
2013/08/23 - 2013/08/23
7位(同エリア40件中)
コクリコさん
アルザス地方のコルマールからフランシュ・コンテ地方のブザンソンに移動しました。
ブザンソンで3泊。
さあ、ブザンソン3泊してどこに行こう!
「オルナンに日帰りで行けるわ」
「オルナン! 『オルナンの埋葬』のオルナンか! クールベの生まれ故郷だ、是非行こう」
と夫は大喜び。
夫は反権力、反骨精神のある人物が好きなのだ。
そして私は、自分の好きな所を選んで行っているように人々に見せかけてはいますが、実は夫の好みの場所をかなり選んでいる妻なのです。
ブザンソンからオルナンへ日帰り決定!
ブザンソンから約25キロメートルの場所に位置する自然が豊かで美しい町オルナンで1819年にクールベは生まれました。
ブザンソンという都市を私たちはかなり気に入りましたが
オルナンはさらに今回の旅行で上位に入るお気に入りの町になりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.0
-
パリのオルセー美術館に飾られているギュスターヴ・クールベ作『Un Enterrement a Ornans オルナンの埋葬』(写真の絵は絵はがきです)。
314×663センチの大作。
共同墓地の埋葬に50人に及ぶオルナンの名もない人々が参列している絵を初めて見た時
「心が沈みそうな暗い絵だわ」
と好感がもてませんでした。
でもそれが妙に心にひっかかり、オルセー美術館に行くたびこっそり見ていました。
その時はまさかオルナンに行くなどと思ってもいなかった。
美男子好きの私はその頃からクールベさんにご縁があったのでした! -
オルナンへのバス停<BESANCON Gare SNCF Viotte>はブザンソン駅前を直進したロータリーにあります。
現在(2013年)駅前から旧市街にかけてトラム設置の工事をしているので最初はわかりにくいかもしれません。
ブザンソンでほとんど独占しているかのように見えるGINKOバスではなく、MobidoubsバスLigneAのバスに乗ります。
私たちは8時半発<PONTARLIER>行きのバスに乗りました。
ブザンソンからオルナンまで片道3ユーロ、約40分。 -
バスはいつもながらガラガラ。
この正面のお兄さんを写したのではなく、右側に座っている二人の女性を記念に写しました。
バス停に早目に着いたら、この二人の女性が"あんちゃん"みたいな若い男と親しそうに話していたので、なんだろう〜と思っいてたら、あんちゃんはバスの運ちゃんだった(それもこのバスではなくGINKOバスの^^)。
ピアスしたあんちゃんだけど人が良さそうで、バスの運転手が日本みたいに堅苦しくないところがとても良いねぇと、夫と話していたら女性二人が話しかけてきた。
インド洋に浮かぶフランス海外県レユニオン島から来た姉妹でした(でも姉妹に見えなかったなぁ、1人はレユニオン顔で、もう1人は白人)。
レユニオン島はちょうどバカンスシーズン、観光客に溢れるレユニオン島から静かなるオルナンへ、
「オルナンは素晴らしい所よ!」
と自信持って言う姉妹。
でもね、オルナンに行くのは初めてなんですって。 -
ブザンソンを出発したバスの車窓、しばらくのどかな緑地帯。
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やがて『オルナンの埋葬』の背景にあるような石灰質の白っぽい断崖が現われました。
「オルナンの埋葬の断崖!」と歓声をあげて、、、見飽きることなくずっと見続けていました。 -
9時10分<オルナン クールベ広場(ORNANS Place Courbet)>に到着。
オルナンはバスの本数があまりないので4時間の滞在予定。
小さな町とはいえギュスターヴ・クールベ美術館以外にはあまり見られないかもしれない。
美術館とクールベが描き、眠っているオルナンの墓地だけは行きたい。
観光案内所でもらった地図の中で最短コース(お墓までわざわざ行かなければもっと遠くまで歩けると思う)のオルナン歩き。
パンフレットたくさんもらったためバッグに仕舞ってしまい後で失敗。 -
クールベ美術館の開館時間は10時。
開館まで40分くらい時間があるのでルー川の川辺や美術館の周辺を歩いてみましょうか。
ルー川越にサン・ローラン教会の尖塔が建つ美しい風景。
「どう? 綺麗でしょう」
と先ほどのレユニオン姉妹が自分の町のように私たちに紹介。
そういえば、レユニオン顔の方の女性は日本に観光できたことがあると言っていたっけ。
