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■巡礼と観光<br /><br /> ベリカヤ川の畔からもどり夕食をすませた後も、しばし「巡礼の観光化」について頭の中で反芻した。<br /><br /> キーロフ行進も、数万人もの人が毎年歩くようになると、せいぜい数百人程度で歩いていたころの純粋な信仰活動としての巡礼とは違ったものにならざるを得ないだろう。参加者の数が増えれば増えるほど、「お祭り」的な要素が入り込み、観光化されていくのは必至だ。参加者の安全を守るための道路整備や交通規制、医療・安全対策などの充実は、より多くの人々の参加を容易にし、さらに観光化を促進するに違いない。<br /><br /> もちろん、この過酷な行進に参加するには、それなりの信仰的動機が必要だとは思う。しかし、行進の規模が拡大するにつれ、必ずしも信仰目的ではない人々が、軽い気持ちで参加してくるようになるのは避けられない(現に今回も、行進初日だけ参加した人が1万人近くいたようだ)。そして、そのようにして規模が拡大していくことは、信仰の裾野を広げるという意味で、ロシア正教会にとって必ずしも悪いことではない。行進の規模拡大と観光化は、このキーロフ市周辺の住人にとっても地域の活性化を促す機会となるだろう。<br /><br /> もともと「巡礼」と「観光」は親和性の高い概念だ。日本の伊勢参拝や西国三十三カ所巡りの歴史を見てもわかるように、巡礼に参加する個人の中にも巡礼的要素と観光的要素が共存している。お伊勢参りが大衆化した江戸時代には、すでに旅の目的は『伊勢参拝』であると同時に『物見遊山』になっていた。一度、このような巡礼が生れると、それを受け入れる側も「聖地」としての重要性を強調し、巡礼を継続させるための演出をさまざまに凝らすようになる。前近代の観光開発はいわば「巡礼」の形をかりて発展し、今日にまでつながっていると言える。その意味でも、観光化は自然の流れだ。しかし、問題はその程度だ。<br /><br /> 世界文化遺産に登録された合掌造りの白川郷が、大挙押し寄せる観光客のマナー違反(ゴミの放置や民家への勝手な立ち入りなど)に一時手を焼き、地域内の交通規制やマナー徹底に取り組んできたことはよく知られている。日本ではそれほどではないが、発展途上国の場合、登録された文化遺産が、極端な観光開発(土産物店やレストラン、宿泊施設の乱造)によって破壊されたり、文化遺産の一部をなす固有の生活文化が失われたり、さらには観光客を意識したパフォーマンス的な宗教儀式や祭礼が新たに創出されて「文化変容」が起こったりといった事例が多く報告されている。旅行業を含む観光業は、文化交流を下支えして人々の生活を豊かにし、地域経済の活性化に寄与するものではあるが、他方ではそのような「文化破壊」にも手を貸してきたわけで、その二面性は常に心しておかなければならないと思う。巡礼においても、観光化が進み、便利になりすぎると、その信仰的意味が薄まっていく恐れは十分にある。<br /><br /> キーロフ行進は、まだ復活してから日も浅い。年に一度のイベントなので、それほど急激に観光化するとは思えないが、しかし、10年、20年の単位で見た時には、将来、かなりの変化を遂げているかもしれない。そんなことを考えながら眠りについた。

キーロフ十字架行進 蚊の大群、大地を削る雨(11)

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2012/06/03 - 2012/06/08

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JIC旅行センター

JIC旅行センターさん

■巡礼と観光

 ベリカヤ川の畔からもどり夕食をすませた後も、しばし「巡礼の観光化」について頭の中で反芻した。

 キーロフ行進も、数万人もの人が毎年歩くようになると、せいぜい数百人程度で歩いていたころの純粋な信仰活動としての巡礼とは違ったものにならざるを得ないだろう。参加者の数が増えれば増えるほど、「お祭り」的な要素が入り込み、観光化されていくのは必至だ。参加者の安全を守るための道路整備や交通規制、医療・安全対策などの充実は、より多くの人々の参加を容易にし、さらに観光化を促進するに違いない。

 もちろん、この過酷な行進に参加するには、それなりの信仰的動機が必要だとは思う。しかし、行進の規模が拡大するにつれ、必ずしも信仰目的ではない人々が、軽い気持ちで参加してくるようになるのは避けられない(現に今回も、行進初日だけ参加した人が1万人近くいたようだ)。そして、そのようにして規模が拡大していくことは、信仰の裾野を広げるという意味で、ロシア正教会にとって必ずしも悪いことではない。行進の規模拡大と観光化は、このキーロフ市周辺の住人にとっても地域の活性化を促す機会となるだろう。

