2013/12/05 - 2013/12/07
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嶋泉心足齋さん
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上海二日目。朝の時点で視界は300m以下! PM2.5の恐怖が迫る中、虹口へ突貫。運命や如何に!
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
前日ははっきり見えていた「ザ・ランガム新天地」がすでにかすんでいます。距離にして約300mです。500mも離れるともう見えないというような状況です。
しかし、じっとしていても仕方が無いので、地下鉄で「虹口足球場」まで行きました。このあたりはかつては俗に「日本租界」と言われたところです。
でも、駅を出るとやはりこんな有様です。 -
とはいえ、町並みは往時を偲ばせる建物が沢山残っています。
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まあ、中にはこんな所も。
献血が商売になるってことは所謂「売血」なんでしょうか。 -
しばらくは「四川北路」に沿って進みます。
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「四川北路」と「東江湾路」の交差点にある、ひときわ偉容を誇る交通銀行の建物。
これは、かつて日本海軍特別陸戦隊本部が置かれていたところ。 -
いまは南京軍区航務軍事代表弁事処となっています。実はかつて日本軍の施設だったものが、人民解放軍の施設になっているというケースは多く見られます。
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通りを南に渡ると、石の門があります。
「多倫路文化名人街」です。この辺りには近代中国を代表するような文人が結構集まっていたんです。それを記念して整備されているのが、「多倫路文化名人街」です。 -
まず、その入り口に位置する白い建物。
1924年に建築されたイスラム様式の影響が色濃いこの建物は、かつて孔祥熙(宋家の三姉妹の長女・宋靄齢の夫)が住んだので、「孔公館」と呼ばれています。日本統治下では知恩院というお寺でした。 -
その東隣が「拉摩斯公寓」。
ここは一時、近代文学の父・魯迅が住んだところでもあります。魯迅はこの辺りで引っ越しを繰り返していたので、住んでいたという場所がいくつもあります。 -
「陳家宅」1920年代に陳仲篪が建築。今は一般の住居です。
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今は病院になっているこの建物もかつては国民党の軍人・白祟禧が住んだところ。通称「白公館」です。
今回は撮れませんでしたが、この東側にほとんど同じ建物があって、そちらはかつて日本軍の宿舎だったようです。 -
もう少し行くと、ガイドブックでもお馴染みの光景が。
「永安里」です。前の部分は1925年に建てられたもの、戦後増築されています。 -
その向かい辺りに、路地があります。
よく見ていただくと分かるのですが、路面に足跡がつけられています。
ここは進んでいくと、「景雲里」になります。
かつて魯迅が住んだところで、現在鋭意リノベーション中です。 -
路はゆるやかに東に曲がる本道と西へ向かう側道に別れます。その角にあるのが「夕拾鐘楼」です。
この名前は魯迅の名作「朝花夕拾」からとったものです。 -
本道を進むと、少し奥まったところに、趣のある建物が。
1920年頃に建てられた通称「薛公館」。戦中は日本軍が接収し、海軍武官府として使っていました。今は一般の集合住宅になっています。 -
その南側に大きく聳えるのが「鴻徳堂」。
1928年にアメリカ北長老派の宣教師と中国の信者からの寄付によって作られた、中国様式の屋根を持つ特異な教会です。内山完造の妻・美喜子の追悼式がここで執り行われました。 -
さて、この「多倫路文化名人街」にはゆかりの人物の像が置かれています。
これは瞿秋白 -
柔石
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葉聖陶。葉は慣習的に姓の場合は「ショウ」と読みます。
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丁玲
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郭沫若
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沈尹黙
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内山完造。座った形の像だったのが作り直されたようです。
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馮雪峰
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茅盾
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魯迅
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「多倫路文化名人街」を後にしまして、四川北路に戻りました。ここから南へ向かいます。
巨大な「上海第一人民医院分院」を尻目にころして南へ。
通りの向かいに現れましたのが、「永楽坊」。
かつて、この一角に「梅機関」がありました。「梅機関」は、設立者・影佐禎昭中将の名をとって「影佐機関」とも呼ばれる日本軍の特務機関です。国民党内にあって親日的であった「汪兆銘」を支援して、所謂「南京国民政府」樹立の工作を行いました。
今はそんなきな臭いことを微塵も感じさせない下町になっています。 -
そのまま南に下ったところに「横浜橋」があります。
ここを南に渡ると、やや街の様相が変わります。再開発が進んでいます。 -
この辺りでお昼にしました。これはシンガポールラクサ
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さらに南下していきますと、再び古い建物が見えてきます。
邢家橋南路を渡り、四川北路公園の中を抜けて、衡水路と乍浦路が交わる辺りに出ました。
右端に見えるのが、乍浦路です。この辺りは再開発の真っ最中で、一区画建物がなくなって労働者の範囲宿泊施設になっていたりしました。 -
その路地を入ると、今は使われいないらしい建物があります。
これがかつて所謂「日本租界」の三大ホテルと言われた「大和ホテル」の建物です。この調子だと、数年後にはなくなっているかも知れません。 -
乍浦路を南に進んで武進路に出ました。左右に二棟並んで同じ様式の集合住宅が建っています。
これは東側の棟です。 -
武進路を渡って少し乍浦路を進むと、白いかまぼこ状の建物が見えました。
葉が茂っていて見にくいですが、旧・西本願寺です。1931年に建てられた物です。 -
この少し南にもう一つ、寺院建築が残っていました。絶賛リノベーション中でしたが。
旧・本圀寺です。日蓮宗妙覚字寺の別院として建てられたもので、今の建物は1922年の建築です。 -
この辺で、小腹が空いたので、牛肉煎包をいただきました。
油断をすると肉汁が溢れるので、慎重に食べる必要がありました。 -
乍浦路と海寧路の角にある「網珈(ネットカフェ)」。
旧・ウヰルス劇場です。ここから北海寧路に逸れてみます。 -
こちらにも風情のある風景があちらこちらにあります。
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路地はこんな感じ。
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もう少し行くと大きな建物があります。
表側はこんな感じですが、 -
中に入ると、ローマ風のファザードがあります。人民解放軍の海軍東海賓館ですが、かつては日本海軍武官府でした。
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呉淞路に出まして、北を見ますと消防署が見えました。
消防局虹口中隊の建物ですが、旧・虹口救火会です。これも同じ目的で使い続けられているわけですね。 -
ぐるっと回って、乍浦路と海寧路の交差点を渡りますと、碑がありました。
虹口大戯院遺址の碑です。1908年に開業した中国初の映画館です。 -
振り返りますと、劇場がありました。
星美国際電影院。旧リッツ劇場です。 -
海寧路を四川北路まで歩きますと、妙に薄っぺらいビルがありました。
中国銀行虹口大楼のようですが、今は銀行も移転したみたいです。かつては東和洋行ホテルでした。異常に長いと思ったら、途中からそっくりの別のビルになっていたようです。 -
PM2.5の所為か、5時頃にはもう暗くなってくるし、歩き疲れもしましたので、地下鉄に乗って新天地へ戻りました。
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そして「simply thai」でタイ料理を食べました。
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ここは非常に本格的なお味でした。
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最後は太平橋公園から新天地を眺めて一枚。
ではおやすみなさい。
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