日本の感想は何て言っていたか忘れたけれど、東京や京都、美しかった、興味深かったと言っていたような。 -
お天気が良いのでスカッと明るいオルナン。
『オルナンの埋葬』のような暗く沈んだ風景ではない。
ひと目見て「オルナン大好き」と思いました! -
オルナンは町ですが、日本から見れば村程度の小さな町。
綺麗な川が流れ、感じの良い建物が川の畔に建つ静かな町。
心地良さを感じました。 -
アルザスの看板のように凝ってはいないけれどすっきりした図書館の看板。
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小さな町なのに立派な図書館がある。
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陽気な色の花々に飾られた橋。
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嘴の黄色い鴨たち。
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オルナンも橋や街角に花がいっぱい。
「Les villes et villages fleuris」のコンクールに登録しているのかな、と調べてみたら花1つ。
きれいな町なのに花1つなんだ。
アルザスはコルマールを始めとして花4つが多かったけれど、『フランスの最も美しい村』に貫禄負けか。 -
花の向こうに石灰質の白っぽい断崖。
オルナンの風景どこ撮っても灰褐色の断崖が写り込む。 -
町の中も歩いてみよう〜
市庁舎。 -
市庁舎の向き合いに観光案内所。
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アーケードのある通りもまだ静か。
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10時になったのでクールベ美術館に入ります。
入口にいた美術館員が 若い頃のクールベそっくりの美男子!
こ、これはどうしたことか・・・と動揺していたら
夫も
「クールベが現われたかと思ったよ。なかなか美男子じゃないか」
と。
写真撮らせてもらえば良かった、
クールベの絵『出会い(こんにちは クールベさん)』のように、
「Bonjour, monsiour Courbet」
って言って。
クールベが生まれ、幼年期の数年を過ごした旧エベール邸が美術館になっています。
2008年から3年の歳月をかけ改装工事が行われ、旧エベール邸に加え、隣接する2棟の家も美術館の一部となり、美術館の総面積は500?から2,000?へと大幅に拡張されました。
コレクションの保存としやすい環境が整いました。クールベ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
特別展『クールベとセザンヌ』展が開催されていましたが、
特別展は写真撮影禁止なので写真はありません。
笑ってしまったのはセザンヌの描くリンゴとクールベのリンゴの絵が並んでいて、セザンヌのリンゴの方が断然美味しそうに見えたこと!
クールベの描くリンゴは柿みたいだった。
リンゴはセザンヌの右に出る者はいない!と納得。
旧態然としたサロンの画家や、同時代の新古典主義、ロマン派画家たちにも何かと言われていたクールベですが、セザンヌはクールベを尊敬していたようで
「クールベは色調を溶かす職人だ。キャンパスに美しい黒を塗りこめるのは彼だけだ」
と言っています。
入口のクールベの年譜が書かれているパネル。 -
1819年にオルナンで生まれる。
21歳の時にパリに渡りソルボンヌ大学の法学部の学生となるが、画家になりたくて退学。アカデミー・スイスに通い、ルーヴル美術館で過去の巨匠たちの絵を模写。
1844年 『黒い犬を連れた自画像』でサロン初入選。
1851年 『オルナンの埋葬』をサロンに出品するが批判を受ける。
1855年 パリ万国博覧会に『オルナンの埋葬』と『画家のアトリエ』を出品しようとしたが落選。
頭にきて会場の近くに小屋を建て「ギュスターヴ・クールベ作品展。入場料1フラン」という看板を立て1855年6月28日から公開。
1870年 パリ・コミューンに参加。
新政権によりコミューンが鎮圧された後投獄される。
1873年 スイスに亡命
1877年 亡命先のスイスにて病没。 -
目に見えるあるがままを描こうという写実主義の代表的な画家のクールベ。
