2013/12/28 - 2014/01/04
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kazimさん
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「今年も年越しはウラジオストクにしたから、よろしく」と、現地在住のVさん・D君夫妻に伝えれば、「OK! 酒を用意して待ってる」と頼もしい言葉、そして「他にやりたいことはない?」と訊ねてくれる。3年連続のウラジオストク訪問で、主なスポットは見ているから「田舎で年越しを迎えたい」と頼んだ。そこで、7泊のうち真ん中の2泊をステクリヌーハという田舎で過ごす行程ができ、結局むやみに酒を飲み続ける日々となった。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- S7航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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12月28日
S7シベリア航空で夕刻ウラジオストクに着き、空港でVさん・D君(写真手前の2人)夫妻の出迎えを受けた。彼らの車で、アムール湾に新しくできたティヒー橋を経由して市内に入り、ホテルにチェックインだけして、すぐに2人のアパートへ向かう。酒や食べ物は途中のスーパーで買い込んでおり、夕食をつまみながらウォッカをぐいぐいやる。 -
飲みながら日本の土産を渡す。といっても、日本を知っている2人だから、あらかじめ指定を受けており、彼らのためには、緑茶と目薬、そして「サイゼリア」(他の店ではダメだそうだ)のドレッシングで、翌日会うことになるMさんには、抹茶と「味の素のほんだし」を頼まれている。同時にVさんの妊娠の報せも受け、乾杯のピッチが上がる。男2人で0.5リットルのウォッカを1瓶あけ、23時にホテルへ帰る。
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ホテルはアズィムート・ウラジオストクと決めている。彼らのアパートから歩いて5分ほどの近さだからだ。ウラジオストク駅まで500m足らずという街の中心だが、駅の西側は小高い丘になっており、意外に静かな一角にある。写真はホテルの前庭からスポーツ湾方向の眺め。このホテルは奇数番の部屋がオーシャン・ヴューだ。正確には、この海は日本海の一部の湾であり、「オーシャン」ではないけれど。
オーシャン・ヴューを望むなら by kazimさんアジムット ホテル ウラジオストク ホテル
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12月29日
かなりウォッカを飲んでも、十分に給水をし、きちんと眠れば二日酔いはしない。だから遅く起き出し、13時過ぎに2人のアパートに行った。日曜日でD君は昼間から飲む気まんまん、早速ビールを大ジョッキに注ぐ。一晩で飲む量なら負けないが、昼も夜もなく飲み続ける気力と体力にはかなわないと、これから何度も感じることになる。彼に付き合ってから、Vさんと出かける。日本在住の別のロシア人から、お母さん(写真右)への預かり物を託されているのだ。 -
お母さんの家は中心から3キロほど離れたナロードヌィ・プロスペクト(国民大通り)地区にある。写真のように、起伏がある土地にアパートや店やスポーツ施設などが混在した一帯で、ウラジオストクの典型的な都市風景が広がる。このお母さんは1人で暮らしだ。2人の子供がいるが、末娘は日本におり、上の娘はスペインに嫁いだ。極東地区からは若い人が離れがちで、こうした年寄りだけの世帯も多いらしい。彼女に預かりものを渡して、私のスーツケースはとても軽くなった。
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娘さんを通してお願いしていた肉の煮こごり「ホロデーツ」をいただき、勧められるままにウォッカを始めてしまった。そういえば何を飲むかも娘さんに問われていた。この部屋に客が訪れることは少ないのだろう、2人の来訪者に、1人暮らしのお母さんは話が止まらず、思いのほか長居をした。抹茶とほんだしを頼んだMさんと合流し、いったんVさんたちのアパートに帰る。
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写真では私の眼鏡をかけてふざけているMさんは、Vさん夫妻より日本に滞在していた期間が長く、私にとって彼ら以上に古い友人だ。「Mさん、ほんだしを何に使うの?」「ロシアの料理に入れるとおいしいよ」「おそばとか作れば?」「そう? めんつゆにもなるんだ」。これは日本語が流暢な彼女との会話そのままだ。私がロシア語に困ったときには、彼女が助けてくれる。
