2012/04/24 - 2012/05/03
7256位(同エリア12058件中)
ちゃおさん
戦前の上海は実に国際都市で、中国政府の支配を離れ、各列強が分割統治をしている状況だった。最初に進出したのは英国で、長江の支流、黄埔江の川岸に橋頭保を作り、ユダヤ系商人が活発な商業活動を行っていた。幕末の伊藤博文(当時は俊輔)等長州藩藩士数名が当時の国禁を犯しイギリスに渡航したのも、ジャーデンマチソン、シフ、サスーン等の上海に拠点を置くユダヤ商人の助けがあって行われたものだった。彼等の経済力、ネットワークは、国禁を犯すことなど屁の河童で、4−5人の侍をロンドンに送ることなど容易なことだった。
そうして先ず最初に英国が黄埔江に面する一帯を租借し、次に永久租借権の上に租界とし、実質的な植民地にしていった。当時の清朝政府はそれ程弱体化していて、英国の無法な強奪を見ていた西欧列強、フランス、ドイツ、ロシアなどは競って租界地を作って行った。遅れてやって来た日本も又上海の海に面した部分を租借し、今現在も使用されているガーデンブリッジから東の部分を日本租界地としたのだった。
中国革命後、これ等の租界地は全て中国政府に返還され、今は外国勢力は一掃されているが、それでも現在の街並みは当時の支配国の面影を残している。黄埔江沿いの一角は今でも英国風の金融街を留めているし、政界でも有数の銀行HSBC(Hongkong Shanghai Banking Corp.)の本店もこの場所にある。
魯迅故居のある虹口区は戦前の日本租界地で、通りを歩いているとどことなく日本の面影が残っているような感じもする。いや逆に日本と結び付けられそうなそうした戦前の面影を求めて通りを歩いたのかも知れないが。あちこちに見える古いアパートなど、戦前に作られたものかも知れない。マロニエか鈴懸らしき街路樹も世代を越えて戦前からこの通りに、同じように植樹されていたのだろう。丁度5月の大連がアカシアの芳香に満ちるように。歩いていてお腹も空いてきた。どこかで昼食としよう。
- 旅行の満足度
- 5.0
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ちゃおさんの関連旅行記
上海(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
10