 もともと「巡礼」と「観光」は親和性の高い概念だ。日本の伊勢参拝や西国三十三カ所巡りの歴史を見てもわかるように、巡礼に参加する個人の中にも巡礼的要素と観光的要素が共存している。お伊勢参りが大衆化した江戸時代には、すでに旅の目的は『伊勢参拝』であると同時に『物見遊山』になっていた。一度、このような巡礼が生れると、それを受け入れる側も「聖地」としての重要性を強調し、巡礼を継続させるための演出をさまざまに凝らすようになる。前近代の観光開発はいわば「巡礼」の形をかりて発展し、今日にまでつながっていると言える。その意味でも、観光化は自然の流れだ。しかし、問題はその程度だ。

 世界文化遺産に登録された合掌造りの白川郷が、大挙押し寄せる観光客のマナー違反(ゴミの放置や民家への勝手な立ち入りなど)に一時手を焼き、地域内の交通規制やマナー徹底に取り組んできたことはよく知られている。日本ではそれほどではないが、発展途上国の場合、登録された文化遺産が、極端な観光開発(土産物店やレストラン、宿泊施設の乱造)によって破壊されたり、文化遺産の一部をなす固有の生活文化が失われたり、さらには観光客を意識したパフォーマンス的な宗教儀式や祭礼が新たに創出されて「文化変容」が起こったりといった事例が多く報告されている。旅行業を含む観光業は、文化交流を下支えして人々の生活を豊かにし、地域経済の活性化に寄与するものではあるが、他方ではそのような「文化破壊」にも手を貸してきたわけで、その二面性は常に心しておかなければならないと思う。巡礼においても、観光化が進み、便利になりすぎると、その信仰的意味が薄まっていく恐れは十分にある。

 キーロフ行進は、まだ復活してから日も浅い。年に一度のイベントなので、それほど急激に観光化するとは思えないが、しかし、10年、20年の単位で見た時には、将来、かなりの変化を遂げているかもしれない。そんなことを考えながら眠りについた。

  • <5日目><br /><br />■6月7日 ベリカロツコエ村からムリギノ村へ<br /><br /> 午前1時半に起床した。前半は先頭集団から大きく離れて後方を歩いたが、後半はもう少し前の方を歩こうというジーマ氏の方針で早起きする。前夜、眠りについたのは21:30。睡眠時間は4時間。さすがに外はまだ暗い。前日の好天気とは打って変わって空はどんよりと暗く、時々小雨がぱらつく天気だ。行程表によれば今日の歩行距離は38km。今日もきびしい1日になりそうだ。<br /><br />■蚊の大群の中で眠る<br /><br /> 午前02:00に先頭集団の出発を教会の前で見送り、02:30頃から歩き始める。1時間弱歩いて最初の休憩をとる。睡眠不足だからまだまだ眠い。道端の草原に荷物を降ろし横になって眠ろうとしたら、セルゲイ氏が何やら黒い輪っかの切れ端のようなものを手渡してくれた。端っこから白い煙が出ている。蚊取り線香だ。緑と黒、色が違うだけで日本のものとほとんど変わらない渦巻型の蚊取り線香にロシアでお目にかかるとは思いもしなかった。<br /><br />しかも、火がついている。「なんで?」と言いかけて気がついた。さっきから小型の水すましのような虫が顔の周りをブンブンと飛び回っている。「虫が多いな」くらいに思って気がつかなかったのだが、よく見るとこれが蚊の群れだ。日本の蚊よりも3倍は大きい。こんなのに血を吸われたら、また貧血を起こしそうだ。慌てて虫よけスプレーを顔や首筋に振りかけ、帽子をしっかりかぶり、手袋をはいて、肌の露出部を最小限にして横になる。顔の周りを蚊取り線香の煙で燻しながら休憩しているうちに、あっという間に眠ってしまった。人間、睡眠不足に陥ると、少々の蚊くらい平気で眠れるものらしい。<br /><br /> 30分くらい休憩して04:00に出発。約1時間半歩いて、前々日ベリカロツコエ村に到着する前に休んだのと同じ場所で再び休憩する。ベリカロツコエ村からここまでは同じ道を引き返し、この先から道が別の方向に分かれるらしい。1時間半ほど休んで、次は2時間歩いた。<br /><br /> 3回目の休憩地で朝食をとる。ここでは2時間半の休憩時間がある。湯を沸かし、インスタントのカーシャ(粥)やヌードル(麺)を作る。昨日の川畔の昼食の残り物のブリヌイやキュウリ、トマトを頬張る。小雨が降ってきたが、雨の中で食事をするのにももう慣れた。人間は環境に順応する動物だ。