「新古典主義(代表アングル)もロマン主義(ジェリコー、ドラクロワ、ターナー)もダメだ。結局は理想化、空想化したものを描いている。これからは目に見えるものをありのままに描かなくてはいけない。写実主義(リアリズム)だ」
いつの頃の写真だろう。
美男子のはずのクールベさん太ってしまって
美男の面影から遠くなっている。
美しい自画像を多く描いていた頃のクールベさんは何処へ。 -
ルー川側の廊下にはルー川の上にガラス張りのギャラリーがあり対岸の風景を望むことができます。
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クールベの部屋には家具やクールベの主にオルナンを描いた絵が展示されています。
-
《オルナンの風景》
クロード・アントワーヌ・ボー(1792〜1850頃)
オルナンの風景を描き続けクールベに影響を与えた画家だそうです。
この絵は1835年頃の作品。 -
上 クールベの部屋のベッド
下 キャンバスとクールベ愛用の絵の具箱。
使い込んだ絵の具箱、まだ使っている最中のよう。
扉を開いて今にもクールベが入ってくるかと思いました。 -
展示されていたクールベの絵のいくつかをUPします。
《聖杯前のイエス》(1847年)
無宗教かと思っていたけれど宗教画を描いていた時期もあったのですね。 -
クールベの作品ですぐに思い浮かべるのは『オルナンの埋葬』『画家のアトリエ』『出会い(こんにちはクールベさん)』、レスビアンほい『まどろみ』、かなり写実的で衝撃的な『世界の起源』
などですが、
クールベは自分の目で見た庶民や労働者のありのままの姿も多くキャンバスに描きました。
《鍍金職人》(1842年)
デヴューの遅かったクールベの初期の作品。 -
『オルナンの製紙業者』(1865年頃)
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『牛市の農夫』(1850〜1855年)
クールベ美術館には庶民、労働者に暖かい視線を投げかけていたクールベの作品がたくさん展示されていました。 -
クールベは彫刻の才能もあったようです。
『シャポの漁師』(1862年)
こんな所に?な場所に飾られていた小品。 -
ショッキングな赤い廊下)から次の展示室へ。
赤い部屋は何の展示室だったか忘れてしまった(冷汗)。
クールベ関係の映像流す部屋だったかな? -
クールベの代表的な絵の写真が飾られていました。
残念ながらこの美術館ではなくフランス内外の美術館に所蔵されている絵です。
その中のいくつかを。
真ん中の絵はモンペリエにあるファーブル美術館蔵
『出会い、こんにちはクールベさん』
道具箱を背負った旅姿のクールベは胸をそらせ堂々とした態度。
クールベの後援者で大富豪の美術愛好家のブリュイアスが従者と犬を従えてクールベを迎えているシーン。
「天才に敬礼する財産」などとからかわれた絵だそう。 -
しつこく『オルナンの埋葬』(パリ オルセー美術館蔵)
314x663センチの大作。
このような大作は英雄、貴族、神々しか描かれなかったその時代のサロンでは地方の共同墓地の埋葬に名もない庶民たちが参列している絵に非難轟々。
総勢50人にも及ぶ参列者は半世紀後にもこれが誰であるかわかったとという。
最初は喜んでいたオルナンの人々も世間での不評を聞きクールベを非難したようです・・・よくあること。
マネの
「司祭、葬儀屋、すべての会葬者たちを地中深く埋葬してのけたような絵だ。あれがあの男の言う現実か」
の非難に対してクールベはマネの『死せるキリストと二人の天使』に
「天使なんて見たことないから描けないね。あの羽根で飛べるのか」
と言ったとか。
あー、面白い。
その場にいたかった〜自己主張の強い芸術家たちの会話聞きたかった! -
『画家のアトリエ』(パリ、オルセー美術館蔵)
上の『オルナンの埋葬』と共に1855年のパリ万博に出展しようとして落選した絵。
「舞台はパリの私のアトリエです。画面は二つの部分に分かれています。真ん中で私が描いています。右側は株主たちすべて、つまり友人たち、労働者たち、芸術界の愛好家たちです。左側は野卑な生活の別の世界で、民衆、悲惨、貧困、富、搾取者、被搾取者、死によって生きる人々です」
左側のモデルの中に大嫌いなナポレオン3世と思われる人物も描かれています。
真ん中の姿の良い画家は本人クールベ。 -
『恋人たち』(フランス、リヨン美術館蔵)
クールベの数年にわたる恋人のジュスティヌスと自分をモデルにした絵。
自分の顔に自信があり自己愛の強いクールベは恋人より自分の顔を美しく、恋人より目立つように描いているではありませんか!
凄いぞクールベ!!!
