2012/06/27 - 2012/06/27
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kubochanさん
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奈良県橿原市の今井町に残る古い町並みは、中世の環濠集落を発祥とする、称念寺を中心とした寺内町で、江戸時代も自治が行われてきた日本でも極めて珍しい歴史を持つ町です。
今井町の成立は、戦国の世、天文年間この地に一向宗本願寺坊主の今井兵部卿豊寿によって建設されたことに発する。江戸時代には、南大和最大の都市となって大いに栄えた。また堺とならび自治的特権が認められ、惣年寄・町年寄を置き町政にあたった。
今井町の街並みは東西600m、南北310m、周囲に環濠土居を築いた城塞都市で、内部の道路も、見通しのきくものはなく、ほとんどが一度屈折させている。これは軍事目的でつくられたが、江戸中期には、今井の商人の財産を守ることに役立った。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
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武橋のエノキ
橋を渡れば今井町 -
今井街並み交流センター「華甍」
1903(明治36年)に建てられた奈良県初の社会教育施設。左右対称のの木造、入母屋造り。今井のまちなみと歴史の紹介施設。 -
町並み
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町並み
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町並み
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町並み
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中橋家住宅
中橋家は、屋号を「米彦」といい、江戸時代は米屋を営んでいた。この家は、称念寺の斜め向いに面し18世紀以降の文書を比較的多く所蔵し、天保から嘉永にかけて称念寺に軽料を納めた記録もあり、幕末には繁栄していたことが知られる。この住宅は、18世紀末の建設とみられ、19世紀初期頃正面のみ、2階を増設した切妻造本瓦葺の商屋で、修理の際一口のカマド跡も発見された -
今井まちづくりセンター
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豊田家住宅
豊田家は、もと、西の木屋(材木商、牧村家)で大名貸しや藩の蔵元等をつとめた。建物は寛文2年(1662)のもので、屋根は入母造本瓦葺、軒は高く、2階は出桁造、2階正面壁に、丸に木の字の紋があり、外観は今西家と同じように豪壮で古い手法が見られ今井町における上層町家の優れた好例である。 -
豊田家住宅
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豊田家住宅
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環濠土居
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今西家住宅
今西家は、永禄9年(1566)今井町に入町した。興福寺の衆徒で戦国武将十市氏の一族十市兵衛遠忠の一族、もとは川井氏を名のっていたが、三代目から今西姓に、惣年寄の筆頭で、領主、代官の町方支配の一翼を担い、自治権をゆだねられていた。
城郭のような構造の八つ棟造り、外壁を白漆喰塗籠めとし、大棟の両端に段違いに小棟を付け、入母屋造の破風を前後食違いに見せ、本瓦葺の堂々とした外観をもっている。 -
今西家住宅
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今西家住宅
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今西家住宅
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今西家住宅
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町並み
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称念寺
今井町は、この寺の境内地に発展した寺内町。この寺は戦国時代の一向一揆の拠点で、室町時代に一向宗の道場として建てられ後に寺になった。 -
称念寺
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称念寺
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河合家住宅
河合家は、屋号を「上品寺屋」といい、家蔵文書によると、明和9年(1772)には、すでに酒造業を営んでいたらしい。正面に太い格子を入れ、2階は塗籠となっている。屋根の東側は入母屋造の本瓦葺で、外部意匠にみるべきものがあり、また、内部においても、座敷を2階に配した点に特色がある。 -
町並み
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上田家住宅
上田家は、屋号を「壷屋」といい、今西家、尾崎家と並び今井町の惣年寄を勤めていた。この住宅は、延享元年(1744)の祈祷札とみられる。入母屋造本瓦葺平入、つし2階建で、大壁造の妻を見せた外観は重厚な感じを与える。構造面では、棟通りに対してほぼ対称的な梁組は古式で、入口を西に構えているのも珍しい -
町並み
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旧米谷家住宅
旧は米谷家で、屋号を「米忠」といい、金具商を営んでいた。年代は形式手法から、18世紀中頃の建築と推定される。切妻造本瓦葺平入りで、内部は5間取りで、他家とは異なる。土間部分は、煙返し等が取付けられ、農家風のイメージが強い。また、裏庭にある蔵前座敷を付属させた土蔵は、嘉永2年(1849)の建物である -
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町並み
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