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毎年、恒例となった両子寺(ふたごじ)へ帰省先の実家より徒歩で参拝しました。<br />徒歩で丁度10Kmの距離にあり山の景色を楽しみながら参拝しました。<br />両子寺は下記の両子寺のホームページにご紹介がある通り「仏の里」国東半島を代表するお寺で<br />訪れる観光客は絶えません。<br /><br />以下、紹介のHPよりご紹介<br />≪国東六郷満山の概略・・・国東天台寺院の総称≫<br /> 国東半島のほぼ中央に聳える両子山(721m)から放射状にくにさきの谷々は海岸へと広がり、約28谷を六つの里に分け、六郷と称し、この地に開かれた天台宗寺院全体を総称しして六郷満山と呼び、奈良、平安・鎌倉の昔より、宇佐八幡〈全国八幡の総本社〉の庇護と影響の下に神仏習合の独特の寺院集団と信仰が形成され、往時には半島一帯に185の寺院、洞窟、僧坊、を含めて約八百の大小の堂、また、石仏・石塔が、点在し、ほとけの里といわれる六郷満山仏教文化圏が開かれてきました。<br />爾来約1300年間の星霜、寺院の栄枯盛衰があれども、人々の素朴な信仰は連綿として今日まで継承され、仏像・野の石仏、石造物、諸民俗的伝承行事、そして恵まれた自然の環境の中にいにしえの素朴な息吹を感じることができます。そしてほとんどの寺院の開基は仁聞(にんもん)菩薩、AD718年開創以来やがて1300年の節目を迎えんとしています。<br />≪両子寺の御案内≫<br /> 両子山の中腹に両子寺があります。六郷満山の中では中山本寺、すなわち山岳修行の根本道場に当たり、特に江戸期より六郷満山の総持院として全山を統括してきました。しかしながら時代の趨勢、明治初頭の神仏分離、第二次世界大戦等の法難、自然災害・人為災難等の遭遇により次第に堂宇は往時の姿を薄れてかけて来ましたが、歴代住職の懸命な精進と檀信徒の護持によりわずかながらも、面目を保ちつつ今日に至っています。<br />境内は瀬戸内海の国立公園、大分県史跡に編入され、全国森林浴の森百選の指定地として自然に恵まれ、四季を通じ殊に、新緑、紅葉のもみじには遠近を問わず、大勢の参拝客で賑わいます。<br /> 信仰として、特に子授けの祈願所、安産・厄除け・交通・家内安全・航海安全等各種祈願や幼没水子・先祖供養等の供養が一般、檀信徒を問わず広く門戸を開放し厳修されています。<br /><br />以上がHPでのご紹介です。<br />約3時間かけて参拝しました。<br />

六郷満山 総持寺「両子寺(ふたごじ)」へ初詣

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2014/01/01 - 2014/01/02

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SAKURA

SAKURAさん

毎年、恒例となった両子寺(ふたごじ)へ帰省先の実家より徒歩で参拝しました。
徒歩で丁度10Kmの距離にあり山の景色を楽しみながら参拝しました。
両子寺は下記の両子寺のホームページにご紹介がある通り「仏の里」国東半島を代表するお寺で
訪れる観光客は絶えません。

