2014/03/18 - 2014/03/22
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kiro184さん
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台湾へは2013年1月に訪れており2度目の訪問である。前回は台湾西海岸がメインであり、東海岸は全くの手付かずとなっていたためそちら方面の鉄道に乗るための旅行である。
・・・というのは後付けの理由であり、実際は3日目に登場する旧型客車に乗りたいがために今回の旅行を企画し、他の行程は日程調整のために組んだに過ぎなかった。結果的には旧型客車以外の未乗であった路線にも多数乗車出来たため充実した旅になった。
【大まかな行程】
1日目・・・旭川空港→(直行便)→台北桃園空港(台北泊)
2日目・・・台北→内湾線・六家線乗車→高鐡台中→左營→高雄(高雄泊)
3日目・・・高雄→枋寮→(普快3671次乗車)→台東→台東市街→台東→池上(池上泊)
4日目・・・池上→花蓮→羅東→瑞芳→深澳線乗車→瑞芳→基隆→台北(台北泊)
5日目・・・台北→台北桃園空港→旭川空港
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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◆1日目
【台湾へ出発】
台湾へ旅立つ日であるが、この日は夕方に日本を出発するため台湾ではホテルへ直行するのみである。
今回は地元から週に2〜3便運航している台湾への直行便を利用した。ツアー客が大半であったが、個人であっても航空券自体は航空会社のサイトから問題無く予約出来た。
出発の日は猛烈な雪が降り、滑走路の除雪を行うため出発が遅れるとアナウンスがあった。乗り込んでからも飛行機の積雪を落とすためさらに出発が遅れた。結局1時間ほど遅れて離陸し、台北桃園空港にも1時間遅れで到着した。
台湾へは2度目の訪問であるため、空港の様子やイミグレーションでの不安は無い。台湾へ入国後はさっさとバスに乗り台北駅前へ向かい、コンビニで軽食とビールを買って23:30頃に駅近くのホテルへ到着した。 -
◆2日目
【台湾の乗り鉄スタート】
この日から台湾の鉄道を乗り回す「だけ」の旅が始まる。台北8:36発の高鐡(台湾新幹線)で新竹へ向かう。
この列車は各駅停車タイプなので台北からの乗客はまばらであるが、桃園からそれなりの数の乗車があった。9:10の定刻に高鐡新竹に到着する。 -
(画像は竹中で撮影)
高鐡新竹には新竹市街へのアクセスのために台鐡の「六家線」が接続しており、高鐡新竹への接続駅は「六家」である。既存の内湾線と新設した六家線で高鐡と新竹市街地間のアクセスを担っており、該当する区間は高架化と電化が行われている。全線高架で4両編成の電車が行き交うのみであるので趣味的には面白みがないであろう。
予定より1本早い高鐡に乗車したため、時間つぶしのために北新竹へ行ってみることにする。 -
北新竹は内湾線(六家線)と西部幹線が交わるジャンクションである。そのため広いヤードに多数の車両が留置されているだけでなく、構内の外れにはホッパ貨車への荷役設備もある。日本では見られなくなった前近代的な貨物輸送も台湾では現役である。
北新竹では20分程の待ち合わせで六家行きの電車に乗り、竹中で下車し内湾行きの列車に乗り換える。竹中から内湾までは非電化区間であるため気動車が運行されているが、まだホームへは入線していない。内湾から到着して折り返すのかと思っていたが、発車時刻の数分前に新竹方面から入線した。どうやら新竹から回送されているようである。 -
内湾行きはDRC1000形気動車2両編成で、数は少ないが台湾人の観光客風の乗客もちらほらいる。
10:10に竹中を発車する。途中の竹東は何本かの側線がある駅で、ここで内湾からやって来た列車と行き合いする。続いての九讃頭はかつて貨物輸送で賑ったであろう使われなくなった側線が何本かあった。現在でも交換可能駅で、この駅で折り返す列車も少数設定されている。
九讃頭からは勾配と曲線がきつくなり、山間へ分け入るように進み終点の内湾に到着した。
内湾はかつて石炭の積み出しで賑った駅で、現在は内湾老街や客家料理目当ての観光客で賑っている。残念ながら時間の都合で内湾の散策は出来ず、乗って来た列車ですぐに折り返す。内湾駅の横には鉄道グッズや猫グッズを扱うショップがあり、ここも賑っていた。 -
内湾には15分滞在しただけで折り返し、合興に11:13に到着した。ここは元スイッチバック式の駅であったが、今では本線上にホームが作られスイッチバックは解消されている。しかし当時のスイッチバック駅の線路が残されて車両が保存されるなど公園に整備されている。現在のホームはものすごい勾配線上にある。
