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2009年、上野の博物館に「阿修羅展」を見に行った時、東大付近を散策、弥生門近辺を徘徊中に出くわしたのが「立原道造記念館」だった。<br />隣には「弥生美術館・竹久夢二美術館」もある。<br />言問通りから東大弥生門に向かって下っていく坂道は、通称「暗闇坂」と呼ばれている。<br /><br />昨年九月から、この坂を何度も下り、何度も登って、「集英社公開講座 ことばを読む ひとを知る」を聴講するために東大に通った。<br /><br />そして噂には聞いていたが、弥生門の反対側にあった「立原道造記念館」が消滅しているのを目の当たりにしたのだ。<br /><br /><br />

やさしいひとらよ たづねるな!~立原道造記念館と安田講堂の今昔

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2013/12/07 - 2013/12/07

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前日光

前日光さん

2009年、上野の博物館に「阿修羅展」を見に行った時、東大付近を散策、弥生門近辺を徘徊中に出くわしたのが「立原道造記念館」だった。
隣には「弥生美術館・竹久夢二美術館」もある。
言問通りから東大弥生門に向かって下っていく坂道は、通称「暗闇坂」と呼ばれている。

昨年九月から、この坂を何度も下り、何度も登って、「集英社公開講座 ことばを読む ひとを知る」を聴講するために東大に通った。

そして噂には聞いていたが、弥生門の反対側にあった「立原道造記念館」が消滅しているのを目の当たりにしたのだ。


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  • 池之端から、東大を左手に見て言問通り目指して歩いて来る道は、けっこうな上り坂になっている。<br />この写真は、その上り坂の途中、弥生美術館・竹久夢二美術館の手前の道で、夢二の女性のレリーフと「暗闇坂」と書かれた標識を撮ったものだ。

    池之端から、東大を左手に見て言問通り目指して歩いて来る道は、けっこうな上り坂になっている。
    この写真は、その上り坂の途中、弥生美術館・竹久夢二美術館の手前の道で、夢二の女性のレリーフと「暗闇坂」と書かれた標識を撮ったものだ。

  • 「竹久夢二美術館」と書かれた傍には、大正9年に25歳で世を去った夢二の最愛の女性「彦乃」のレリーフがある。<br /><br /> ぬれて来ば           <br />  よしや洟に<br />   あらずとも<br />  うれしきものを<br />   山のおとづれ<br /> (「山」とは、彦乃を指すらしい)

    「竹久夢二美術館」と書かれた傍には、大正9年に25歳で世を去った夢二の最愛の女性「彦乃」のレリーフがある。

     ぬれて来ば           
      よしや洟に
       あらずとも
      うれしきものを
       山のおとづれ
     (「山」とは、彦乃を指すらしい)

  • このレリーフを通過するとすぐに、「弥生美術館」とカフェ「港や」がある。<br /><br />初めに「弥生美術館」が、弁護士鹿野琢見氏によって造られ、氏の収集した高畠華宵の作品が展示されたが、その後併設して「竹久夢二美術館」が開設され、特に女性に人気が高い。<br />華宵と夢二の絵は非常に似ており、どちらも大正ロマンを代表するものとなっている。<br /><br />華宵は愛媛県宇和島市の出身で、愛媛県東温市にも華宵の美術館がある。

    このレリーフを通過するとすぐに、「弥生美術館」とカフェ「港や」がある。

    初めに「弥生美術館」が、弁護士鹿野琢見氏によって造られ、氏の収集した高畠華宵の作品が展示されたが、その後併設して「竹久夢二美術館」が開設され、特に女性に人気が高い。
    華宵と夢二の絵は非常に似ており、どちらも大正ロマンを代表するものとなっている。

    華宵は愛媛県宇和島市の出身で、愛媛県東温市にも華宵の美術館がある。

  • これら二つの美術館は内部で繋がっており、入り口を入ると左手に「港や」というカフェがある。<br /><br />美術館を見学した後、ここでコーヒーを飲んで夢二や華宵をしのぶという女性が後を絶たない。<br />

    これら二つの美術館は内部で繋がっており、入り口を入ると左手に「港や」というカフェがある。

    美術館を見学した後、ここでコーヒーを飲んで夢二や華宵をしのぶという女性が後を絶たない。

  • 「港や」の入り口にあったメニューの看板。

    「港や」の入り口にあったメニューの看板。

  • この美術館のすぐ北側は、2009年には空き地だった(写真左)<br />そして今は、その空き地が駐車場になったようだ(写真右)<br /><br />2009年、美術館の茶色い建物には蔦が茂っていたが、4年後の2013年には蔦がすっかり無くなっている。

    この美術館のすぐ北側は、2009年には空き地だった(写真左)
    そして今は、その空き地が駐車場になったようだ(写真右)

    2009年、美術館の茶色い建物には蔦が茂っていたが、4年後の2013年には蔦がすっかり無くなっている。

  • そしてまた同じく2009年、空き地の更に北には「立原道造記念館」の細長い建物があった。<br />道路を隔てたこの写真の斜め右にあるのが、「東大弥生門」である。<br /><br />「立原道造記念館」は、1997年に開館した。<br />そしてその13年後の2010年9月26日休館となり、翌2011年2月20日閉館となったのだ。<br /><br />私がこの記念館を訪れたのは、2009年5月2日のことだった。<br />確かに入館者は少なかったようだが、いかにも立原らしいこぢんまりとした記念館だと、その規模の小ささに感じ入りさえしたのだ。

    そしてまた同じく2009年、空き地の更に北には「立原道造記念館」の細長い建物があった。
    道路を隔てたこの写真の斜め右にあるのが、「東大弥生門」である。

    「立原道造記念館」は、1997年に開館した。
    そしてその13年後の2010年9月26日休館となり、翌2011年2月20日閉館となったのだ。

    私がこの記念館を訪れたのは、2009年5月2日のことだった。
    確かに入館者は少なかったようだが、いかにも立原らしいこぢんまりとした記念館だと、その規模の小ささに感じ入りさえしたのだ。

  • この記念館の休館・閉館の噂は耳にしたが、訪れる機会を逸していた。<br /><br />2013年9月から、縁あって記念館と向かい合っている弥生門から東大に出入りする機会があり、噂通り立原の記念館が姿を消していることに気づいた。<br /><br />現在、このような基礎工事が進んでいる状況である(写真上)<br />どんな建物がここに出現するのか、はっきりとは分からない。<br />上の写真の左端に、かつて「記念館」のエントランスを飾っていた詩碑が、雑草に覆われてうち捨てられていた(写真下)<br /><br />やさしいひとらよ たづねるな!<br />― なにをおまへはして来たかと 私に <br />やすみなく 忘れすてねばならない <br />そそぎこめ すべてを 夜に。。。<br />

    この記念館の休館・閉館の噂は耳にしたが、訪れる機会を逸していた。

    2013年9月から、縁あって記念館と向かい合っている弥生門から東大に出入りする機会があり、噂通り立原の記念館が姿を消していることに気づいた。

    現在、このような基礎工事が進んでいる状況である(写真上)
    どんな建物がここに出現するのか、はっきりとは分からない。
    上の写真の左端に、かつて「記念館」のエントランスを飾っていた詩碑が、雑草に覆われてうち捨てられていた(写真下)

