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セビリアを8時に発って、バスは北西の方向に走り、ポルトガル国境を越えてエヴォラへ向かう。途中国境を超えても景色は何も変わらないし、パスポートチェックも何もない。ただ、案内看板がスペイン語からポルトガル語に変わった。<br /><br />恥ずかしながらこの町についての知識は皆無で、始めてこの名を聞いて思い出したのは「エボラ出血熱」であった。実は「エボラ」の名は、発病者の出たザイールのエボラ川(Ebola river)から名づけられており、エヴォラ(Évora)とは関係がない。このような誤解が生じるのは日本語独特の問題である。小生はBの音は「バ行」、Vの音は「ヴァ行」で表記すべきと思って実行しているが、ではRとLはどう表記すべきか、残念ながら妙案はない。<br /><br />セビリアから4時間ほど走って、エヴォラに到着した。この町の人口は約6万人の小さな町だが、ローマ帝国時代からの長い歴史を誇る。紀元前57年、エヴォラは共和制ローマの支配下に入った。町は交易路の交差点であったことから発展し、町の中心部にはコリント様式の神殿が建立され、ローマ初代皇帝アウグストゥスが祀られた。4世紀になるとエヴォラにもキリスト教が浸透し、司教座を持つようにり、エヴォラは西ゴート族の領土となった。<br /><br />スペインにイスラム勢力が進出するのは711年、そして1492年にナスル朝グラナダ王国が降伏、滅亡しレコンキスタが完了する。スペイン国境に近いエヴォラでは、715年にイスラム勢力がエヴォラを征服したが、1165年にエヴォラは「恐れ知らずのジェラルド」に奪還され、翌年にアフォンソ1世の統治下に入った。その後、15世紀にかけてポルトガルは経済的に繁栄し、エヴォラは政治、文化、宗教、教育の重要都市となった。しかし1759年、ポンバル侯爵がイエズス会をポルトガルから追放し大学が閉鎖されるとエヴォラは徐々に衰退、エヴォラの重要性は失われ、現在の姿となった。<br /><br />さて、バスを降りるとまず眼前にディアナ神殿が現れる。この町には神殿の他にも、城壁や水道橋などローマ時代の遺跡が残っている。この神殿は1世紀にローマ皇帝アウグストゥスを祀るために建造された。女神ディアナを祀ったものであるとも言われるため、ディアナ神殿と呼ばれる。<br /><br />続いて、この町のシンボルであるエヴォラ大聖堂を訪れた。1280ー1340年頃に建設されたエヴォラの誇る堂々たる大聖堂である。1335年頃に作られた使徒の像を伴った入り口と美しい教会堂の身廊と回廊を持つ。その後増改築が続いて、バロック様式、ルネサンス様式、マヌエル様式が混在する。この日は爽やかに晴れた日で、屋上に上がるとエヴォラの市街が見渡せる。<br /><br />皆さんと共に昼食をすませた後、しばし自由時間となった。1ヶ所しか訪れることができないので、サン・フランシスコ教会に急いだ。この教会は15ー16世紀にかけて建設された教会建築で、長い身廊と礼拝堂を持つ。しかし入場したのは、本堂を通り過ぎて右端に隣接する人骨堂と言われる建物だ。16世紀にフランシスコ会の修道士によって造られた瞑想の場で、壁面が5000体もの人骨で埋め尽くされている。明るい時間だったのでさほどではなかったが、日没後はかなりのキモだめしとなりそうな場所だ。<br /><br />残されたわずかな時間で、あらためてエヴォラの旧市街を見ると、石畳の街路と、白と黄土色の配色の外壁が絶妙にバランスした素晴らしい街並みだ。ヨーロッパの古い街並みは例外なく美しいが、この配色はあまり例を見ない。弾丸ツアーで滞在時間が短いのは止むを得ないが、まさに後ろ髪を引かれるような気がして、この街を去るのが名残惜しかった。

ポルトガルの世界遺産No. 1 : エヴォラの歴史地区

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2014/04/03 - 2014/04/04

23位(同エリア190件中)

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ハンク

ハンクさん

セビリアを8時に発って、バスは北西の方向に走り、ポルトガル国境を越えてエヴォラへ向かう。途中国境を超えても景色は何も変わらないし、パスポートチェックも何もない。ただ、案内看板がスペイン語からポルトガル語に変わった。