クールベのような恋人がいたら振り回されてヘトヘトになりそう。
でも半年位ならお付き合いしてみたいわ♪ -
『ボート遊び(ポートスカーフに乗る女)』(東京、八王子市 村内美術館)
去年(2013年)1月に八王子の村内美術館で見てきた絵でした。
その時書いた旅行記に貼った絵葉書の写真です。
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=27871557
トゥルーヴィルの海岸で話題になった女性サーファーがモデルだそうです。颯爽としてクールベらしくない健康的な絵だなぁと思って求めた絵葉書でした。
ドゥルーヴィルへはオルナンの数日後に行きました。 -
『罠にかかった狐』(1860年)
オルナンの自然を愛したクールベ、オルナンの寒くて厳しい冬の情景も描いています。
猟師にとっては格好の獲物ですが、罠にかかった狐の痛々しさに胸が詰まります。 -
『雪の中の猟師』(1864年)
-
『オルナンの眺め』(1872年)
-
『エトルタの海岸』(1872年)
オルナンから一気にノルマンディーのエトルタの長閑な風景に。 -
パリ、ヴァンドーム広場にあるナポレオンの記念塔がパリ・コミューンに参加した人々に倒された時の写真。
この中にクールベもいたはず。
反権力の立場をとるクールベは労働者の政権であるパリ・コミューンに参加 -
変わって、こちらの絵はロベール・フェルニエによる
『クールベへのオマージュ』
『出会い、こんにちはクールベさん』を連想させる絵ですが、クールベの絵に比べて迫力はないけれど。 -
ロベール・フェルニエ(1895〜1977)はクールベの弟子でありクールベの研究者であり、またクールベ美術館の創立者でもある人物。
現在の美術館長は息子のジャン・ジャック・フェルニエ氏。 -
ロベール・フェルニエが使用していたパレット。
使い込んだ油絵のパレットを見るのが大好き!
画家との距離がより身近な感じになる。 -
ルー側に張り出したガラスの廊下。
-
足下にルー川の流れが覗きこめる。
マスがチョロチョロ泳いでいるのが見えたりして楽しいのですが、
足の裏がゾクゾク・・ちょっと恐い。 -
美術館を一通り見たら裏口のような出口に出てしまいました。
-
やっぱり裏口っぽいなぁ。
こんな物置のような建物に絵が描いてある。
よくわからないけど宿屋のサロン?の書割?の絵?
建物の中には何があるんだろう〜舞台装置かしら。 -
ひっそりとした裏通りを行くと、
-
サン・ローラン教会に突き当たります。
サン・ローラン教会には入りませんでした。 -
教会からヴィウ・スル通りという「孤独な老人」っていう名前なのかしら変な名前の通りを上って墓地に行こうとしていますが、暑くてちと大変。
-
坂道から振り返って見た景色。
振り返った先にはお馴染みの石灰岩の断崖。
どこからも見えるのが良いね。 -
暑い日中、てくてくと10分ほど歩くと墓地が見えてきました。
真夏の太陽が降り注ぐ墓地は拍子抜けするほど明るい♪ -
クールベのお墓を探せ!
どこだどこだ・・・
観光案内所でもらった簡単な地図では墓地のどのあたりにクールベの墓があるかわからない。
見当をつけてもわからない。
一番暑い時間だったのでへたばってしまいました。 -
ここでもない、あそこでもない。
『オルナンの埋葬』が描かれた墓地の真ん中で探し回るコクリコ夫婦。
時々、『オルナンの埋葬』の背景はこの角度からかなどと思いながら。
「お墓の形がわかればなんとか探せるんだけど」
と夫が言うのに
「うーん、わからないなぁ」
と言う私。
そこが失敗だった。
さっき観光案内所でもらったいくつかのパンフレットに写真があったのだ・・・それをバッグに仕舞いこんで一番ちゃちな地図を見て歩いていた我ら。
オルナンでの唯一の心残りがクールベのお墓参りできなかったこと。 -
これがクールベさんのお墓です(パンフレットの写真より転載)。
クールベのお墓はちゃんとしたパンフレットに載っていました。
この形のお墓を探せば良かったのてした。。。後の祭り。
亡命先スイスのレマン湖畔で病死、死してから故郷に帰ってきたのですね。 -
『オルナンの埋葬』の背景になっている暗い断崖はこの断崖に決定!
