2008/12/03 - 2008/12/03
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Donkyさん
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旅の記録(39)小江戸川越ブラ歩き
友人の「カプリさん」とその妹分である「とこさん」の川越散策のお供をしました。
出発前最寄り駅富士見テラスに立寄ると 凛とした霊峰富士がその雄姿を今日も見せていました。 気温は16度 天候は雲ひとつ無いピーカンの青空が気分良くさせてくれます。 幸先の良い 出だしです。
11時過ぎに東武東上線「川越市駅」で待ち合わせ 川越探訪イザ出陣です。まずは 腹ごしらえからスタート。駅前から芋懐石で有名な料理店「いも膳」へ車で直行です。
「いも膳」はこの辺りでは有名な薩摩芋の懐石料理のお店です。芋懐石は川越の一番の売りです。
昼食後の散策は まず 車で「札の辻」へ移動して 「土蔵つくりの町並み」を歩きながら 「時の鐘」「まつり会館」「蔵つくり資料館」を訪れます。
注)ブログ記事のうち景勝地の紹介文はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』および各地の公式サイトから抜粋・加筆したものです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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駅前から芋懐石で有名な料理店「いも膳」へ車で直行です。
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「いも膳」はこの辺りでは有名な薩摩芋の懐石料理のお店です。
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全国各地より旬の食材を集めてお作りするお取り寄せ料理。野菜類は主に京野菜を用い、今日料理(こんにちりょうり)はいも膳が切り開く新しい領域とのこと。
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器にもこだわり、鮮やかに盛りつけられた本物の料理をご堪能あれとのキャッチフレーズに惹かれていってみました。
電話予約してあったお昼の懐石コースを味わうことにしました。
食前酒に 梅酒風味の芋焼酎 -
先付は 旬の和え物
小海老と野菜の和え物に柿の実が細切りでチョコンと乗っかって、 -
前菜に 山吹・いも酢の物 アーモンド和え・その他
ルックスはこれが一番です、味もユニークなものでした。 -
椀物 ヒカド(南蛮料理)
葛湯を思わせる生まれて初めての味。 -
焼き物 源平焼き
牡蠣のクリーム焼 薩摩芋の焼き物
手前にちょこっと 薩摩芋の茎の似たものが添えられていました。 -
蒸し物 いもいち
美観に訴えた芸術的な作品。 -
お凌ぎ いもめん
芋の粉と小麦粉を練って卵の白味だけでつないだもの。
みかけはおそば、しかしそばと言うより蒟蒻に近い食感.
ひとことで言えば かなりヘルシーな工夫の跡が。 -
甘味 いとこ煮
ぜんざいに黄色いお芋のサイコロが。 -
デザート いもアイス
芋のアイスクリームでなんともソフトな食感。
総合評価: 一度行けば 話しの種に充分かなあ。 ブログの評価なんかをみてもスコアは中くらいでどちらかというと真っ二つに分かれています。 -
素朴な食材を用いて調理技術をフルに使った創作料理です。 料理人の苦労がしのばれる創意と工夫が見られます。
珍しいものに興味のある方は ぜひどうぞ。 -
雲ひとつ無い快晴の空の下、 食後 まず最初に足を踏み入れたのは名所のひとつ「菓子屋横丁」です。
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「菓子屋横丁」は石畳の道に、22軒の菓子屋・駄菓子屋がひしめく川越の有名な観光スポットです。
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素朴で昔懐かしい味を今に伝える菓子作りの店が立ち並び 連日多くの観光客が立ち寄り童心に返って駄菓子を買い求めています。
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明治の始め頃、鈴木藤左衛門が養寿院の門前町として栄えるこの町で江戸っ子好みの 気取らない菓子を製造したことが始まりといわれています。
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大正12年、関東大震災によって被害を受けた東京に代わって製造供給を賄い、昭和初期には70軒以上の店があったそうです。
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その後、戦争や生活の変化などによって店舗数は激減したものの、人情味あふれる横丁の情緒、威勢の良い呼び込みの声、素朴で懐かしく温かい街角は、時代が変わっても人々に安らぎを与えてくれます。
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いまどき アメ横以外にどこのお菓子やさんで威勢の良い呼び込みの声など聞けるでしょうか?
