2014/04/06 - 2014/04/06
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chiaki-kさん
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今日はグラナダ→ミハス→セビーリャ→コルドバとアンダルシア地方を駆け巡る日。
この日は4月初旬とは思えない良いお天気に恵まれ、まるで夏がきたような日差しと、水蒸気やチリの少ない、どこまでも真っ青な青空が綺麗だった。
表紙の写真はコルドバにあるアル・アンダラス時代の遺産、メスキータの内部。空間を支える無数の円柱は、世界各地から集められた時代、様式、場所の異なる他の建物から転用されたものである。かつてスペインがイスラムに支配されていた時代には最大25000人を収容したモスクだった。
2024/03/02 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
4/6
8:00 ホテル・アリサレス出発。今日の座席は前から2番目の好位置。フロントガラスの窓越しに布団のように真っ白な雪をかぶったシエラ・ネバダ山脈が見えた。主峰のムラセン山の標高は3478m、イベリア半島の最高峰である。手前の高圧線が残念。 -
A92号線を西へ進む。マラガまで83km、セビーリャまで203km。今日も良い天気になりそう。
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A92号線の途中からA45号線に入り、マラガ方面へ南下する。うっすらと朝霧の巻いた峠を越えるとA45号線とAP45号線のジャンクションが現れる。どちらもマラガ方面へほぼ並行して行く道なのだが、スペインは日本では考えられない道路造りをする。
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道路脇にときおり現れるのが黒い牛の看板。もともとは酒造メーカーの看板だったが、高速道路に酒はよろしくないということで撤去されようとしたが、牛はスペインのシンボルとのことで反対世論が起こり結局黒く塗りつぶすことで決着したらしい。これまた日本では考えられない話だ。
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マラガを通過、コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)沿いに見えてきたのはフエンヒローラの街。まるでホノルルみたい。
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10:00 A45号線を降りて山道を10分ほど登り、到着したのはミハスの町。
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観光バス駐車場から徒歩で、この広場を通り抜け、
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町の中心部に到着。右側がミハスで最も美しいと言われるサン・セバスチャン通り。
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イチオシ
観光客はまだ少ない時間帯なので人通りはあまりない。
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こちらの通りもきれい。なんでも年3回しっくいで壁を塗らなければいけない決まりになっているそうだ。
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町の広場もまだ閑散としている。
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これは闘牛場。規模は小さいがフエンヒローラあたりから闘牛見物の観光客がたくさんやってくるらしい。闘牛の話はマドリッド編で。
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日曜日開催の模様。
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ミハス猫。なにかくれるかと思ってしばらく後を着いてきた。
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闘牛場の前を通過すると展望台があった。
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光り輝くコスタ・デル・ソルの海。
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展望台の向こうになんと!
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アフリカ、モロッコの山々と、
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ジブラルタルのザ・ロック山(スペイン語ではターリクの山)が見えた。添乗員さんもこんなによく見えるのは珍しいとのこと。
余談だが、ジブラルタルは18世紀に勃発した王位継承戦争の結果UKに統治権が与えられ、スペインはたびたび返還を要求しているが、UKは応ぜず今日に至る。チャールズ皇太子とダイアナさんが新婚旅行でジブラルタルを訪れることを知った、スペイン国王ファン・カルロスは結婚式をボイコットした。 -
アンダルシアにはミハスをはじめ、フリヒリアナ、アルコス・デ・ラ・フロンテーラ、セテニル、グラサマレ、サアラ・デ・ラ・シエラなどたくさんの白い村がある。
他の村は知らないが、ミハスは日本の観光会社が開発したのでは?と疑うくらい日本語の通じる村だった。また、日本人以外のアジア系観光客もほとんどおらず、誠に居心地の良い場所でもある。 -
真っ白な教会と、真っ青なアンダルシアの青空のコントラストが き・れ・い。
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気分が良いのでサン・セバスチャン通りにあった Mariposa という店でオリーブ石けんを、お買い上げ。地元の方と思われる店員さん、なんと日本語を話した。
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なるほどね。
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その後、ene(エニュ)という名の日本人店員のいる店でスペイン製(めずらしい)のTシャツを購入、広場でアイスクリームをなめてから、ミハスを後にした。12:00頃、再びA45号線に戻り、今度はセビーリャを目指す。
