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粉河寺(こかわでら)は770年に創建され。鎌倉時代には七堂伽藍、550坊、東西南北各々4キロ余の広大な境内地と寺領4万余石を有していました。<br /><br />しかし豊臣秀吉の兵乱にあってしまい、その多くを焼失しました。<br /><br />その後江戸時代中期以降に多くの建造物が再建されました。<br /><br />また御本尊は秘仏でいまだ公開されたことはありません。<br /><br /><br />この西国3番札所の粉河寺にお参りしてきました。<br /><br />なおこの前後の様子は以下に記載しておりますので、よろしければこちらもお願いいたします。<br /><br />https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10867442<br /> <br /> 

粉河寺-西国三十三カ所3番札所 ご本尊秘仏のお寺

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2014/03/15 - 2014/03/15

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粉河寺(こかわでら)は770年に創建され。鎌倉時代には七堂伽藍、550坊、東西南北各々4キロ余の広大な境内地と寺領4万余石を有していました。

しかし豊臣秀吉の兵乱にあってしまい、その多くを焼失しました。

その後江戸時代中期以降に多くの建造物が再建されました。

また御本尊は秘仏でいまだ公開されたことはありません。


この西国3番札所の粉河寺にお参りしてきました。

なおこの前後の様子は以下に記載しておりますので、よろしければこちらもお願いいたします。

https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10867442
 
 

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
徒歩
  • JR和歌山線・粉河(こかわ)駅に到着しました。<br /><br />西国三十三ヵ所第三番札所・粉河寺の最寄り駅です。<br />

    JR和歌山線・粉河(こかわ)駅に到着しました。

    西国三十三ヵ所第三番札所・粉河寺の最寄り駅です。

  • 駅前には童男大士像(どうなんたいしぞう)がおられます。<br /><br /><br /><br />この像には粉河寺の創建に絡む伝承があります。<br /><br />奈良時代の末の770年、大伴孔子古(おおとものくじこ)という猟師が猟をしている時に、地面が光っている個所を見つけ、そこに庵を建てました。<br /><br />その庵に子供の姿をした行者が現れ、一夜の宿を求め、そのお礼に七日間、庵にこもり仏像をつくる約束をします。<br /><br />7日後、子供の姿は消え、金色に輝く千手千眼観世音菩薩が残されていました。<br /><br />孔子古はその子供こそ千手千眼観世音菩薩の化身だと考え、粉河寺の御本尊として大切に祀ることにしました。<br /><br /><br />上の伝承は「粉河寺縁起絵巻」(国宝)に描かれています。<br /><br /><br />つまり、この童男大士が千手千眼観世音菩薩の化身だというわけです。<br /><br />それにしても可愛らしいお姿です。<br />

