2013/08/17 - 2013/08/18
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nakaohidekiさん
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高野山真言宗総本山・金剛峰寺は、元は高野山一山(こうやさんいちざん)の総称であった。
豊臣秀吉が亡き母の菩提を弔うために建立したのが現在の金剛峰寺である。密教の根本道場であるとともに国宝の宝庫でもある。寺内には数多くの歴史的建造物と数々の名品が残されている。とりわけ僕の気を惹いたのは狩野探幽の板襖に描かれた二匹の鶴である。それはあたりを動き回りキーキーと啼く鶴の声が聞こえてきそうなのである。古典落語に『抜け雀』という噺(はなし)があるが、思わずその噺を思いだした。
ある日、一人の旅人がひなびた旅籠を訪れる。朽ち果て廃業寸前の宿である。旅人は数日間逗留するがいつ旅立つかわからない。宿の主人がそろそろ旅立ってはと催促すると、実は一文無しだという。それは困った、旅籠代はどうするのかと尋ねると、まことに申し訳ないので旅籠代の代わりに襖(ふすま)に絵を描かせてくれないかという。主人はもう宿も閉めることだしいいだろうと襖に絵を描くことを許した。旅人は雀の絵を描き終ると旅立っていった。翌朝、主人が部屋を開けてみると昨日描いた雀が襖の中にいないではないか。窓の外を眺めてみると庭の松の木に雀が止まっている。主人が雀に呼びかけると、雀は啼(な)きながら襖に戻って中に入ってしまったのである。主人は腰を抜かし、このことを村人に話をすると、噂が噂を呼び大挙して客が訪れるようになった。近郷近在はいうに及ばず、京大阪はじめ全国各地から襖から抜け出る雀を見に集まってきたのである。宿は大繁盛し、主人は大金持ちになったという噺である。『抜け雀』の落語ではないが、この探幽の鶴も動いている。たしかに鳴き声も聞こえてくるのである。
狩野探幽は、関ヶ原の合戦の二年後に京都に生まれた。狩野永徳の孫にあたり江戸時代前期の狩野派を代表する絵師である。代表作は名古屋城「雪中梅竹禽図」、京都大徳寺「四季松図屏風」や東京サントリー美術館「桐鳳凰図屏風」などであるが、なにげなく金剛峰寺の廊下にあった探幽の鶴には足が竦(すく)んでしまった。しばし時のたつのも忘れ、探幽の鶴の前に佇んだのである。
狩野探幽は永徳風の豪壮な画風も得意とするが晩年には大和絵の柔和さも身に付けた絵師である。江戸時代の絵画評は「新大和絵」と評され、のちに尾形光琳が模写したほどである。新機軸と卓越した技法は他の追随を許さない。僕の目の前にある探幽の鶴は、互いに寄り添い、なにを語っているのであろうか。それはきっと見る人の心の中にある”声”である。僕はその鶴と対峙し、閉館までそこを去ることができなかったのである。とにかく高野山は、霊気漂う、日本の聖地であることを教えてくれたようである。この鶴が僕の心にそう語っている。
奥の院の入り口に、司馬遼太郎の文学碑がある。この中の一文を記して、この旅行記の終わりとしたい。
ー大門の向こうは、天である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空(そら)がひどく大きい。大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空(くう)に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。
まことに、高野山は日本国のさまざまな都𨛗(とひ)のなかで、唯一(ゆいいつ)ともいえる異域ではないか−
司馬遼太郎
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- 観光
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- ホテル
- 4.0
- グルメ
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- 一人あたり費用
- 1万円未満
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