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オリーブ畑が延々と続くA45号線。
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いつまでも見ていても飽きないアンダルシアの風景が続く。
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セビーリャへの途中、ドライブインで休憩。ドライバーさんの運転がしっかりと記録されるので、2時間おきに15分の休憩をとらなければいけないのだそうだ。
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13:30 セビーリャ到着。バスを降りた場所の目の前にはマエストランサ闘牛場。クラシックな外観が面白い。
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たぶん有名な闘牛士なんだろうね。この後徒歩で5分ほど歩いた HORACIO というレストランで昼食。冷たいガスパッチョと呼ばれるスープがおいしかった。他はえび、いか、小魚のフリッター(フライ)、デザートはクリームケーキ(添乗員さんからもらったメモによる)だったが写真は無い。理由は後で説明します。
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15:00 セビーリャ大聖堂へ移動、ヒラルダの塔が我々を手招きしている。セビーリャのカテドラルは1519年にモスクの跡に建設され、サン・ピエトロ寺院、セント・ポール寺院に次ぐ規模と言われている。
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大聖堂の内部はひんやりして、とても涼しかった。
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天井
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パイプオルガン
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祭壇
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ステンドグラス
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ヒラルダの塔を囲むのはイサベル女王とフェルナンド王か。
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カテドラルは新大陸を発見したコロンブスの墓があることでも有名。コロンブスの棺は当時スペインを構成していたレオン、カスティーリャ、ナバーラ、アラゴンの4人の王達に担がれている。手前の王が槍でザクロを突き刺しているが、ザクロ=グラナダを表しているそうだ。
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カテドラルでもう一つ有名なのがヒラルダの塔。元々はモスクのミナレットだったのだが壊さずに鐘楼として今でも使っている。そして誰でも上まで登ることができる。
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鐘楼は階段を上るのが普通だが、ここはスロープになっているので登りやすい。ミナレット時代、歩くのがいやなイスラムの坊さんが馬(ロバ?)に乗ったまま登れるようにした為と言われている。
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とは言っても、高さは97mあり、10分ほど時間がかかったので、ひと汗かいた。最上階は鐘楼となっており、大きな鐘がぶらさがっている。そして、
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カテドラルとセビーリャの街がよく見える。
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あとから行くユダヤ人街も見えた。
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アル・アンダラス時代に栄え、16世紀からは新世界との公益で繁栄した名残を今でも残している。
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イチオシ
カテドラルの外観。観光馬車がたくさんいた。
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ユダヤ人街。レコンキスタ終了後始まったのが異端尋問と追放。そしてほとんどのユダヤ人とイスラム人はスペインからいなくなってしまった。
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その結果ユダヤ人とイスラム人の持っていた文化や技術は失われ、その後のスペインの発展にブレーキがかかったのは間違いない。
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16:00 時間に少し余裕が出来たとのことで日程表にないスペイン広場見学。1929年にイベロ・アメリカ博覧会の会場となった場所。
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まるでディズニーランド。
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欄干のタイルがきれい。
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16:30 セビーリャを離れ、A4号線を東へ。写真はA45号線だが、こんな感じの直線道路を150kmほど走り、18:00頃コルドバ到着。
今夜の宿はパラドール・デ・コルドバという名の公営宿舎。公共の宿といっても日本の国民宿舎とは段違いの立派な造りのホテルで、まずサングリアのウェルカムドリンクから始まり、ディナーは生ギターの演奏付き。食事内容は海と山のサラダ、白身魚とエビのアサリソース、チーズケーキ。どれもおいしかった。
しっかりと写真も撮ったはずだが、部屋でSDカード(サンディスクSDHC4GB)をコピーしようとして、フランクフルトに続き、またまたデータが読めなくなってしまうトラブル発生。残念ながらコンデジで撮影した4月6日のセビーリャの昼食、及びパラドール・デ・コルドバの写真は消えてしまった。カードが悪いのか、カメラの問題なのか、はたまたPCの問題なのか不明。なお、翌日からは持参した新品のサンディスクに交換、普通に撮れたので、やはりディスクなのだろうか。残念無念。 -
4/7
