2013/08/21 - 2013/08/28
1位(同エリア1599件中)
noelさん
今年の夏は本当はタヒチに行こうと計画していました。
でも、同行者の都合で日程的に無理に・・・残念ながらキャンセルしました。
ただ、タヒチは直行便はありますが、その分便数は限られてます。
その点ギリシアは直行便はないものの、航空会社の選択肢も多く日程的には選択肢がたくさんありました。
ただ、その同行者が旅の途中で熱を出してしまいました。
そんなわけで旅行は計画通りにはいきませんでしたが、それでもアテネはほとんど単独行動であちこち観光しました。
それもホテルがプラカ地区だったので、様々なスポットに近く、外出しても簡単に戻ってこれました。
色々トラブルもありましたが、結果的には楽しい旅でした。
今度はもっとゆっくり訪れたいです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 利用旅行会社
- タビックスジャパン
PR
-
アテネ国際空港からの眺めです。
Eleftherios Venizelos International Airport(ATH)
エレフテリオス・ヴェニゼロス空港です。
この名前は他の空港でもよくあるように、ギリシアの政治家で長期首相を務めた人の名前です。 -
2022年8月追記
Mitropoleos Cathedral
ミトロポレオス大聖堂です。残念ながら修復中でした。
アテネ市内で一番大きな聖堂です。
1842 年のクリスマスの日から建設が始まり、オットー王とアマリア女王によって礎石が置かれました。
大聖堂は、長さ130フィート (40 m)、幅65フィート (20 m)、高さ80フィート(24 m) 、3つの通路があるドーム型の大聖堂です。
建設にあたり、72の取り壊された教会の大理石を使用して、巨大な壁を作りました。
そして3人の建築家と20年の時を経て、1862年5月21日に完成しました。
大聖堂は国王と王妃によって神の母に捧げられました。
オスマン帝国時代にオスマトルコによって殺された 2人の聖人、聖フィロタイと総主教グレゴリウス 5 世が安置されています。
ホテルの近くなので何度も眺めることができました。
そして道に迷った時に、ランドマークになって便利でした。 -
プラカ地区の街並み
-
2022年7月追記
観光用の列車
アテネ市内の主な観光箇所を周れるようです。
現在は、グリーク(ギリシャ)コーヒーのサービスがついているものもあるようです。
ちなみに、よく見ると、この列車にもコーヒーのマークがついています。
これも、コーヒー付きだったのかもしれません。
他にもHop-on Hop-off Busなどもあります。
歩くのに疲れたら、利用するのもいいいかもしれません。
街歩きが楽しくなりそうです。 -
Roman Agora
ローマン・アゴラ。
ローマ時代初期のアゴラです。
右の奥の方に見えるのは、Fethiye Mosque(フェティエ モスク)で、17世紀のオスマン帝国のモスクです。
1834 年のギリシャ独立後に別の目的で使用されました。
その後廃れてしまったのですが、2017年に修復されたようです。 -
2022年8月追記
このローマンアゴラは、アクアポリスの北、そして古代アゴラの東の位置にあります。 -
2022年8月追記
アグリッパのオデオンは紀元前 15 年頃、アグリッパによって建設されました。 -
Kyrristus' Clock-Tower of the wind.
