1994/03/02 - 1994/04/04
1207位(同エリア1420件中)
禅さん
出家
宗教があろうとなかろうと世の中に救われない人が溢れています。脳の発達した人類は、脳によって快楽を得て、脳によって苦しめられるようになりました。未知なる恐怖や不安を解消するために、大いなる力を宗教として理論がためしていきます。様々な宗教がありますが、実際信じられている根本は同じで、それを人格したものが宗教によって異なるだけです。本能だけで生きる下等生物と違い、感情や先のことを考える能力は、今を生きるだけの他の生物をは違い、過去や未来を考えるようになりました。人類が他の生物よりもいい悪いか別として、文化を作る生き物が誕生したのです。我々人間は本能とは別に生きなくてはいけない社会を作りあげました。文明が発達し社会が複雑になればなるほど人間の脳の許容範囲を超え、対応できなければストレスにより精神を崩壊させる。
資本主義社会というのは発展なしに継続は出来ません。そのせいでより社会の複雑化のスピードがはやくなっています。ただ物質は進化発達しても、脳や精神力がそれに伴い成長していないので社会は問題で溢れるようになってきました。
便利になればなるほど、実は精神が不安定になっています。
精神のコントロール
これが宗教における目標です。目に見える物が豊かになっても、目に見えない物が豊かにならなければ実は幸福にはなれない。目に見えない物を充実させるのに有効なのが宗教です。よりいいものを求め続ける事は可能だろうか?この考えには危険も伴います。よいものを求める=競争につながります。満足することを学ぶ。自己中心的な考えの脱却。宗教というのは間違わなければ、社会を安定化します。
ただよいものでも使い方を間違ったり、使う人次第で不安定にもします。使う人自体がしっかりと叡智に満ちていなければいけないのです。カルトにはまる人間は無知が多いです。客観性がなければ物事を判断することが出来ません。物事を客観的に、極端に走らない視点をもち為には常に学習していかなくてはいけません。知ることは正しい判断につながる。
日本は仏教と神道の国です。ただ世界ではかなり特殊な接し方をしています。宗教の力は信心力によって現れるのですが、日本人には信心力はあるでしょうか?一般的に言えば宗教を儀式だと考えています。本来宗教の儀式は付帯的なものです。儀式に信じてなくても参加しているのが日本人でしょう。そして宗教は日常とは違うものと考えているようです。儀式は非日常です。宗教が儀式なら非日常なので、普段の生活には存在しなくなる。日本の主な宗教は神道、仏教、キリスト教、わずかなイスラームです。神道と仏教は生活の中に溶け込んでいますが、あまり知らずに接していることが多いようです。神道以外は海外から入ってきたものですが。その中でも仏教はかなり日本化されたのではないでしょうか?お釈迦様もビックリな宗派もあるようですが、俺が出家したのは日本仏教ではないです。
ミヤンマーのマハーシーというお寺で出家経験をしました。ミヤンマーの仏教はテーラワーダと言って日本人にはあまりなじみのない小乗仏教ですが、御釈迦様の時代の仏教です。大乗仏教になると日本に来るまでにも変化しましたが、日本でも土着化がかなり進んでいるので難しく仏教の本質がわかりずらくなっています。
簡単に小乗仏教をいうと、努力を怠るなです。人に教えるのも、人から学ぶのも常に自分あってのこと。まさに自己責任なんですね。大乗仏教は偉大な人についていけばいいよって感じの宗教です。他力本願とよく言われます。
俺がなぜミヤンマー選んだか。テーラワーダをしっかり現在まで受け継いでいるのと、外国人も受け入れ体制がしっかりしているとうことです。マハーシーはミヤンマーの首都ヤンゴンの町の北方に位置しています。空港に行くよりも近いくらいの距離でした。