恥ずかしながらこの町についての知識は皆無で、始めてこの名を聞いて思い出したのは「エボラ出血熱」であった。実は「エボラ」の名は、発病者の出たザイールのエボラ川(Ebola river)から名づけられており、エヴォラ(Évora)とは関係がない。このような誤解が生じるのは日本語独特の問題である。小生はBの音は「バ行」、Vの音は「ヴァ行」で表記すべきと思って実行しているが、ではRとLはどう表記すべきか、残念ながら妙案はない。

セビリアから4時間ほど走って、エヴォラに到着した。この町の人口は約6万人の小さな町だが、ローマ帝国時代からの長い歴史を誇る。紀元前57年、エヴォラは共和制ローマの支配下に入った。町は交易路の交差点であったことから発展し、町の中心部にはコリント様式の神殿が建立され、ローマ初代皇帝アウグストゥスが祀られた。4世紀になるとエヴォラにもキリスト教が浸透し、司教座を持つようにり、エヴォラは西ゴート族の領土となった。

スペインにイスラム勢力が進出するのは711年、そして1492年にナスル朝グラナダ王国が降伏、滅亡しレコンキスタが完了する。スペイン国境に近いエヴォラでは、715年にイスラム勢力がエヴォラを征服したが、1165年にエヴォラは「恐れ知らずのジェラルド」に奪還され、翌年にアフォンソ1世の統治下に入った。その後、15世紀にかけてポルトガルは経済的に繁栄し、エヴォラは政治、文化、宗教、教育の重要都市となった。しかし1759年、ポンバル侯爵がイエズス会をポルトガルから追放し大学が閉鎖されるとエヴォラは徐々に衰退、エヴォラの重要性は失われ、現在の姿となった。

さて、バスを降りるとまず眼前にディアナ神殿が現れる。この町には神殿の他にも、城壁や水道橋などローマ時代の遺跡が残っている。この神殿は1世紀にローマ皇帝アウグストゥスを祀るために建造された。女神ディアナを祀ったものであるとも言われるため、ディアナ神殿と呼ばれる。

続いて、この町のシンボルであるエヴォラ大聖堂を訪れた。1280ー1340年頃に建設されたエヴォラの誇る堂々たる大聖堂である。1335年頃に作られた使徒の像を伴った入り口と美しい教会堂の身廊と回廊を持つ。その後増改築が続いて、バロック様式、ルネサンス様式、マヌエル様式が混在する。この日は爽やかに晴れた日で、屋上に上がるとエヴォラの市街が見渡せる。

皆さんと共に昼食をすませた後、しばし自由時間となった。1ヶ所しか訪れることができないので、サン・フランシスコ教会に急いだ。この教会は15ー16世紀にかけて建設された教会建築で、長い身廊と礼拝堂を持つ。しかし入場したのは、本堂を通り過ぎて右端に隣接する人骨堂と言われる建物だ。16世紀にフランシスコ会の修道士によって造られた瞑想の場で、壁面が5000体もの人骨で埋め尽くされている。明るい時間だったのでさほどではなかったが、日没後はかなりのキモだめしとなりそうな場所だ。

残されたわずかな時間で、あらためてエヴォラの旧市街を見ると、石畳の街路と、白と黄土色の配色の外壁が絶妙にバランスした素晴らしい街並みだ。ヨーロッパの古い街並みは例外なく美しいが、この配色はあまり例を見ない。弾丸ツアーで滞在時間が短いのは止むを得ないが、まさに後ろ髪を引かれるような気がして、この街を去るのが名残惜しかった。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.0
交通
3.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
観光バス 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • ディアナ神殿は1世紀にローマ皇帝アウグストゥスを祀るために建造された。女神ディアナを祀ったものであるとも言われるため、ディアナ神殿と呼ばれる

