2013/10/21 - 2013/10/26
301位(同エリア991件中)
けいじさん
ひょんなことから、インドに行ってきました。インドは私にとって馴染みの深いところで、1967年4月から1969年4月までの2年間、今のムンバイ、当時のボンベイに父の仕事の関係で住んでいました。中学生の頃でしたので、今でもその頃のことはよく思い出され、懐かしさで一杯でした。1978年と1979年にも個人旅行で訪問しておりましたので、今回は34年振りのインド訪問でした。
9月にかみさんと韓国を一週間旅行して、今度はどこへ行こうかと話していたら、インド旅行の初心者コースであるトライアングルルートの手頃なツァーを見つけましたので、渋るかみさんを説得して申し込みました。インドのトライアングルルート、すなわちデリー・ジャイプール・アグラの3都市を巡るツァーです。もちろんメインの訪問先はアグラにあるタージ・マハルです。そして私にとっては3度目のタージ・マハル訪問でしたので、45年前と34年前の訪問時の思い出と比べてみたのが楽しかったです。一番変わったことは、以前のインドと比べてどこへ行ってもインド人観光客の多さでした。これは庶民の生活が向上し、国内旅行がブームになっているのが原因のようです。また、日本人観光客の多さにもビックリでした。ちなみに45年前のタージ・マハルは白人観光客がちらほらで、あの広大なタージ・マハルが私たち家族だけの貸切状態でした。また、他のどこの観光地に行っても白人観光客のみで、日本人観光客は皆無でした。
そんな古い時代を知っている私と、初インドのかみさんとの旅行でした。最後に、インド旅行をあんなに渋っていたかみさんが、帰国後すっかりインドにハマってしまいました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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上海経由でデリーまで、あまり評判のよくない中国東方航空ですが、乗ってみたら嬉しい誤算でした。13時50分、定刻にテイクオフ。
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エアバス330です。シートがすっかり新調されており。以前なかったモニター、電源があり、レッグスペースは足を組んでも前席に膝が着かないほど余裕があります。日本人CAと中国人CAのサービスが大変良く、書き込みの悪評はなんだったのでしょうか。
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富士山が見えました。フライトは順調です。
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上海に夕方に着いて、ここで4時間待ちです。
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上海プードン国際空港の第一ターミナルです。ゆったりしていて4時間待ちも気になりませんでした。
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22日インド時間午前1時半にデリーのインディラ・ガンジー国際空港に到着。ニュー・デリー市内のホテルに移動して休憩、仮眠。朝食を食べてから観光に出発です。
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美味しい朝食です。朝からインドカレーは最高でした。
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モンスーンが明けて最高の天気です。ちなみに気温は32度です。
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これから5日間お世話になるバスです。ツァーは総勢19名で、バスの座席は横3列のゆったりシートです。
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ニュー・デリー市内。オートリクシャーが走っています。ちなみに45年前とまったく同じです。
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渋滞は日常だそうです。日本で見る車がたくさん走ってます。特にS自動車のシェアは5割に達するそうです。
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デリー郊外にある世界遺産のクトゥブ・ミナールに到着。
ヒンドゥー、イスラム両様式が混ざった高さ72.5メートルの石塔。 -
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イチオシ
下から見ると圧倒されます。赤砂岩で出来てますが4階層だけは大理石です。
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彫刻が精密です。
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インド人観光客がたくさん来てました。彼らのカメラはほとんどがスマホでした。インドでもスマホが確実に増えているようです。
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うまく摘まめません。
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45年前は頂上まで登りましたが今はNGです。1982年に大事故があったからだそうです。昔はほとんど観光客がいませんでしたから登るのに待つこともなく、事故も起こりませんでした。
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敷地内には遺跡があります。
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この細工は精密です。
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1200年頃に建てられたミナレットであり、当初は100mほどの高さだったそう。
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回廊があり、柱の彫刻。
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アライ・ミナール。クトゥブ・ミナールを超え、100mを大きく超えるミナレットとして造ろうとしましたが、財政難で中断。現在はその基底部のみが残っています。
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ニュー・デリーは緑の多い街です。
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デリーを離れ、ジャイプールに向かう途中、州が変わると通行税を払わなければならないそうです。その料金所です。
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暑いので日陰には露店が。
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一応、高速らしく料金所が。ただし、牛が歩く、自転車が走るし人も歩く道。とても高速道路とは言えません。まぁ、有料道路といったところです。
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ジャイプールまで後半分のところにあるドライブイン。ちなみにデリーからジャイプールは260キロ。5時間かかります。
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ジャイプール市内に入るとすっかり暗くなりました。
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ジャイプールでも有数のホテル、ITCラジプタナに宿泊。
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ゆったりした部屋。夕食はレストランでビュッフェスタイル。