以下、紹介のHPよりご紹介
≪国東六郷満山の概略・・・国東天台寺院の総称≫
 国東半島のほぼ中央に聳える両子山(721m)から放射状にくにさきの谷々は海岸へと広がり、約28谷を六つの里に分け、六郷と称し、この地に開かれた天台宗寺院全体を総称しして六郷満山と呼び、奈良、平安・鎌倉の昔より、宇佐八幡〈全国八幡の総本社〉の庇護と影響の下に神仏習合の独特の寺院集団と信仰が形成され、往時には半島一帯に185の寺院、洞窟、僧坊、を含めて約八百の大小の堂、また、石仏・石塔が、点在し、ほとけの里といわれる六郷満山仏教文化圏が開かれてきました。
爾来約1300年間の星霜、寺院の栄枯盛衰があれども、人々の素朴な信仰は連綿として今日まで継承され、仏像・野の石仏、石造物、諸民俗的伝承行事、そして恵まれた自然の環境の中にいにしえの素朴な息吹を感じることができます。そしてほとんどの寺院の開基は仁聞(にんもん)菩薩、AD718年開創以来やがて1300年の節目を迎えんとしています。
≪両子寺の御案内≫
 両子山の中腹に両子寺があります。六郷満山の中では中山本寺、すなわち山岳修行の根本道場に当たり、特に江戸期より六郷満山の総持院として全山を統括してきました。しかしながら時代の趨勢、明治初頭の神仏分離、第二次世界大戦等の法難、自然災害・人為災難等の遭遇により次第に堂宇は往時の姿を薄れてかけて来ましたが、歴代住職の懸命な精進と檀信徒の護持によりわずかながらも、面目を保ちつつ今日に至っています。
境内は瀬戸内海の国立公園、大分県史跡に編入され、全国森林浴の森百選の指定地として自然に恵まれ、四季を通じ殊に、新緑、紅葉のもみじには遠近を問わず、大勢の参拝客で賑わいます。
 信仰として、特に子授けの祈願所、安産・厄除け・交通・家内安全・航海安全等各種祈願や幼没水子・先祖供養等の供養が一般、檀信徒を問わず広く門戸を開放し厳修されています。

以上がHPでのご紹介です。
約3時間かけて参拝しました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
その他
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JALグループ 新幹線 自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 今朝は大霜 葉っぱは真っ白

    今朝は大霜 葉っぱは真っ白

  • 参拝途中の木々

    参拝途中の木々

  • 参拝途中の木々

    参拝途中の木々

  • 参拝途中の木々

    参拝途中の木々

  • 参拝途中の木々 ススキ

    参拝途中の木々 ススキ

  • 参拝途中の木々

    参拝途中の木々

  • 参拝途中の木々 木漏れ日

    参拝途中の木々 木漏れ日

  • 参拝途中の木々

    参拝途中の木々

  • 参拝途中の木々

    参拝途中の木々

  • 参拝途中の木々

    参拝途中の木々

  • 梅園の里 入り口 歩き始めて1時間

    梅園の里 入り口 歩き始めて1時間

  • 温泉保養所 梅園の里 入り口看板

    温泉保養所 梅園の里 入り口看板

  • 三浦梅園の街灯

    三浦梅園の街灯

  • 参拝途中の木々

    参拝途中の木々

  • 参拝途中の木々

    参拝途中の木々

  • 三浦梅園の生家 旧宅

    三浦梅園の生家 旧宅

  • 梅園の里 連絡道路案内板

    梅園の里 連絡道路案内板

  • 三浦梅園生家案内道路標識

    三浦梅園生家案内道路標識

  • 梅園の天球儀が欄干にあった

    梅園の天球儀が欄干にあった

  • 澄んだ川

    澄んだ川

  • 川には鯉が泳いでいたね

    川には鯉が泳いでいたね

  • 両子山と川

    両子山と川

  • 両子山と川

    両子山と川

  • 両子寺へ向う道に合流

    両子寺へ向う道に合流

  • 途中にあった木、岩盤に突き当たり根っこが横に伸びている

    途中にあった木、岩盤に突き当たり根っこが横に伸びている

  • そのヒノキ 大きく育っている

    そのヒノキ 大きく育っている

  • 参道途中の木々

    参道途中の木々

  • 途中にあった神社

    途中にあった神社

  • 桜が咲いていました。

    桜が咲いていました。

  • 桜が咲いていました。

    桜が咲いていました。

  • 両子寺まで3Km

    両子寺まで3Km

  • 案内板

    案内板

  • 両子山と松ノ木

    両子山と松ノ木

  • 両子寺の手前にかかる大橋

    両子寺の手前にかかる大橋

  • 両子寺手前の道路標識

    両子寺手前の道路標識

  • 最後の案内板

    最後の案内板

  • 参拝途中の風景

    参拝途中の風景

  • いよいよ到着 左は車道、右は歩いていく参道

    いよいよ到着 左は車道、右は歩いていく参道

  • 最終の参道、まっすぐ伸びた石段をあがっていく 手前の無明橋(太鼓橋)