ミヤンマーにはタイでビザを取りタイからやってきました。別段事前準備などすることもなく、初めて訪れたヤンゴンでひょいっとタクシーに乗ってマハーシーを目指しました。ただタクシーの運転手がマハーシーをわからなく、違う寺に連れて行かれるというハプニングもあったのですが。マハーシーがどんなところかもわからないだけでなくミヤンマー語などわからない俺はどうしたらいいのか困り果てました。行先も分らず走り出すタクシーもタクシーですが。ただそのお寺には白人の女性が居ましたので、私はその女性にマハーシーというお寺に行きたいのだけれどもと話すと、住職を連れてきました。その住職はマハーシーの場所をタクシーの運転手に教えてくれるのかと思いきや、俺に何の為にマハーシーに行くのだと聞いてきたので、出家をするためですと応えると、ならばこの寺で出家しなさいという。うーーーー。ここではいと答えていたら、どうなっていたのでしょうか?人生はわからないものですが、この話の流れ程ではないでしょう。マハーシーなら外国人も多いのでそこで出家したいと女性に通訳してもらったら、住職は納得してマハーシーの行き方を教えてくれた。マハーシーとはテーラワーダの外国人が出家しやすいお寺として海外では有名らしく、常に外国人の修行僧がいる。タイなんかでも外国人の修行僧がいるが、結構面倒な手続きがあるらしく、私はそれを避けミヤンマーにやってきた。マハーシーはタクシーですぐの所にあった。大きいけれど自然に溶け込むように寺はあった。門をくぐるとすぐ左手に受付があり、そこで出家したいことを伝えると、いつからと聞かれたので、それでは明日から宜しくおねがしますと伝えたら、テキスト代という事で5ドル寄付しなさいということで手続き完了。ゲストハウスに戻ると宿の人が本当に出家するのかと驚いていた。
現地人の出家は日常である。ただ旅行者が出家となると別だ。タイなんかでも出家は一生に一度は必ずする。よりよく生きて行くための修行である。修行というと大げさで生きる上での心構えを作るのがお寺での生活だ。出家はいいことで時期を選ばない。社会人でも出家すると言えば受け入れられる。出家は仏教を勉強することではなく、自分と対峙するためのものだ。もちろん日常生活で常に自分を顧みれる客観性を備え、相対的に物事を冷静に見れるのであればいい。しかしなかなか忙しく様々な事象が溢れている社会では自分を失いがちだ。自分を見失いそうなとき時間があれば、正しい選択が出来るが、流されたままでは選択ミスをしてしまうこともある。
現在日本の社会は社会よりも個人を重んじる傾向がある。日本人は集団的だと批判される事があり、それを嫌うように、集団から離れ個人主義に走り、周りよりも自分とというという考えが増えた。自分の権利を主張することがまるで正しき事をしていると思い、時には人を押しのけて自分の行動を正当化する。自分があっての他人という考えが意識をしてなくても潜在意識の中で強く働いている。
現在の日本での社会問題はそんな意識から生まれる産物ではなかろうか?
人間は自分の都合のように物事を判断する。生き物なので自己防衛は必然の事だが、自己都合だけで人間が活動したら社会は成り立たなくなる。日本の教育というのは時代遅れだ。現在の教育が社会問題を作り出している。教育が国作りをしているといっても過言ではないだろう。日本でも出家制度や徴兵制を用いるべきだと思うのは私だけだろうか?もちろん批判的な面をあるが、それ以上に個人個人の精神力を今より強くするのことは確実である。社会人に出てから何をするか。問題発生の時いかに行動するか?学校が人間教育をしないで学習だけの場になりつつある現在、集団行動を今一度学びなおせる機会が必要である。
仏教というのは本来絶対的な神が存在しない。神が存在しない宗教なので哲学的な面を多く含んでいる。もともと御釈迦様自体が神でもなく神になろうとしたわけはない。生きるためにどう行動したらいいか?それを追求したのみだ。日本人は宗教というと死とのつながりを思い浮かべるが、それ自体が間違っている。日本仏教は葬式宗教と言われる。葬式がなければ仏教が存続できなくなるのではないかと
思うぐらい葬式に依存している。そんな理由から一般的に見て、仏教は葬式の行事の為のものと考えてしまう。これは明らかに僧侶の怠慢だ。葬式をしていれば食っていけると努力を怠ったからである。葬式が大きな収入面である限り、仏教に明るい未来はないだろう。