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アパートに帰ると、D君は待ちくたびれて相当飲んだ様子だ。彼の酒は基本的にビールで、休日には3リットルのペットボトル(日本にペットボトル入りのビールはあるのか)を2、3本あけてしまう。というか、水分補給はすべてビールなのだ。彼の提案で、近所のインド・レストランに行くことになった。「Bombay Night」(写真)という店で、以前「セーミ・サムライェーフ(7人の侍)」という日本料理店があった場所を引き継いでいる。
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日本料理店のなごりで障子がそのまま残され、インド絵画も飾られる不思議な内装(写真)だが、シェフはインド人で味は本格的だ。昨年までは中心から離れた場所にあったが、客が付いているのだろう、スヴェトランスカヤ通りに面した、ヴェルサーリ・ホテルの斜め向かいの地下に移った。ロシア料理に飽きたならば勧めたい店で、ちゃんとしたカレーをナンで食べられる。ここでもまたウォッカとなり、1瓶をあける。それらも含め4人で合計4000ルーブル(約12000円)ほど。
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12月30日
月曜のこの日、ロシア人の皆さんは仕事があるので、夕方まで1人で行動する。とりあえずホテルから東方向を目指して歩き出し、5分もゆるゆると坂を下れば、写真の風景となる。正面に客船ターミナル「モルスコーイ・ヴァグザール」、右奥にちらりとウラジオストク駅、向こうに金閣湾の大橋。料金は高めだが確かにおいしいレストラン「ノスタルギーヤ」の前あたりから撮ったものだ。 -
いくつかのショップが入る客船ターミナルをのぞき埠頭に出た。写真のように、広々として気持ちの良い景色だ。この時期ウラジオストクでは9時頃にやっと明るくなり、その代わり18時過ぎまで陽がある。経度では広島あたりになるのに日本より2時間遅い時刻設定にしているのだ。少しでもモスクワに近づけようとしたのだろう。この写真は14時頃だったか、最も陽が高く昇る時刻だ。
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続いて中央広場へ出る。例年と同じように大きな樅の木が用意され、氷の滑り台も含めて、新年の準備は万端だ(写真)。すでにサンタクロース(ロシア語で「ジェード・マローズ」)の扮装をした人もいる。このあたりについては「ウラジオストクの綺麗な場所と美しいもの」に書いたので参照されたい。この年末は暖かく、マイナス10℃以下には下がらなかった。歩くのには大変楽だが、雪がほとんどないのは残念だ。
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カラベーリナヤ通りに降りて、さらに東へ歩き、ニコライ2世凱旋門(写真)へ。ここまでで1キロあまり歩いたことになろう。必要以上に着込んでしまったので、汗をかくほどだ。街ゆく人々の多くは、手袋や帽子を外していたり、コートの前を開けたりしている。この先、金閣湾大橋のたもとに新しいスポットができたと、後でMさんから聞いた。ハイアット・ホテルのことなのかもしれない。
ニコライ2世凱旋門 建造物
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もう一つ、近くのアンドレイ教会(写真)を見て、戻りながらストラヴェンスカヤ通りの店をのぞく。そして、途中のスーパーでビールなどを買い込み、ホテルの部屋で1人飲む。完全にロシア化した私で、この夜もVさん・D君夫妻のアパートに呼ばれ、小さな宴を開いたのは当然だ。D君は明日の午前中に仕事があるのでセーブ気味、年内の仕事が終わったVさんが私に付き合ったが、彼女はこの夜、年越しの料理の準備で、就寝は午前3時だったそうだ。
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12月31日
D君の仕事終わりを待ち、この日もしばらくは一人で歩き、ホテルの北側の一帯を回った。ディナモ・スタジアムが面するパグラニーチナヤ通りや、そこから始まるセミョーノフスカヤ通りにも、さまざまな店舗がある。この写真はスポーツ湾の俯瞰。次の写真は魚市場へ向かう海岸の遊歩道からのもの。暖かいといっても湾の海水は凍りつき、氷に穴を開けて釣りをする人がちらほらと見える。 -
