2006/05/04 - 2006/05/04
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hidamari09さん
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旅行4日目の参観は敦煌(とんこう)です。
4日 敦煌
鳴沙山,月牙泉,莫高窟 (宿泊:ホテル)
敦煌市は、甘粛省北西部の都市です。かつてシルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市で,近隣にある莫高窟とそこから出た敦煌文書で有名です。
青蔵高原の北縁、河西走廊の西端にあり、支那と西域との出入口です。西にタリム盆地、北には戈壁灘(ゴビ平原)、南は祁連山脈とツァイダム盆地を望みます。 昔の関所として、西北約80kmの所にあるのが「玉門関」、南西約70kmの所にあるのが「陽関」。 陽関は、王維の唐詩「送元二使安西」でも有名です。この詩は、友人の西域派遣に際し、王維が咸陽(現西安北西部)で、友人元二を見送る際に綴ったとされています。最後の行が有名で、「西出陽関無故人(陽関から西へ出れば、もう知る人も無いんだから)」と言い、酒を飲み交わした。
この王維は阿倍仲麻呂(遣唐使)が帰国の際にの送別の歌を書いています。帰国を果たせなかった阿倍仲麻呂ですが,西安の公園に碑が建てられていて,其の碑に王維の歌が刻まれています。
阿倍仲麻呂は西域から来た人々と交流があっただろうと想像すると,また格別の思いがあります。
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トルファンから敦煌までは夜行列車の旅です。
明け方,5時50分地平線に登る太陽を望みます。 -
他の旅行客も三々五々起きてきました。
洗面所が混んでるので,窓辺で順番待ちをしながら,窓外を眺めています。 -
窓外に見えるのは,どこまでも広がる赤茶けた地面です。
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午前6時15分,列車は柳園の駅に到着しました。
敦煌は,この柳園の汽車駅から南西に離れた場所にあります。 -
柳園の汽車駅には,観光バスが待機していて,早速乗り込みます。
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一日の開始は,まず朝食です。旅行社の手配する食堂に入ります。
旅行社(ガイド)は,それぞれ食堂を自分用に確保しているようです。 -
午前8時に朝食をとります。
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莫高窟を目指して観光バスはひたすら走ります。
西域は広いので,移動時間が大変掛かります。 -
午前10時,おみやげ屋に立ち寄り休憩です。
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午前11時,昼食をとります。
上海周辺主体の旅行団なので,食事の内容も普段の食生活に合わされています。
日本人からすると,代わり映えのしないメニューに見えます。 -
最初に向かったのが莫高窟です。
入り口の周辺には,土産店が並びます。 -
門をくぐります。
石窟は敦煌市の東南25kmに位置する鳴沙山(めいささん)の東の断崖に南北に1,600mに渡って掘られた莫高窟・西千仏洞・安西楡林窟・水峡口窟など600あまりの洞窟があり、その中に2400余りの仏塑像が安置されています。
歴史・規模・内容全てに渡って莫高窟が圧倒しているため敦煌石窟は普通莫高窟のことを指します。
作られ始めたのは五胡十六国時代に敦煌が前秦の支配下にあった時期の355年あるいは366年とされています。仏教僧・楽僔(らくそん、僔は人偏に尊)が彫り始めたのが最初で、その次に法良、その後の元代に至るまで1000年に渡って彫り続けられました。現存する最古の窟には5世紀前半にここを支配した北涼の時代の弥勒菩薩像があります。両脚を交差させているのは中央アジアからの影響を示しています。
莫高窟が注目を浴びたのが、1900年の敦煌文書の発見によってです。 -
正面の建物がメインの洞になります。
4,5枚の写真を合成したものです。 -
莫高窟はいつでも全面開放されているわけではありません。
今回は15個所が開放されていました。 -
上段の洞窟には通路が設けられ,参観路とされています。
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洞窟内は基本写真撮影が禁止されています。
洞窟内は部分的に照明はされていますが暗く,持参したのは携帯に便利な小型のデジカメなので映りません。
洞窟内は奥行きが無く,高さがあるので,撮影したいなら明るくかなり広角のカメラが必要です。 -
右端の方です。
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左端の方向です。
それなりに広いので,漫然と見ていると時間がなくなります。
事前に調べて,見たい場所に時間を多くとるような工夫が必要でしょう。
写真はネット上に多く掲載されているので,じっくりと自分の目で見ることに集中しました。
洞窟内の壁画は圧巻です。 -
莫高窟の次に訪れたのが,雷音寺です。
敦煌市にある、市内で一番大きい仏教寺院。1989年に建造され、境内には菩薩像や羅漢像などの仏像が計37尊、納められている。
最近作られたものですか?