1世紀の天文学者、アンドロニコスが建てた大理石の八角形の風の神の塔です。
それぞれ正確に東西南北と、北東、南東、南西、北西の方向を指しています。
また、壁の上部には風の神が浮き彫りにされているようです。
昔は、日時計、水時計、風見と3つの役割を果たしていました。 -
2022年8月追記
小高い丘の上に見えるのは、パルテノン神殿です。
アテネの中心にあるので、様々な方向から見えます。
実は、ローマン・アゴラには入場していませんが、外側からもご覧のように見えます。 -
2022年8月追記
古代ローマ時代のアゴラが最初に建設されたのは、紀元前19年から紀元前11年の間だと考えられているようです。
初代ローマ皇帝アウグストゥスの命で建設され、その後、皇帝ハドリアヌスによって拡張されました。
黄金時代のアゴラは100平方メートルのコートヤードでした。
古代アゴラから移された中央市場の本拠地でもありました。
また、公衆トイレは広場の東側にありました。 -
イチオシ
2022年8月追記
Ancient Columns
古代の列柱です。
オープン スペースは大理石のイオニア式列柱に囲まれていました。
パティオも完全に大理石で覆われていました。
また、プロピレア (出入口) は2か所あり、主要な 1つは西に、もう 1つは東にあったようです。
西側の門は「アテナ・アルケゲテス門」で、アテネの守護神であるアテナに捧げられました。
この門は4本のドーリア式の円柱で支えられた門ですが、Pentelic Mountain(ペンテリクス(ペンテリコン)産の大理石でできています。
カエサルとアウグストゥスの寄進で建設されました。
すっと伸びた糸杉が印象的です。
樹齢何年なのでしょう・・・。 -
アクロポリスが見えます。
この時、熱を出した同行者に飲み物を買いに出かけただけだったのですが、ついつい吸い込まれるように、ここまで来てしまいました。
不謹慎ながら、早く行きたくてたまりませんでした。 -
時間に余裕があったら、アクロポリスを見上げながら、のんびりお茶でもしたいですね。
-
Publius Aelius Trajanus Hadrianus
ハドリアヌスの図書館
あのイングランドとスコットランドの境界近くに、ケルトの侵入を防ぐために、長城を築いた第14代ローマ皇帝のハドリアヌスです。
132年にハドリアヌス帝によって建設されましたが、267年にヘルラエによって破壊されてしまいました。
その後、412年にローマのエパルコス ヘルクリウスによって修復されました。
また、5世紀にはペリスタイル コートの中央に初期キリスト教の教会が建設されました。
そして、7世紀になって、廃墟の上にバシリカが建てられ、11世紀にはメガレ・パナギア教会に取って代わられました。
また、トルコの占領中はヴォエヴォデ (総督) の本拠地となり、1835年にはオットー王の兵舎が、代わりに建てられました。
長い歴史の中で様々な変遷を辿ってきました。 -
モナスティラキ広場
この広場にはパナギア・パダナサというビザンツ時代の教会がありました。
そのためモナスティラキという名前になりました。
ちなみにモナスティラキとは、小さな修道院という意味です。 -
ホテルの目の前にあったギリシャ料理店のお店の子どもたちです。
「Aspro Alogo」
とってもお安いです。
全体的に量もたっぷりでした。
食べきれなくて、持ち帰らせてもらいました。
しかも最後にスイカのサービス。
私だけでなく、他のお客さんも量の多さに驚いていました。(-_-;)
残念ながら、お料理の写真を撮りそびれてしまいました。 -
ホテルから眺めたアクロポリスです。
-
2022年8月追記
アテネ2日目の朝です。
シンタグマ付近からゼウス神殿方向に向かう途中です。
中央付近に見えるのは、Holy Church of the Holy Trinity(Soteira Lykodemos)ロシア正教会かと思います。 -
2022年8月追記
歩いていると、所々に無料の地図がありました。 -
ゼウス神殿(オリュンピア=ゼウス神殿)
ここでまず共通チケットを買いました。
あまり人はいませんでしたので、ゆっくり見物できました。
ここからリカヴィトスの丘や、アクロポリスも見えました。
今ではコリント式の柱も15本しかありませんが、かつては104本も並んでいたというのだから、かなり威厳もあったことでしょう。
ちなみに入口付近で、日本の蛇の目傘の小型版のような、日傘らしきものを売っている人がいました。 -