D君が帰ったと電話が入り、いよいよ田舎での年越しパーティーに向かう。ジープの荷台に大量の酒と食べ物を乗せ、D君の友だちとMさんを拾って、向かうはステクリャヌーハ村だ。Vさんの職場のパーティーが貸別荘で行われる。ウラジオストクのある半島の根っこで街道を東に折れ、空港のあるアルチョーム市を通り越してさらに進む。シュコトヴォという街でナホトカに至る道と分かれ、さらに3キロほど。ウラジオストクからは約80キロ、1時間半でステクリャヌーハ村に着いた。
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何もない原野の中に3階建ての建物(写真)があり、Vさんの仕事仲間が2泊3日で借り切っている。19時頃に我々が着くと、すでに皆は飲み始めており、次々に人を紹介される。Vさんの上司や同僚が4家族、さらにD君の友人が2人、我々も含めて16人の参加だ。部屋の割り振りもそこそこに食堂に全員が集まり、パーティーの開始だ。一応の夕食は宿が用意しているが、あとの飲み食いはすべて持ち込むシステムで、なるほど大食漢で酒飲みのロシア人の年越しのために、ジープの荷台がいっぱいになるわけである。
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写真の下段右から2人目が上司、その右は奥さん、一番左がその娘さんだ。彼がポンポンと手をたたき、「タバコはベランダで」「眠りたい人は自由に」などの注意を言い、「それでは」と口上を述べて、正式にパーティーが始まる。彼は隣室のホールにDJのできる機材を持ち込み、次の写真のようなディスコ風のしつらえにしてもいる。女性の中にはシャンパンやコニャックを飲む人もいるが、男たちは酒に強かろうが弱かろうが、全員がウォッカだ。
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ロシア人のウォッカの飲み方。まず、カクテルにしたりソーダで割ったりなどの小細工はしない。「リュームカ」という小さなグラスにストレートで注ぐ。誰かがひとこと言葉を発し、その合図でグラスを合わせ一気に飲む。その口上の典型が、「ザ・ナース(我々のために)」や「ザ・フストレーチュ(出会いに乾杯)」など。年越しなら「ス・ノーヴィム・ゴードム(新年に乾杯)」だ。「お前も何か言え」と請われたので、「カンパーイ」と日本語を叫んだら、それでもよかったらしく、ひとしきり盛り上がった。
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誰かに注がれるとき、グラスに酒を残していてはいけない。「ペーイ・ダ・ドナー(底まで飲め)」である。欲しくなければ断ってもよい。逆に、誰かが注ぎ始めたときにグラスを差し出せば、「飲みたい」の合図になる。飲みたいのに誰も注がないときには、手酌は許されないので、「ナリヴァーイ(注げ)」と叫ぶ。続いて「ア・トー・ウイドゥ(そうじゃないと帰る)」と言えば完璧、よく聞く冗談だ。また、彼らはストレートで飲むが、その後で必ず何かを食べる。さらにジュース類をチェイサーとして飲むことも多い。
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こうした宴会はいつ終わるのか。それは酒が尽きたときだ。レストランでウォッカのボトルを注文したならば、そのボトルを飲み干さない限り終わらない。ボトルが空いたと思ったら、さらに追加を注文されることもあるけれど。そういうときのためか、レストランではグラム単位でもウォッカを売る。さて、この日は酒が大量に持ち込まれている。免税店で買ったシャンパンはとっくに終わり、だいぶウォッカを飲んだなと思って時計を見たら、まだ22時だった。宴会は始まったばかりである。
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ロシア人といえども、もちろん毎日飲んだくれているわけではない。彼らもそれは強調する。誰かの結婚式や誕生パーティー、そして年末年始が最大の宴会シーズンだ。写真は今年1月のカレンダーだ。1日から7日までが真っ赤、すなわち祝日である。事実、Vさんの会社は電力関係で、D君は警察関係に勤めるが、仕事始めは8日だと言う。7日がロシアのクリスマスであり、年明けからこの日まで、彼らはパーティーなどで飲み続けることになる。
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だいぶ酔って、そろそろ限界と感じた頃に、やっと午前0時を迎えた。テレビでプーチンが国民へのメッセージを語り、国歌が流れて、クレムリンが映され、3、2、1で改めて乾杯。「ウラー(万歳)!」、そして今こそ「ス・ノーヴィム・ゴードム」である。そうして彼らの多くが野外へ飛び出して、持参の花火をあげる(写真)。ウラジオストクの中心では、さぞかし盛大に打ち上げられているだろうが、この田舎では我々の花火だけで、いささか残念だ。
