2013/05/31 - 2013/05/31
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KawakamiKenさん
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チェスキー・クルムロフ歴史地区に行ってきました。
「迷路」のような街でした。
写真は「チェスキー・クルムロフ城」です。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
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「テルチ歴史地区」 の後は 「チェスキー・クルムロフ歴史地区」 に到着です。
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「東欧各地」 の 「異常気象」 で氾濫寸前です。
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「チェスキー・クルムロフ歴史地区」 の案内板です。
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「チェスキー・クルムロフチェコ」 は 「南ボヘミア州」 の都市です。
「チェコ」 の 「南」 に位置し 「オーストリア」 の国境近くです。 -
「クルムロフ」 は 「川の湾曲部の湿地帯」 という意味。
「チェスキー(チェヒ)」 は 「ボヘミアの」 という意味。 -
小さな町で、「人口」 は 「1万4千人」 程です。
写真は 「プラーシュチョヴィー橋」 です。 -
この辺りは、古くはより 「ボヘミア」 と呼ばれていました。
「チェコ語」 で 「ボヘミア」 を 「チェヒ」 と呼び、「チェコ共和国」 の語源となってます。
参考までに 「ドイツ語」 で 「ボヘミア」 は 「ベーメン」 です。 -
「モルダウ川(ヴルタヴァ川)」 です。
「ドイツ語」 が 「モルダウ川」 。
「チェコ語」 が 「ヴルタヴァ川」 。 -
「モルダウ川(ヴルタヴァ川)」 にかかる橋を渡ります。
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「チェスキー・クルムロフ」 は 「1920年」 まで 「クルマウ」 呼ばれてました。
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またここは、近現代に 「ズデーデン地方」 とも呼ばれていました。
「世界史」 の教科書で聞き覚えのある単語です。
「ズデーデン」 と聞くと、「きな臭さ」 さを感じさせます。 -
「1938年」 の 「ナチスドイツ」 の 「ズデーデン地方」 の併合です。
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「モルダウ川(ヴルタヴァ川)」 が 「氾濫」 しそうです。
「2002年8月」 には 「大氾濫」 に見舞われてます。 -
写真は 「チェスキー・クルムロフ城」 です。
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「チェスキー・クルムロフ城」 は、「1302年以降」 に 「約300年」 の間この町を領有した 「ローザンブルク家」 の居城です。
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「ローザンブルク家」 は 「ボヘミア」 の 「有力貴族」 でした。
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「チェスキー・クルムロフ」 の 「ローザンブルク家」 の時代は 「神聖ローマ帝国領邦ボヘミア王国」 という位置づけです。
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「14世紀以降」 は 「手工業」 と 「商業」 が盛んになりました。
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この地域は、「木材」 が豊富です。
「15世紀」 には 「銀鉱山」 も発見され、「銀」 による 「莫大な富」 がもたらせられました。 -
街は 「16世紀」 の 「領主ウィルヘルム・フォン・ローゼンベルク」 の時代に、「ルネサンス様式」 の建物が数多く建築され、華麗なる 「ルネサンス都市」 へと変貌を遂げました。
(ウィキペディア) -
街の中心であろう 「スヴォルノスティ広場」 です。
ここまで来るのに 「迷路」 のような街と感じました。 -
さらに 「迷路」 を進みます。
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言われるがままに 「昼食」 です。
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「チェコ料理」 です。
「ヴェブショー・クネドロ・ゼロ」 だそうです。
「ローストポーク」 と 「ザワークラフト」 と 「蒸しパン」 です。 -
「警察バイク」 です。
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再び 「スヴォルノスティ広場広場」 です。
奥では 「中国人観光客」 の記念撮影です。 -
「スヴォルノスティ広場」 に建っている像です。
「マリア記念柱」 で 「伝染病ペスト」 の終結を記念した碑だと思われます。 -
