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七福神めぐり<br /> 京都は七福神の発祥の地。福神信仰は、室町時代における京洛の民間信仰で、その神として恵比須神と大黒天が「えべっさん」、「大黒さん」と親しみを持った呼び方で、町衆の間で広まりました。<br /> 福神信仰の思想は、古代社会からすでに根差していたようです。古代の人は、海からやって来る神が、人の世に幸せをもたらすとされ、海辺の漁民や農民の生活に息づいていました。その神が財宝の神として崇められるようになるのが、室町時代の京洛における商工業の発展にあります。商売繁盛、開運を願った福神信仰が商工業者の世界に深いつながりをもつに従って、福の神は多い方がよりご利益があるということか、それまでの二神が七神となり、七福神が誕生しました。<br />

京の七福神めぐり

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2013/01/23 - 2013/01/23

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kubochan

kubochanさん

七福神めぐり
 京都は七福神の発祥の地。福神信仰は、室町時代における京洛の民間信仰で、その神として恵比須神と大黒天が「えべっさん」、「大黒さん」と親しみを持った呼び方で、町衆の間で広まりました。
 福神信仰の思想は、古代社会からすでに根差していたようです。古代の人は、海からやって来る神が、人の世に幸せをもたらすとされ、海辺の漁民や農民の生活に息づいていました。その神が財宝の神として崇められるようになるのが、室町時代の京洛における商工業の発展にあります。商売繁盛、開運を願った福神信仰が商工業者の世界に深いつながりをもつに従って、福の神は多い方がよりご利益があるということか、それまでの二神が七神となり、七福神が誕生しました。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄

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  •  七福神とは、恵比須(戎)、大黒天、弁財(才)天、毘沙門天、布袋尊、福禄寿、寿老人を指しますが、このうち恵比須のみが日本固有の神(水蛭子(ひるこ)、後に事代主神(ことしろぬし))であり、その他はインド、中国の神々です

     七福神とは、恵比須(戎)、大黒天、弁財(才)天、毘沙門天、布袋尊、福禄寿、寿老人を指しますが、このうち恵比須のみが日本固有の神(水蛭子(ひるこ)、後に事代主神(ことしろぬし))であり、その他はインド、中国の神々です

  •            大黒天<br />松ヶ崎・妙円寺<br />「妙法」の送り火で知られる松ヶ崎東山「法」の下にある。1616年(元和2)日英上人が創建の際、法華経の守護神として別棟にまつったのが大黒さん。「松ヶ崎の大黒さん」として全国より参拝あり。日蓮宗。1969年(昭和44)の火事で無事だったので、「火中出現の大黒天」とも呼ばれる。60日に1回の甲子(きのえね)の日にご開帳。諸願成就・寿福円満の御祈祷が執行される。都七福神の一つ<br />

               大黒天
    松ヶ崎・妙円寺
    「妙法」の送り火で知られる松ヶ崎東山「法」の下にある。1616年(元和2)日英上人が創建の際、法華経の守護神として別棟にまつったのが大黒さん。「松ヶ崎の大黒さん」として全国より参拝あり。日蓮宗。1969年(昭和44)の火事で無事だったので、「火中出現の大黒天」とも呼ばれる。60日に1回の甲子(きのえね)の日にご開帳。諸願成就・寿福円満の御祈祷が執行される。都七福神の一つ

  • 大黒天<br />松ヶ崎・妙円寺

    大黒天
    松ヶ崎・妙円寺

  •              弁財門天<br />出町妙音堂<br />出町妙音堂は、本尊として青龍妙音弁財天画像を祀っている。<br />青龍妙音弁財天画像は、鎌倉時代に西園寺公衡(さいおんじきんひら)の長女寧子(ね<br />いし)が後伏見天皇に嫁する時に持参した西園寺家の念持仏である。<br />

                 弁財門天
    出町妙音堂
    出町妙音堂は、本尊として青龍妙音弁財天画像を祀っている。
    青龍妙音弁財天画像は、鎌倉時代に西園寺公衡(さいおんじきんひら)の長女寧子(ね
    いし)が後伏見天皇に嫁する時に持参した西園寺家の念持仏である。

  • 弁財門天<br />出町妙音堂

    弁財門天
    出町妙音堂

  •               毘沙門天<br />廬山寺<br /> 938年(天慶1)延暦寺中興の祖、元三大師良源が開基。皇室とのゆかりが深く、天明の大火(1788・天明8)で失った堂宇は、皇室の援助で復興。紫式部の邸跡で、源氏の庭、お土居などが残る。宮中で元三大師の修法を妨害する悪鬼を退散させた故事にちなむ節分行事‘鬼法楽’は有名。天