2022年8月追記
この神殿は名前のとおり、ゼウスに捧げられた神殿です。
BC550年頃、アテナイの僭主ペイシストラトスが、初期の祠があったこの地に神殿の建設を始めました。 -
2022年8月追記
このコリント式の列柱は、他にローマのパンテオンなども同じ建築様式です。
古代ギリシア建築は、コリント式、ドーリア式、イオニア式があります。
名前は古代ギリシアの都市国家(ポリス)のコリントスに由来しています。 -
2022年8月追記
柱頭にはアカンサスの葉が象られています。
装飾が見事です。
また、柱は溝が彫られて細めです。 -
イチオシ
2022年8月追記
建設はBC5500年頃と早く始まったものの、古代世界では、なかなか完成に至りませんでした。
結果的に神殿を完成させたのは、132年になってからでした。
これを成し遂げたのは、古代ローマ皇帝ハドリアヌスでした。 -
2022年8月追記
遺跡が残されています。
修復が進んでほしいです。 -
2022年8月追記
ゼウスはオリュンポス12神の中の主神、最高神ですが、それ以外の神々は下記のとおりです。
ヘラ(ゼウスの妻)
アテナ(ゼウスの娘)
アポロン
アプロディーテ
アレス
アルテミス
デメテル
ヘパイストス
ヘルメス
ポセイドン
ヘスティア
(通常はこれが12神ですが、他の場合もあります・・・。) -
2022年8月追記
写真を御覧いただくとわかると思いますが、ホントに人がいません。
この広い空間(神殿)をほぼ一人占めできるなんて贅沢です。
確か端にベンチがあったと思います。
座ってゆっくりする時間もありました。
41m × 108mあります。
円柱 は2m×17mが104本ありました。 -
2022年8月追記
東ローマ帝国の皇帝テオドシウス2世は、キリスト教以外の信仰は排除するようになりました。
古代ギリシアやローマの神々は否定され、そのため、5世紀から6世紀にかけて残念ながら神殿は破壊されました。
そして神殿に使われた石材は周辺のキリスト教の聖堂の建築に再利用されました。
この神殿が解体されたのは425年のことでした。 -
2022年8月追記
レリーフの発見場所のようです。 -
2022年追記
1865年のアクロポリスとゼウス神殿の写真です。
wikipediaより -
2022年追記
1852年の猛烈な強風によって倒れてしまった柱など。
古い神殿ですが、満身創痍の状態で頑張ってくれてます。 -
2022年8月追記
神殿と遠くの糸杉です。 -
2022年8月追記
Olympieion-Hadrian's Gate
オリンピエオン(オリュンピア=ゼウス神殿)-ハドリアヌスの門
説明が書いてます。 -
2022年8月追記
ハドリアヌスの門
先ほども図書館を見ましたが、同様にハドリアヌスの門です。
ハドリアヌスはローマのパンテオンの再建などや、当時の属州に(つまりこのギリシアもその一つ)様々な建設をしました。 -
皇帝ハドリアヌスは、124年から125年に掛けて巡察の旅でアテナイを訪問しました。
そしてゼウス神殿はじめ、数多くの公共建築物等の再建に力を注ぎました。
これを称えてこの門が建設されました。
建設のための資金は、当時のアテナイの有志の市民が、私財を投じて建設されました。
門にはアテナイの王テセウスを称える文と、もう片方にはハドリアヌスを称える文刻まれているようです。 -
イチオシ
古代アゴラのヘファイストス神殿
アゴラへの入口を間違って、この近くの入り口から入場しました。
随分と遠回りをしてしまいました。
ハドリアヌスの門からアクロポリスを見て、左側の横断歩道を渡って、少し左に行くと、新アクロポリス美術館の横を通っていく道があったのですが。(^_^;)
パルテノン神殿とほぼ同時期に建造されたにしては、あまりにも良好な状態で吃驚しました。 -
2022年8月追記
BC449年から建設され、BC416-5年に完成しました。
神殿は、13.708m × 31.776mあります。
長い部分には13本、短い部分には6本の円柱、計34本使用されていて、ドーリア式の建築物です。
やはり先ほどのゼウス神殿の列柱の柱頭部分の方が装飾的です。
ただ、外観は完全にドーリア様式のようですが、内部には最初のコリント式の円柱と多くのイオニア的な特徴もあるようです。
よく見ると、メトープに刻まれていているのは、ケンタウロスのようです。
ケンタウロスとラプトイ人の戦いのシーンでしょうか?
