2010/10/31 - 2010/10/31
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kubochanさん
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上賀茂界隈
上賀茂(かみがも)とは、京都市北区の賀茂川の東側から左京区にかけての地域の名称。出町から北の神山に至る賀茂地域の北側を上賀茂、南側を下賀茂という。
古くは、平安京ができる以前に山城地域を開拓した賀茂武角身命(かもたけつうみこと)の一族が居住した地域。 昭和6年に京都市に編入されたが、それ以前は、愛宕郡上賀茂村。 長く上賀茂神社の神領として神聖な地域とされてきた。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
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「半木(なからぎ)の道」
春は賀茂川の東側、植物園の西側の堤に濃い紅色の枝垂れ桜が咲き誇る遊歩道(全長700m 昭和48年1月完成)。 道沿いには約70本の紅枝垂桜が植栽され、満開時には賀茂川の水面も桃色に染まるという。
「半木」の起源は平安遷都以前に遡り、この地を支配の豪族賀茂氏の頃のこと。ある年、賀茂川が氾濫し、浮田の森現在の西賀茂あたり)にあった三つの神社のうちの一つ、流木神社(現在京都府立植物園内にある)の名前に由来するが、本当は洪水で流されてしまったのをきらい、「半」の字をあてるようになったという。 -
京都府立植物園
日本で最初の公立植物園。当初は大正天皇の即位を祝い企画した「大礼記念京都大博覧会」の開催用地として、1913年(大正2年)に京都府がこの地を購入したが、議会等の反対もあり博覧会は開催されず、「大典記念植物園」として1924年(大正13年)1月1日開園。 -
戦後、当初計画された京都御苑の代替地として、この植物園に占領軍住宅が建設され、接収から12年目の1957年(昭和32年)に返還され、1961年(昭和36年)に再開園。再開園30年を機に大規模な改修工事が行われ、1992年(平成4年)3月に当時日本最大級となる観覧温室が竣工した。 全体で約239580?(72600坪)で、甲子園球場の約6.2倍。
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園内には面積24haの広大な敷地に約12000種類、約12万本の植物が植えられている。日本の四季の花が見られる花壇や洋風庭園、熱帯植物を集めた温室がある。北半分は半木(なからぎ)の森と呼ばれる自然に近い森を利用した生態植物園などがある。
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京都府立植物園
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京都府立植物園
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京都府立植物園
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京都府立植物園
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京都府立植物園
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京都府立銘鈑名画の庭
古今の名画を陶器の板に転写して展示している屋外美術館。
陶板画は原画を撮影したポジフィルムを元に写真製版技術により陶製の板に転写し焼成したもので、その性質上変色や腐食が起こらないので屋外にあっても永く保存することが可能。どの絵も複数の陶板で構成されている。この種の美術展示施設としては世界初のもの。
展示絵画は世界の名画8点が選ばれていて、そのうち4点は元々1990年の国際花と緑の博覧会のために制作され、安藤忠雄の設計によるパビリオン『名画の庭』に展示されていた。残り4点はこの施設のために作られたもの。 -
「鳥獣人物戯画」/ 伝・鳥羽僧正
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「最後の審判」/ミケランジェロ
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「最後の晩餐」/レオナルド・ダ・ヴィンチ
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大田神社
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大田神社
付近の沼沢地を開墾した豪族賀茂氏の崇敬を受けた、上賀茂神社の摂社 -
神社の参道の東側にはおよそ2000?の沢が広がっていて、『大田ノ沢』といい、平安時代からカキツバタの群生地として有名、毎年5月には青紫色の花が『大田ノ沢』一面に咲き乱れる。
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このカキツバタの美しい光景を一目見に、数々の皇族や貴族がカキツバタを見に来ていて、平安歌人の藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)は、カキツバタ一面の『大田ノ沢』を見て、 「神山や大田の沢の カキツバタ ふかきたのみは 色に見ゆらむ」という和歌を詠んでいる。
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北大路魯山人生誕地
陶芸家・書家の北大路魯山人生誕地の石碑 -
井関家
藤の木通りを西に行くと、3階建ての望楼を備えた井関家が見えてくる。地域に残る社家住宅の一つ -
井関家
屋敷は江戸期に建てられたもので正面北寄りに鳥居型の内玄関と式台があり、座敷床の間の奥行きが浅いなど社家の趣をよく伝えているという。 -
社家町界隈 (上賀茂伝統的建造物保存地区)
上賀茂神社と大田神社の間に広がる土塀の町並み。 上賀茂神社の東にあり、室町時代より発展した門前集落。 上賀茂神社から流れ出る明神川沿いに、神官の屋敷である社家が連続し、社家町を形成している。主屋は敷地に奥まって建ち、切妻造・平家建・妻入の特色ある形態を備える。主屋とこれを囲む土塀、庭園、門、明神川にかかる土橋等が、独特の歴史的風致を構成している。社家は上賀茂神社の本殿より高くあってはならないため、平屋もしくは高さのない2階建てになっている。その決まりが、空と塀の上から溢れる緑のコントラストが美しい町並みを現代に残してくれた。 -
社家町界隈 (上賀茂伝統的建造物保存地区)
社家とは上賀茂神社に仕えた神官達(賀茂氏一族)で世襲される。300ほどあった屋敷は現在10分の1ほどになってしまった。 -
西村家庭園
上賀茂神社の社家であった錦部家の旧宅の庭園。明治20年代に西村家が所有。 庭は平安後期の作で面積1300平方メートル(市指定名勝)。近くの明神川から導水、庭内の川、池をめぐらせ、古木と相まって古い社家庭園の趣きを残す。かつては‘曲水の宴’も催された。 -
西村家庭園
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西村家庭園
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西村家庭園
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西村家庭園
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上賀茂神社・賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)
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上賀茂神社・賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)
「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」の通称で呼ばれる事が多い。式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。 賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂神社両社の祭事は賀茂祭(葵祭)。 -
上賀茂神社・賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)
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立砂
一の鳥居から二の鳥居をくぐると、眼前に細殿が建つがその正面に左右一対の円錐形の砂山「立砂(たてすな)」がある。これは上賀茂神社の御神体山「神山(こうやま)」を象ったもので、神山は上賀茂神社の祭神「賀茂別雷神」が降臨した地という。 -
楼門
賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀る。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。 -
片岡社
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高倉殿
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上賀茂神社・賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)
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上賀茂神社・賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)
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上賀茂神社・賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)
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