テーラワーダの世界ではどうであろう。仏教=葬式だとか死の世界という考えは薄いような気がする。日常に溢れているので、死の宗教というよりは生の宗教であり、活き活きとしているのだ。物質の溢れる社会で、物質第一主義に走りやすい傾向がある中、しっかりと精神に歯止めをかけているのが小乗仏教である。小乗仏教は自己の解脱を第一の目標にしている。まず他人を導くには正しい道を自分が進んでいなくてはいけない。道を知らずして教えることができるだろうか?現在の日本社会の問題点で聖職者と言われる教育者が激減した。いま教育者を聖職者という事はないだろう。教育とは勉強を教えるのみならず。人間形成が不可欠である。頭と心が分離した教育では歯車が合わなくなってくる。当たり前のことが当たり前に出来ない人間を作るのが現在の学校だ。これは今の学校が悪いというのでなく、学校が社会変化にともわなかったのと、子供達の親の世代の教育を失敗したことに起因する。非常識な親の事をモンスターペアレンツなど言うようだが、モンスターペアレンツの子供はモンスターになるだろう。今過去の教育が作ったモンスター達が、より学校教育を脅かしより強いモンスターを作りつつある。そんな時に出家や徴兵制など導入することにより、モンスターから一時的にしろ子供たちを解放する必要がある。宇宙人は知的生命体と言われる事がある。物ばかり発達した地球は彼らからすると、おもちゃに喜ぶ子供に見えるのではないだろうか?地球の災害は人間を分別しているという考えがある。事実であるかないかわからない。ただ自然災害の後は、平時よりもこころのつながりが発達することが多い。物を失って初めて、より大切なものに気が付くのである。そう考えるともし神様が存在するとなると、西欧資本物質社会の過渡期の現在、より自然災害が起こるのは必須のような気がする。自然災害というか人災だ。人間の行いが人間をより分別しなくてはいけない地球にしているのだから。
物が豊かになっると社会の幸福度ってあがるのだろうか?最近幸福の国として話題に上がるブータンは先進国ではない。人間は物があればあるほど欲しくなる。欲しくても得られないとき、幸せとはいえない。欲しいものを手に入れた時幸せに感じるが、新しいものや少しでも違うものがあれば、また欲しくなるのである。上を目指すのもいいことだ。しかし幸せを相対的に見てしまう限り、真の充足感は得ることが出来ないだろう。今人間関係で悩んでいる若者が多い。実際これも人間を物と同じく相対的に比べてしまうからではないだろうか?絶対的なものというのは存在しない。良いものもあれば悪いものもある。いろいろあるから楽しいのである。
西欧資本物質社会を脱却できなければ、ストレス社会はより住みづらくなるのではないだろうか?
大きな社会変化には犠牲が伴う。ただその犠牲が宗教に基づく犠牲ではいけないし、戦争による犠牲でもいけない。そしてその変化は国同士の理解がより必要になってくる。
明日から出家ということでも別段特にすることがなく、市場や川をぶらぶら歩いた。翌朝タクシーで再びマハーシーに向かった。
日本から僧侶が修行に来ていたので、その僧侶に通訳になってもらった。寺での生活の仕方を聞いて、自分の部屋に案内してもらった。外国人専門の建物で現地の僧侶とは別の所であった。外国人は現地の僧とは違い、瞑想だけに集中できるカリュキュラムになっていた。
出家時に覚えていて唱えないといけない文言がある。タイではこれを丸暗記しないと出家出来ないらしいが、ここでは僧侶が言った言葉を繰り返すだけでいい。まず日本の僧侶に髪の毛を剃ってもらった。初めての坊主頭。スキンヘッドである。ものすごくさっぱりしたが、坊主頭は危険なものでちょっとした頭の接触も敏感である。いかに髪の毛が頭を守っていたか認識できる。タイでは眉毛も剃る。聞いた話によると、坊主が眉毛を動かし、女性信者にアクションしないようにとのことだが、真実はわからない。ミヤンマーでの出家だったので眉毛はそのままに。さてなぜ僧侶が髪の毛をなくすのか。