また、ヘラクレスの難行とテセウスの英雄伝も描かれているようです。 -
2022年8月追記
よく見ると破損している部分もあるようです。
建物の1番下の部分は石灰岩ですが、他は大理石で造られています。
この大理石はペンテリコス(ペンテリコン)産の大理石です。
この産地はギリシアのアッティカにある山です。
非常に高品質でパルテノン神殿などにも使用されています。
また、ローマにも輸出されて建設や彫刻などに使われました。
ここは、当時は鍛冶屋や窯業者が集まる地区でした。竈や炉の神であるヘファイストスと工芸の女神アテナの銅像が収められていました。
この神殿は、炎と鍛冶の神とされたヘファイストスを祀る神殿になったのです。
7世紀頃から1834年まで、神殿はギリシャ正教会の教会として用いられました。
そして聖ゲオルギオス聖堂と呼ばれていました。 -
アゴラの内部の方まで入り、上を見上げた写真です。
-
2022年8月追記
150年の古代アゴラの見取り図です。 -
2022年8月追記
右の上の方にアクロポリスが、左の方にはアタロスの柱廊が見えます。
このアゴラは、広場、または市場、その他、政治、宗教、文化的施設が集まる場所として、生活の中心として重要な場所でした。 -
2022年8月追記
Stoa of Zeus Eleutherios
ゼウス エレウテリオスの柱廊
BC430-420年
おそらくゼウス エレウテリオスの神殿だったようです。現在、石の山が柱廊の東にある祭壇の位置を示してます。 -
2022年8月追記
The Altar of Zeus Agoraios
アゴラのゼウスの祭壇
BC4世紀の祭壇で5.5m(奥行)、幅5.5mの白い大理石で造られています。
1931年の発掘調査の際に、発見されました。 -
2022年8月追記
丸く囲まれた遺跡です。
おそらく円堂かと思います。評議員の会議が行われた場所だったかもしれません。 -
2022年8月追記
Civic Offices
公共(市民の)施設 -
ハドリアヌス皇帝の像
117-138A.D.
実はここに、双子の兄弟ロムルスとレムスが1匹の牝狼の乳を飲む、ローマ建国神話の情景が描かれています。
拡大するとわかります。 -
2022年8月追記
Odeon of Agrippa
アグリッパのオデイオン(音楽堂)
軍人であるアグリッパがアテネのために建てました。
音楽堂は25m×25mの大きさで、座席数は1000席ほどであったようです。
かなりの人を収容できたようです。 -
アグリッパの音楽堂前の像
頭部のない巨人像、トリトン(半人半魚)像 -
Library and the Stoa of Attalos.
アッタロスの柱廊
(古代アゴラ博物館でもあります。)
アゴラは暑かったです。ちょっと一息いれて、公園の中にある自動販売機で水を購入して、水分補給をして出口はどこかと探しました。(ちなみに自販機では水しか売ってませんでした)
ただ、この博物館内にはあったかもしれません。 -
この柱廊は、一般的な柱廊より規模が大きく、長さ115m、奥行き20mもあります。
先ほどのヘファイストス神殿と同様、ペンテリコス(ペンテリコン)産の大理石と石灰岩で建造されています。
この1階の列柱の外側はドーリア式ですが、内側はイオニア式の建築様式になっています。
実は、古代ギリシャやヘレニズム時代には、一般的な建設用法でした。
アッタロスの柱廊はアテネ人が出会い、商売をしたりする場所でもありました。2階建てで42のショップのスペースがありました。
残念ながら267年のヘルリア人の侵入により破壊されてしまいましたが、1953から1956年、ロックフェラー財団等の支援を受けて修復されました。 -
Antoninus Pius
アントニヌス・ピウス
138-161A.D
第15代ローマ皇帝 -
2022年8月追記
アグリッパのオデイオンのトリトンの頭
150年頃 -
アポロン・パトロスの奉納女性像
BC330年頃 -
アフロディテと推測される像
-
解説が見えないので、よくわかりませんが、おそらく皇帝ではないかと思います。
ただ、誰なのかはわかりません。 -
馬車競技の勝者の記念碑
-
Herodotus(ヘロドトス)胸像
古代ギリシアの歴史家です。
BC484年頃 - BC425年頃の人物です。
古代ギリシア他、エジプト、バビロニア、ペルシア、アナトリアやクリミアなどの古歴史の史料である「歴史」の著者として有名です。 -
Church of the Holy Apostles
アギイ・アポストリ教会
アゴラ内にある正教会の聖堂です。
ビザンチン時代の教会です。
10世紀末から11世紀頃に建設されました。
聖堂は2世紀頃に造られた噴水のあるニンファニウム(ニンフの遺跡)の跡地の一部に建てられています。
ビザンチン時代、アテネで最初に建設された建物です。
1954年から1956年にかけて復元されました。
ヘファイストス神殿を除いて、古代アゴラで唯一無傷で残っている建造物です。 -