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現在は使用されていないが、スイッチバック時代の駅事務室やポイントテコ、腕木式信号機がそのまま残されている。台湾全土に言えることだが、このような使わなくなった設備をすぐに撤去したり荒れ放題のまま放置する訳ではなく公園に整備して旅客を呼び込もうとするのは素晴らしい事だと思う。列車から降りた客は私だけであったが、車で来たらしい観光客が何組か散策していた。
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旧線部分には客車が保存されており車内は待合室や休憩室になっている。内湾線で唯一残る日本統治時代の木造駅舎もあるが、訪問時は工事中のため柵で覆われており立ち入り出来なかった。
次の列車まで1時間程あるため、少し歩いた所にある市街地を散策してみる。そこで昼時の注文品らしい大量の弁当がカウンターに積まれた弁当屋へ入ってみた。店のオバちゃん3人は台湾語しか通じないが、身振り手振りで「排骨が2切れ入った弁当と3切れ入った弁当がある」と説明してくれたため、2切れ入りの弁当を購入し駅の公園で食べる。天気も良く気温は25℃程で過ごしやすく、のんびりと次の列車を待った。 -
合興を12:13に出発し、竹中で乗り換えて六家(高鐡新竹)へ戻って来た。ここからは高鐡台中で一度降りた後に左營へ向かう。高鐡台中で降りたのは、構内の鉄道ショップでHOゲージの鉄道模型を探すためであったが、探しているものは無く空振りに終わった。
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(画像説明:左營手前にある車両基地では、日本から譲渡されたDD14とDD16ディーゼル機関車が健在だった)
高鐡台中から再び乗車し、左營には15:36に到着する。ここからMRTへ乗車して西子湾へ向かう。
高雄へは2度目の訪問であるが、前回は台鉄高雄駅前を見ただけだったので市内を回るのは初めてである。西子湾へ来たのは、打狗鉄道故事館を見学するためだ。 -
打狗鉄道故事館はかつて台鉄高雄港駅だった場所を整備した公園になっており、鉄道資料の展示や鉄道車両の保存が行われている。
この高雄港駅はかつて高雄(打狗)駅として開業したが現在の高雄駅が開業してこの場所は高雄港駅となった。臨海部の路線の歴史などが絡み複雑であるが、乱暴な(かつ超ローカルな)言い方をすれば日本の浜釧路駅や浜網走駅と同じようなものだろう。しかし高雄港駅は2008年まで現役で、廃止後の2010年に公園として整備された。 -
広い構内には線路を残したまま広場となる板が敷かれていたり、鉄道車両が保存されている。駅舎も残り、かつての駅事務室などを見学出来る。のんびり座ってお喋りする人、ランニングする人、凧を上げる人(凧をレンタルか販売かするおじさんもいる)など平日の夕方にもかかわらず賑っている。
ただの公園として使う人以外にも、鉄道マニアではないであろう中高年の団体や若い女の子2人組なども熱心に鉄道の資料を見たり車両を背に記念撮影している。日本ではあまり見られない興味深い光景である。日本ではオタク趣味とされ時には鉄道に興味があることを公言できないような場面もあることと思うが、台湾では鉄道や歴史に興味を持つことに抵抗は無いらしい。台鉄やMRTが鉄道グッズを多数販売して鉄道趣味を広げようとしている事が関係しているのかもしれないし、過去の産業遺産を大事にしようという国民性もあるのかもしれない。
17時頃まで駅舎内や保存車両をゆっくりと見学し、今日の宿がある高雄駅近くまで向かう。この時期の台湾は過ごしやすい気候であるが、28℃程あると思われる気温と照りつける強い西日で歩くと汗が滲んできた。 -
◆3日目
【南廻線を目指す】
高雄8:34発の區間車(普通列車)で枋寮を目指す。予定では9:30発の自強号で向かう事にしていたが、前日早めにホテルへ入ったことと、區間車にはどんな車両を使うのか気になっていたので予定を早めた。
R100形ディーゼル機関車が冷房付きの客車(復興号などでも使用する)を7両ほど牽引している。この列車は新左營始発であり屏東までは電化区間を走行するが、最初からディーゼル機関車が牽引する。
高雄駅は2013年1月に訪れた際もそうであったが、未だに高架化(ひょっとしたら地下化かもしれない)の工事中であった。
定刻に高雄を発車する。客車列車であるため加速はとても遅い。客車は7両程度連結しているが車内はガラガラ状態である。途中駅で自強号に追い越されたり貨物列車の通過を待ったりとのんびりとした列車である。
途中の六塊セキ〜屏東間は高架化工事中であった。 -
