2013/12/01 - 2013/12/01
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Ytabiさん
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御茶ノ水から日暮里までぶらぶら散歩しました
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御茶ノ水駅と神田駅の間にあった万世橋駅の遺構を使った新しい商業施設ができたというので、見に行ってきた(商業施設ができたのはもう少し前なのだけど)。その昔、万世橋駅は銀座並の賑わいを誇っていたそうなのだが、近くに神田駅や秋葉原駅ができたこと、関東大震災で駅舎が焼失したりなどで、1943年に休止になったそうだ。この「休止」というのが「廃止」とどう違うのかはよくわからないが、事実上駅はなくなった。その後も駅舎を利用した交通博物館が残っていたが、それもなくなってしまった。レンガ造りのガード下に飲食店などが入っている。
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建物内には、在りし日の万世橋駅の模型が置かれていた。万世橋駅は、東京駅同様、辰野金吾設計の赤煉瓦造りで、東京駅の雰囲気にとてもよく似ている。模型を見る限り、複数路線の路面電車も通り、駅前は大変にぎわっていたようだ。
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旧万世橋駅のホーム部分はデッキになっていて、上がることができる。デッキにつながる1912階段は、1912年(明治45年)の開業時に作られた階段で、駅休止以来初の公開らしい。階段は花崗岩や稲田石でできており、重厚な造りになっている。
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踊り場は当時の新素材であるコンクリートが使われ、壁面タイルは覆輪目地という高級な施工がされているのが特徴であるとのこと。
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デッキはガラス張りで駅らしさは全くないが、神田駅に向かう中央線の車両を間近に見ることができる。
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デッキに上がる階段はもう一つある。1935階段は、1935年に交通博物館の新館が作られたときに、駅の縮小にあわせて造られた階段だそうだ。
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万世橋駅の休止後、人が通ることのなくなった階段の途中に、「重点輸送強化運動」という駅貼りの手書きポスターの一部が残されていたそうだ。実物はきれいにはがされたものの、ここが駅であった証として、復元されたポスターが展示されている。「旅行は休日を避けること」...??
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万世橋からみた神田川の様子。東京の水路をカヤックで観光するツアーなどもあるらしく、この日も何人か見かけた。水辺から見る街も楽しそうだ。
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旧万世橋駅からすぐに秋葉原駅前付近に到着。このあたりは外国人観光客に人気が高く、たくさんの外国人旅行客を見かけた。街の雑多な雰囲気とか、電気毛布とか100円ショップとか、アジアらしい雰囲気が楽しいものと思われる。
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飛行船を発見!
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秋葉原からそのまま歩いてアメ横にやってきた。貴金属のたたき売りやら、屋台やらでここもアジアンな雰囲気がいっぱいだ。
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安い!何か買おうかと思ったが、この後も歩き回るので結局何も買わなかった。しかしアメ横は、歩いているだけで海外旅行をしている気分になる。
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上野駅の一蘭で昼ご飯にラーメンを食べ、上野公園へ。西郷さんが紅葉に映える。西郷像は西郷の死後の1898年(明治31年)に除幕されたそうだ。西郷夫人は西郷に似ていない趣旨の発言を残しているらしいが、西郷には信頼性のある写真が一枚も残っていないそうで、高村光雲は西郷の顔を表現するのに苦心したらしい。
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戊辰戦争の際、江戸城は無血開城し江戸総攻撃は回避されたものの、徳川慶喜が江戸を離れたのちに、上野では戦争が起こっていた。上野公園内には旧幕府軍側の彰義隊の墓がある。「大義を彰(あきら)かにする」ということで彰義隊といったらしい。上野戦争で彰義隊はこの付近で新政府軍に応戦したらしいが、結局ほぼ全滅、残党は敗走し、新政府軍は完全に江戸以西を掌握したそうだ。
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上野公園内の銀杏の紅葉が最盛期を迎えていた。真っ青な空とあわせるととてもきれい。
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2006年に、上野公園130周年を記念して、公園内の野球場の愛称が「正岡子規記念球場」になったそうだ。「打者」「走者」「四球」「直球」などの日本語を生み出したのが子規で、子規自身大変な野球の愛好家だったそうだ。よく上野公園内の空き地で野球をしていたそうで、球場の隣には「春風や まりを投げたき 草の原」の句碑もある。
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噴水広場では、錦鯉の品評会が行われていた。鯉の入った水槽が100個以上並んでいる。
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日の丸みたいなこの鯉は「丹頂」という種類だそうだ。でっぷりしていて、魚だけど抱きしめたくなる可愛さ。
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鯉の競りも行われていた。主にまだ若くて小さい鯉がやり取りされていたが、2万、3万と、始まり値からどんどん面白い具合に値段が上がっていく。これから育つとさらに値段が上がるものなのかしら。セリ人は現在の値段を連呼しながら、手やりもチェックしており、普通の人にはあの役はできまい。息継ぎは値段が変わるタイミングでしているようだった。
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国立博物館脇の黒門が開門している。もともと丸の内にあった因州池田家屋敷の表門で、のちに東宮御所にも使用されたそうだ(移築?)。
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東宮御所に使われていたというだけあり、菊の御紋が入っている。
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現在建物保全のため休館中の旧東京音楽学校奏楽堂が秋景色に染まっていた。このホールは日本最古の木造洋式音楽ホールで、重要文化財指定されている。
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谷中方面に歩いていると、寛永寺脇を通りがかった。もともと寛永寺は上野公園内にあったそうだが、上野戦争で焼失していしまい、現在の地に移転・再建されたとのこと。寛永寺も徳川家の菩提寺であり、歴代将軍15人のうち、6人が寛永寺に眠っているのだそうだ。
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さらに少し歩いて谷中墓地へ。ここには15代将軍の徳川慶喜の墓がある。墓の敷地内には、夫人や側室の墓もあったりする。
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谷中墓地は有名人の墓が多く、川上音二郎の墓もあった。ここの銀杏も立派に紅葉していたが、ここからもスカイツリーを見ることができた。
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谷中銀座商店街方面に歩いていくと、レンタル自転車屋があったのだが、軒先に杉玉がぶら下がっており、酒屋っぽい。もともとは酒屋だったのかしら。
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夕焼けだんだんから谷中銀座商店街を見下ろす。太陽は沈みかけているけれど、まだ夕焼けの時刻には少し早い感じ。一応、夕焼け絶景スポットらしい。
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どこにでもありそうな雰囲気の谷中銀座商店街だが、このどこにでもありそうで、もうあんまりない商店街が「懐かしい」ということで人気になっているそうだ。行列ができていたので、コロッケを立ち食いする。テレビでも何度か紹介されたらしく、やや観光地価格になっている。
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