    <5日目>

    ■6月7日 ベリカロツコエ村からムリギノ村へ

     午前1時半に起床した。前半は先頭集団から大きく離れて後方を歩いたが、後半はもう少し前の方を歩こうというジーマ氏の方針で早起きする。前夜、眠りについたのは21:30。睡眠時間は4時間。さすがに外はまだ暗い。前日の好天気とは打って変わって空はどんよりと暗く、時々小雨がぱらつく天気だ。行程表によれば今日の歩行距離は38km。今日もきびしい1日になりそうだ。

    ■蚊の大群の中で眠る

     午前02:00に先頭集団の出発を教会の前で見送り、02:30頃から歩き始める。1時間弱歩いて最初の休憩をとる。睡眠不足だからまだまだ眠い。道端の草原に荷物を降ろし横になって眠ろうとしたら、セルゲイ氏が何やら黒い輪っかの切れ端のようなものを手渡してくれた。端っこから白い煙が出ている。蚊取り線香だ。緑と黒、色が違うだけで日本のものとほとんど変わらない渦巻型の蚊取り線香にロシアでお目にかかるとは思いもしなかった。

    しかも、火がついている。「なんで?」と言いかけて気がついた。さっきから小型の水すましのような虫が顔の周りをブンブンと飛び回っている。「虫が多いな」くらいに思って気がつかなかったのだが、よく見るとこれが蚊の群れだ。日本の蚊よりも3倍は大きい。こんなのに血を吸われたら、また貧血を起こしそうだ。慌てて虫よけスプレーを顔や首筋に振りかけ、帽子をしっかりかぶり、手袋をはいて、肌の露出部を最小限にして横になる。顔の周りを蚊取り線香の煙で燻しながら休憩しているうちに、あっという間に眠ってしまった。人間、睡眠不足に陥ると、少々の蚊くらい平気で眠れるものらしい。

     30分くらい休憩して04:00に出発。約1時間半歩いて、前々日ベリカロツコエ村に到着する前に休んだのと同じ場所で再び休憩する。ベリカロツコエ村からここまでは同じ道を引き返し、この先から道が別の方向に分かれるらしい。1時間半ほど休んで、次は2時間歩いた。

     3回目の休憩地で朝食をとる。ここでは2時間半の休憩時間がある。湯を沸かし、インスタントのカーシャ(粥)やヌードル(麺)を作る。昨日の川畔の昼食の残り物のブリヌイやキュウリ、トマトを頬張る。小雨が降ってきたが、雨の中で食事をするのにももう慣れた。人間は環境に順応する動物だ。