    最終の参道、まっすぐ伸びた石段をあがっていく 手前の無明橋(太鼓橋)

  • この仁王像を抜ければ両子寺到着<br />文化11年(1814)の作と伝えられている参道の仁王像は、国東半島最大の石像仁王、見事な均整美を保ち満身の力をたくわえている、広大な仏域に力強く仏法守護の睨みをきかせている。<br />≪安岐町指定有形文化財≫

    この仁王像を抜ければ両子寺到着
    文化11年(1814)の作と伝えられている参道の仁王像は、国東半島最大の石像仁王、見事な均整美を保ち満身の力をたくわえている、広大な仏域に力強く仏法守護の睨みをきかせている。
    ≪安岐町指定有形文化財≫

  • 両子寺の石段 車で行く人が多くこの参道を通る人は僅か<br />両子寺の一番の見所はこの石段の参道<br />

    両子寺の石段 車で行く人が多くこの参道を通る人は僅か
    両子寺の一番の見所はこの石段の参道

  • 両子寺 入り口付近の風景

    両子寺 入り口付近の風景

  • 入り口案内石碑

    イチオシ

    入り口案内石碑

  • 両子寺「護摩堂」<br />山岳修行の根本道場にして本尊不動尊をはじめ諸仏を祀る。<br />(観音菩薩、阿弥陀如来、毘沙門天、歓喜天、)など、<br />明治2年焼失後20余年の歳月を費やし、同25年に原型どうりに再建し、四方方形、扇タル木、二段化粧、殊に外陣の天井組木には故人の労苦が偲ばれる。

    両子寺「護摩堂」
    山岳修行の根本道場にして本尊不動尊をはじめ諸仏を祀る。
    (観音菩薩、阿弥陀如来、毘沙門天、歓喜天、)など、
    明治2年焼失後20余年の歳月を費やし、同25年に原型どうりに再建し、四方方形、扇タル木、二段化粧、殊に外陣の天井組木には故人の労苦が偲ばれる。

  • 両子寺「護摩堂」正面 

    両子寺「護摩堂」正面 

  • 護摩堂横の石像 うっすらと雪が残る

    護摩堂横の石像 うっすらと雪が残る

  • 年末の雪がまだ残っていました。

    年末の雪がまだ残っていました。

  • 大きな岩に生えた木

    大きな岩に生えた木

  • 奥の院への参道<br />「奥の院」の建物は、弘化3年(1846)旧杵築藩主松平候の寄進によるものです。千手観音立像、両子大権現(男・女二天童子像)、宇佐八幡神像、仁聞菩薩像を崇め祀り、不老長寿と子授け申し子祈願の霊場として広く国内に知られている。<br />

    奥の院への参道
    「奥の院」の建物は、弘化3年(1846)旧杵築藩主松平候の寄進によるものです。千手観音立像、両子大権現(男・女二天童子像)、宇佐八幡神像、仁聞菩薩像を崇め祀り、不老長寿と子授け申し子祈願の霊場として広く国内に知られている。

  • 奥の院への参道<br />「奥の院」の建物は、弘化3年(1846)旧杵築藩主松平候の寄進によるものです。千手観音立像、両子大権現(男・女二天童子像)、宇佐八幡神像、仁聞菩薩像を崇め祀り、不老長寿と子授け申し子祈願の霊場として広く国内に知られている。<br />

    奥の院への参道
    「奥の院」の建物は、弘化3年(1846)旧杵築藩主松平候の寄進によるものです。千手観音立像、両子大権現(男・女二天童子像)、宇佐八幡神像、仁聞菩薩像を崇め祀り、不老長寿と子授け申し子祈願の霊場として広く国内に知られている。

  • 両子寺の駐車場にある国東半島の観光案内版

    両子寺の駐車場にある国東半島の観光案内版

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