    駅前には童男大士像(どうなんたいしぞう)がおられます。



    この像には粉河寺の創建に絡む伝承があります。

    奈良時代の末の770年、大伴孔子古(おおとものくじこ)という猟師が猟をしている時に、地面が光っている個所を見つけ、そこに庵を建てました。

    その庵に子供の姿をした行者が現れ、一夜の宿を求め、そのお礼に七日間、庵にこもり仏像をつくる約束をします。

    7日後、子供の姿は消え、金色に輝く千手千眼観世音菩薩が残されていました。

    孔子古はその子供こそ千手千眼観世音菩薩の化身だと考え、粉河寺の御本尊として大切に祀ることにしました。


    上の伝承は「粉河寺縁起絵巻」(国宝)に描かれています。


    つまり、この童男大士が千手千眼観世音菩薩の化身だというわけです。

    それにしても可愛らしいお姿です。

  • 粉河寺までは一直線の参道が伸びています。<br /><br />道路の拡張工事があったため、昔の面影が全く残されていないのは残念です。<br />

    粉河寺までは一直線の参道が伸びています。

    道路の拡張工事があったため、昔の面影が全く残されていないのは残念です。

  • 参道沿いには「粉河寺縁起絵巻」が何枚かあります。<br /><br /><br />「粉河寺縁起絵巻」には上の童男大士の伝承のほかにもう一つ伝承があります。<br /><br /><br />河内の国(今の東大阪)の長者・佐太夫の娘が重い病気にかかってしまいます。そこへ童男大士があらわれ祈願したところ娘の病は全快します。<br /><br />童男大士は財宝などのお礼は受け取らず、娘の小太刀と緋のはかまだけを受け取り、「私は紀伊国那賀郡におります」と言って立ち去りました。<br /><br />佐太夫一家が那賀郡に行くと、庵に、娘の小太刀とはかまを持った千手千眼観世音菩薩がおられ、一家はその場ですぐに出家しました。<br /><br />その後、孔子古とその一家は粉河寺の繁栄に尽力しました。<br /><br /><br />真偽のほどは分かりませんが、政治家だった塩川正十郎さんが佐太夫の子孫らしいです。<br />

    参道沿いには「粉河寺縁起絵巻」が何枚かあります。


    「粉河寺縁起絵巻」には上の童男大士の伝承のほかにもう一つ伝承があります。


    河内の国(今の東大阪)の長者・佐太夫の娘が重い病気にかかってしまいます。そこへ童男大士があらわれ祈願したところ娘の病は全快します。

    童男大士は財宝などのお礼は受け取らず、娘の小太刀と緋のはかまだけを受け取り、「私は紀伊国那賀郡におります」と言って立ち去りました。

    佐太夫一家が那賀郡に行くと、庵に、娘の小太刀とはかまを持った千手千眼観世音菩薩がおられ、一家はその場ですぐに出家しました。

    その後、孔子古とその一家は粉河寺の繁栄に尽力しました。


    真偽のほどは分かりませんが、政治家だった塩川正十郎さんが佐太夫の子孫らしいです。

  • 粉河寺の大門が見えてきました。<br />

    粉河寺の大門が見えてきました。

  • 朱色に塗られた橋を渡ってお寺に向かいます。<br />

    朱色に塗られた橋を渡ってお寺に向かいます。

  • 1706年に建立された総欅(けやき)造りの大門です。<br /><br />境内入り口にあるこの大門は非常に立派なもので、粉河寺の威容がうかがわれます。<br /><br />造りは入母屋造・本瓦葺きの楼門で重要文化財に指定されています。<br /><br /><br />金剛力士像は仏師・春日の作と云われ、桂の巨木が使われています。

    1706年に建立された総欅(けやき)造りの大門です。

    境内入り口にあるこの大門は非常に立派なもので、粉河寺の威容がうかがわれます。

    造りは入母屋造・本瓦葺きの楼門で重要文化財に指定されています。


    金剛力士像は仏師・春日の作と云われ、桂の巨木が使われています。

  • 阿形像です。<br />

    阿形像です。

  • 吽形像です。<br />

    吽形像です。

  • 境内に入ります。<br /><br />右手には粉河茶屋があり休憩や食事をすることもできます。<br /><br />

    境内に入ります。

    右手には粉河茶屋があり休憩や食事をすることもできます。

  • 粉河寺案内図です。<br /><br />大門をくぐり、右に曲がり進むと中門にたどり着きます。<br /><br />中門の先に本堂があります。<br /><br /><br />境内は整然と配置されており、初めてでも戸惑うことはありませんでした。<br />

    粉河寺案内図です。

    大門をくぐり、右に曲がり進むと中門にたどり着きます。

    中門の先に本堂があります。


    境内は整然と配置されており、初めてでも戸惑うことはありませんでした。

  • 不動堂は大門をくぐった最初のお堂です。<br /><br />弘法大師爪刻(つめぼり)不動尊が安置されています。<br />

    不動堂は大門をくぐった最初のお堂です。

    弘法大師爪刻(つめぼり)不動尊が安置されています。

  • 大門を進んで右に曲がると、右手に川、左手にはお堂などがならんでいます。<br /><br />石畳の道を進みます。<br />

    大門を進んで右に曲がると、右手に川、左手にはお堂などがならんでいます。

    石畳の道を進みます。

  • 地蔵堂です。<br /><br />子供の無病息災祈願の子育地蔵が安置されています。<br /><br />1734年に粉河の鋳物師・木村安成により造られました。