    やさしいひとらよ たづねるな!
    ― なにをおまへはして来たかと 私に 
    やすみなく 忘れすてねばならない 
    そそぎこめ すべてを 夜に。。。

  • 反対方向から、詩碑の写真を写してみた(2013年12月)<br />この方が位置関係が分かると思う。<br /><br />いまは嘆きも 叫びも ささやきも<br />暗い碧の闇のなかに<br />私のためには 花となれ!<br />咲くやうに にほふやうに<br />。。。。。。<br /><br />     『ふるさとの夜に寄す』<br /><br />立原道造…1914年(大正3年)生まれ、1939年(昭和14年)没。わずか25年にも満たない生涯だった。<br />     <br />

    反対方向から、詩碑の写真を写してみた(2013年12月)
    この方が位置関係が分かると思う。

    いまは嘆きも 叫びも ささやきも
    暗い碧の闇のなかに
    私のためには 花となれ!
    咲くやうに にほふやうに
    。。。。。。

         『ふるさとの夜に寄す』

    立原道造…1914年(大正3年)生まれ、1939年(昭和14年)没。わずか25年にも満たない生涯だった。
         

  • そして2014年3月15日、記念館跡地の基礎工事は、周囲に木枠を張り巡らす段階に進んだようだ。<br /><br />詩碑を覆っていた雑草は取り除かれていた。<br />まるで新しい建造物の一部に、この詩碑を残そうとしているかのようにも見える。<br />もしそうであるならとてもうれしい。

    そして2014年3月15日、記念館跡地の基礎工事は、周囲に木枠を張り巡らす段階に進んだようだ。

    詩碑を覆っていた雑草は取り除かれていた。
    まるで新しい建造物の一部に、この詩碑を残そうとしているかのようにも見える。
    もしそうであるならとてもうれしい。

  • この工事現場の斜め向かいが「東大弥生門」である。<br /><br />東京メトロ千代田線を利用しているため、東大に来るには「根津駅」を下車、言問通りの弥生坂を登って、この弥生門から構内に入るのが最も早い。

    この工事現場の斜め向かいが「東大弥生門」である。

    東京メトロ千代田線を利用しているため、東大に来るには「根津駅」を下車、言問通りの弥生坂を登って、この弥生門から構内に入るのが最も早い。

  • 12月7日の東大構内は、まだ銀杏の黄葉が残っていた。

    12月7日の東大構内は、まだ銀杏の黄葉が残っていた。

  • もう散ってしまっただろうと思っていたので、思いがけず残っていた黄葉に感動した。

    もう散ってしまっただろうと思っていたので、思いがけず残っていた黄葉に感動した。

  • 法文2号館(左側)と1号館(右側)との間の銀杏並木には、多くの人が撮影やそぞろ歩きのために訪れている。

    法文2号館(左側)と1号館(右側)との間の銀杏並木には、多くの人が撮影やそぞろ歩きのために訪れている。

  • 安田講堂の方を振り返って。

    安田講堂の方を振り返って。

  • もう一度視線を戻してみる。

    もう一度視線を戻してみる。

  • 根元には、銀杏の葉が散り敷いていた。

    根元には、銀杏の葉が散り敷いていた。

  • 幼き日の思いを胸に、彼も末は博士か(^o^)

    幼き日の思いを胸に、彼も末は博士か(^o^)

  • 法文館を通り抜ける。

    法文館を通り抜ける。

  • 反対側から眺めた法文2号館。

    反対側から眺めた法文2号館。

  • ピークを過ぎてはいるけれど、まだまだ。

    ピークを過ぎてはいるけれど、まだまだ。

  • 。。。年年歳歳 花相似たり

    。。。年年歳歳 花相似たり

  • 歳歳年年 人同じからず<br /><br />。。。

    歳歳年年 人同じからず

    。。。

  • 講座が終わった3時45分。<br /><br />工事中の安田講堂に、写真やいろいろな説明書きが張り出されていた。

    講座が終わった3時45分。

    工事中の安田講堂に、写真やいろいろな説明書きが張り出されていた。

  • 安田講堂は、2013年〜2014年にかけて、耐震補強を含む全面改修を行っているようだ。<br /><br />この期間、講堂内部には入れず、外部からも仮囲いによって不完全にしか見られない。

    安田講堂は、2013年〜2014年にかけて、耐震補強を含む全面改修を行っているようだ。

    この期間、講堂内部には入れず、外部からも仮囲いによって不完全にしか見られない。

  • そこで工事完了までの間、仮囲いの壁面を利用して、安田講堂の現在と過去の写真、当初の設計図面の一部を紹介している。

    そこで工事完了までの間、仮囲いの壁面を利用して、安田講堂の現在と過去の写真、当初の設計図面の一部を紹介している。

  • 安田講堂は、内田祥三・岸田日出刀の設計により、1921年着工、1925年に竣工した。<br />東大のシンボルであり、中心的な建築物である。

    安田講堂は、内田祥三・岸田日出刀の設計により、1921年着工、1925年に竣工した。
    東大のシンボルであり、中心的な建築物である。

  • 安田財閥の創始者安田善次郎が、100万円寄付したことにより建設されたので、「安田講堂」と名付けられた。

    安田財閥の創始者安田善次郎が、100万円寄付したことにより建設されたので、「安田講堂」と名付けられた。

  • 内田が最初に描いた基本設計図をもとに、岸田がかなり自由に任されながら、実施段階へと設計が進んだ。

    内田が最初に描いた基本設計図をもとに、岸田がかなり自由に任されながら、実施段階へと設計が進んだ。

  • 内田はネオ・ゴシック様式を好み、岸田はドイツ表現主義の建築家エーリッヒ・メンデルスゾーンに影響を受けていたため、この講堂のデザインは、内田ゴシックをベースとしながら、岸田固有のデザインを加えたものだそうだ。

    内田はネオ・ゴシック様式を好み、岸田はドイツ表現主義の建築家エーリッヒ・メンデルスゾーンに影響を受けていたため、この講堂のデザインは、内田ゴシックをベースとしながら、岸田固有のデザインを加えたものだそうだ。

  • 着工後の1923年に関東大震災が起こり、本郷キャンパスは建築の破損、火災によって壊滅的な被害を受けたが、大講堂の現場に被害がなかったので工事を再開、1925年7月6日、講堂は竣工した。

    着工後の1923年に関東大震災が起こり、本郷キャンパスは建築の破損、火災によって壊滅的な被害を受けたが、大講堂の現場に被害がなかったので工事を再開、1925年7月6日、講堂は竣工した。

  • 1968年〜1969年の東大紛争では、安田講堂は占拠・封鎖される等、激しい攻防戦の舞台となった。<br />その後長期に渡って、大講堂は閉鎖されていたが、1990年大規模な改修工事が行われ、91年から再びここで卒業式が行われるようになった。<br /><br />そして1996年には、登録有形文化財の東京第一号として登録された。

    1968年〜1969年の東大紛争では、安田講堂は占拠・封鎖される等、激しい攻防戦の舞台となった。
    その後長期に渡って、大講堂は閉鎖されていたが、1990年大規模な改修工事が行われ、91年から再びここで卒業式が行われるようになった。