昼食を終えて本格的に散策です。
「ルネンサス様式」 の街並みを感じながら散策。 -
「聖ヴィート教会」 。
「15世紀初」 に建てられた教会です。 -
「15世紀」 の 「フレスコ画」 を所蔵する教会として有名。
「チェスキー・クルムロフ」 を代表する教会です。 -
「展望台」 へ向かいます。
写真は 「ホルニー通り」 です。 -
写真は 「展望台前」 の 「ホテル・ルゼ」 かと思われます。
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「ホテル・ルゼ」 の正面です。
歴史ある 「5つ星ホテル」 で豪華なホテルだそうです。 -
「16世紀」 に建てられた 「ルネサンス様式」 の 「修道院」 だった建物を最近改装したそうです。
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「展望台」 です。
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「チェスキー・クルムロフ歴史地区」 が一望できます。
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正面は 「チェスキー・クルムロフ城」 です。
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「小雨」 が時より降ってます。
晴れてれば最高だったでしょう。 -
「チェスキー・クルムロフ城」 です。
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手前の 「白い尖塔」 は 「旧聖ヨシュト教会」 です。
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「チェスキー・クルムロフ城」 です。
後で 「中庭」 を通ります。 -
現住民は、「新しい家」 を建てることを禁止されている模様。
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「展望台」 の次は 「チェスキー・クルムロフ歴史地区」 を散策。
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さて、「ローゼンベルク家」 は領主でしたが 「財政」 が破綻し、「チェスキー・クルムロフ城」 を手放すこととなります。
「1601年」 に 「チェスキー・クルムロフ城」 は 「神聖ローマ皇帝ルドルフ2世」 の手に渡りました。 -
その後、「神聖ローマ皇帝フェルディナント2世」 は 「チェスキー・クルムロフ城」 を 「エッゲンベルク家」 に与えます。
この時 「バロック様式」 が加わります。 -
「1719年」 に 「エッゲンベルク家」 は断絶し、有力貴族の 「シュヴァルツェンベルク家」 が町と城を相続しました。
この時に、有名となる 「城内劇場(バロック劇場)」 が完成しました。
(ウィキペディア) -
「モルダウ川(ヴルタヴァ川)」 です。
「スメタナ」 が作曲した 「わが祖国」 の 「モルダウ」 は誰もが耳にした曲です。 -
「19世紀」 に入り、「産業革命」 が始まります。
そうすると、「鉄道網」 から外れたため 「開発」 から取り残されます。 -
「1867年」 には 「チェスキー・クルムロフ」 は 「オーストリア=ハンガリー帝国」 の一部となりました。
この頃から 「民族意識」 が高まり始めます。 -
「チェスキー・クルムロフ」 は 「ドイツ系住民」 と 「チェコ系住民」 の共存で成り立っていた街でした。
ただ 「支配階級」 の 「ドイツ系住民」 と 「被支配階級」 の 「チェコ系住民」 の 「ヒエラルキー」 のもとで共存です。 -
現在も 「チェスキー・クルムロフ」 は 「オーストリア」 と 「ドイツ」 に近い位置にあります。
「民族意識」 の高まりと共に、「民族間」 での 「政治的緊張」 も高まっていくのです。 -
「モルダウ川(ヴルタヴァ川)」 です。
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「ラゼブニツキィ橋」 を渡ります。
ここには 「銅像」 が建ってます。 -
「聖ヤン・ネポムツキー像」 です。
かなりの有名人らしく 「プラハ」 の 「カレル橋」 でも再会します。
「トレードマーク」 は 「頭上の5つの星」 です。 -
「キリストの磔」 もありました。
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「お土産」 を売っている通りです。
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「トルデルニーク」 という 「お菓子」 です。
「チェコ」 の各地で売ってます。 -
「小麦粉の生地」 に 「砂糖」 をまぶしたもの。
ただ、「スロヴァキア」の 「お菓子」 のようです。 -
簡単な観光をして 「バス」 に戻っています。
建物の 「入場観光」 はなしです。 -
「第一次世界大戦」 の敗戦で、「オーストリア=ハンガリー帝国」 が崩壊すると、街は 「チェコスロバキア領」 となります。
この時、街の名称が 「クルマウ」 から 「チェスキー・クルムロフ」 へと変わりました。 -
「高低差」 のある街で、「階段」 を昇り降りします。
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「チェスキー・クルムロフ城」 の案内板です。