    地蔵堂です。

    子供の無病息災祈願の子育地蔵が安置されています。

    1734年に粉河の鋳物師・木村安成により造られました。

  • 羅漢堂です。<br /><br />

    羅漢堂です。

  • 本坊です。<br /><br />こちらの門は閉じられていますが、左側の門は開かれていました。<br />

    本坊です。

    こちらの門は閉じられていますが、左側の門は開かれていました。

  • 本坊のこちら側の門は開いていました。<br />

    本坊のこちら側の門は開いていました。

  • 奥の建物が住居部分かと思います。<br /><br />これ以上入っていいか分かりませんので、このお庭だけ見て出ました。<br /><br />

    奥の建物が住居部分かと思います。

    これ以上入っていいか分かりませんので、このお庭だけ見て出ました。

  • 1679年に建立された童男堂です。<br /><br />ご本尊の千手千眼観世音菩薩の化身だと云われている童男大士が祀られています。<br /><br />童男大士は粉河駅前にあった子供の像です。<br /><br />この童男堂は県の文化財に指定されています。<br />

    1679年に建立された童男堂です。

    ご本尊の千手千眼観世音菩薩の化身だと云われている童男大士が祀られています。

    童男大士は粉河駅前にあった子供の像です。

    この童男堂は県の文化財に指定されています。

  • 仏足石です。<br />

    仏足石です。

  • お釈迦様の足跡が刻まれいる紋様は千輻輪相(せんぷくりんそう)をあらわし、その大きさは人徳の偉大さを象徴しています。<br /><br />千輻輪相とは仏の三十二相の一つで、足の裏または掌にある車輪状の文様を言います。<br /><br /><br />うしろの碑は江戸時代の願海上人の筆によるものです。<br /><br /><br /><br /><br />

    お釈迦様の足跡が刻まれいる紋様は千輻輪相(せんぷくりんそう)をあらわし、その大きさは人徳の偉大さを象徴しています。

    千輻輪相とは仏の三十二相の一つで、足の裏または掌にある車輪状の文様を言います。


    うしろの碑は江戸時代の願海上人の筆によるものです。




  • ご本尊・千手観音の化身である童男大士が柳の枝を手に白馬に乗ってこの池から出現したといわれる出現池です。<br /><br />童男大士は病気平癒の仏様で、祈願成就すれば鯉をこの池に放生する風習があります。<br /><br /><br />そういえば童男大士が河内国の長者・佐太夫の娘の病を治癒させたことが、粉河寺の創建に関係していました。<br /><br />そのあたりの伝承から病気平癒の仏様といわれるのでしょう。

    ご本尊・千手観音の化身である童男大士が柳の枝を手に白馬に乗ってこの池から出現したといわれる出現池です。

    童男大士は病気平癒の仏様で、祈願成就すれば鯉をこの池に放生する風習があります。


    そういえば童男大士が河内国の長者・佐太夫の娘の病を治癒させたことが、粉河寺の創建に関係していました。

    そのあたりの伝承から病気平癒の仏様といわれるのでしょう。

  • 童男大士石像です。<br /><br />

    童男大士石像です。

  • 馬蹄石です。<br /><br />童男大士が乗った馬が残した蹄の跡ですね。

    馬蹄石です。

    童男大士が乗った馬が残した蹄の跡ですね。

  • 観音出現の碑です。<br /><br />童男大士に化身した千手観音が出現した池です。<br /><br />右奥に馬蹄石の碑が見えます。<br />

    観音出現の碑です。

    童男大士に化身した千手観音が出現した池です。

    右奥に馬蹄石の碑が見えます。

  • 阿弥陀如来を安置する念佛堂です。<br /><br />江戸時代後期の総欅造りの建造物です。

    阿弥陀如来を安置する念佛堂です。

    江戸時代後期の総欅造りの建造物です。

  • 総長210cm、像長144cmの阿弥陀如来座像です。<br /><br />紀州八代藩主徳川重倫公らにより寄進されたもので、市の文化財に指定されています。

    総長210cm、像長144cmの阿弥陀如来座像です。

    紀州八代藩主徳川重倫公らにより寄進されたもので、市の文化財に指定されています。

  • 聖徳太子を祀る太子堂です。<br /><br />

    聖徳太子を祀る太子堂です。

  • 身代わり地蔵尊です。<br />

    身代わり地蔵尊です。

  • 身を清める手水舎は中門の手前にあります。<br />

    身を清める手水舎は中門の手前にあります。

  • 盥漱盤(かんそうばん)で手水鉢のことです。<br /><br />総高240cm、幅185cmで粉河鋳物師・蜂屋薩摩掾五代目・源正勝1775年の作です。<br /><br />市の文化財に指定されているものです。