    そして1996年には、登録有形文化財の東京第一号として登録された。

  • 2011年の東日本大震災により、一部被害を受けたが、今回の改修工事は、それら耐震改修に加え、建設当初のオリジナルの計画案に近い形に全体のプランを修正する大がかりな工事となっている。<br /><br />以上、説明板に書かれていた事柄をまとめてみました。

    2011年の東日本大震災により、一部被害を受けたが、今回の改修工事は、それら耐震改修に加え、建設当初のオリジナルの計画案に近い形に全体のプランを修正する大がかりな工事となっている。

    以上、説明板に書かれていた事柄をまとめてみました。

  • 詩人立原道造は、東京帝国大学工学部建築学科を卒業している。<br />在学中の1934年〜1937年まで、岸田日出刀の研究室に所属していたのだ。<br />岸田は、安田講堂の二人の設計者のうちの一人である。<br />一学年下には、丹下健三氏と浜口隆一氏がいる。<br />また在学中に建築設計分野で、「辰野金吾賞」を三度も受賞している。<br /><br />1937年、石本建築事務所に入社し、そこで彼が生涯最も愛したと言われている「水戸部アサイ」と出会うことになるのだ。<br />アサイは栃木高等女学校を卒業後、立原と同じ建築事務所にタイピストとして入社、立原の最期を看取ったとも言われている。<br />立原の詩は、彼女の存在なくしては語れないという。<br /><br />立原はまた、亡くなった年の1939年には、第一回「中原中也賞」をも受賞している。多くの才能に満ちた青年は、結核という病魔によって24才の若さで彼岸へと連れ去られてしまったのだ。<br /><br /> <br /> 夢みたものは ひとつの幸福<br /> ねがったものは ひとつの愛<br /> 山なみのあちらにも しづかな村がある<br /> 明るい日曜日の青い空がある<br />   <br /><br /><br />   〜 中略 〜<br />  <br /><br /> 夢みたものは ひとつの愛<br /> ねがったものは ひとつの幸福<br /> それらは すべて ここにある と<br /><br /><br />   『夢みたものは…』《昭和13年(1938年)6月5日・日曜日)》       <br />    

    詩人立原道造は、東京帝国大学工学部建築学科を卒業している。
    在学中の1934年〜1937年まで、岸田日出刀の研究室に所属していたのだ。
    岸田は、安田講堂の二人の設計者のうちの一人である。
    一学年下には、丹下健三氏と浜口隆一氏がいる。
    また在学中に建築設計分野で、「辰野金吾賞」を三度も受賞している。

    1937年、石本建築事務所に入社し、そこで彼が生涯最も愛したと言われている「水戸部アサイ」と出会うことになるのだ。
    アサイは栃木高等女学校を卒業後、立原と同じ建築事務所にタイピストとして入社、立原の最期を看取ったとも言われている。
    立原の詩は、彼女の存在なくしては語れないという。

    立原はまた、亡くなった年の1939年には、第一回「中原中也賞」をも受賞している。多くの才能に満ちた青年は、結核という病魔によって24才の若さで彼岸へと連れ去られてしまったのだ。

     
     夢みたものは ひとつの幸福
     ねがったものは ひとつの愛
     山なみのあちらにも しづかな村がある
     明るい日曜日の青い空がある
       


       〜 中略 〜
      

     夢みたものは ひとつの愛
     ねがったものは ひとつの幸福
     それらは すべて ここにある と


       『夢みたものは…』《昭和13年(1938年)6月5日・日曜日)》       
        

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この旅行記へのコメント (23)

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  • しにあの旅人さん 2021/04/28 05:53:38
    おはようございます
    ブログ拝見しました。
    記念館は閉館しましたが、運営していた「立原道造記念会」はまだあるようです。

    http://www.tachihara.jp/index_old.html

    そこのブログに道造の恋人アサイの写真が載っていました。少し下の方です。

    http://www.tachihara.jp/kanpo53_s.pdf

    綺麗な方だった。
    同郷という事ですね。

    堀多恵子夫人の若いときの写真もあった。かなり貴重な資料だと思います。

    ブログそのものの感想は後ほど。

    前日光

    前日光さん からの返信 2021/04/29 22:54:36
    RE: おはようございます
    こんばんは。

    立原道造記念会、まだ存続しているのですね!
    でも記念館再開は、難しそう。

    > そこのブログに道造の恋人アサイの写真が載っていました。少し下の方です。
    >
    > http://www.tachihara.jp/kanpo53_s.pdf
    >
    > 綺麗な方だった。
    > 同郷という事ですね。

    →水戸部アサイの「水戸部」という苗字は、栃木県南部に多い姓です。
    アサイの出身校の「栃木高等女学校」というのは、現在の「県立栃木女子高校」で、私が勤務していた高校です。
    アサイさんとのわずかな縁を感じて、うれしかったです。

    > 堀多恵子夫人の若いときの写真もあった。かなり貴重な資料だと思います。

    →学生時代に、軽井沢の堀辰雄の別荘を冷やかしに行ったことがあります。
    思えばあの時、多恵子夫人はあの別荘におられたはず。
    友人は卒論が堀辰雄でしたので、もしかしたらお目に書かれたかもしれないのにと悔やんでいました。

    > ブログそのものの感想は後ほど。

    →お待ちしております(^O^)/


    前日光

    しにあの旅人

    しにあの旅人さん からの返信 2021/04/30 05:47:38
    Re: おはようございます
    高畠華宵の名は知りませんでしたが、中将湯のお姫様のイラストレイターなのですね。他でも同様の絵を見たことある。夢二とたしかに似た雰囲気です。大正ロマンと言うのでしょうか。
    道造は分野も違いますから、その後継ではないですが、同じ根っこかもしれない。
    中也が華宵や夢二になんか言ってないですかね。
    その3人の美術館、記念館がおなじところにある、あったというのも、何かの縁みたいです。

    「美術館を見学した後、ここでコーヒーを飲んで夢二や華宵をしのぶという女性が後を絶たない」
    今でもそういうお嬢さんはいるのですね。
    かく言う私も、たしか1967年くらいの夏、信濃追分の旧油屋旅館に泊まったことがあります。
    道造がちょうど泊まっていた時に火事があって、「悲劇は豚の鳴き声で始まった」というような道造の文章があったと思います。その油屋旅館です。
    「学生時代に、軽井沢の堀辰雄の別荘を冷やかしに行ったことがあります」
    ほぼ、同好の士とお見受けいたします。
    今もアニメの聖地巡礼などというのがありますが、あの当時の自分は、まあ、似たようなものですね。

    高校の頃の国語の教師が文学青年で、東京根津あたりの文学史跡の文学散歩に連れて行ってくれました。東大の三四郎池は行った。でもこの辺りは行かなかったと思います。1963年くらいですから、まだできていませんね。
    はるか昔を思い出しました。

    前日光

    前日光さん からの返信 2021/05/02 00:10:37
    RE: Re: おはようございます
    こんばんは。
    娘たちファミリーが来ていて、4トラの時間がありませんでした。
    3日まで忙しいです。

    さて高畠華宵ですが、私が持っている昭和30年代の絵本に「中将姫」の話があって、その挿絵を描いていたのが華宵でした。
    華宵の絵はとても美しく優雅で、子どものイマジネーションをどこまでも広げてくれ、私は大好きでした。
    同じく蕗谷虹児という人の絵も好きでした。
    蕗谷は新潟県新発田市の出身で、ずいぶん前に新発田市の美術館に行ったことがあります。
    華宵の出身地である宇和島市の美術館にも行きました。
    夢二や中原淳一と似たような絵柄ですが、なぜか私は華宵や虹児の方に親近感を覚えます。