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調度品も豪華なホテルでした。朝食を食べてから7時半に出発。本日はジャイプール市内観光をしてからアグラに移動です。
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風の宮殿。人目に触れることが出来ないお妃様たちがこの宮殿の小窓から街中を見下ろしたそうです。またこの街の建物の壁がピンク色なので。ピンクシティーと呼ばれています。
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イチオシ
どこからでも風が入ってくる設計になっていますので、風の宮殿といわれているそうです。
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旧市内の建物はみんなピンク色です。
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イチオシ
今年世界遺産に登録されたばかりのアンベール城に向かいます。お城まではジープに乗り換え山道を登ります。本当は象に乗って行きたかったのですが、今回のツァーではジープでした。おそらく時間短縮のためなのでしょう。
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アンベール城全景
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ジープに乗り換え、山上の城へ。
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山上の城から。
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城の大広場。ここから見学が始まります。それにしても暑い!33度。
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アンベール城は市の北側の小高い丘の中腹に建てられており、1592年から築城が始まり、その後150年間にわたって改築が続けられたそうです。ジャイプール遷都まではここが藩主国の首都でした。
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宮殿
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宮殿入り口の見事な細工が美しい。
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宮殿の回廊
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宮殿内の庭園
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宮殿の狭い廊下を行くと・・・
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見晴らしの良いテラスです。
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大広場を見下ろします。
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庭園を見下ろします。
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象のタクシー。45年前は乗りましたので今回はパス。かみさんは乗りたがっていました。
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イチオシ
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宮殿内部の見事な象嵌細工。
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大理石に刻まれた浮かし彫り。
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繊細な細工がかもし出す、華麗な宮殿建築。
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当時の壁画が美しい。
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宮殿に住む?鳩はさすがにおっとりしていて、逃げる気配はなし。
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アンベール城を後に市内に戻ります。
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市内に戻る途中のレイクパレス
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市内に戻り、シティパレスに到着。ここは藩主ジャン・スイン2世が建てた豪華な宮殿で、今も子孫が住んでます。
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色はピンク!
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中央の白い建物は現在のマハラジャ(藩主)が住んでいる豪邸です。
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ピンク色が鮮やかな宮殿。
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世界最大の銀の壺だそうで、大変な宝物だそうです。
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イチオシ
宮殿です。
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宮殿入り口の象嵌細工。
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マハラジャの豪邸です。
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象さんの彫り物がありました。
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実はここジャイプールは、砂漠地帯なのです。そして暑さもすごいのに、庭はこうしてよく手入れされて青々しています。
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シティパレスを後に、隣にある世界遺産であるジャンタルマンタル(天文台)に向かいます。
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日時計。ものすごく正確だそうです。
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ただいま11時40分。
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イチオシ
奥の日時計は1秒単位まで計れるとのこと。驚きである。
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45年前に来た時はここが何だか分からずガイドに聞くと、ここは昔の遊園地ですよと言われ、確かに遊園地のようで、なにやら楽しげな雰囲気だったので、登ったり、ぶら下がったりして遊びました。その後、ここは天文台であることが分かり、だまされたことに気付いた時はすで遅しで、家族に大笑いされてしまいました。
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最大の日時計で1秒単位の計測が可能です。日本で云えば江戸時代中期の1730年頃に造られたことになり、その知識と技術はすごいものがあります。
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45年前はあそこまで登れましたが、今はNGです。
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ここも綺麗に手入れされています。