2022年8月追記
かなり暑かったのですが、ここまでやってきました。
高台になっています。
こちらからヘファイストス神殿が小さく見えます。 -
2022年8月追記
イロド・アティコス音楽堂
この後、具合の悪い同行者にお昼ご飯を買って帰らなければいけません。
だいぶ寄り道しましたが、一旦ホテルへ戻ります。 -
2022年8月追記
午後になり、シンタグマ広場にやってきました。
地下鉄で、国立考古学博物館に向かいます。
駅の入口がわからず、キオスクで教えていただきました。 -
National Archaeological Museum
国立考古学博物館
必見です。
2階にあるティラ・ギャラリーのアクロティリ遺跡の壁画を見損なったことが、個人的に残念でした。
ちなみにフラッシュは禁止ですが、写真撮影はOKです。 -
2022年8月追記
同行者の具合が悪いため、一人で来ました。
オモニア駅を降りて、キオスクで道を尋ねて歩いていたら、東洋人の女性がいました。声をかけると中国の方でした。
一人旅ということで、一緒にやってきました。
博物館も途中までは一緒に見て回りました。 -
クーロス像(青年)
スニオン岬のポセイドン神殿前で発見されました。
3.05mもあります。
(アルカイック期 紀元前7世紀から6世紀)
実はこうした巨大な石像を作るようになったのは、紀元前7世紀以降のことだそうです。
エジプトから大きな影響を受けたようです。
ただし気に入ったところを受け入れ、ギリシャらしさを作り上げていきました。
古代ギリシアのエジプトにおける初期の植民都市に、ナウクラティス(ギリシア語)があります。アレクサンドリアから南東72kmに位置してます。
このナウクラティス時代以降に、このような石像などができました。 -
'Miliakos' pithamphereus. From Milos.
「メリアコス」ピサンフェレウス
ミロス島出土
おそらくBC650-640年
花瓶でしょうか、それともアンフォラでしょうか。 -
ポセイドンでしょうか・・・。
おそらくアルカイック時代の像かと思います。
ブロンズ像 -
ブロンズ
丸いものはブロンズの鏡です。
左はイオニア式と思われます。
BC465-460年頃
右はよくわかっていません。
BC470-460年頃
中央は女性のブロンズ像
BC455年頃
【2023年7月17日追記】
昨日、映画「インディジョーンズ 運命のダイヤル」を観て来ました。
その運命のダイヤルである「アンティキティラ」が、この博物館にあります。
当時は展示されていたかどうかわかりません。
しかも展示されてても、きっと気付かなかったと思います。
それにしても、さすがギリシアが誇る博物館です。
アテネ国立考古学博物館の公式サイトです。
↓
https://www.namuseum.gr/en/
2023年7月現在、トップページに、アンティキティラが出ます。
青銅器時代の区画に復元品と共に展示されているようです。 -
ローマ時代の彫刻だったと思います。
-
紀元前6世紀のギリシャ世界
-
レリーフ
右側の人はリュトンを持っているようです。
饗宴の様子でしょうか。
リュトンにはワインなどの飲み物でも入っているのかもしれません。
大理石です。 -
レリーフのようです。
これも大理石かと思います。 -
ディアドゥメノスの像
キクラデス諸島のデロス島で発見されました。
BC450-525年
1.95m -
アルテミシオンの少年騎手のブロンズ像
エウボイア島のアルテミシオン岬で発見されました。
2.1m -
Aphrodite(アフロディテ)像
オリュンポス12神の1柱であるギリシア神話の女神です。
愛と美と性を、また、生殖と豊穣を司る女神でもあります。
パリスによる三美神、ヘラ、アテナ、アプロディテの中でも最高の美神として審判で選ばれています。 -
ポセイドン像
1877年ミロス島で発見されました。
125-100BC. -
Nike(ニケ)のようです。
大理石
有翼の女性の姿のようですので、おそらくニケかと思います。
ギリシア神話に登場する勝利の女神です。
ニケはアテナの随身ですが、アテナの化身とする場合もあるようです。 -
レリーフ入りのアンフォラのように見えます。
レキュトスかもしれません。
ここにある物は人物が描かれている物が多いです。 -
ゼウスもしくはポセイドンのブロンズ像
エウボイア島のアルテミシオン岬で発見されました。
BC460年
ゼウスかポセイドンかの識別は、論争の的です。
2.09m -
アフロディテとパンとエロスの像
キクラデス諸島のデロス島より
BC100年
アフロディテは牧羊神(ヤギ足)のパンがエロティックに言い寄ってくるのをかわそうとしています。
エロスが助けに来る間、サンダルを右手に持って脅しています。
台を含めて1.55m -
アウグストゥス皇帝像
27BC-AD14
エーゲ海にて発見されました。12-10BC.