交換したカードで撮影した今朝の朝食。サーモン、生ハム、ブルーチーズにフルーツいろいろ。今回泊まったホテルの朝食では文句なくNo1。 -
宿泊した部屋は残念ながらガーデンビュー。今日もお天気はよさそうだ。
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パラドール・デ・コルドバ玄関。良いホテルだったので、まともな写真がこれだけとは残念。なお、後方にいるのがドライバーのRさんと添乗員のWさん。
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9:00 ホテルを出発。市内に入ったところでバスを降り、今日一番の観光目的地であるメスキータへ向かう。5分ほど歩くとメスキータの建物が見えてきた。
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メスキータへはこのテアネス門から入る。メスキータとは、スペイン語でモスクという意味で、スペインに現存する唯一の大モスク。紀元2世紀はローマ神殿があったという伝説があり、西ゴート王国時代には聖ビセンテ教会があった。
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オレンジの中庭とアルミナルの塔(ミナレット)。もっとも現在は教会の鐘楼となっている。空の色が半端ない。もちろん無修正。
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これがモスク入り口のシュロの門。まだ開館時間にならないので先にユダヤ人街へ行く。
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ユダヤ人街、花の小道。前にも述べたが、レコンキスタ後ユダヤ人とイスラム人はスペインから追い出されてしまったので、現在ユダヤ人は住んでいない。
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路地からアルミナルの塔が見える。コントラストが強いのでこれで精一杯。
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10:00 時間がきたのでモスクに入場する。これがチケット。
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784年、コルドバのアミールアブド・アッラフマーン1世の命により王宮に隣接するモスクとして建設工事がスタートする。
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空間を支える無数の円柱は、世界各地から集められた時代、様式、場所の異なる他の建物から転用されたものである。(再掲)
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寸足らずとなった円柱の上部に高い天井を支えるための工夫が、特徴となる2重アーチを生んだ。
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メリダにあるローマの水道橋を参考にしたとされるこの2重アーチは、赤いレンガと白の石灰岩を交互に楔状に配した構成となっている。
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961年 - ハカム2世の命により、拡張工事が実施される。
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メッカの方向を示すミフラーブもそのままある。
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美しい天井も残されている、しかし・・・・
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1236年 - カスティリャ王フェルナンド3世の軍によりコルドバは征服され、モスクはカトリックの教会に転用される。
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16世紀、カルロス5世(イサベル女王とフェルナンド王の孫)によりメスキータの中央部が破壊され聖マリア大聖堂が建てられる。
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かくして、メスキータにはイスラム教のモスクの真ん中にカトリック教会という世界にも例の無い、不思議な建物となった。
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まあ、これはこれで綺麗なのだが・・・
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イチオシ
大聖堂から移動し、再びモスク部分へ。これは987年に拡張された部分。形は似ているが赤白のアーチは塗装されたもの。
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かつては最大25000人を収容したモスクだった。
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メスキータを後に、グアダルキビール川にかかるローマ橋を渡る。
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グアダルキビール川はカソルラ山地に源を発し、コルドバ、セビリアを南西に流れ、カディス湾のサンルーカル・デ・バラメーダ付近で大西洋に注ぐ全長657kmのスペインでは5番目に長い川。
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ローマ橋の向こうにメスキータが見える。聖マリア大聖堂がメスキータを突き破って堂々と建っているのがよくわかる。
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後日談であるが、この大聖堂の建設の許可を与えた国王カルロス5世(フランドル育ちのためスペインを知らなかった)は、ハネムーンでコルドバを訪れたときはじめてメスキータを目にし、その美しさに愕然とし、それ以上の改築は行わなかったそうだ。
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そんな人間の歴史に関係なくグアダルキビール川は今日も流れている。
これで「2014スペイン旅行記4:アンダルシア」は終了です。本日も最後までご覧いただきありがとうございます。
2020/07/15 一部修正済み、2024/03/02 一部修正
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