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ジャンタルマンタルを後に昼食を摂って、アグラに向かいます。
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ここでは人力車が活躍しています。
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この景観は、昔となんら変わりありません。インドはすごい速さで進む部分とまったく時が止まった部分が混在していて、それがインドの魅力なのでしょう。
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アグラまで240キロ、5時間かかってようやくジェーピーパレスホテルに到着。このホテルに2連泊です。
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部屋は広くて快適です。歓迎のレイが置いてありました。明日はいよいよタジ・マハールです。
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4日目の朝、ホテルの庭を散策してますと、プールで泳いでいる人を発見。こんな早い時間から泳いでいるとは、まぁ、日本人ではありませんでした。
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バスはタジ・マハール手前の駐車場までで、ここからは電気自動車に乗って行きます。
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東門に到着。タジ・マハールには東・西・南の三つの入り口があります。入場時のチェックは厳しく、バックは空港にあるようなX線装置でチェックされ、男女別れてボディチェックも受けます。何しろインド一の宝物ですから、テロの標的にだけはならないようにですね。
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入場はチェックで混雑します。
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横から入ったので正面に至り、この大楼門からいよいよタージ・マハルとご対面です。
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見えました!白亜のタージ・マハルです。34年振りの感動の再会です。
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34年前にはほとんどいなかった観光客が大勢おりました。
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イチオシ
ここからが一番美しく見えるところです。タージ・マハルはムガル王朝の5代皇帝、シャー・ジャハーンが1632年から22年の歳月をかけ、亡き愛するお妃ムムターズ・マハルのために建設した総大理石の墓廟です。日本でいえば、関が原の合戦から32年経ったころです。
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摘まんでみましたが、うまく摘まめませんでした。重すぎるようです。
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近づくと大迫力です。
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タージ・マハルは東西南北どこから見ても同じに見えます。しかし墓廟の入り口はここ南側にしかありません。
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ちなみに墓廟内は撮影禁止です。
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北側のテラスからは聖なるヤムナ川が真下に見えます。タージ・マハルはヤムナ川沿いに建っているのです。
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ヤムナ川。川向こうにはシャー・ジャハーンが自らの霊廟を建設しようとしたムフタブ・バックが見えます。ここに黒い大理石で霊廟を造り、橋で繋げようと考えたそうですが息子に幽閉されて叶いませんでした。いわゆる黒いタージ・マハルです。今はここ、タージ・マハルに愛妃の隣に静かに眠っています。
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42mのミナレット(尖塔)は外側にわずかに倒れており、地震が来ても外側に倒れて本体を破壊することがないそうです。肉眼で確認出来るので面白いです。
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ミナレット
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左右にある対象建築で集会場とモスクです。
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極限までの浮かし彫り。
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西側から
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ムガル庭園です。
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機械もない時代に、いったいどうやって建設したのか、摩訶不思議です。
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ゆっくり1時間見学して集合場所に戻る途中です。
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ムガル庭園
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タージ・マハルを後にアグラ城に向かいます。
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世界遺産のアグラ城はムガル帝国3代皇帝アクバルによって築城されました。
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皇帝たちが軍隊の行進を見たテラス。
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城門を入ると宮殿に至ります。
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見事な細工が施してあります。
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修復作業をして現状の状態をキープしています。
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日本語ペラペラのインド人ガイドさん。インド人なのに不思議な言葉をしゃべっているので興味津々なインド人女性です。
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イチオシ
シャー・ジャハーンが息子によって幽閉された場所です。ここからタージ・マハルがよく見えます。
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シャー・ジャハーンはここからタージ・マハルを眺めながら余生を送ったそうです。
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イギリス軍による砲撃の痕です。
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壮大な宮殿で当時に暮らしがどんなものだったのか、興味津々です。45年前は中学生でしたので、ここアグラ城を見てもあまり感動がなかったように思えます。
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アグラ城を後に昼食に向かいます。それにしても暑い!