髪の毛は不潔だ。御釈迦様の時代は衛生状態も悪く、髪の毛ぼうぼうだと見た目も悪いのと一般人と差を作るためにわかりやすく坊主頭を採用したのではないだろうか?頭だけでなくすべての毛を剃る宗教もあるが、仏教は極端に走ることを嫌う。頭だけで十分なのだ。頭を剃って袈裟をまとう。ミヤンマーの袈裟は茶色。袈裟やサンダルなんかはすべて無料でくれた。袈裟の下はノーパン。日本も着物の下は下着を着ないが、ミヤンマーの民族衣装も下着を着ない。男性はロンジーを腰に巻くスタイルだが。俺も下着を着ないで巻いていたら爽快そのものだった。ただこれはスカートの下はノーパン状態なので気をつけなくてはいけないが、熱いミヤンマーではノーパンでスカート。涼しいだけでなく衛生面も性欲面にもいいのではないだろうか?トイレなんかでも水でバシャバシャ洗ってしばらく濡れたパンツをはいているよりも、乾くのが早くていい。
着替えるとミヤンマーの偉い僧侶の前に行き教わった通りにやり、戒名を頂いた。俺の戒名はダンマナーダだ。ダンマはパーリー語で真実。ナーダは喜ぶだ。パーリー語は御釈迦様の時代に話されてい言葉である。ダンマナーダを日本的にすると法喜だ。なんか自分にしっくりくる名前で昔からそう呼ばれていたかのようになじみのある言葉だった。ちなみに東南アジアでは生まれた曜日をみんな知っている。お寺に行っても曜日で神様が違うからだ。私もタイに行くようになって調べてみると土曜日が生まれた曜日だった。戒名もその曜日によって選ばれる。私の戒名の最初の音はDだ。これは土曜日生まれの人によくつけられる音らしい。
日本の戒名とはどのようにつけられるのだろう?皆さんも死ぬ前に自分の戒名を知っといたほうがいいですね。死後知らない名前で呼ばれるよりは知っている名前の方がいいし。生前に戒名を頂くことも可能ですので。
出家すると不思議なもので心が軽くなったような気がします。日本の僧侶からはなんかその姿の方が自然ですねと言われた。
簡単に一日の流れを聞いて、瞑想場所を案内してくれた。外国人の修行僧は韓国人が多く、スイス人や台湾人もいた。そして日本人1人いました。帰国便の関係で2週間と短い出家生活が始まります。マハーシーは国からも認められているので、出家目的でビザの延長も出来るらしいですが、初めてのミヤンマー旅もしてみたかったので短めの出家です。ただ仏教では何回も出家することを嫌います。二回目の出家が生涯の出家になることが多いそうです。
滞在している部屋から瞑想するところまでは歩いて5分くらいのところ。寝るところは個室ですが板の上です。僧侶は布団を使わない。板の上なんで結構固いんですね。枕の高さがどうのこうのという次元ではないです。さて袈裟の話ですが。一枚の布ですけど継接ぎ状になってます。強度を高める意味もありますが、昔はぼろきれを縫い合わせて袈裟を作っていたな残りです。腰巻と肩から掛ける二枚だけを身に着けます。タイの袈裟は黄色で派手ですが、ミヤンマーは茶色で落ち着いています。私は二セット頂きました。真っ青な高い空の下一枚の布なんで洗っても2,3時間もあれば乾きます。僧侶の食事は正午以降食べれません。朝一の食事はまだ真っ暗な5時前。僧坊ごとに列になって食堂に向かいます。マハーシーは托鉢に行かなくても、信者の方が寄付しに来ていただけるので、外に行くことはありませんでした。出家中はパスポートを寺に預けてます。外に行くときは許可が必要でした。外に行く理由もありませんが。
食堂はかなり大きく、僧侶の数もかなりいました。朝食べた後は瞑想してまた11時ころ昼飯で。それ以降は翌朝まで食べ物を口にすることが出来ません。もちろん飲み物は飲めますが。イスラームで豚肉を禁止してます。これは不衛生な昔、豚肉を食べ寄生虫に犯される人が多かった為だと言います。仏教の国々は熱い国が多いです。同じように不衛生な昔、朝托鉢して頂いた食べ物は暑くなる昼には傷んでしまいます。御釈迦様も食にあたり命を落としているように、食あたりや下痢などから身を守るためにも早めに食べる習慣が、昼以降の食事を禁止したのではないでしょうか?