    > 道造は分野も違いますから、その後継ではないですが、同じ根っこかもしれない。
    > 中也が華宵や夢二になんか言ってないですかね。
    > その3人の美術館、記念館がおなじところにある、あったというのも、何かの縁みたいです。

    →夢二の美術館があることは知っていましたが、華宵の絵まで見られてとてもうれしかったです。

    華宵はともかく、夢二にあこがれる女性は多いと思いますよ。
    夢二と彦乃のロマンスや「宵待草」のあの甘いメロディーも、影響しているのでしょうね。

    > かく言う私も、たしか1967年くらいの夏、信濃追分の旧油屋旅館に泊まったことがあります。
    > 道造がちょうど泊まっていた時に火事があって、「悲劇は豚の鳴き声で始まった」というような道造の文章があったと思います。その油屋旅館です。

    →軽井沢の大学の寮でゼミがあり、その空き時間に信濃追分に行って、その旧油屋旅館も見ています。
    1971年のことでした。

    堀辰雄の別荘はその近くですね。
    思えば半世紀も前の話です(^^;)
    「同好の士」とおっしゃっていただき、恐縮です。
    でも聖地巡礼は嫌いじゃないです。
    というか、私の旅の大部分は聖地巡礼に近いような気もします。

    > 高校の頃の国語の教師が文学青年で、東京根津あたりの文学史跡の文学散歩に連れて行ってくれました。東大の三四郎池は行った。でもこの辺りは行かなかったと思います。1963年くらいですから、まだできていませんね。
    > はるか昔を思い出しました。

    →高校の頃の国語の先生、同じく文学青年でした。
    その先生から教わった佐藤春夫の詩「ためいき」は、国文学科に進もうという気持ちを決定づけたように思います。
    佐藤春夫記念館を訪れた時の旅行記(妄想ワールド全開です!)もあります。
    お互いに高校時代、良き師に恵まれたようですね。
    文学散歩はしませんでしたが、その先生が大好きでした。
    まぁ、女子高生がよく大人の男性に疑似恋愛する、という類いのものでしたが、懐かしい思い出です。


    前日光

    しにあの旅人

    しにあの旅人さん からの返信 2023/09/26 21:15:23
    行ってきました。
    2021年4月のコメント追加です。なんと、あれからかれこれ2年半、いろんなことがありました。
    変わらないのは立原道造や堀辰雄への思ひということでしょうか。あえて「思ひ」と。

    弥生美術館・竹久夢二美術館に行ってきました。
    東大弥生門の向いということは、弥生美術館の坂上ということですね。かつての立原道造記念館はもう位置さえ分かりませんでした。

    堀辰雄軽井沢編はあと二つか三つ、そのあとはいよいよ北関東「タケル空白の旅路」なのですが、竹久夢二を一つ入れます。
    その取材と資料漁り。

    「カフェ港や」でカレーを食べてきました。
    「野菜の甘みぎっしりカレー」700円が900円に値上がりしておりました。
    お客は、私たちみたいな老夫婦と、じいさん、ばあさん、もとい、高齢の紳士、淑女でありました。

    前日光

    前日光さん からの返信 2023/09/28 10:51:15
    Re: おはようございます
    しにあさん&by妻さん、こんにちは。
    アウトルックで「コメントがありました」から、このコメントを探すのに苦労しました。
    立原記念館跡地の旅行記にコメントをいただいたということですね。
    弥生美術館の隣にあった「立原道造記念館」、今では痕跡さえ分かりませんでしたか。。。

    私がこの旅行記を作成したころは、まだエントランスに飾られていた詩碑が草に覆われて打ち捨てられていたのですが。
    あの詩碑はどこに行ってしまったのでしょうか?
    残念ですね"(-""-)"

    港やでカレーを召し上がったのですか?
    私は、港やに行ったとき、あまり空腹ではなかったことと、その後東大で講義を聴く予定になっていたので、確かサンドイッチのようなものしか食べていません。
    このカフェの客は、おそらく高齢者率が高いことでしょうね。
    竹久夢二などに興味があるのは、せいぜい昭和30年代生まれの人々でしょうから、弥生美術館やカフェ港やまでが消滅してしまったら、ショックですね!
    そうならないことを願うばかりです。

    北関東編がそのうち登場ですか。
    ヤマトタケルが中心なんでしょうね。
    期待しております。


    前日光
  • 旅猫さん 2014/03/16 13:04:38
    東大の銀杏
    前日光さん、こんにちは。

    以前訪れた場所が無くなっていると寂しいですよね。
    閉館後、放置しておくわけにもいかず、解体されてしまったのでしょう。
    あの詩碑はどうなってしまうのでしょうかね。

    東大と言うと、やはり私は銀杏並木が思い出されますね。
    一度しか訪れていませんが、きれいなものですよね。
    三四郎池の趣のある紅葉も好きです。

    赤門近くの菊坂散策も風情がありますが。

    旅猫

    前日光

    前日光さん からの返信 2014/03/16 16:51:09
    RE: 東大の銀杏
    旅猫さん、こんにちは。
    いつもご訪問やコメントをいただきまして、本当にありがとうございます。

    今日はやっと春らしくなりましたね。

    > 以前訪れた場所が無くなっていると寂しいですよね。
    > 閉館後、放置しておくわけにもいかず、解体されてしまったのでしょう。
    > あの詩碑はどうなってしまうのでしょうかね。
    →昨日(3月15日)、最後の公開講座で東大を訪れまして、「立原記念館」跡の工事の様子を旅行記に付け足してみました。
    詩碑を覆っていた雑草が取り除かれて、詩句がよりはっきりと見える状態になっていたのですが、もしかしたらこの建造物のどこかにこの詩碑を残そうとしているのかと思ったほど、詩碑の周囲がきれいになっていました。
    詩碑が、良い形で後に残ることに期待したいと思いました。

    > 東大と言うと、やはり私は銀杏並木が思い出されますね。
    > 一度しか訪れていませんが、きれいなものですよね。
    > 三四郎池の趣のある紅葉も好きです。
    →ホント!銀杏並木は印象的ですよね。
    東大のマークが銀杏なのも頷けます。
    三四郎池も、数本残った紅葉を写した写真はあるのですが、それだけでは旅行記にならずお蔵入りです。

    > 赤門近くの菊坂散策も風情がありますが。
    →2009年に、その近辺を徘徊したことがあります。
    樋口一葉旧居跡とか、宮澤賢治が下宿していたところとか、一歩歩けば近代の文学遺産に出くわすところですよね。
    菊坂コロッケもおいしいし、いずこからともなく出没する猫なんぞに会えたりして、とても素敵な場所です。
    私はこの界隈が大好きです。


    前日光
  • pedaruさん 2014/03/15 12:17:15
    本郷界隈
    前日光さん こんにちは

    自転車では何回か本郷界隈は訪れていますが、立原道造記念館があったとは知りませんでした。弥生美術館と竹久夢二館は行ったことがあります。大正時代の乙女心を掴んだ憧れの画家たち、私でさえも何か、胸がキュンとする懐かしさを覚えるのは不思議です。

    立原道造の詩碑が打ち捨てられている様子には、ファンならずとも胸の痛む話です。現代では詩は無用でしょうか?いえ、今でこそ自殺者の数が心を痛めるような時代こそ人は求めるものだと思います。

    東大といえば病院に通うくらいしか縁がありませんが、自転車で構内を散歩したことはあります。三四郎池など覗いては、漱石をしのいだりしました。構内を歩く学生さんを見て、この人達がやがて日本のリーダーになるのだなー、などと思ったりして・・・

    立原道造の「夢みたものは・・」の詩で終わるあたり、さすが前日光さんですね。余韻ののこる旅行記でした。

    pedaru

    前日光

    前日光さん からの返信 2014/03/16 16:36:26
    RE: 本郷界隈
    pedaruさん、こんにちは。
    いつもありがとうございます!