    ディアナ神殿は1世紀にローマ皇帝アウグストゥスを祀るために建造された。女神ディアナを祀ったものであるとも言われるため、ディアナ神殿と呼ばれる

  • エヴォラ大聖堂、1280ー1340年頃に建設されたエヴォラの誇る堂々たる大聖堂

    エヴォラ大聖堂、1280ー1340年頃に建設されたエヴォラの誇る堂々たる大聖堂

  • エヴォラ大聖堂、バロック様式、ルネサンス様式、マヌエル様式が混在する

    エヴォラ大聖堂、バロック様式、ルネサンス様式、マヌエル様式が混在する

  • エヴォラ大聖堂から眺めるエヴォラ市街

    エヴォラ大聖堂から眺めるエヴォラ市街

  • エヴォラ大聖堂から眺めるエヴォラ市街

    エヴォラ大聖堂から眺めるエヴォラ市街

  • エヴォラ大聖堂の回廊

    エヴォラ大聖堂の回廊

  • エヴォラ大聖堂の中庭

    エヴォラ大聖堂の中庭

  • エヴォラ大聖堂の内部

    エヴォラ大聖堂の内部

  • エヴォラ大聖堂の内部

    エヴォラ大聖堂の内部

  • エヴォラの旧市街、石畳の街路と白と黄土色の配色の外壁が絶妙にバランスした素晴らしい街並み

    エヴォラの旧市街、石畳の街路と白と黄土色の配色の外壁が絶妙にバランスした素晴らしい街並み

  • 石畳の街路を歩む人々

    石畳の街路を歩む人々

  • サン・フランシスコ教会のファサード、この教会は15ー16世紀にかけて建設された

    サン・フランシスコ教会のファサード、この教会は15ー16世紀にかけて建設された

  • サン・フランシスコ教会、人骨堂の側面

    サン・フランシスコ教会、人骨堂の側面

  • サン・フランシスコ教会に隣接する人骨堂と言われる建物、16世紀にフランシスコ会の修道士によって造られた

    サン・フランシスコ教会に隣接する人骨堂と言われる建物、16世紀にフランシスコ会の修道士によって造られた

  • サン・フランシスコ教会に隣接する人骨堂の聖壇

    サン・フランシスコ教会に隣接する人骨堂の聖壇

  • サン・フランシスコ教会の人骨堂の壁、16世紀にフランシスコ会の修道士によって造られた瞑想の場で、壁面が5000体もの人骨で埋め尽くされている

    サン・フランシスコ教会の人骨堂の壁、16世紀にフランシスコ会の修道士によって造られた瞑想の場で、壁面が5000体もの人骨で埋め尽くされている

  • 人骨で埋め尽くされた壁面、日没後はかなりのキモだめしとなりそうな場所だ

    人骨で埋め尽くされた壁面、日没後はかなりのキモだめしとなりそうな場所だ

  • 人骨堂内部の聖壇

    人骨堂内部の聖壇

  • 人骨堂の柱も人骨で作られている

    人骨堂の柱も人骨で作られている

  • 人骨堂の出入り口

    人骨堂の出入り口

  • 再びエヴォラの街並み、老夫婦が風景を盛りあげる

    イチオシ

    再びエヴォラの街並み、老夫婦が風景を盛りあげる

  • エヴォラの狭い街路と青い空

    エヴォラの狭い街路と青い空

  • 集合場所のジラルド広場

    集合場所のジラルド広場

  • 街角のパン屋さんの風景

    街角のパン屋さんの風景

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この旅行記へのコメント (2)

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  • rinnmamaさん 2014/05/08 17:17:43
    ポルトガル
    ハンクさん、こんにちは

    スペインに旅行中にご投票頂きましたが、お礼が遅くなりました。

    ハンクさんより、少し後に2週間スペインに行ってまいりました。
    長年の夢でしたので、王道の都市を
    ノンビリと?旅して参りました。

    ただ、夫はすぐ疲れたと言いますので、私は消化不良のような旅でした

    今に始まった事ではいりませんので、諦めてはいますか・・
    セコビアでポルトガルから移動していらした韓国の方とお話できました。リタイアして旅行三昧だそうです

    ハンクさんも、色んな所へいらして
    羨ましい限りです。
    また、のんびりお邪魔させて頂きます。有り難うございました。

    ハンク

    ハンクさん からの返信 2014/08/19 22:34:02
    RE: ポルトガル
    rinnmamaさん、メッセージを頂いていてご返事大変遅くなり申し訳ありません。

    小生は海外出張族で、年間の半分を海外(インド、ロシア、南アなど)で過ごしています。まだまだ好奇心は薄れていませんが、しばしば疲れを感じることが多くなってきました。

    最近、家族を伴っての海外旅行の機会を見つけようと思っています。スペイン、ポルトガルは久々に家内とツアー旅行でした。体力のあるうちにいろいろ出掛けたいですね。

    それではまた、旅行記など拝見させていただきます。ハンク

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