食事は大皿で運ばれてくるものを自分の鉢にいれて食べます。結構いろいろな種類のおかずがあり、味も自然で物凄く食べやすくおいしいものばかり。なおかつ昼以降食べられないので、ついつい沢山食べてしまいます。
結婚式がお寺であるときは、アイスがデザートに付きます。結構アイスの出た日も多かったです。
朝、昼の食事以外夜9時まで基本的には瞑想です。瞑想には2種類、座ってする瞑想と歩いてする瞑想です。
静かに薄暗い瞑想室。非常に気持ちがいい空間で睡魔にも襲われるので、私は1時間交代で瞑想してました。瞑想状態というのは人間のパワーが一番安定しているらしいです。修行次第で1週間瞑想しっぱなしなんかも可能です。
起きているけど寝ている様な状態なので、心も体も軽くなります。邪念を払うのが結構大変でした。ただ日常から離れこうして出家してみるとあまり考える物事も少なくなるのでその点は慣れだと思います。考える必要がないって気分がいいですね。
簡単な瞑想の仕方で一つの事をイメージしてそれに関連したものをなくしていくことがあります。夢中になっている間に知らぬ間に何も考えれなくなってます。歩く瞑想は普段何気なく歩くという動作をしっかり認識することから始めます。足をあげて、足を下ろす。右足をあげて降ろす、左足をあげて降ろす。かかとからつま先に移動。ひたすら自分がどう動いているか、筋肉をどう使っているか、心と体を一体化します。自分の行動を見つめなおします。座っている時もそう、自分の体の状況をしっかり把握していきます。たとえば蚊に刺されてかゆい。と感じる。ただかゆいのでなくどこがさされてどのようにかゆいか。体の動きや筋肉の動かし方、皮膚の感じ方や自分が何をしているのかはっきりと認識しています。風が吹けば肌が感じる。しっかりと感じると風の向きや強さを感じ、音が聞こえればその音をしっかり聞く。五感が感じているすべてにしっかりと心を反応させる。そうすると今まで感じなかった些細なこともしっかりと感じることが出来て、五感が敏感になります。体も精神も物事をありのままの事象で受け止めることが出来るようになります。曇りメガネやフィルターを通し物事を判断するのでなく、ありのままの姿で判断できるようになる。普段の生活での些細な悩みや迷いも、フィルターという固定概念を通さず客観的に見ることが出来るので、冷静に正しき道を選ぶことが出来るようになります。
学校では心の使い方を教えてくれません。頭に詰め込むことが勉強だと教えます。何も考えないことを教えることは、考えることを学ぶことにもつながります。考えることと考えないことはセットなので、もししっかり物事を考えるようにしたいのであれば、しっかりと考えない方法も学ぶべきです。サラリーマンが電車の中で漫画を読んでいる光景は普通になりました。漫画から何か情報も得ることが出来ます。ただもししっかりと仕事をしたいのであれば、漫画よりも電車の中で出来ることがあります。手帳やパソコンで仕事の事を考えるのでなくて、何も考えないという時間を作ることによって、仕事の効率を上げることが出来ます。
瞑想というのはいつどんな時でも出来るものです。始めは瞑想状態に入るのに時間がかかっても、慣れることによって10分や5分で電車の中や雑踏でも瞑想することが可能になり、瞑想をすることによって、心をリフレッシュすることが出来ます。
瞑想のやり方など本屋に行けばいくらでもあります。気軽に始めてみてください。
さて宗教と瞑想。瞑想は宗教ではないです。しかし多くの宗教は瞑想が含まれています。仏教では座禅を組んで瞑想状態になります。キリスト教では祈りの時間が瞑想状態です。イスラームでも座って体をゆすりクムランを読んでいる時に瞑想状態になっています。
なぜ瞑想状態にはいるのか。本質に近づく為でしょう。なので宗教を信じる必要もなく、瞑想だけすればいいのです。
実は瞑想すれば普段の生活から満足感を今以上に得ることが出来ます。幸福度数をあげるのであれば、金を稼いで物を買うのでなく、瞑想するのが近道かもしれませんね。
御寺の境内は犬が結構います。本来動物を飼うことは僧侶らしからぬ行為です。犬にとっては静かで安全な境内。しかもおこぼれるをあずかれるという事で、快適くうかんなのでしょう。しかししあまりに犬が増えてくると、犬をトラックに集め郊外に捨てに行くそうです。ただ一時的に犬が居なくなっても、しばらくするとまた徐々に犬が増えていきます。私がよく歩きながら瞑想していたのは瞑想する建物の屋上でした。炎天下かなり日差しが強いですが、結構快適なそよ風が吹いているので気持ちよかったです。ただだんだん日焼けしてくる自分を見て他の僧たちはどうしたんだという顔をしていました。屋上からの風景は単純です。寺の周りは木々に囲まれていますが、それほど高い木はすくなく。建物より低い気ばかりでした。バナナの木やヤシの木などがメインでした。遠くの方まで見渡すことが出来ました。瞑想中は鳥の声や風の感触をはじめは楽しんでいますが、知らない間に音も感覚もなくなっています。どういった表現が適切なのでしょうか。生まれる前、羊水に浮かんでいる感覚というのでしょうか?