    盥漱盤(かんそうばん)で手水鉢のことです。

    総高240cm、幅185cmで粉河鋳物師・蜂屋薩摩掾五代目・源正勝1775年の作です。

    市の文化財に指定されているものです。

  • 本堂へ続く中門へは石段を上がっていきます。<br />

    本堂へ続く中門へは石段を上がっていきます。

  • 1832年に建立された中門は四天王を祀っています。<br /><br />造りは入母屋造、本瓦葺きの楼門で軒まわりまで良質の欅を使い、繊細な建物に仕上げています。<br /><br />重要文化財に指定されています。、<br />

    1832年に建立された中門は四天王を祀っています。

    造りは入母屋造、本瓦葺きの楼門で軒まわりまで良質の欅を使い、繊細な建物に仕上げています。

    重要文化財に指定されています。、

  • 「風猛山」の扁額は、紀州十代藩主・徳川治宝候の直筆です。<br /><br />粉河寺の山号が風猛山です。<br />

    「風猛山」の扁額は、紀州十代藩主・徳川治宝候の直筆です。

    粉河寺の山号が風猛山です。

  • 四天王の多聞天です。

    四天王の多聞天です。

  • 四天王の広目天です。<br />

    四天王の広目天です。

  • 四天王の持国天です。、<br />

    四天王の持国天です。、

  • 四天王の増長天です。<br />

    四天王の増長天です。

  • 中門を背面から見た所です。<br /><br />

    中門を背面から見た所です。

  • 1806年に再建された丈六堂です。<br /><br />丈六とは釈迦の身長が1丈6尺(およそ4.85m)であったことから、その高さの仏像のことを言います。<br /><br />丈六堂には阿弥陀如来像が安置されています。<br />

    1806年に再建された丈六堂です。

    丈六とは釈迦の身長が1丈6尺(およそ4.85m)であったことから、その高さの仏像のことを言います。

    丈六堂には阿弥陀如来像が安置されています。

  • 丈六堂の阿弥陀如来像です。<br /><br />座像ですから1丈6尺の半分の8尺で造られています。<br /><br />

    丈六堂の阿弥陀如来像です。

    座像ですから1丈6尺の半分の8尺で造られています。

  • 水向地蔵です。<br />

    水向地蔵です。

  • 更に石段をあがると本堂に至ります。<br /><br />この石段の両サイドに珍しい庭園があります。<br />

    更に石段をあがると本堂に至ります。

    この石段の両サイドに珍しい庭園があります。

  • 今立っている広場と石段をあがった所との高低差を利用した枯山水蓬莱庭園です。<br /><br />豪壮な石と植物を組み合わせたこの庭園は桃山時代の上田重安の作です。<br /><br />国の名勝に指定されています。<br />

    今立っている広場と石段をあがった所との高低差を利用した枯山水蓬莱庭園です。

    豪壮な石と植物を組み合わせたこの庭園は桃山時代の上田重安の作です。

    国の名勝に指定されています。

  • この広場から見上げる本堂と庭園の風景は素晴らしいものです。

    この広場から見上げる本堂と庭園の風景は素晴らしいものです。

  • 粉河寺は770年に創建されましたが、この本堂は1720年に再建されたものです。<br /><br />江戸時代中期の寺院建築の代表的な建造物で重要文化財に指定されています。<br /><br /><br /><br />西国の中で最大といわれる内陣の奥深くに御本尊・千手千眼観世音菩薩が祀られています。<br /><br />この御本尊は火災を避けるため本堂の地中に埋められているとのことです。<br /><br />この御本尊・千手千眼観世音菩薩は秘仏でいまだ公開されたことはありません。