                  毘沙門天
    廬山寺
     938年(天慶1)延暦寺中興の祖、元三大師良源が開基。皇室とのゆかりが深く、天明の大火(1788・天明8)で失った堂宇は、皇室の援助で復興。紫式部の邸跡で、源氏の庭、お土居などが残る。宮中で元三大師の修法を妨害する悪鬼を退散させた故事にちなむ節分行事‘鬼法楽’は有名。天

  • 毘沙門天<br />廬山寺

    毘沙門天
    廬山寺

  •              福禄寿・恵比寿<br />清荒神護浄院<br />本尊である火の守り神の「三宝清荒神尊」は「火の用心」「災難除け」の本尊として人々の信仰をあつめています。荒神尊は三寶、仏・法・僧を守護するところから三宝清荒神尊と名づけられました。開基は宝亀2年(772)で、光仁天皇の皇子である開成皇子が仏門に帰依し、勝尾山(現在の大阪府箕面市)で修行中感得され、自ら模刻し日本最初の荒神尊としてお祀りされました。慶長5年(1600)後陽成天皇により皇居守護のためこの地に移され、以後歴代天皇に国家安寧・五穀豊穣の御札を献上し、現在も綿々と続いています。<br />

                 福禄寿・恵比寿
    清荒神護浄院
    本尊である火の守り神の「三宝清荒神尊」は「火の用心」「災難除け」の本尊として人々の信仰をあつめています。荒神尊は三寶、仏・法・僧を守護するところから三宝清荒神尊と名づけられました。開基は宝亀2年(772)で、光仁天皇の皇子である開成皇子が仏門に帰依し、勝尾山(現在の大阪府箕面市)で修行中感得され、自ら模刻し日本最初の荒神尊としてお祀りされました。慶長5年(1600)後陽成天皇により皇居守護のためこの地に移され、以後歴代天皇に国家安寧・五穀豊穣の御札を献上し、現在も綿々と続いています。

  • 福禄寿・恵比寿<br />清荒神護浄院

    福禄寿・恵比寿
    清荒神護浄院

  • 福禄寿・恵比寿<br />清荒神護浄院

    福禄寿・恵比寿
    清荒神護浄院

  • 福禄寿・恵比寿<br />清荒神護浄院

    福禄寿・恵比寿
    清荒神護浄院

  •              寿老人<br />行願寺<br />正しくは行願寺。天台宗。西国三十三カ所第19番札所。俗人のころ鹿を射止めた行円が、仏心を起こし、1004年(寛弘1)寺を建立、千手観音像を刻み、安置した。皮の衣を着たので、皮聖と呼ばれ、寺は革堂と称した。当初、今の上京区にあったが、移転と焼亡を繰り返し現在地に

                 寿老人
    行願寺
    正しくは行願寺。天台宗。西国三十三カ所第19番札所。俗人のころ鹿を射止めた行円が、仏心を起こし、1004年(寛弘1)寺を建立、千手観音像を刻み、安置した。皮の衣を着たので、皮聖と呼ばれ、寺は革堂と称した。当初、今の上京区にあったが、移転と焼亡を繰り返し現在地に

  • 寿老人<br />行願寺

    寿老人
    行願寺

  • 寿老人<br />行願寺

    寿老人
    行願寺

  •              布袋尊<br />大福寺<br />初めは推古天皇の御代大和国宮田郷(ごうり)に建立され、瑠璃光山利生院大福寺という。室町時代の初めに京都に移されたという。<br /> 天台宗の寺で朝家の尊信極めて篤かったが、天明年間に炎上して今は僅かにその面影をとどめるばかりである<br />

                 布袋尊
    大福寺
    初めは推古天皇の御代大和国宮田郷(ごうり)に建立され、瑠璃光山利生院大福寺という。室町時代の初めに京都に移されたという。
     天台宗の寺で朝家の尊信極めて篤かったが、天明年間に炎上して今は僅かにその面影をとどめるばかりである

  • 下賀茂神社

    下賀茂神社

  • 下賀茂神社

    下賀茂神社

  • 下賀茂神社

    下賀茂神社

  • 下賀茂神社

    下賀茂神社

  • 下賀茂神社

    下賀茂神社

  • 河合神社

    河合神社

  • 河合神社

    河合神社

  • 河合神社

    河合神社

  • 鯖街道口

    鯖街道口

  • 豊臣秀吉が築いた「御土居」の一部(廬山寺内)

    豊臣秀吉が築いた「御土居」の一部(廬山寺内)

  • 梨木神社(名水がある)

    梨木神社(名水がある)

  • 梨木神社(名水がある)

    梨木神社(名水がある)

  • 法成寺址<br /> 藤原道長が建立した寺で面積は約39,600?であった<br /> <br /> 

    法成寺址
     藤原道長が建立した寺で面積は約39,600?であった
     
     

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