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このようにしてパーティーは続き、私は午前3時頃に眠ったようだ。上司のDJで踊ったことは覚えているが、それ以後の記憶が飛んでおり、撮影された覚えがないのがこの写真だ。なぜかTシャツ1枚で、上司のお嬢さんと仲良くおさまっている。もちろん特に失礼なことはしなかった(そうだ)。パーティーが終わった(最後の1人が眠りに就いた)のは、朝の5時頃だったらしい。
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1月1日
まだ暗い時間にどこかで携帯電話が盛大に鳴り、誰かの轟々たるいびきにも悩まされながら、それでも熟睡して、11時に起きた。食堂にはすでに何人かが座して、てんでに朝食とも昼食ともつかぬ食事をとっている。「どう眠れた?」と問われて、「まあ、何とか。でもスシニャークだね」と答える。「スシニャーク」とは、酒を飲んだ後の喉の渇きがひどい状態を言う。「なら、ビールをどうぞ」という返しは、十分に予想されたものだ。 -
全員が起きた頃を見計らって宿の女主人が登場し、近辺の見所を紹介した。「30キロほど先に滝があります。近くでは小川があります」とのこと。それを聞き、行動的な上司の家族はさっさと準備をして滝に向かった。当然ビールを飲んでいたD君は、だいぶ経ってから「小川に行こう」と誘う。飲酒運転だから遠出をするべくもなく、村の中なら大丈夫という判断だ。事実、宿の周辺には車どころか人の姿が見えない。写真はその小川だが、全く平凡な川である。むしろ彼らの愛犬と、足元のビールに注目か。ここでも飲んでいるのだ。
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イチオシ
それより私にはこの村のたたずまいが印象に残る。写真のように村というより原野であり、山の麓に民家の屋根がいくつか見えるだけ。手前にあるのはロシア人によれば「絶対にトイレ」だそうだが、なぜこんな原っぱの真ん中にぽつんとトイレがあるのだろう。ロシア語版のウィキペディアによればステクリャヌーハ村の人口はわずか290人だ。上司の家族が出かけたと思われる滝の映像は以下のアドレスにYou Tubeがある。
www.youtube.com/watch?v=mvTGeb7Esbk -
わずか30分で小川へのドライブから帰り、夕方から夜にかけては、ロシア式サウナ「バーニャ」に入りつつ、当然もう一度パーティーが行われた。私は、大晦日の夕刻以降にシャンパンとウォッカ、元旦の昼にはビール、そしてこの夜は上司が持参したコニャックを飲んだ。私だけでなく彼らもさすがに疲れて、上司のDJに踊る者はいなかったが、それでも日付が変わるまで宴会は続くのであった。乾杯の口上の言葉が尽きて、「ナリヴァーイ! ア・ト・ウイドゥー」を何回も聞く。
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Vさんの同僚にタタール系の人がいた。写真右のように、明らかにアジア系の顔立ちで名前もロシア風ではない。最もよくしゃべり飲んだ明るい人物で、私としても同系の風貌に親近感を覚えた。酔ったロシア人たちは、彼の民族について平気で冗談を言い、彼も気にする素振りを見せずに笑っているが、ややもすればデリケートな問題になることだ。ジョークで遠慮なく民族の違いを言い合える関係は、むしろフランクと言えるのか。
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1月2日
ウラジオストクへ帰る日だ。10時過ぎに起き出すと、ある家族はすでに帰り仕度を始めているが、一方で、運転しない数人は相変わらずビールを酌み交わす。ほぼ惰性であり、話題も尽きてテレビをぼんやり観る。ロシアの年末年始のテレビは、歌番組や映画やコメディが多く、最近人気があるのが、男女数人を同じ家で数週間過ごさせ、そこでの恋愛沙汰やいさかいをそのまま流すもの。悪趣味だと思うのは私だけで、彼らは真剣に視聴している。 -
その仲間に入ってしばらくするうち、初日から我々の世話をしている宿の管理人が、生まれたばかりのヤギとウサギ(写真)を連れてきた。宿の隣家で飼っているのだそうだ。管理人とヤギが似ている言って、皆が騒ぐ中、「名前はなんていうの?」と私は尋ねたが、「ヤギは2週間前に生まれたばかりだから、まだ名前はない。ウサギはすぐに食べちゃうから名前なんて付けない」という素っ気ない返事。それを聞いた誰かが「じゃとりあえず名前を決めよう」と言って、タタール人の名を叫んだ。結構きついジョークだが、大笑いで終わった。