  • ■激しい雨が地面を削る<br /><br /> 「朝食休憩」の後11:30に出発。ここから森の中の道が10kmほど続く。前半の2日目に通った森の道よりも、こちらの方がずっとひどい道だと聞いていたが、それほどでもない。昨日の晴天がきいたのだろうか、道がかなり乾いていて、水たまりや泥濘が少ない。長靴に履き替えることなく、シューズで歩き切った。<br /><br /> リュドミラさんによれば、5年前にこの道を歩いた時は、腰までつかる沼のような泥濘が道を阻み、通り抜けるのにとても難渋したそうだ。昨日、ベリカロツコエ村でもらったキーロフ行進の写真集にも、水たまりを大きく迂回して歩く人の列や、泥濘に足をとられながら歩く人の写真がたくさん載っていた。<br /><br /> この日、森の中の道よりも大変だったのは雨だった。2時間ほどかかって森の道を抜け、1回の休憩をはさんで、中継地のメジャーニ村をめざしている途中で、朝から降っては止みしていた小雨が激しい雨に変わった。バラバラと大粒の雨が降り出したので、急いで雨支度をして再び歩き始めた時、ジーマ氏が「メジャーニ村では毎年きまって雨に見舞われるのだ」と話している最中に雨脚が強くなり、本降りになった。それから村に到着するまでの1時間ほど辛い雨中の行軍が続いた。<br /><br /> 雨が激しかったのはほんの30分程度だが、本格的に降り出して10分もすると道に水が溢れ出し、ちょっとした川のようになった。坂道では流れ落ちる水で赤土が削られ、深い溝が刻まれており、坂道の下には、大きな赤茶色の水たまりができている。水浸しになった道を避け、道端の盛土の草の上を歩こうとしたが、そこにもあちこちに大小の溝が刻まれており、ついに靴ごと溝に足を突っ込んでしまった。もうかまっても無駄である。足をグショグショに濡らして歩くしかない。小川状態になった赤土の道を、それでも大きな水たまりを避けつつ、雨に打たれながら黙々と歩き続けた。<br /> <br /> それにしても雨水の力はすごいものだ。道の両側に広がる平原の緩やかな斜面に、畑の畝のような溝が幾筋も刻まれているのは、雨で地面が削られた跡だったのだ。これではせっかく道を整備しても、雨が降るたびにデコボコになり、地形まで変わってしまう。水たまりに倒木を置いたり、小川に急ごしらえで丸太を数本渡しただけの橋がかかっていたりするのもうなずける。ロシアの荒々しい自然の前では、中途半端な人工物はすぐダメになってしまうのだろう。<br />「腰までつかる沼のような泥濘」というリュドミラさんの説明はちょっと想像しにくかったのだが、こんな雨が2?3日も断続的に降れば、そういうこともあるだろうなと納得できる。今頃は森の中の道もひどいことになっているのかもしれない。<br /><br />(つづく)

    ■激しい雨が地面を削る

     「朝食休憩」の後11:30に出発。ここから森の中の道が10kmほど続く。前半の2日目に通った森の道よりも、こちらの方がずっとひどい道だと聞いていたが、それほどでもない。昨日の晴天がきいたのだろうか、道がかなり乾いていて、水たまりや泥濘が少ない。長靴に履き替えることなく、シューズで歩き切った。

     リュドミラさんによれば、5年前にこの道を歩いた時は、腰までつかる沼のような泥濘が道を阻み、通り抜けるのにとても難渋したそうだ。昨日、ベリカロツコエ村でもらったキーロフ行進の写真集にも、水たまりを大きく迂回して歩く人の列や、泥濘に足をとられながら歩く人の写真がたくさん載っていた。

     この日、森の中の道よりも大変だったのは雨だった。2時間ほどかかって森の道を抜け、1回の休憩をはさんで、中継地のメジャーニ村をめざしている途中で、朝から降っては止みしていた小雨が激しい雨に変わった。バラバラと大粒の雨が降り出したので、急いで雨支度をして再び歩き始めた時、ジーマ氏が「メジャーニ村では毎年きまって雨に見舞われるのだ」と話している最中に雨脚が強くなり、本降りになった。それから村に到着するまでの1時間ほど辛い雨中の行軍が続いた。

     雨が激しかったのはほんの30分程度だが、本格的に降り出して10分もすると道に水が溢れ出し、ちょっとした川のようになった。坂道では流れ落ちる水で赤土が削られ、深い溝が刻まれており、坂道の下には、大きな赤茶色の水たまりができている。水浸しになった道を避け、道端の盛土の草の上を歩こうとしたが、そこにもあちこちに大小の溝が刻まれており、ついに靴ごと溝に足を突っ込んでしまった。もうかまっても無駄である。足をグショグショに濡らして歩くしかない。小川状態になった赤土の道を、それでも大きな水たまりを避けつつ、雨に打たれながら黙々と歩き続けた。
     
     それにしても雨水の力はすごいものだ。道の両側に広がる平原の緩やかな斜面に、畑の畝のような溝が幾筋も刻まれているのは、雨で地面が削られた跡だったのだ。これではせっかく道を整備しても、雨が降るたびにデコボコになり、地形まで変わってしまう。水たまりに倒木を置いたり、小川に急ごしらえで丸太を数本渡しただけの橋がかかっていたりするのもうなずける。ロシアの荒々しい自然の前では、中途半端な人工物はすぐダメになってしまうのだろう。
    「腰までつかる沼のような泥濘」というリュドミラさんの説明はちょっと想像しにくかったのだが、こんな雨が2?3日も断続的に降れば、そういうこともあるだろうなと納得できる。今頃は森の中の道もひどいことになっているのかもしれない。

    (つづく)

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