2013/10/29 - 2013/10/29
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belleduneさん
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アプト式ラックレールがあった信越本線横川〜軽井沢間は、1893年から1963年まで使われていました。
アプト式とはラック式鉄道の一種で、カール.ローマン・アプトが1882年に特許を取得した方式です。日本の営業用路線では、この方式によるラック式鉄道しかなかたので、ラック式鉄道そのものをアプト式と誤解して、呼ぶことがあるそうです。
ラック式には、他にマーシュ、リッゲンバッハ、シュトループ、ロヒャー、フォンロールの方式があり、いずれも現存しています。アプトとは、2枚又は3枚のラックレール及びピニオンギアを位相をずらして、設置する方法です。信越本線の碓氷峠では、3組のラックピニオンを180度ずらして使用していますが、これは、スイスの氷河鉄道のゴッタルドや蒸気機関車で有名なブリエンツ・ロートホルン鉄道などと同じです。熊野平駅から10のトンネルを抜けて、碓氷湖迄歩きました。
- 旅行の満足度
- 4.5
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熊ノ平から軽井沢方面を見たところです。
アプトの道折り返し・熊野平駅は、上り下りの列車がすれ違う為と蒸気機関への給水、給炭の目的で設置されました。碓氷線は、幹線鉄道でありながら、急勾配のため、アプト式を選択。常に輸送力の増大を求められ、新技術の導入によって、熊野平駅も待避線や突っ込み隧道(すいどう)の設置等の改良が加えられました。碓氷線は、隧道が煙突の役割を果たし、煤煙で乗客や乗務員は苦しめられましたが、その解決方法として、明治45年に、幹線鉄道では我が国初めての電気機関車た導入されました。その後昭和38年、アプト式の旧碓氷線の廃止と昭和41年の碓氷新線の複線化によって、熊野平駅は、信号場に降格され、平成9年、碓氷線の廃線と共にその長く歴史に終止符を打つこととなりました。 -
もう後1週間で紅葉真っ盛りとなるでしょう。
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反対方向の碓氷湖へ向かって歩いて行きます。若かりし頃、ここを列車に乗って学校へ通ったというご婦人にお会いしました。昔を懐かしいんで、歩いておられました。人其々に、色々な思い出があるのが、人生ですね…
横川から軽井沢まで7マイル、中間に熊ノ平という駅を設けました。明治24年6月に起工し、翌年12月に竣工しました。隧道は26、その長さは14,644フィート(1マイルは14町45間、フィートは曲尺1尺)。橋は、18で、最長のものは第三橋梁で、煉瓦を積み、漏斗型をした橋脚たあります。橋脚の間は、60フィート、川底からの高さは110フィートです。工費は当時で約200万、技師は本間英一郎、監督技師は吉川三次郎、渡邊信四郎、技師の井上清介、佐藤吉三郎、林通友らが助けたということです。日本で、険しい坂道に敷設した最初の鐵道でした。 -
熊ノ平殉難碑 − 昭和25年に大雨によって第十号トンネルが崩落し、50名の人命が奪われました。
碓氷嶺鐵道碑 − 碓氷嶺は、信濃国と上野国の境に聳えています。碓氷の地は、その東境にあるため、その険しさは、五幾八道の中に比較するものがないほどでした。
明治になり、鐵道が各地に敷設され、東京から上野国、信濃国を経て、越後の直江津に達する鐵道が計画されましたが、碓氷峠のある横川・軽井沢間だけは、その険しさの為、どうすることもできませんでした。明治22年に、入山、中尾、和美峠の三つの経路が計画されましたが、入山は、工費が少ないけれど、地形が険しく、和美峠は地形は穏やかでしたが、距離があり、工費が嵩むという結果でした。中尾山は地形、工費も前の二つの中間で、路線は最も短いということから、中尾山経由になりました。 -
稲荷大明神で、最近走って転んだりしたので、安全祈願のお参り?をしてきました。
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第十号トンネル 長さ103m
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煉瓦と山型目地 碓氷線の工事に使われた煉瓦は、約1600万個と言われています。これから行くめがね橋には202万個、補強工事を含めると300万個弱の煉瓦が用いられました。煉瓦は、横川方面は、深谷、川口から、軽井沢方面は、主に長野から運ばれました。製造会社の刻印が打ってある煉瓦(4号トンネル)や目地にも山型目地という見栄えの良い、加工がされたもの(6号トンネル)がありました。
何社かが区間を区切って工事をしたため、各工区によって工夫が見られます。山型目地は職人の技術の高さが伺えるものです。 -
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第十トンネル
碓氷線の橋の中で、径間が4,57m以下のものをカルバートと言います。碓氷線には21のカルバートがあり、第九と第十トンネルの間にある第十一カルバートは、建設当時の姿を残しています。焼き過ぎ煉瓦を巧みに配して、美しく仕上げています。径間1,8mの小さな橋ですが、明治の職人の心意気が伝わってくる佳品ということです。 -
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第九号トンネル 長さ120m
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トンネルから出たところから下を見ると、急勾配なのが分かって、かなり怖いです。