    粉河寺は770年に創建されましたが、この本堂は1720年に再建されたものです。

    江戸時代中期の寺院建築の代表的な建造物で重要文化財に指定されています。



    西国の中で最大といわれる内陣の奥深くに御本尊・千手千眼観世音菩薩が祀られています。

    この御本尊は火災を避けるため本堂の地中に埋められているとのことです。

    この御本尊・千手千眼観世音菩薩は秘仏でいまだ公開されたことはありません。

  • まずお参りをします。<br /><br />

    まずお参りをします。

  • 撫で仏の賓頭盧尊者(びんずる)尊者です。<br /><br />自分の悪い所と同じ所を撫でると直して頂けるという仏様で、十六羅漢の一人です。<br /><br />

    撫で仏の賓頭盧尊者(びんずる)尊者です。

    自分の悪い所と同じ所を撫でると直して頂けるという仏様で、十六羅漢の一人です。

  • 納経所で御朱印と御影を頂きました。<br />

    納経所で御朱印と御影を頂きました。

  • 粉河寺で頂いた御朱印と御影です。<br /><br />西国巡礼4寺目になります。

    粉河寺で頂いた御朱印と御影です。

    西国巡礼4寺目になります。

  • 1760年に建立された宝形造りの千手堂です。<br /><br />正面に千手観音、両側の祭壇には紀州藩歴代藩主とゆかりの人々の位牌が安置されています。<br /><br /><br />粉河寺は紀州徳川家の庇護を受けていましたので、位牌の安置などもされているのでしょう。<br /><br />千手堂は重要文化財に指定されています。<br />

    1760年に建立された宝形造りの千手堂です。

    正面に千手観音、両側の祭壇には紀州藩歴代藩主とゆかりの人々の位牌が安置されています。


    粉河寺は紀州徳川家の庇護を受けていましたので、位牌の安置などもされているのでしょう。

    千手堂は重要文化財に指定されています。

  • 1720年に建立された六角堂です。<br /><br />西国三十三国観音が安置されています。<br />

    1720年に建立された六角堂です。

    西国三十三国観音が安置されています。

  • 鐘楼と本堂です。<br /><br />

    鐘楼と本堂です。

  • 粉河寺の鐘楼の所から十禅律院へ向かいます。<br /><br />粉河寺の塔頭十禅院として990年に創建されましたが、1800年に紀州藩10代藩主・徳川治宝(はるとみ)により天台宗の寺院に改宗され、十禅律院が創建されました。<br /><br />本堂・庫裡・護摩堂・塗上門(築地門)の4棟の建造物が県の有形文化財に指定されています。<br /><br />

    粉河寺の鐘楼の所から十禅律院へ向かいます。

    粉河寺の塔頭十禅院として990年に創建されましたが、1800年に紀州藩10代藩主・徳川治宝(はるとみ)により天台宗の寺院に改宗され、十禅律院が創建されました。

    本堂・庫裡・護摩堂・塗上門(築地門)の4棟の建造物が県の有形文化財に指定されています。

  • 龍宮造りの築地門で「宝鐸墜(ほうたくつい)」の題字は徳川治宝(はるとみ)の直筆です。<br /><br />この門はやっぱり龍宮城をイメージさせるものなんでしょうか。<br /><br />いい感じの門でした。<br /><br /><br /><br />

    龍宮造りの築地門で「宝鐸墜(ほうたくつい)」の題字は徳川治宝(はるとみ)の直筆です。

    この門はやっぱり龍宮城をイメージさせるものなんでしょうか。

    いい感じの門でした。



  • 総欅造りの本堂です。<br /><br />

    総欅造りの本堂です。

  • 宝形造りの護摩堂です。

    宝形造りの護摩堂です。

  • 藩主着座の間を備える御殿造風の庫裡(こり)です。<br /><br />欅材などを用い、総畳数200余畳です。<br /><br />

    藩主着座の間を備える御殿造風の庫裡(こり)です。

    欅材などを用い、総畳数200余畳です。

  • 庫裡ですが閉まっていました。<br /><br />ここが拝観入口で洗心庭や寺宝が見れるようですが・・・。<br /><br />洗心庭は市の指定庭園になっている借景式庭園で素晴らしいものらしいです。見れなくて残念です。<br />