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さらにだらだらと過ごし、宿を出たのは15時頃だった。素泊まりなら1泊350ルーブル(約1000円)だが、2回の夕食代と、サウナの特別料金が加わり、1人分がおよそ7000円だ。なお「地球の歩き方」最新版にこの村が紹介されており、「ダーチャ体験プログラム」とは、この宿を指していると思われる。ただし、正確に言えばここは貸別荘で言うべきで、「ダーチャ」ではない。「ダーチャ」でロシア人は畑仕事をすることが多く、宴会や静養が中心ではない。また、渤海国の遺跡がこの村にあるとも書いてあるが、女主人の案内にはなかった。
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帰りの車は、飲んでいるD君が助手席で、Vさんが運転する。ウラジオストク郊外に入った頃、「ビール工場が近くにあるから、そこで出来たてのビールを買おう」と助手席の酔っぱらいが提案した。後部座席の酔いどれも「いいねえ」と同意し、数本のペットボトルを買い込み車内で回し飲み、さらにD君が「夜はカラオケ・バーに行くぞ」と決める。気力・体力と胃の強さは尊敬に値する。それでも、さすがにいったん家に戻って休むことになり、私はホテルで3時間ほど眠った。
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Vさんからの電話で起こされ、彼らのアパートに近いカラオケ・バーへ22時に集合。映画館「オケアーン」の裏手のティグローバヤ通りの店で、名前は「Hawaii」、たしかにトロピカルなインテリアではある。ただし彼らの発音では「ハワイ」は「ガヴァーイィ」になる。先ほど同乗していた5人に、D君の友人が3人加わり、当然ここではウォッカだ。VさんとMさんは歌が上手く、私も何とか歌うが、他の男どもはひたすら飲むだけだ。
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イチオシ
こうしたカラオケ・バーで歌われるのはもちろん大部分がロシアの曲だ。しかし、英語の歌のリストがあり(この店には日本語の曲はない)、私はその中から選ぶ。歌うのは若い女性が多く、男性の多くはエスコートで来ているのだろう。数曲の歌が続くとディスコ・タイムになり、中央のステージで踊る。ここでも女性が目立ち、新年ということもあり、着飾った美人が踊るのは壮観だ。
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イチオシ
午前3時ですっかり消耗し、まだ残るという4人を残し、Vさん、Mさん、D君と私は帰る。店を出たら、雪がしんしんと降っていた。ステクリャヌーハの夜に少しだけ降ったが、積もりそうな雪は今回では初めてで嬉しく、夜景の写真を撮った。バーの前からパクラニーチナヤ通り、ディナモ・スタジアム方向を向いている。新しく積もった雪を酔い覚ましとして口に含みながら、よろよろとホテルにたどり着いた。
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1月3日
この日の午後はいわば年始回りで、Vさん・D君の実家を訪れる。まずはVさんの実家(写真)で、ご両親とは顔なじみだ。こうした新年の訪問には、プレゼントの交換がある。そのために日本からの土産を残していたが、Vさんが「お酒も用意しなさい」と言うのでパパの好みのリキュールを店で買う。ということはそれを一緒に飲む。また、お母さんのボルシチがおいしいので、遠慮なくリクエストしてあり、飲んで食べてしゃべって2時間ほどで移動する。 -
続くD君の実家(写真)では彼が完全に子供に返るのが面白い。自分は飲んだくれてプレゼントを忘れたくせに、お母さんには「何かよこせ」とほざく。彼のパパはウォッカをちびりちびりと飲むタイプだから、同じペースでいただく。この家には昨年初めて訪れてお母さんの手作りタルトがおいしかったので、リクエストしてあった。そして、さらにもう1軒、12月29日におじゃましたお母さんのアパートに行き、日本在住の娘へ渡す品物を預かった。3軒の訪問で酒も飲み満腹もして、店には寄らず21時頃にホテルへ帰った。
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1月4日
8時に起きたが、まだ暗く、とてつもない早起きの気がする。前日に余ったタルト(写真)を朝食にし、帰国の途に就く。空港ではYさんのお母さんからの預かりものが重くて、超過料金を取られた。母の愛の重さである。S7シベリア航空では、1キロオーバーに付き5ユーロという計算らしい。日本に帰ったら、しばらく酒を抜かなくてはならないと思いつつも、スーツケースにはウォッカが数本入っている。
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