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2009年春 NHK朝の連ドラ「つばさ」の舞台になったこともあってか 店主とタレントのスナップ写真が方々で 見られます。
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すでに連ドラのこの横丁収録は終っているみたいなことを老舗の女将が言っていました。
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今回だけは駄菓子を買うのはよそうと思っていても ひとたび足を踏みいれるや、つい呼び込みのオバちゃんと会話し、昔懐かしい駄菓子には つい手が伸び、知らない間に買い物袋をぶら下げています。
今日もまた 駄菓子をぶら下げながら 横丁をあとに 川越まつり会館を目指します。 -
平成15年9月に開館した川越まつり会館は明治・大正・昭和初期の川越まつりや四季をとおして市内で行われる祭りを紹介しています。
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展示ホールには壮麗な実物の山車を3台展示しているほか大型スクリーン(6m×4m)による映像と音声による演出で川越まつりの熱気を再現しています。
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特に市内にある29台の山車と山車の構造・曳行編成図などを紹介しています。
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何年か前に近江長浜で90年に一度披露される21台の山車すべてを見てきたという とこさんも、 ここでは29台の山車の数にただただ感心していました。
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これだけでも川越商人の富裕振りが分かるというものです。
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小江戸と呼ばれる所以
川越の歴史は古く 戦国時代まで遡りますが、詳しくは後述します。
ひとまず小江戸と呼ばれる所以です。
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天正18年(1590)の徳川家康の関東入部に伴い、ここに川越藩が置かれ、幕末まで続きました。
川越は、江戸の北の守りであり、豊富な物資の供給地として重要であったため、幕府は有力な大名を配置しました。 -
なかでも、松平信綱は、新河岸川を利用した「舟運」(しゅううん)を起して江戸との物流を確立、商人の町としても発達させました。 街道を整備し城下を江戸と同様の町並みに変えていったのです。
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町の商人たちは城下町、門前町、宿場町の利点を十二分に活かし、川越街道を利用する駄馬輸送や、新河岸川を利用する川舟輸送で、大消費地・江戸と直結させたのです。
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川越街道と新河岸川は、江戸時代初期に開発された先進的インフラであり、川越発展の最大の要となりました。
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米、味噌、材木、炭、野菜をはじめ、ろうそく、髪油、燈油、釘、建具など、さまざまな商品を積んで川越を夜のうちに舟出すると、夜明けごろは江戸の各河岸で荷揚げができたといいます。
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戻りの川舟で江戸へ集まってくる諸国の特産品を運び、それらに手を加えてまた江戸や、方々の中小消費地へ送り出すのです。 町は栄え 潤い 貧富の差も どんどん拡大していきます。この城下町にも江戸を真似て、「十組問屋仲間」という大商人の同業組合が組織され、幕府より承認されていました。
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こうして問屋仲間のメンバーだけが利益を独占しようとしたのも江戸と同じです。いつの世にも富は権力者と手を結んだ者に集中していくのです。
明治になると埼玉県一の商業都市として繁栄。主に穀物・織物・たんすが特産物でした。
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明治26年(1893)には、町の3分の1を焼失する大火に見舞われましたが、直ちに耐火性を重視して土蔵造りの店舗を建設。
現在も残る蔵造りの景観を形成しました。 -
養寿院や和菓子の老舗「亀や」に立ち寄ったり、「時の鐘」を眺めたり 「蔵造りの街」を 端から端まで歩いて 大正浪漫通りへ進みました。
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札の辻の近くにある大沢家旧宅は、寛政4年(1792)に建てられた、川越でもっとも古い蔵造りです。札の辻は、城下町の中心街として、高札が立てられた処です。ここから北を喜多町、南を南町といいます。
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江戸の昔 川越の町のほぼ中心に、時の鐘の塔が残っています。 時刻を知らせる鐘を打つために松平信綱が設けたものです。
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◆大正浪漫夢の街づくり
蔵造りの町並みの一本東側に もうひとつ 大正浪漫夢通りが あります。この通りはかつてはアーケードのある にぎやかな地元商店街でした。
昭和30年頃、歴史上もっとも賑やかかりし時代には 銀座商店街とも呼ばれていました。 -
平成7年にアーケードが撤去されるとともに、商店街をあげての大正浪漫の街づくりが本格的にスタートしました。
町屋造りや洋風看板建築が軒を連ねるレトロな町並み、御影石の石畳、電線を地中化した広い空。ほっとするような、ワクワクするような、忘れかけていた不思議な感覚。 蔵造りの町並みは観光客で溢れ人通りが絶えないのに、こちらは日中も閑散としてのんびりムードです。 -
川越文化の象徴である喜多院を訪ねます。
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最後の訪問地は関東の天台宗の総本山喜多院です。15分くらい歩いて寺社エリアに入りました。
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川越を代表する観光地に五百羅漢の石像群で知られる喜多院があります。そこは、関東の天台宗の総本山で、徳川家康の関東入国の時に、彼の補佐役であった天海僧正が来住した所でもあります。
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現在の建物の多くは、寛永16年(1639)に造られたものです。
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前述の様に、川越の町の発展と新河岸川の水運とは切っても切り離せないのですが、喜多院の庫裏、書院、客殿は、江戸からわざわざ新河岸川を使って運んだものだそうです。
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徳川家光は、寛永16年の喜多院の再建に当って、江戸城紅葉山にあった慶長期(1596-1615)の建物を解体して態々川越に移築しています。この時の客殿の中に、家光誕生の間と言われる12畳半の部屋があります。
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また、喜多院の中に徳川家康を祭る仙波東照宮があり、それは久能山、日光と並ぶ三大東照宮とされています。こうして見ると江戸幕府が川越を重んじた事が伝わってきます。
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埼玉県南西部地域の中心都市として発展。近年では、首都圏に位置する「歴史と文化のまち」として脚光を浴び古さと新しさが共生し、川越まつり・市立市立博物館・多くの文化財など観光資源とあいまって、毎年400万人近い観光客が訪れています。
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ほぼ 要所を回り終え 本川越駅でお茶して 気づいたのは3人で撮った写真が無いことです。
駅の構内で 通りがかりの見知らぬ人にシャッターを押していただいて 無事記念写真撮影完了。
いも懐石は試食したし 小江戸川越のブラ歩きは無事終わりました。
小江戸川越探訪 おしまいです。
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