    写真があまりにブレているので、昨日写してきたものと入れ替えてみましたが、あまり変わり映えしないようです(>_<)

    > 自転車では何回か本郷界隈は訪れていますが、立原道造記念館があったとは知りませんでした。弥生美術館と竹久夢二館は行ったことがあります。大正時代の乙女心を掴んだ憧れの画家たち、私でさえも何か、胸がキュンとする懐かしさを覚えるのは不思議です。
    →竹久夢二・高畠華宵たちは、私の幼い頃の絵本を飾った画家なので、私の世代の女性たちは懐かしいという思いで見ていると思います。ここに蕗谷虹児が加わりますと、最強の挿絵画家たち!となりますね。

    > 立原道造の詩碑が打ち捨てられている様子には、ファンならずとも胸の痛む話です。現代では詩は無用でしょうか?いえ、今でこそ自殺者の数が心を痛めるような時代こそ人は求めるものだと思います。
    →こんな時代だからこそ、詩は必要と言えるのでしょうか?
    PCの普及と日本人のシラケた心理というものは、連動しているような気がするのですが。
    プラスかマイナスか、白か黒か、何にでも決着をつけないと気が済まない人々、グレーゾーンを残すというのは今や罪悪で、論理で全てを動かそうとすることに反発を感じるのは、ただ理数系が弱いからなのかもしれませんが。
    淡い思いとか純粋な恋とか…そういう詩のような世界をあざ笑うのは悲しいことだと思います。

    > 東大といえば病院に通うくらいしか縁がありませんが、自転車で構内を散歩したことはあります。三四郎池など覗いては、漱石をしのいだりしました。構内を歩く学生さんを見て、この人達がやがて日本のリーダーになるのだなー、などと思ったりして・・・
    →またぜひ、構内の木々を眺めて、思いを遠く巡らせてみてください。
    新緑の季節の構内もとても素敵ですよ。
    構内を歩く学生さんを見ながら、pedaruさんとは逆の考えも湧いたりして。この人たちが、また日本をダメにするために一役買うのかな?なんてひねくれてみたり。
    昨日(3月15日)を以て、公開講座が終了しました。
    半年間、興味深い話を拝聴し、心のエネルギーをいただきました。
    こんな機会がまたあったらいいなと思った次第でした。

    > 立原道造の「夢みたものは・・」の詩で終わるあたり、さすが前日光さんですね。余韻ののこる旅行記でした。
    →そうおっしゃっていただけて、たいへんうれしいです。
    また遊びにいらしてくださいね。


    前日光


  • waterlilyさん 2014/03/12 23:29:42
    飛んで来ました〜☆
    前日光さん〜☆
    メールとお知らせをありがとうございます。
    受信ボックスに前日光さんのお名前を見た時の嬉しさと言ったら(*^_^*)
    そして嬉しくて飛んで来た途端、今度は「やさしいひとらよ たづねるな」の懐かしい詩句が目に飛び込んでまたまた胸キュンです☆
    立原道造記念館が閉館になった後、どうなったかと思っていましたので、前日光さんのレポートに感謝の気持ちで一杯です。
    記念館跡の基礎工事中のお写真、こんな貴重なお写真は他では見ることが出来ません。見せてくださって本当にありがとうございます。
    詩碑が雑草に覆われて打ち捨てられている様子に、何とかこの碑だけでもどこかに移転されないものかと時代の流れに侘しさがつのります。文学の世界も変化してゆくのですね。跡地には何が建つのでしょう。
    10代の頃、細くてうつむき加減で歩いているような腺病質な感じの人に憧れた時期があったのですが、それは立原道造の影響だったのかもしれません。

    そうそう、立原道造と言えば水戸部アサイ、で思い出したのですが、2年程前だったでしょうか、鎌倉鶴岡八幡宮の流鏑馬に行った時、近くの席に英語教師をしているという外国人の方が座られ、少しお話しをしたら何と栃木女子高校の先生ということでビックリ! 朝一番で栃木から来たとおっしゃっていました。前日光さんとも立原道造とも、いつもどこかで繋がっているような気がして嬉しく思ったことでした。
    そして、立原道造と言えば辰野金吾賞、ヒヤシンスハウスも行ってみたいな、でもヒヤシンスハウスは心の中だけで想像している方が良いのかな、なんて考えています。
    今年ももうすぐ風信子忌ですね。

    東大の構内も、この辺りの学問の香溢れる雰囲気は前日光さんにピッタリですね。
    前日光さんの旅行記で久々に立原道造の詩を読み、気持ちだけははるか10代の頃に戻って幸せなひとときを過ごさせていただきました。
    重ね重ね素敵な旅行記を本当にありがとうございました。

    前日光

    前日光さん からの返信 2014/03/13 21:22:50
    RE: 飛んで来ました〜☆
    waterlilyさん、こんばんは。
    何かとやることがあって、返信が今になってしまいました。
    今日は一日中曇っていたり、雨が降ったりの変な天気でしたね。
    気分が落ち込む感じの日でした。

    > 受信ボックスに前日光さんのお名前を見た時の嬉しさと言ったら(*^_^*)
    →すみません!ちょっとよけいなことだったかもしれませんが、他ならぬ立原絡みだったものですから。

    > そして嬉しくて飛んで来た途端、今度は「やさしいひとらよ たづねるな」の懐かしい詩句が目に飛び込んでまたまた胸キュンです☆
    →立原の詩は、言葉の一節一節が胸に染みるものが多いですよね。

    > 立原道造記念館が閉館になった後、どうなったかと思っていましたので、前日光さんのレポートに感謝の気持ちで一杯です。
    →そうでしたか。
    腕の悪い下手な写真ですが、閉館後の記念館跡地の様子を感じ取っていただけましたなら幸いです。

    > 記念館跡の基礎工事中のお写真、こんな貴重なお写真は他では見ることが出来ません。見せてくださって本当にありがとうございます。
    →興味のない人にとっては、何これ?という感じかも知れませんが、私たちにとっては感慨深いものがありますよね(-_-)

    > 詩碑が雑草に覆われて打ち捨てられている様子に、何とかこの碑だけでもどこかに移転されないものかと時代の流れに侘しさがつのります。文学の世界も変化してゆくのですね。跡地には何が建つのでしょう。
    →現代人の心が、既に詩というものを必要としなくなっているような気がして、寂しいです。
    文学も不毛の時代になってしまったのでしょうか?
    私など、文学がなければ旅も遊びも全てが無意味です。
    言葉の力を、やはりどこまでも信じていたいと思うのです。