その後、西勢でキョ(草冠に呂。以下略)光号の通過待ちをする。この客車のドアは手動であり、ドアを閉めなくても走行出来る(ドア閉め後にロックする機能があるかは不明)。そのため発車直前や走行中は駅係員や車掌が開いているドアを閉めるが、全てのドアを確認して回れる訳ではない。そのため走行中開いたままになっている場合があるので、デッキを通る際は注意が必要である。
潮州まで電化工事が行われており、潮州〜カン頂間では新しい電車区を建設する様子が見られた。 -
枋寮には定刻の10:36に到着する。枋寮駅の構内ははさながら客車天国である。
次に乗る列車まで1時間半程あるので、駅前をぶらぶらしたり駅横から構内を撮影したりしていた。 -
イチオシ
【客車鈍行の旅】
続いて乗車するのは、「普快3671次 枋寮発台東行」である。この列車は今では台湾で1日1往復のみの存在となってしまった非冷房の旧型客車を使用した列車である(※例外的に他にも運用される場合があるが、狙って乗れるのはこの列車と対向3672次のみ)。今回の台湾旅行はこれに乗るために企画したと言っても過言ではない。
この日の編成は、R125+35SPK32717+35SPK32734+35SPK32740であり、客車は3両とも日本製でインド製の両開きドアを持つ客車は入っていなかった。発車30分前にホームへやって来たがまだ誰も乗っていない。少し経つと日本人か台湾人か分からないが鉄道ファンがちらほらやって来た。
アメリカンスタイルの客車が日本風の客車を牽引するアンバランスさがまた魅力である。 -
客車には冷房が無いため窓が開くし、ドアは手動、貫通路は細い棒があるだけなど日本ではすでに見られなくなった昔ながらの客車である。日本では使われなくなった尾灯周囲の赤色円盤も現役である。
こんな前近代的な客車は今では台湾でも貴重であり、台湾の鉄道ファンには有名だそうだ。最近では日本の鉄道雑誌にも採り上げられ、日本人のサイトやブログでもたくさんの乗車記を見ることが出来る。 -
11:38に高雄方面からのキョ光号が到着すると、台湾人らしい中高年の団体客がわんさか乗車した。明らかにこの列車に乗ることが目的のツアーコースである(この団体客が下車したキョ光号が普快3671次の前を走るため、普通ならそのまま乗車しているであろう)。団体客が大声で喋り始めたため、先頭車両に移動した(しかし先頭車も機関車がドコドコうるさい)。
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12:05の定刻に枋寮を発車した。次の加祿では台東方面から来た自強号の通過待ちを行う。駅構内には貨車や冷房付き客車(今乗車している非冷房の客車を冷房改造したものだそうだが、設備のボロさが不評で今は使われていないらしい)が多数留置されている。
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画像は枋山駅。南廻線は1991年の完成であるため駅舎はどれもコンクリート製で新しいが、1日2往復の區間車と普快車しか停まらない駅も多い。加えて画像のように線路が剥がされた駅も多く寂しい感じである。
時刻表を見ると分かるが、區間車と普快車しか停まらない小駅では鉄道が日常需要の役に立っているのか甚だ疑問である。朝夕の通勤通学客の流れには合致しているのかもしれないが、画像の枋山駅では台東方面へ向かう列車は12:28発のこの列車が最終列車である。 -
続いて枋野信号所に停車する。この枋野はなぜか時刻表に駅名が掲載されているが停車列車は無い事になっている。実際には旅客駅ではなく信号所であり、信号所職員が通勤のため乗り降りするそうだ。
ここで20分程停車し、後方からやって来るキョ光号に先を譲る。長い停車時間の間には車掌が信号所職員と喋っている横で、餌付けしているのであろう野良犬がうろうろしているなどのどかな光景が見られた。 -
南廻線は海を望める区間が意外にも少なく、山間を走る箇所が相当ありかつ全線の4割程度はトンネル区間であるなど山岳路線と言った方がいいだろう。しかし建設が新しいためか極端な急勾配や急曲線は無い。
機関車のすぐ後ろの車両に乗車しているが、このR100形ディーゼル機関車がとんでもない爆音を立てて走行する。トンネルに入ると窓を全て閉めても車内での会話が困難な程である。しかし非電化区間では主力として活躍しており、電化区間であっても高雄のような大都市に乗り入れているが沿線住民から苦情が出ないのだろうか。
その後の金崙では行き合いのキョ光号が遅れたため発車が10分程遅れる。遅れ回復のためか更に騒音はひどくなり気動車顔負けの加速で走行する。温泉で有名な知本ではホームに多数の乗客がいたが、この列車に乗るのは数人のみで他は高雄方面への自強号に乗るようだ。