    庫裡ですが閉まっていました。

    ここが拝観入口で洗心庭や寺宝が見れるようですが・・・。

    洗心庭は市の指定庭園になっている借景式庭園で素晴らしいものらしいです。見れなくて残念です。

  • 十禅律院を出て粉河寺境内に戻ります。<br />

    十禅律院を出て粉河寺境内に戻ります。

  • 粉河寺本堂の横の石段をあがりますと粉河産土(こかわうぶすな)神社です。<br /><br />

    粉河寺本堂の横の石段をあがりますと粉河産土(こかわうぶすな)神社です。

  • 拝殿です。<br /><br />粉河産土神社は旧粉河村の総鎮守で、粉河寺内の鎮守でもあります。<br /><br /><br />この神社では雅楽の音色が聞こえていました。<br />

    拝殿です。

    粉河産土神社は旧粉河村の総鎮守で、粉河寺内の鎮守でもあります。


    この神社では雅楽の音色が聞こえていました。

  • 絵馬に2674年とありますが、皇紀ではそうなるということです。<br /><br />もちろん西暦では2014年です。<br />

    絵馬に2674年とありますが、皇紀ではそうなるということです。

    もちろん西暦では2014年です。

  • 本殿二棟は同形式、同寸法で並列しています。<br /><br />非常に美しい本殿で、市の文化財に指定されています。<br />

    本殿二棟は同形式、同寸法で並列しています。

    非常に美しい本殿で、市の文化財に指定されています。

  • 粉河産土神社に並んでいくつかの社があります。<br />

    粉河産土神社に並んでいくつかの社があります。

  • 天福神社です。<br />

    天福神社です。

  • 猿田彦命です。<br />

    猿田彦命です。

  • 五社神社です。<br /><br />祀られているのは、北野神社 多賀神社 日吉神社 一言主神社 楠神社です。、<br />

    五社神社です。

    祀られているのは、北野神社 多賀神社 日吉神社 一言主神社 楠神社です。、

  • 護国神社です。<br />

    護国神社です。

  • 白山神社です。<br />

    白山神社です。

  • 鳥居の向こうには粉河稲荷神社があります。<br />

    鳥居の向こうには粉河稲荷神社があります。

  • 粉河稲荷神社にはたくさんのお稲荷様がおられます。

    粉河稲荷神社にはたくさんのお稲荷様がおられます。

  • 森の中に入っていくと経塚入口があります。<br />

    森の中に入っていくと経塚入口があります。

  • 経塚と珍根木の案内板がありました。<br /><br />珍根木は探したんですが、残念ながら見つけられませんでした。<br />

    経塚と珍根木の案内板がありました。

    珍根木は探したんですが、残念ながら見つけられませんでした。

  • 経塚です。<br /><br />昭和34年に皇太子殿下御成婚記念植樹の際発見されたものです。<br /><br />陶製経筒などが出土しました。<br />

    経塚です。

    昭和34年に皇太子殿下御成婚記念植樹の際発見されたものです。

    陶製経筒などが出土しました。

  • そろそろ粉河寺をあとにします。<br />

    そろそろ粉河寺をあとにします。

  • 粉河寺を出て近くに立派なご神木を携えた春日神社があります。<br />

    粉河寺を出て近くに立派なご神木を携えた春日神社があります。

  • このご神木は和歌山県第3位の大木です。<br /><br />樹齢は1000年余り、胴周り15m、高さ25mと立派なクスノキです。<br /><br /><br />このあと粉河駅まで戻り、紀三井寺を目指しました。<br /><br /><br />長々とした旅行記を読んで頂き本当にありがとうございました。

    このご神木は和歌山県第3位の大木です。

    樹齢は1000年余り、胴周り15m、高さ25mと立派なクスノキです。


    このあと粉河駅まで戻り、紀三井寺を目指しました。


    長々とした旅行記を読んで頂き本当にありがとうございました。

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