    > 10代の頃、細くてうつむき加減で歩いているような腺病質な感じの人に憧れた時期があったのですが、それは立原道造の影響だったのかもしれません。
    →おお、全く同感です。
    植物的で生活感のない人に惹かれていました。
    考えてみると、立原はフィギュアスケートの羽生弓弦くんに似ていませんか?あの、全体的に薄い感じ、いいですよねぇ〜

    > 2年程前だったでしょうか、鎌倉鶴岡八幡宮の流鏑馬に行った時、近くの席に英語教師をしているという外国人の方が座られ、少しお話しをしたら何と栃木女子高校の先生ということでビックリ! 前日光さんとも立原道造とも、いつもどこかで繋がっているような気がして嬉しく思ったことでした。
    →そんなことがあったのですか?
    その人は、ややポッチャリとした感じで、レイチェルという名前ではなかったでしょうか?彼女は昨年の7月まで、かなり長きにわたって栃女高に在職しておりまして、私と向かい合わせの席に座っていました。

    > そして、立原道造と言えば辰野金吾賞、ヒヤシンスハウスも行ってみたいな、でもヒヤシンスハウスは心の中だけで想像している方が良いのかな、なんて考えています。
    →思えば才能にあふれていて、多岐に渡る分野での活躍が期待された人だったのですよね。
    やはり神様が、早くもご自分の手元に引き寄せてしまったのかと。

    > 今年ももうすぐ風信子忌ですね。
    →そうですね。あさって(15日)最後の講座に向かいますが、もう一度弥生門付近をゆっくりと眺め、手を合わせてきたいと思います。

    > 東大の構内も、この辺りの学問の香溢れる雰囲気は前日光さんにピッタリですね。
    →歴史の香りが随所に漂っていて、もう少しゆっくりと構内を散歩してみたいと思っています。

    > 前日光さんの旅行記で久々に立原道造の詩を読み、気持ちだけははるか10代の頃に戻って幸せなひとときを過ごさせていただきました。
    →少しでも良い気分になっていただけましたなら、私としましても幸いです。

    > 重ね重ね素敵な旅行記を本当にありがとうございました。
    →さっそく読んでいただきまして、こちらこそありがとうございました。
    これからもよろしくお願いいたします<(_ _)>


    前日光

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2014/03/13 22:27:13
    RE: RE: 飛んで来ました〜☆
    前日光さん

    いえいえ、そんなよけいなことなんてことないですよ〜(*^^)v
    覚えていてくださって、とても嬉しかったです。
    もう随分4トラベルから遠ざかっており、久しぶりに見てみたらレイアウトが随分変化していて、自分のページでさえ何だかよく分らず浦島太郎の気分です。慣れたら見易くなるのかな。

    >植物的で生活感のない人
    前日光さんも同じなんですね。分かります分かります。映画の中のビョルン・アンドレセンも同じ系統だもの(^_-)
    羽生君と立原道造、似てますよね。私も全く同じことを感じていたのでまたまたビックリ、嬉しいです。
    薄くてすぐ息が切れてしまう儚げな感じ。いいですよね〜。
    あ、勿論羽生君は強いですけれど。
    弓弦というお名前も素敵で、こういうお名前をつけたご両親の言葉に対するセンスの良さにも感嘆しました。
    今年のソチは感動の連続でしたね。高橋大輔選手も素晴らしくて。真央ちゃんの映像なんて何度見ても見るたびにこちらまでうるうるしてしまいます。
    ニュースばかり見ていて、一体何回同じ演技を繰り返して見てるの?と夫に呆れられました。

    >その人は、ややポッチャリとした感じで、レイチェルという名前ではなかったでしょうか?彼女は昨年の7月まで、かなり長きにわたって栃女高に在職しておりまして、私と向かい合わせの席に座っていました。

    ほんの少しお話しただけなので、レイチェルさんというお名前だったかどうか、お名前はお聞きしなかったような気が……オーストラリア出身とおっしゃってたような気もしますがうろ覚えで……すみません、何でもすぐ忘れてしまって(汗)
    ただ、栃木女子高の名だけはあまりの驚きに忘れず覚えていて、確かにややポッチャリした感じの若い方でした。前日光さんの向かい合わせの席だったとは!
    その時前日光さんのお名前を出そうかと一瞬思ったのですが、前日光さんというHNはご存知ないと思いやめました。
    それにしても世の中は狭いですね。

    久し振りに前日光さんとお話出来て嬉しかった〜。重ねてありがとうございました。

    前日光

    前日光さん からの返信 2014/03/17 16:31:43
    RE: RE: RE: 飛んで来ました〜☆
    waterlilyさん、こんにちは。
    今日は暖かくて、春らしくなりましたね。

    さて3月15日、いよいよ東大の最終講座に出席して参りました。
    一度だけ、雪で列車が動かず参加できなかったのですが、全12回のうち11回出席し、「修了証」をいただくことができました。
    次年度も何らかの講習会や公開講座があったら、ぜひ参加したいと思っています。

    で、3月15日現在の「立原記念館」跡地の様子を付け加えましたので(あまり変化はありませんが)、よろしかったらご覧下さい。
    またブレブレの写真の何枚かを、撮り直したものに変えてみました。しかしたいした変化はありません。
    どうも弥生美術館の写真がうまく写せません。
    才能のなさを暴露するようですが、その辺はご容赦の程を。
    では、シツコクてすみません<(_ _)>

    あ、それから羽生くんに関して、同じことを感じていらしたと分かり、私もうれしいです。
    では、こんどこそ((笑´∀`)


    前日光

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2014/03/17 18:54:19
    ありがとうございます☆
    前日光さん

    講座修了、おめでとうございます!
    雪の日を除いて全講座ご出席なさったのですね。
    いつまでも向学心を持ってそれを実行なさる前日光さん、心から尊敬しています☆

    そして、追加のお写真とお知らせをまたまたありがとうございます。
    前日光さんの旅行記にお邪魔し、旅行記の題の「立原道造」の文字が目に入る度、嬉しくてなりません。4トラベルの旅行記は数あれど、多分前日光さんのこの旅行記だけだと思うもの。
    実は私も先回、メッセージを書いてから思ったのですが、基礎工事の段階であれば記念館の廃棄物は別の場所に移動されているでしょうから、この詩碑だけ残されているのは、記念碑としてここに残されるのかもとほぼ確信に近く想像しています。お写真を拝見しますと、工事中紛失しないようにでしょうか、青い紐状のもので固定されているように見えますね。
    立原道造が学生時代、工学部近くのこの弥生門から登下校したとしますと、ここに記念碑が置かれるのは相応しい場所ですよね。そんなことを考えていると、少し嬉しくなります。
    立原道造や宮沢賢治の独特な透明感・純粋さ・魅力は、彼らが理系の人でもあるからなのかしらと思ったりします。
    閉館は寂しいですが、前日光さんの旅行記のお陰で、今は跡地に何が建つか楽しみにもなりました。どうか素敵なものが建ちますように。
    厚かましいお願いで恐縮ですが、もしいつかまた公開講座に行かれて弥生門を通られましたら、何が建ったか教えてくださいね。