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もうすぐ冬ですね。
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第八号トンネル 長さ92m
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第七トンネル
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第六号トンネル 長さ546mとトンネルの中で一番長いものです。次が第26号トンネルで432m、一番短いのが25号トンネルで32mです。全体に短いトンネルが連続していました。
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一人だとちょっと気味が悪いですが、昼間なので、結構人が歩いていましたから、大丈夫でした。夜は午後6時に消灯するそうです。真っ暗になるのでしょうね。「夜間のトンネル内は危険です」と注意書きがありました。
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向こうに横抗が3箇所見えます。
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これは、長いトンネルの場合、掘削の際に、途中横から掘り始めたので、この第六号トンネルでは3箇所このような穴がありました。他にも長いものはこのような横抗が見られます。
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天井にある穴は、排煙用でした。
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この煉瓦一つ一つに職人の技が込められています。各工区によって、少しずつ違うらしいのですが、暗かったので、良く違いが分かりませんでした。
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所々に鉄部の名残が見られました。
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ここを鐵道が通っていたころは、塞いである箇所はもう少し奥行きがあったのでしょう。
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第六号トンネルを抜け、旧国道18号線へ下りて、下から眺めてきます。
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碓氷第三橋梁 一般にめがね橋として知られています。
煉瓦造りの4連アーチ橋で、国鉄信越本線横川駅ー軽井沢駅間の橋梁の一つです。設計者は、1882年に鐵道作業局技師長として、イギリスから日本に招聘された英国人技師パウナル(Charles Assheton Whately Pownall) と古川晴一です。 -
1891年着工し、高崎駅と直江津駅を結ぶ路線のうち、横川〜軽井沢間だけが未開通だったため、急ピッチで工事が進められ、1893年に竣工しました。
開業当時から強度不足による変形が指摘され、翌1894年に耐震補強工事として、橋脚、アーチ部の大掛かりな工事が実施されました。 -
その後、信越本線の電化を経て、1963年に新線が建設され、アプト式鐵道は廃止となりました。全長91m、川底からの高さは31mです。
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めがね橋を渡ったところの眺めです。
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第五号トンネル 長さ244m
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第3号トンネル 長さ78m
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碓氷湖(人造湖)が見えてきました。
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今年は夏が長かったので、まだ紅葉し始めというところですね。これから一気に寒くなって来ます。
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国学者で小学唱歌の作詞者として有名な「高野辰之」氏の歌碑がありました。
(1876〜1947)で、1910年、東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽部)の教授になりました。代表作として「紅葉」「故郷」「朧月夜」「春の小川」「春が来た」などがあり、今でも多くの人に親しまれています。碓氷峠の信越本線熊ノ平駅近辺が「紅葉」の謌の舞台と言われています。 -
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坂本ダムは、重力式コンクリートダムで、堤高36,3m、堤頂長85m、総貯水容量778立法m、有効貯水容量500立方mで、群馬県管理のだむです。昭和32年に砂防ダムとして建設されました。
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先日の雨で、湖面にかなりの流木が浮いていました。本来は湖畔を一周できるのですが、1箇所トンネル内が危険な状態らしく、不通でしたので、反対側から廻ってきました。
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薄の穂が風にそよいで綺麗でした。
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