もう少し調べると。
言い伝えによると,古の時代月牙泉付近に雷音寺があったそうです。後に,砂嵐が吹き荒れ砂漠に埋もれてしまった。1989年に内外の仏教団体の寄付で,現在の位置に再建し,1991年6月に落成したとあります。
「言い伝えによると」という文面からは,古い雷音寺の姿は伝わっていないと読み取れます。どうやって,現在の形を決めたのか興味のあるところです。 -
莫高窟,雷音寺,鳴沙山,月牙泉の位置関係を確認します。
右上に敦煌の飛行場があります。費用に余裕があれば,飛行機で訪れるのが便利かもしれません。 -
地元のおばあさん方が雑談しています。
お寺ができて,仕事の機会も増えて,地域の活性化につながっているようです。 -
1999年鋳造の文字が読み取れます。
ここに限らず,多くのお寺の鋳造物は年代が新たしいものがほとんどです。
文化大革命の時に,紅衛兵により多くが破壊されてしまったからです。
孔廟で,叩き壊されてつなぎ直された石碑を見て,傍の支那人が「我々はなんということをしてしまったんだ」と嘆いていました。
覆水盆に戻らずです。 -
年齢的に紅衛兵時代のおばあさん。
たくましく生きています。 -
雷音寺を出て,鳴沙山に向かいます。
遠くに砂山が見えます。 -
鳴沙山,月牙泉観光地への入り口です。
砂漠って・・・この門の手前までは普通の地面,門をくぐるとすでにそこは砂漠です。家の玄関を開けたら,目の前に太平洋の海原が広がっているような衝撃的な風景です。 -
鳴沙山から上の門の方向を見た写真です。
上側の緑の大地から,いきなり砂漠に切り替わる様子が見てとれます。 -
門をくぐると,目の前には駱駝の群れがうずくまって,観光客を待っています。
この駱駝に乗って,月の砂漠のイメージ通りの遊覧ができます。 -
駱駝は結構愛嬌のある顔をしています。
近寄っても大丈夫ですが,手を出すのは控えたほうがよさそうです。 -
観光客の多くが駱駝を選択しています。
旅行先での金の使い方は日本人より派手です。 -
鳴沙山に登ります。
身につけているのは,前日のカレードのおみやげ屋で購入した山羊革のベストです。
細かいサラサラとした砂です。坂だと,足元の砂が崩れて登るのに一苦労です。
日本でいうところの鳴き砂のようなものでしょうか。 -
一面の砂海原が広がります。
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振り返ると,月牙泉が見えます。
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月牙泉です。
幻想的な風景です。 -
月牙泉を眺めていたら,敦煌のガイドがやってきました。
二人連れの日本人が,記念撮影をどうですかというので,ガイドさんと一緒に撮影です。 -
駱駝に乗った観光客の隊列は,古の商人の隊列を思わせます。
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砂山からソリで滑る遊びもあります。
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下るのは簡単ですが,そりを運び上げるのは一苦労です。
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砂漠での楽しい1日を過ごし,夕暮れ時に村にもどりました。
子供が写真を撮ってとせがみます。
住所も名前も分からないので,送ってあげることができていません。
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