    それにしても、立原といい、宮沢賢治・堀辰雄・中原中也といい当時結核は多くの若者の才能を奪いましたが、神様も彼らの才能に惹かれ天に呼び寄せてしまわれたのですね。
  • 白い華さん 2014/03/11 19:57:56
    東大・・・の 講座通い」で 見つけた! いろんな 風景。
    今晩は。
    前日光さんが 気に入ってた! 「東大での 講座」も、 いよいよ、3月で 終了。とは、残念!ですね〜。

    東大・安田講堂・・・って、 中が 「半円形」を 多用した!
    なかなか、 素敵!な 建築物。なのですね〜。
    あまり、内部の 様子は 発表されていなかった。のか・・・、
    「新鮮!な 眼差し。で 拝見しました」。

    そして、 大昔・・・の「学生紛争!の 舞台」としか、 わからなかった! 「安田講堂」でした。

    紅葉の 並木道。 レトロ!な 校舎。
    東大の 校舎内・・・の 散歩!だけ。でも、 「東京の 秋」を 満喫できて、 いい〜!ですね〜。
    前日光さんに、 この・・・学内の 雰囲気。 とても、似合っている。って 想像しています。

    また、「立原道造 記念館」が 無くなり、 他の 建築が 始まった!様子は、 「時代の 流れ」なのかもしれませんね〜。
    ただ、 東京・・・でも 「本郷。 谷根千 界隈」って 
    一番! 古い 建物が、 「いい〜 感じ!で 残ってて、 町歩き!には 最適な 場所」。
    そんな・・・「ミニ 博物館(記念館)」は 合ってた。と 思うのですがねぇ〜。

    4月は、「関西 & 出雲」と、 一番!好き・・・な コース。
    旅の ご予定が あるのですね〜。
    桜の 他、 いろんな・・・花。も、楽しめそう!な 旅。
    どうぞ、 楽しんできてください。 そんな・・・お話!も 楽しみ・・・に しています。   それでは また

    前日光

    前日光さん からの返信 2014/03/12 23:02:51
    RE: 東大・・・の 講座通い」で 見つけた! いろんな 風景。
    白い華さん、こんばんは。
    いつもありがとうございます!
    今日はやっと春の兆しが感じられる一日になりましたね。

    > 前日光さんが 気に入ってた! 「東大での 講座」も、 いよいよ、3月で 終了。とは、残念!ですね〜。
    →そうなんです〜
    この15日の講座をもっておしまいです(/_;)
    来年も開催してほしいです。

    > 東大・安田講堂・・・って、 中が 「半円形」を 多用した!
    > なかなか、 素敵!な 建築物。なのですね〜。
    →私も結局中に入ることはでなかったので、外から恨めしく眺めるだけでした。でも写真を見ると、なかなか素敵な建物ですよね!

    確かに大昔、学生たちがここに籠もって機動隊と衝突していた、そんなイメージが強いのですが、建物の歴史と立原道造が結びついた時、なんともいえない好印象を持ったのです。

    > 紅葉の 並木道。 レトロ!な 校舎。
    > 東大の 校舎内・・・の 散歩!だけ。でも、 「東京の 秋」を 満喫できて、 いい〜!ですね〜。
    →本当ですよね。
    日本の最高学府はまた、建築学的に、あるいは風景として見ても、風情があり歴史もあって、素晴らしいと思います。

    > また、「立原道造 記念館」が 無くなり、 他の 建築が 始まった!様子は、 「時代の 流れ」なのかもしれませんね〜。
    →詩集が売れない時代ですからねぇ〜
    私たちが学生だった頃、詩集は書店の比較的目立つ場所に積んであったように思うのですが。
    今の日本人は、もう美しい言葉など必要としなくても生きていけるのでしょうね。味気ない時代がやってきてしまったものです。

    > ただ、 東京・・・でも 「本郷。 谷根千 界隈」って 
    > 一番! 古い 建物が、 「いい〜 感じ!で 残ってて、 町歩き!には 最適な 場所」。
    > そんな・・・「ミニ 博物館(記念館)」は 合ってた。と 思うのですがねぇ〜。
    →この界隈の古さ、シブさが、それでも「谷根千」などと呼ばれて残っているだけよしとするべきなのでしょうね。
    私は上野、浅草、本郷…といったこの風情ある東京の東部が大好きです。
    歩いていても落ち着ける気がするんです。
    緑が多いせいもあるかもしれませんね。

    > 4月は、「関西 & 出雲」と、 一番!好き・・・な コース。
    > 旅の ご予定が あるのですね〜。
    > 桜の 他、 いろんな・・・花。も、楽しめそう!な 旅。
    →はい!
    4月半ばに旅に出るのは、ずっと願っていたことなので、とても楽しみです。桜が残っているといいのですが。

    どうぞ、 楽しんできてください。 そんな・・・お話!も 楽しみ・・・に しています。   それでは また
    →ありがとうございます。
    欲張りな計画を立てて、たぶん実行できないような気がします。
    でも思い切り楽しんできたいと思います。
    では〜


    前日光
  • ろこままさん 2014/03/09 22:34:05
    う〜ん、勉強になるなぁ〜
    前日光さん、こんばんは。
    なかなか暖かくなりませんが、お変わりありませんか〜

    2月に行けなかった講座に、今月は無事に行けたんだと・・・拝見してたら・・・昨秋の講座だったんですね。

    東大、構内も建物もさすがに雰囲気あるんですね。

    銀杏並木の黄葉のトンネル、あんな素敵な景色の中を部外者もお散歩できるんですか。

    安田講堂、東大紛争から長いこと使われて無かったのですね。

    あんな立派な物、莫大な寄付でも無い限り、そう簡単に修復は無理でしょうね。

    今、使われることを感動して欲しいなと、前日光さんの旅行記を拝見して思うのでした。

    3月は、講座も卒業ですか。
    無事に行けるといいですね。

    ろこままでした。

    前日光

    前日光さん からの返信 2014/03/10 22:17:18
    RE: う〜ん、勉強になるなぁ〜
    ろこままさん、こんばんは。
    今日も明日の朝も寒いみたいですね。
    いったいいつになったら…とみんなが思っているのでしょうね。

    > 2月に行けなかった講座に、今月は無事に行けたんだと・・・拝見してたら・・・昨秋の講座だったんですね。
    →あ、3月1日の講座は無事行けましたよ。
    15日が最終日です。ちょっぴり寂しいです。
    もっと行きたいなぁと言うのが本音です。

    > 東大、構内も建物もさすがに雰囲気あるんですね。
    →そうですねぇ〜
    いろんな所に歴史の重みを感じます。

    > 銀杏並木の黄葉のトンネル、あんな素敵な景色の中を部外者もお散歩できるんですか。
    →東大は、いつ行っても見学者がいますね。
    かなり自由に出入りできる雰囲気があります。
    明治の近代日本政府が、国の威信をかけて財力を注ぎ込んだだけのことはあって、さすが〜という感じは至る所に漂っています。

    > 安田講堂、東大紛争から長いこと使われて無かったのですね。
    →そうだったんですねぇ〜
    私も意外でした。
    少なくとも1980年代前後には、もう復興していたと思っていましたので。
    1990年から卒業式がここで行われるようになったというのは、驚きでした。

    > あんな立派な物、莫大な寄付でも無い限り、そう簡単に修復は無理でしょうね。
    > 今、使われることを感動して欲しいなと、前日光さんの旅行記を拝見して思うのでした。
    →そうですよね。
    こういう歴史を踏まえて、安田講堂で卒業式が行われているということを、現役東大生は認識してほしいと私も強く思います。

    > 3月は、講座も卒業ですか。
    > 無事に行けるといいですね。
    →15日の最終日を残すのみとなりました。
    とても幅広い分野にわたる面白い講座でした。
    終わってしまうと、脱力しちゃいそうです。
    来年も開講してほしいと切に願っています。


    前日光
  • エトランゼさん 2014/03/09 21:48:47
    さすがです
    前日光さん、こんばんは。

    いつまでも寒いですね。
    その後お仕事はいかがですか。
    来月からはまた自由人に戻れるのでしょうか?