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地元のパトカーです。車は国産車でタタ製です。
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本日三つ目の世界遺産ファテープル・シークリーです。ここはアクバル帝が預言者の言葉により都として造ったのですが、水不足のためわずか14年でアグラに戻ったのです。つまり、打ち捨てられた都なのです。
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ここも綺麗に手入れされています。
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会議室。ここで皇帝と重臣たちが会議をしたそうです。
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世界遺産の認定証です。
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会議室
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会議室内の柱
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外を見ると、貯水池が。この機能が十分でなく、水不足となり、この都は打ち捨てられることになりました。
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大広場です。
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赤砂岩で造られた宮殿の保存状態は良好です。
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宮殿内部に入ります。
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ムガル王朝の建築水準の高さに脱帽です。
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柱の細工には、ただただ見とれるばかりです。
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イチオシ
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今日は暑い日でしたが、十分堪能した日でした。ここで本日の予定は無事終了し、ホテルに戻ります。
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アグラ市内に戻る頃には、夕日が綺麗でした。
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5日目の早朝、ヤムナ川対岸のメフタブ・バックからタージ・マハルのご来光を拝みに、ホテルを5時45分に出発しました。
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まだ日の出前です。
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日の出です。
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イチオシ
朝日とタージ・マハルです。あまりの美しさに声も出ません。
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ヤムナ川に昇る朝日です。
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朝日に染まるタージ・マハルです。
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早起きは三文の得でした。
実は今日はデリーまで行って観光をして、明日の未明2時45分発の航空機で上海経由成田に夜9時に到着予定の強行スケジュールなのです。それでもこのご来光は一見の価値がありました。 -
ここメフタブ・バックは黒いタージ・マハルが造られる予定だった場所です。今は公園として整備されています。ここから見るタージ・マハルは絶景ですのでお薦めです。夕日の時も最高の絶景だそうです。
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ジェーピーパレスホテルを後にデリーに向かいます。
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アグラからデリーまでは正に高速道路です。ほとんど車は走っておらず、片側3車線の快適で立派な道路です。
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途中のサービスエリアです。通常、インドのトイレはほとんどが有料(5ルピー、8円)ですが、さすがにサービスエリアのトイレは無料でした。サービスエリアでは飲食も出来、ゆっくり休憩ができます。
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渋滞の激しいニュー・デリーに戻ってきました。
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昼食の後は、世界遺産のフマユーン廟です。ここはタージ・マハルを造る時にも影響を与えたといわれています
まずは大門から入場します。 -
フマユーン廟が見えてきました。タージ・マハルとはまた違った趣きがあり、素晴らしい建物です。
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ここにはミナレット(尖塔)がありません。また材質は赤砂岩です。
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タージ・マハルは皇帝とお妃の二名だけが埋葬されていますが、ここフマユーン廟にはすべてを合わせると150人の死者が埋葬されています。つまり共同墓地的な使われ方がされたようです。
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ここだけは内部撮影OKです。これはフマユーン皇帝の仮の棺で、実際の棺はこの直下の地下に安置されています。
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中心のホールです。
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綺麗に整備されています。
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今回の旅行の最後は、世界遺産レッド・フォート(ラ−ル・キラー)です。文字通り赤砂岩で赤い城で、デリー城ともいわれています。
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夕闇が迫っています。
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城内に入場する立派な門です。
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城内にはお土産物屋さんがひしめいてました。
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宮殿です。
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こちらは大理石の宮殿です。
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舞台だったのでしょう。
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城内のバザールです。インド人観光客で賑わっていました。
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26日は午前2時45分、デリー発の中国東方航空にて上海に11時に着きました。17時10分発の成田行きなので時間がたっぷりあるため、ここでいったん入国して昼食の後、リニアモーターカーに乗りに行きました。
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上海には以前来たことがありましたが空港まではバスでしたので、今回念願叶ってリニアモーターカーに乗れました。
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出発です。
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2等車です。往復割引で80元(1300円)です。
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革張りシート」の1等車です。
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時間によるらしく、今回の最高速度は残念ながら301キロで、430キロは出ませんでした。しかし終点までわずか8分、ゆれも騒音もなく快適な乗車体験でした。
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終点駅周辺を散策しました。マクドナルドがありました。
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1時間出発が遅れたおかげで、ボーディングブリッジではなく、珍しくタラップでの乗機となりました。
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みんなのんびりと乗機します。ボーディングブリッジのなかった羽田空港の昔を思い出しました。
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いよいよ出発です。あっという間の6日間でしたが、満喫することができました。かみさんもすっかりインドファンになりました。今度は第二のふるさとムンバイ(ボンベイ)にかみさんを連れて行く約束をしました。
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