知本からは電化工事中の架線柱が見えるようになった。台東までは2014年6月完成を目指して電化工事が進んでいるが、知本まで電化する計画もあるらしくそのためであろうか。 -
普快3671次は8分程遅れた14:27頃に終点の台頭に到着した。機関車はすぐに切り離される。やはり何人かの鉄道ファンは乗り通したようでホームを駆け回って写真を撮っている。
台東では、現在の駅から離れた市街地にある旧駅跡へ行ってみる。タクシーの客引きを断り事前に調べておいた14:56発のバスを待つ。ところがバスは遅れているのか置いて行かれたのか時間になってもやって来ない。同じバスを待つ台湾人らしいカップルも心配そうに時刻表を眺めている。
すると日本語を話せるおばさんが「50元で市街地まで乗せていく」と声を掛けてきたので、先ほどのカップルと一緒に車へ乗せてもらう事にした。どうもこのおばさんは日常的にバスの客を乗せているらしく(白タク行為だが)、こちらが100元札を渡すとフィルムケースに用意していた50元硬貨をすぐに渡してくれた。 -
台東駅から車で10分程で市街地に到着した。旧台東駅を見学するが、何と駅舎は改築中なのか工事中で立ち入り出来なかった。ここにあった旅遊服務中心(観光案内所)もどこかへ行ってしまっている。幸い脇の道路へ回ると裏手の保存車両は見学出来た。
この旧台東駅について簡単に記すと、開業当初はここが台東駅であったが、1985年に南廻線が開通し現在の台東駅(卑南駅→台東新駅に名称変更)が開業すると、台東新駅と台東駅(旧台東駅)は盲腸線になった。しかし2001年にこの盲腸線部分が廃止されると台東新駅が台東駅を名乗り、台東の市街地から鉄道は無くなってしまった。輸送規模が違いすぎるが日本なら五稜郭〜函館間が廃止され、五稜郭が函館新駅になるようなものであろうか。
現在の旧台東駅は公園に整備されている。現在の台東駅から旧駅まではバスが走っているが、純粋なシャトルバスは少なく郊外路線も新旧駅間のアクセスを担ってるため非常に分かりづらい。 -
公園内にはかつての機関庫や給水塔、転車台なども保存され、台湾各地で見られる昔の鉄道の遺構を大事にする様子がうかがえる。
15:40頃に旧駅の見学を終えてバスターミナルへやって来た。事前に調べた次のバスの時刻は17:00でありただ1時間以上待つには暇すぎる、いっそ現台東駅まで歩くかと考えていたが、タクシーの運転手が「200元で新駅まで行くよ」と声を掛けてきた。英語が通じる運転手だったことと良心的な値段だったためタクシーを使う事にする。バスを待ったとしても、系統が分かりづらいため置いて行かれるかもしれないという懸念もあったためだ。 -
16:00少し前に台東駅に戻って来た。もっと遅い時間のキョ光号に乗る予定だったが、時刻表を見てみると16:06発の玉里行き普快4681次という列車がある。全くノーマークであったが自動券売機で切符を買ってホームへ行ってみる。
そこで待っていたのは何と青い非冷房の客車だった。R100形ディーゼル機関車が牽引し、客車は日本製が1両とインド製が1両の2両編成だ。先程南廻線の普快3671次で旧型客車とは「今生の別れ(大袈裟すぎるが)」をしたつもりだったのですっかり嬉しくなってしまった。
日本へ帰国後に調べたところ、通常使用するDR2700形気動車(かつて優等列車で活躍したが非冷房。日本で言えばキハ58クラスの骨董品)に重大な故障が発生し、2013年夏頃から一部列車で旧型客車が代走しているそうだ。しかし乗車した2014年3月でもこの状況が続いており、同年6月には台東電化を控えていることからこのままの体制で電化開業を迎えるのかもしれない。
定刻に台東を発車する。乗客は20人程乗っているが台東近郊の駅でほとんど降りてしまい1両目には私だけ、2両目には台湾人らしい鉄道ファンが1人乗っているだけになる。
何のためにこの列車が存在しているのか疑問に思っているうちに、關山へ到着する。ここで対向のキョ光号や自強号と行き合い、更に後発の自強号に追い抜かされるため30分程停車する。その長時間停車の間にジャージ姿の高校生がどんどん乗車してくる。この列車は学生の下校用列車だったのだ。ちなみにこの普快4681次と折り返しの玉里18:28発普快4684次は土休日運休で、これに旧型客車が充当されているようだ。 -
高校生で座席が7割程埋まった所で關山を発車する。そして17:39に今日の目的地である池上へ到着する。
池上では有名な池上弁当を食べること(画像にある保存車両を見ること)が目的であるが、行程的にここで泊まるのがベストだったためだ。駅から徒歩3分の安宿に荷物を置き、池上飯包文化故事館で弁当を夕食にした。
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