2013/12/10 - 2013/12/10
53位(同エリア235件中)
播太郎さん
兵庫県高砂市にある「生石(おうしこ)神社」。
ここに日本三奇のひとつに数えられる不思議な石「石の宝殿」がある。
播磨自慢のパワースポットのひとつだ。
ちょっと覗きに行ってみましょう。
「日本三奇」・・・宮城県鹽竈神社の塩竈、鹿児島県霧島神宮の天逆鉾とともに数えられる。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 自家用車
-
まずは生石神社周辺の特徴を説明しておきましょう。
JR神戸線の宝殿駅から南西に1.5Km、兵庫県高砂市に竜山という石の産地があり、その小山の中腹に生石神社はあります。
産出される石は「竜山石」と呼ばれ古くは古墳の石棺に使われていたようです。
中でも長持形石棺(四世紀末頃)は全国的に使われたようで、その頃には竜山が有名な石切場であったことを物語ります。
播磨地方でみられる多くの石造遺物も「竜山石」で造られ、加西の玉岡古墳や古法華石仏・播磨国分寺の礎石・姫路城の石垣にも竜山石が使われています。
現在も建築用資材として採石され続けています。 -
生石神社の麓を流れる法華山谷川からまっすぐに伸びる階段。
-
鳥居をくぐって先に進むと拝殿(?)が見えてくる。
古い絵図には拝殿と書かれているとWikipediaに書いてあるが、見た感じや奉納額をみていると山門か神楽殿じゃなかろうかと思うが、詳しくないのでよくわからない。 -
拝殿をくぐる。
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奥にご神体を祀る本殿(神殿)があります。
-
まずは身を清めましょう。
-
御祭神は、大穴牟遅(おおあなむち)少毘古那(すくなひこな)の二神。
天津神の命で出雲の国からここへ来られそうです。
生石神社略記より
「神代の昔大穴牟遅(おおあなむち)少毘古那(すくなひこな)の二神が天津神の命を受け国土経営のため出雲の国より此の地に座し給ひし」 -
これが奇石「石の宝殿」
デカイ!
デカイです!
とてもフレームには納まりきりません。
三方岩壁に囲まれた中に立つ巨岩。幅は6.4m、高さ5.7m、奥行き7.2m。重さは500トンを越えると推定される。
誰が何のために造ったのだろうか?
この岩面に龍の顔が3体、見える人には見えるという。
あなたには見えますか? -
この巨石の不思議はこの大きさだけではない。
まるで水面に浮いているかのように立っているのだ。
ゆえに「浮石」とも呼ばれている。 -
底の部分をアップするとこんな感じだ。
この水は干ばつの時でも水位がかわらないという。
そしてここに流れ込んでいる水路があるわけではない。
もしかすると岩に浮き出た龍の霊力によるものかもしれない。 -
イチオシ
裏にまわってみる。
三角の突起がある。
播磨風土記(713-715編纂)に「形、屋の如し」とある。
生石神社略記によると
「二神相謀り国土を鎮めるに相應しい石の宮殿を造営せんとして一夜の内に工事を進めらるるも、工事半ばなる時阿賀の神一行の反乱を受け、そのため二神は山を下り数多神々を集め(当時の神詰現在の米田町神爪)この賊神を鎮圧して平常に還ったのであるが、夜明けとなり此の宮殿を正面に起こすことが出来なかったのである」とある。
ようは、宮殿を一夜で造ろうとしたが正面に起こすことが出来なかったというのだ。
ということは、この突起は屋根ということになる。
生石神社略記はつづく。
「たとえ此の社が未完成なりとも二神の霊はこの石に寵もり永劫に国土を鎮めんと言明せられたのである以来此の宮殿を石乃寶殿、鎮の石室と構して居る所以である。」
「石の宝殿」またの名を「鎮の石室(しずのいわや)」ともいう所以だ。 -
少し下から見るとこんな感じ。
突起の下側に潜り込んで両手で押してみると、石が揺れた!
ような気がしたが気のせいである。500tの岩だ。動くわけがない。
ただ、ふわっとする不思議な気分になったのは確かだ。
先日訪れた女性は石の霊力に涙があふれてきたそうだと、清掃奉仕をされていた女性から聞いた。 -
巨石を取り囲む岩壁はこんな感じだ。
ここ全体が岩だったのを掘り抜かれたのかと思うと驚きが増してくる。
ここを掘ったあとの屑石は人や動物が踏ないようにと近くにある霊峰高御位山の山頂に運ばれたそうだ。 -
巨石の脇に建つ霊岩。
-
この巨石の背後の山には登れるようになっている。
巨石を上からも眺められるのだ。 -
階段は岩肌に直接彫り込まれている。
雨の日はすべりそうなので要注意! -
巨石を上から覗いてみる。
写真はどうしてもフレームの範囲の限界があるがスケッチなら自由がきく。
シーボルト(1796-1866)もここを訪れ3枚のスケッチを残している。
ネットで検索すればすぐに出てくる。
実物と見比べるとシーボルトの精密なスケッチにも驚かされる。 -
それにしてもいい眺めだ。
天正七年、大河ドラマ「軍師黒田官兵衛」の舞台となる時代。
羽柴秀吉が三木城を包囲攻略するため周辺の城から攻略をすすめる。
その際にここ生石神社に陣所として貸与するように申し出るが断られたために焼打ちにしている。
当時の生石神社の神主は、三木の別所氏につく神吉城城主の弟だったというからムリもない。
この眺めを見ているとそれだけではないように思える。
戦略的な価値のある場所であったのだろう。
少し南に目を向けると明石海峡大橋や淡路島が見える。
山頂に登ると姫路城も遠くに見ることができるのだ。 -
イチオシ
その山頂だ。
なぜ、大正天皇はここに行幸されたのであろうか?
ただ日本三奇のひとつを見に来られただけなのだろうか。 -
遠くに明石海峡大橋が見える。
-
遠くに僅かに修復中の姫路城が見えている・・・はず??
拡大しても自信をもって言い切れないので、今度双眼鏡を持って出かけてみるとする。 -
山頂にある怪しげな刻印。
などと書くとミステリーさを煽っているように思われますかね(笑) -
ミステリーとは言えないが、かえるの石像が目についた。
先日、ひとつ盗難にあったそうだ。
心ないことをする人がいるものだ。
思い直して返却してくれるないだろうか。
無事に”かえる”ことを願う。 -
イチオシ
最後に、
この旅行記を投稿するのに少し時間を要した理由を書きたい。
その理由はこの写真だ。
この家紋が気になって調べていたのだ。
「三つ並び矢羽」と呼ばれる珍しい家紋のようだが、それを用いた人との関わりが見えてこない。
この焼けこげた跡はいつのものなのだろうか・・・
何に付けられていた家紋なのだろうか・・・
謎は解明出来ないままである。
結果、よくわからないままだ。
素人なもんで少しでも知識があれば色んな切り口から調べられるのだろうが・・・。
しかし、この好奇心が旅の原動力であったりもする。実に楽しい。
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