2014/03/28 - 2014/03/28
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地球の迷い方さん
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ご訪問ありがとうございます。
かつて世界3分の2の銀を産出していたと言われる島根県太田市の石見銀山世界遺産センターを訪問しました。
米子から高速道路にのり出雲までまっしぐら。そして出雲から下道に入り石見銀山に到着しました。
片道2時間で到着しました。途中、国立公園三瓶山が見えましたが、また次の機会に行きたいと思います。
石見銀山の発見について『石見銀山旧記』は鎌倉時代末期の1309年(延慶2年)に周防の大内弘幸が石見に来訪して北斗妙見大菩薩(北極星)の託宣により銀を発見したという伝説について記しており、この頃からある程度の採掘がなされていたものと考えられている。
その後、大内氏が一時的に採掘を中断していた石見銀山を再発見し、本格的に開発したのは博多の商人・神谷寿貞(姓については神屋、名については寿禎・寿亭とも表記される)であるとされている。海上から山が光るのを見た神谷は領主大内義興の支援と出雲国田儀村の銅山主・三島清右衛門の協力を得て1526年(大永6年)3月、銀峯山の中腹で地下の銀を掘り出した。
義興の死後、大内義隆が九州経営に気を取られている間、1530年(享禄3年)に地方領主・小笠原長隆が銀山を奪い、3年後に大内氏が奪回した。大内氏は山吹城を構えて銀山守護の拠点とした。1533年(天文2年)8月、神谷寿貞は博多から宗丹と桂寿を招き海外渡来の銀精錬技術である灰吹法に日本で初めて成功した。
この技術でより効率的に銀を得られるようになり、全国の鉱山に伝えられ、日本における銀産出に大きな貢献をすることになる。灰吹法確立以前は、鞆ヶ浦(仁摩町馬路)・沖泊(温泉津町)から鉱石のまま積み出され取引された。
W・ペディア参考
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 自家用車
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