。
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タプラオと呼ばれる洞窟を利用したライブハウスのことで、ここで本場のフラメンコを、これから見るのだ。会場は100人ほど入れるステージ型で、最初にサービスの飲み物が配られた。私はカヴァをチョイス。
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いよいよ開演。まずは、挨拶代わりの全員ダンス。演奏者は踊り手、ギタリスタ、歌手に分かれ、女性の踊り手はバイラオーラ、男性はバイラオールと呼ばれ、歌手はカンタオールと呼ばれる。
なお、ノーフラッシュでの写真撮影はOKだが、ビデオ撮影は禁止されている。それと演技中の拍手も禁止。拍手は演技が終わってからがマナー。 -
日本ではバイオラールの踊りは、あまり見られないが直線的で激しい足の動きがすばらしい。なお、このグループのリーダーは、ケーシー高峰のようなカンタオール。独特のしわがれ声が会場に響き渡る。
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ギタリスタは1人だったが、カンタオールは2人交代でやっていた。
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ショールを使う踊り方はマントンという。
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スカートを持ち上げる踊り方はファルダという。
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踊り手で無い人も手拍子や「オレー!&アレー!」のかけ声で踊り手を補佐する仕事がある。ちなみに「オレー」とは「アラー」から来たらしい。
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この日一番の呼び物はこの8歳になる女の子。今日が初舞台とのこと。
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可愛らしい動きに、他の演技者からも微笑みが。
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こんどは踊り手全員で応援。
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最後の決めポーズ。
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リーダーから「よくやったね」のねぎらいの言葉に、思わずにっこり。約1時間30分の演奏だったが、生まれて初めて目の前で見たフラメンコに時間も眠気もどこかへ飛んでいってしまった。
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23:00 会場を出て、すこし登ったところが展望台になっていたので、ここでライトアップされたアルハンブラ宮殿の撮影会。皆さん苦労していたようだが、私は手持ち夜景モードで楽勝。
スペインを訪れるイスラム教徒たちは、このアルハンブラを他の誰にも増して特別な気持ちで見るという。彼等にとってアルハンブラはイスラム=スペイン(アル=アンダルス)の象徴であり、イスラムの支配と信仰が砕かれてもなおスペインに残った輝かしい遺産なのである。(Wikipediaより) -
最後の写真はライトアップに浮かぶアルハンブラ宮殿とサクロモンテ地区。昼間暑かったのがうそのような涼しさだった。
これで「2014年 スペイン旅行記3:アルハンブラ」は終了です。本日も最後まで、ご覧いただきありがとうございます。
2020/07/15 一部修正済み、2024/03/02 一部修正
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この旅行記へのコメント (4)
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- 一休さん 2018/01/17 09:45:17
- 蘇るアルハンブラの思い出
- 30年ほど前に女房と娘を連れて団体ツアー旅行しました、そしてアルハンブラ宮殿、セビリアだったかフラメンコを見て感動した思い出が蘇ってきました。
53年前にはじめて安いギターを買ったのがきっかけでクラッシックギターのレコードを1枚買った中にアルハンブラ宮殿が入っていてこれを覚えるために練習しました。
そしてマドリッドで世界的に有名なギター工房(ラミレス)で1本(50万)買って帰り数年前まで宝にしていましたが高齢でトレモロ奏法が難しくなりオークションで売りましたが今では後悔しています。
一休
- chiaki-kさん からの返信 2018/01/24 11:36:02
- RE: 蘇るアルハンブラの思い出
- ・
一休さん、こんにちは。お返事が遅くなりましたが、
いつもありがとうございます。
>フラメンコを見て感動した思い出が蘇ってきました・・・
私もグラナダのアルバイシン地区にあるタブラオで生フラメンコを
鑑賞しましたが、激しいギター、エキゾチックな歌、そしてテンポ
の良い踊りなどに感動いたしました。
余興として、今日、初舞台の女の子が一曲踊ってくれましたが、
可愛かったことを今でも思い出します。
> 53年前にはじめて安いギターを買ったのがきっかけで・・・
私も社会人1年生のとき、安いギターを一本購入しましたが、
結局ものにならず物置のこやしになったままです。
>これを覚えるために練習しました・・・
私はぜいぜい”禁じられた遊び”程度で終了しました。
>有名なギター工房(ラミレス)で1本(50万)買って帰り・・
ギターを諦めた以降はオーディオに血道を上げてしまい
SPだけで50万円、AMPやPLなど合わせると多分100万円以上
かけてしまいましたが、現在は年1〜2回聴く程度です。
>オークションで売りましたが今では後悔しています・・
昔のオーディオ機器は意外と長生きで、1971年に購入した
AMPはまだ動いています。SPやPLも生きています。むしろ
1990年以降に購入した機器のほうが先にダメになりました。
これらの生き残った機器が先にダメになるのか、それとも
私の方が先か、わかりませんが、寿命がつきるまで大事に
使っていきたいと考えています。
では、また。
chiaki-k
-
- capriさん 2014/04/21 10:33:58
- 忘れられないアルハンブラ\(^o^)/
- chiaki-kさん、こんにちは(*^^*)
私も数年前にアルハンブラ宮殿に行きまして、すべってころんで肩を骨折し、救急車で病院に運ばれ、翌日手術台の上に乗っていた、という、忘れられない思い出の場所です。
だから、旅行も中断、迎えがくるまで半月近く過ごした街で詳しくなりました(*^^*)
宮殿も、最後の庭園は見れなかったからchiaki-kさんの旅行記で初めて見ることが出来ました。
また、リベンジしたくなり、燃えてきました〜!
- chiaki-kさん からの返信 2014/04/21 16:41:53
- RE: はじめまして。
- capriさん、はじめまして。スペイン旅行記に投票ありがとうございます。
> 私も数年前にアルハンブラ宮殿に行きまして、
>すべってころんで肩を骨折し、救急車で病院に運ばれ、
>翌日手術台の上に乗っていた、という、忘れられない思い出の場所です。
それは大変、とんだアルハンブラの思い出になりましたね。
スペインの旅行記が無いのも、そのためですか。
シチリア島旅行記拝見しました。2012年にツアーで有名処は行きましたが、
シラクサ、ラグーサ、カターニャは未踏の地です。
*アランチーニ・・・これが本物ですよね。
*タリアテッレもおいしそうです。
*アンティパスト・ブッフェ・・・食べてみたいです。
タオルミーナは雨で残念でしたね。ちなみに私のときはこんなでした。
http://4travel.jp/travelogue/10716355
> また、リベンジしたくなり、燃えてきました〜!
是非、リベンジしてください。では、また。
chiaki-k
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