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「チェスキー・クルムロフ城」 の入口(出口?)です。
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「クマ」 が 「2頭」 いました。
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「ヒグマ」 に見えますが・・・。
「ヒグマ」 は 「クマ」 の中でも 「最大級」 の部類に入ります。 -
「ヒグマ」 は 「ヨーロッパ〜アジア」 にかけての 「ユーラシア大陸」 と 「北アメリカ大陸」 に幅広く生息しています(ウィキ)。
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「日本」 にも 「北海道」 に 「エゾヒグマ」 が生息しています。
自然で 「ヒグマ」 に遭遇し、「運が悪い」 と食べられてしまうので、注意が必要です。
「ツキノワグマ」 は 「ヒグマ」 ほど怖くはないようです。 -
「チェスキー・クルムロフ城」 の中に入りました。
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「第二の中庭」 辺りです。
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「チェスキー・クルムロフ城」 には 「城内劇場(バロック劇場)」 があるようですが、観ることなくバスへ戻ります。
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「塔」 の登れるようです。
ここからの眺めは格別でしょう。 -
この辺りは 「ズデーテン地方」 になるのですが、
「ドイツ系住民」 が多く住んでいます。 -
「1910年時点」 における 「町の人口」 は 「8662人」 であったが、
そのうち、「ドイツ系が7367人」、「チェコ系が1295人」 でした(ウィキ)。 -
「第一次世界大戦後」 は敗戦した 「ドイツ人」 にとって 「逆風の時代」 となります。
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写真は 「チェスキー・クルムロフ城」 の 「第三の中庭」 です。
「スグラフィータ(だまし絵)」 が描かれてます。 -
「ナチスドイツ」は 「1938年」 に
「チェコスロバキア」 では、「少数民族の立場」 におかれた「ドイツ系住民」 を保護する名目で、
「ズデーテン地方の併合」 を行います。 -
「チェスキークルムロフ」 には 「ナチスドイツの軍」 の基地がおかれ 「ドイツ人兵士」 たちによって多くの建造物が破壊されました(ウィキ)。
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団体で 「トイレ休憩」 を終わらせ、更に進みます。
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正面は 「聖ヴィート教会」 です。
ここからの 「景色」 が 「ベスト」 です。 -
「1945年」 の、ドイツが 「第二次世界大戦」 に敗けたことにより、
「チェスキー・クルムロフ」 に住む 「ドイツ系住民」 は、
「市民権」 と 「私有財産を剥奪」 を没収され、
「故郷」 から追放する処分が下されました。
(ウィキペディア) -
「案内板」 で分るよう 「S字」 又は 「Ω」 の形をした 「モルダウ川(ヴルタヴァ川)」 です。
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「大雨」 で 「増水時」 に 「S字」 の川だと 「氾濫」 し易いように思えるのですが、多くの都市で同じ造りの都市を見受けられます。
時間が有ったら 「都市学」 も面白しろそうですね。 -
「日本」 も含めて 「全世界」 で 「異常気象」 が続きます。
これが 「本来の姿」 なのだと考え直さなければなりません。
「旅行好き」 には辛いです。 -
「チェスキー・クルムロフ歴史地区」 に入る際にくぐってきた 「プラーシュチョヴィー橋」 です。
この 「プラーシュチョヴィー橋」 が一番感動したかもしれない。 -
皆さん撮ってたので撮ります。
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「チェスキー・クルムロフ歴史地区」 は 「1992年」 に 「世界遺産」 に登録されてます。
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「1989年」 の 「ビロード革命」 以降、
街の景観の 「歴史的価値」 が再認識されるに至り、
建造物の修復が急速に進められ、
町はかつての 「美しさ」 を取り戻しました。
(ウィキペディア) -
「プラーシュチョヴィー橋」 の一部です。
「チェスキー・クルムロフ城」 と 「城の庭園」 をつなぐ橋です。 -
行きませんでしたが 「城の庭園」 も隣接しています。
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天気も悪く、且つ、物足りない観光でした。
機会があれば再訪したい 「チェスキー・クルムロフ」 でした。
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