-
ルー川を見下ろすオルナンの風景は家が多くなったとはいえ150年前とはあまり変わらないのではないか。
-
クールベはオルナンの自然を多く描いています。
「地方を描くには、その土地を知る必要がある。わたしは故郷を知っているからそこを描くのだ。これら森の下生えはわたしの家。これはルー川、この流れはリゾン。これはオルナンの岩、これはピュイ=ノワールの岩。ぜひ見に出掛けてみたまえ。わたしの絵画の風景を発見することができるだろう」
さすが写実主義の代表者、リアリストのクールベさんのお言葉です。 -
そう言えば、もう一つ失敗があった。
13時のバスでブザンソンに帰らず次の17時のバスで帰ればルー川の川辺の散歩ができたのです・・・《クールベの小径》。
川辺を歩くと、クールベが描いた景色の数箇所に絵のパネルが立っているそうだし、クールベのアトリエ、クールベが亡命する直前まで住んだ家もあったようだ。
クールベが故郷を描いたまさにその場所に立ってみたかったなあ。
私たちは最短の散歩道だけ歩いたのでした。 -
クールベ描く『オルナンの風景』とあまり変わらない現在のオルナンの風景。
ルー川の川縁に素朴でも小奇麗な家々が並び、対岸は木々の緑。
クールベと同じ視線で見ている嬉しさ。
絵心があれば一日滞在してスケッチをしたくなる、そんな風景。 -
私たちは同じ川辺でもブザンソンへ帰るため町の中心に向かっている川縁を歩いたのでした。
オルナンの町を囲む森や山には手付かずの自然が残されているようです。
ハイキングしたら楽しそうだ〜
スケッチにハイキング、良いなぁ〜 -
時々民家を横切って、また川に出て。
-
川の縁に座ってビールを飲んで、川を泳ぐマスを眺めてご機嫌でした。
キンキンと冷えた5007mlのビールが美味しい! -
「マスは綺麗な川にしか棲まないんだよ」
と美しい姿のマスを追いかける。
昨晩ブザンソンで美味しいマスのフライを食べた私たちであった。
「マスと鯉のフライ、マスより味の濃い鯉の方が美味しかったね〜」
「マスは素早く泳ぐね。」
シューベルトの歌曲『鱒』を思い出して
「矢のように速く泳ぐ、って歌詞だったよね」
「清き流れ、ってのもあったっけ」
童心に返るルー川のほとり。 -
長閑な景色を眺めながら気持ち良く歩くうちに、
-
町の中心街に戻ってきました。
夫いわく
「アルザスの『最も美しい村々』はもちろん美しいけれど、オルナンは『最も美しい村』にありがちな張り切り様がないのが良い」
と大変満足しておりました。
また
「手も足もでないくらいきちんとした綺麗すぎる村や町はどこか無理があって閉口する。汚い部分もあって良いからオルナンくらいの生活感があって綺麗な町が良いな〜ここで釣りでもしたい」
と。
同感、と長く夫婦していると同じ趣味になる。
少々ユルイ町が良い。 -
最後のダメ押しに、ルー川をカヌーで下るクールベさんを見る!
オルナンは我々から見ると旅行記の「エリアの満足度"評価☆5"」
の中でも上位の"☆5"なのだ!
あくまでも私たち個人の満足度なので
「ただの綺麗な田舎町だけじゃないか」と思われる人もいるかもしれませんけれど、ここは贔屓の引き倒し・・ということで御勘弁を。 -
対岸にはクールベ美術館。
-
私たちがつい数時間前に歩いたガラスの廊下を誰かが歩いている。
つい数時間前のことなのにもうかなり昔のような気がする。 -
ブザンソン行きのバス停(写真右下)。
バス停近くの公園(写真右上、左)のベンチでパン食べながら13時14分発のバスを待つ。
ごくごく普通のバス停、パン屋、フランスのどこにでもあるような普通の公園。
その普通さで私たちは良いんだ。
行きのバスで一緒だったレ・ユニオン島の姉妹はまだオルナンの町でゆっくりと食事をしているようでした。
私たちもレストランでゆっくり食事すれば良かった。 -
バスの待ち時間にもういちどルー川の写真を撮る。
水辺の風景はやはり良いなぁ。
そうか、アルザスの可愛い村リクヴィル、リボーヴイレ、エギスハイムがちょっとだけ物足りなかったのは川が流れていなかったものその一つ、と気がついたのでした。
クールベさんの故郷に来られて大満足。
パリを発つ日、オルセー美術館に行き『オルナンの埋葬』をしっかり目に焼き付けてきました。
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