人間というのはメスが居なければ存在できない生物です。もしメスが単為生殖が可能になると、男どもは単なる奴隷に成り下がります。社会がなぜ男性社会になっているか。もし女性に権力を与えてしまうと、存在価値が薄れてしまうからです。
まやかしの男女不平等社会。
マザーコンプレックス通称マザコンがファザーコンプレックス通称ファザコンよりも多いのは当然。
日本はそうでもありませんが、女に力がある国ほどマザコンが多いような気がします。イタリアなど典型的でしょう。
東南アジアの社会も女性はたくましいです。概して熱帯の男はあまり仕事を好みません。そうするとしっかりした家庭を築く為には母親が家で家事だけしているわけにもいかない。やさしい笑みの裏付けはその自信からなんでしょうか?
熱帯のスコールは気持ちがいい。一瞬にして土砂降りの雨が一帯を囲んだと思うと、雨雲はすでに次なる場所へ移っています。熱しられた空気が冷め雨と土の香りが広がります。あまりにも雨の量で先ほどまで歩いていたところは池のようになっている。
日々ひたすら瞑想の繰り返し。社会から離れると人間というのは苦しみが減るような気がします。生きることは苦を共にすること。苦を友とすることで幸せがやってくる。苦を共にしない幸せはふとした瞬間に幻になるけれども、苦を友にした幸せはしっかりと根付きます。御釈迦様は苦を避ける為に、出家し俗世間から距離を置きました。確かに俗世間から距離を置くと、わずらわしい事や悩みや不安はなくなります。ただ人間は苦からいかに逃れるかよりも、苦といかに付き合うかを知っていた方がいいのではないでしょうか?
日本は自殺者の数が世界でも高いといいます。なぜか?またなぜ国はまともな対策をしないのでしょう?それはちょうど教育問題と同じで今成果が目に見える物ではないし、なにもしなくてもなんとかなっているという考えからでしょう?ただ行き過ぎたところまでくると、取り返しのつかないことになります。今物質が豊かな国ほど先進国ですが、これから物質よりも精神が重要になってきたとき、日本というのは世界でも最下位に近いのではないでしょうか?地球環境破壊や資源の枯渇、貧富の差などすべて物質中心社会の結果です。
テーラワーダでは昔御釈迦様が説いた教えを守っています。日本仏教は時代に合わせ変わってきました。時代と共に誤った方角に進んだ宗教と言っても過言ではないでしょう。
出家の期間も終わりお寺から出る事になりました。
あっという間の2週間でしたが、充実した精神生活が心身ともにリフレッシュ出来ました。
寺を出るときにお布施をしようとお世話になった日本の僧にお金を渡そうとしましたが、断られました。それで次に来る方のためにということで受け取ってもらいました。
お金は仏教で不浄です。僧侶は直にお金を触ることをしません。かならず布の上において渡します。物質社会でのお金は万能だけれども人を狂わせます。ただ最近はタイの僧なんかでも昔のように寺男に財布を握らせていたり、お金に触れないようにしなくなりました。コンビニで買い物をする僧や、昼過ぎでも食事をする僧、ショッピングモールで記念写真を撮る僧とかなり目に余るものがあります。
目に見える幸せを得るために、目に見えない幸せを忘れないことを祈ります。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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