    東大での受講ももうすぐ卒業ですよね。よく頑張られましたね。

    その東大の安田講堂の歴史と立原道造とを織り交ぜ一編の旅行記に作り上げてしまうとはさすが前日光さんです!

    どちらもよく知らない私でしたが興味深く読ませていただきました。

    立原道造は建築家であり詩人だったのですね。しかも両分野で受賞もされている才能の持ち主とは驚きでした。

    前日光さんの取り上げている詩も心に響くものですね。

    エトランゼ

    前日光

    前日光さん からの返信 2014/03/10 21:54:17
    RE: さすがです
    エトランゼさん、こんばんは。
    本当にいつまでも寒いですね(T_T)
    今日の昼間は、風が冷たくて、冷たくて。

    > その後お仕事はいかがですか。
    > 来月からはまた自由人に戻れるのでしょうか?
    →4月には、奈良京都と出雲に行く予定を入れてしまったので、もう仕事を頼まれてもできませんよ。
    やはり今年一年間ぐらいは、ゆっくりしたいと思っています。

    > 東大での受講ももうすぐ卒業ですよね。よく頑張られましたね。
    →もうすぐオシマイなので、名残惜しいです。
    来年もまた開催してほしいです。
    2月15日の大雪の日は東武線が不通で行けなかったのに、講座は開講されてしまいました。ですからその日は欠席扱いなんだそうです(/_;)
    出席優良者のリストからはずれてしまいました!

    > その東大の安田講堂の歴史と立原道造とを織り交ぜ一編の旅行記に作り上げてしまうとはさすが前日光さんです!
    →私も、安田講堂の設計者の一人が、立原の指導教官だったなんて知りませんでしたよ!この発見には自分でもビックリ!です。

    > 立原道造は建築家であり詩人だったのですね。しかも両分野で受賞もされている才能の持ち主とは驚きでした。
    →そうなんですよね。
    あまりに才能がありすぎたので、神様が早めにあの世に連れて行ってしまったのかもしれませんね。

    > 前日光さんの取り上げている詩も心に響くものですね。
    →立原の詩は、青春のピゥアな部分がとてもよく表現されていて、特に若い女性のファンが多いのは頷けますね。
    私も「のちの思いに」という詩が大好きなんです(若くありませんが(^_-))
      夢はいつも帰っていった
      山の麓のさびしい村に
      みずひき草に風が立ち
      草ひばりの歌いやまない。。。

    っていう感じの詩なのですが。
    高校生の教科書によく載っています。
    典型的な夭折の天才ですね。

    恋人の女性「水戸部アサイ」さんは、栃木県人と言うところも親近感を感じます。


    前日光
  • norisaさん 2014/03/09 06:57:42
    そうだったのですかーー
    前日光さん

    おはようございます。

    以前書かれていた公開講座のことばを読むひとを知るの受講をされたのですね。
    日々学習をすることはボケ防止などという消極的な動機ではなく、人生まだまだ未知の世界があることを自覚できるだけでも肝要ですね。

    東大は受験でも仕事でも入ったことはなく(汗)門の外から見ただけーー。
    こうして見るといろいろと工事や改築をしているのですね。

    美しいキャンパスはさすがの歴史を感じさせます。

    さて立原道造という方、文学部出身ではなく建築家ですか!
    二十代で亡くなられたようですが、その短い生涯の中で、しかも専門外で多くの主要な賞を受賞している大天才ですね。

    まさに夭折ーー。
    天は二物を与えずの典型ですね。
    凡人が故今まで生きてこれたことに感謝してよいのやら悪いのやらーーー(苦笑)

    norisa

    前日光

    前日光さん からの返信 2014/03/09 17:04:59
    RE: そうだったのですかーー
    norisaさん、いつもありがとうございます。

    それにしましても、なかなか暖かくなりませんね。
    今日は昨日までの激しい風が弱くなった分、少しはいいのかと思っていたら、午後4時を過ぎた頃から、また空気が冷たくなってきました。

    > 以前書かれていた公開講座のことばを読むひとを知るの受講をされたのですね。
    →この旅行記はまだ2013年12月だったので、講座はあと半分ほどを残す時期でした。今(2014年3月)は、15日の最終講義を残すのみとなってしまい、名残惜しい気分です。

    > 日々学習をすることはボケ防止などという消極的な動機ではなく、人生まだまだ未知の世界があることを自覚できるだけでも肝要ですね。
    →この講座の参加者は比較的若い人が多いので、刺激になります。
    応募の際に、年齢配分は考慮されたのではないかと思います。
    勉強が好きだったわけではありませんが、興味のある分野のお話はとても楽しくて、毎回ワクワクしています。
    知らなかったことを知るというのは、いくつになってもうれしいものですね。

    > 東大は受験でも仕事でも入ったことはなく(汗)門の外から見ただけーー。
    > こうして見るといろいろと工事や改築をしているのですね。
    →東大には、たえずいろんな方が見学に見えているようです。
    またご近所の方は散歩コースにされているようですよ。出入りは、かなり自由な感じがします。

    > 美しいキャンパスはさすがの歴史を感じさせます。
    →そうですね。
    積み上げられた深みのようなものは確かにあります。
    近代史に名を残す多くの偉人が、このキャンパスを往来していたのかと思うと、不思議な気分になりますね。
    漱石が、鴎外が、芥川が、太宰が。。。彼らの魂が、鬱蒼と茂った古木の中に宿っているような気がして。。。

    > さて立原道造という方、文学部出身ではなく建築家ですか!
    > 二十代で亡くなられたようですが、その短い生涯の中で、しかも専門外で多くの主要な賞を受賞している大天才ですね。
    →そうなんですよ!
    彼は別荘を設計させると、その右に出る者はいなかったそうですよ。
    建築科と言えば、女優の菊川怜ちゃんと同じですよね!
    文学を解する理系の人って、個人的に最高なのではと思っています。
    詩人でお医者さんなんていう人は、きっといいお医者さんなんだろうと勝手に思っています。

    > まさに夭折ーー。
    > 天は二物を与えずの典型ですね。
    > 凡人が故今まで生きてこれたことに感謝してよいのやら悪いのやらーーー(苦笑)
    →昔は「夭折」の天才詩人とか画家がいましたよねぇ〜
    ちょっと考えるとカッコイイ!とか思ってしまいますが、実際には苦しいものがあったのでしょうね。
    いつしか自分が大いなる凡庸さの中に生かされていることを感じ、神に感謝しつつ(笑´∀`)、人生を過ごしていこうと思っています。


    前日光

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