実は個人的に、ローマ皇帝の中では彼が好きです。 -
ローマ皇帝の誰かでしょうか・・・。
ちなみにヒュドラのようなものが描かれています。
ペルセポネとヒュドラ??? -
眠っているマイナス(メナード(ディオニソスの神の巫女))
アテネのアクロポリスの南方で発見されました。
ハドリアヌス皇帝時代、117-138年
1.36m -
同行者がパルテノン神殿だけは見ておきたいと話していたため、日差しが少し穏やかになった夕方にやってきました。
同行者は方向感覚がいいので、地図を見なくても行けるようです。
地図を見ていても間違ってしまう私とは大違いです。 -
Odeon of Herodes Atticus(ヘロディス・アティコス音楽堂)
野外劇場はアクロポリス南西の麓にあります。
161年に、ギリシア人の元老院議員ヘロディス・アッティコスが建造し、音楽の演奏会に使われました。
正面は3列の列柱廊で、レバノン杉で覆われていました。
白大理石で造られた32列の客席の収容人員は約5000名でした。
ただし、267年にヘルール族の侵入により破壊されてしまいました。
現在も使われています。 -
2022年8月追記
アグリッパのモニュメント
左の柱のような物がモニュメントです。
かつては最上部に像が飾られていました。
最後にこの石段を登ります。
坂道になっていました。
サンダル履きの同行者は歩きにくそうでした。
あと一息です。
それにしても暑い!!! -
Propylaia(プロピライア)
前門のことです。
パルテノン神殿がある聖域への入口に位置しています。
この初代の門が造られたのは、BC6世紀、ペイシストラトスがアテナイを統治していた頃です。ただ、ペルシア戦争で破壊されてしまいました。
その後、アクロポリス全体として再建され始めたのが、BC437年ですが、その後はペロポネソス戦争が勃発し、完成しませんでした。
2つのファサードがあります。
ドーリア式の柱です。
見事な大理石です。
ペンテリコス(ペンテリコン)産の大理石です。 -
2022年8月追記
反対方向から見ています。
プロピライアは、ペンテリコス(ペンテリコン)産の大理石とアクセントをつけるため石灰岩も使用しています。
プロピュライアは古代ギリシア時代、古代ローマ時代そしてビザンティン時代までは無事でした。
ただ、その後の1204年-1261年の時、ド・ラロッシュ家(アテネ公爵)の宮殿となりました。
また、1656年の火薬庫が爆発してしまいました。
オスマン帝国時代、南翼に立てられたフランスの塔は1874年に倒されました。 -
2022年8月追記
アテナ・ヒュギエイアとヒュギエイアの神殿の説明
アテナ・ヒュギエイアは健康の、そしてアスクレペイオスの娘ヒュギエイアは医学の神でした。
その両方に捧げられた小さな神殿です。 -
2022年8月追記
アクロポリスの地図です。
1 3世紀の西門の要塞
2 アグリッパのモニュメント
3 A プロピライア
B アテナ・ヒュギエイアの神殿
4 アテナ・ニケ神殿
5 アテナ・プロマコスの像
6 A アルテミス・ブラウロニアの聖域
B チャルコテーケ
7 アテナの旧神殿
8 エレクティオン
9 パンドロセイオン
10-11 パルテノン
12 ローマとアウグストゥスの神殿 -
Parthenon(パルテノン神殿)
ようやく着きました。
いうまでもなく古代ギリシアの神殿で、守護神のアテナを祀っています。 -
2022年8月追記
The Parthenon(パルテノン神殿)の説明 -
BC447年に建設が始まり、BC438年に完工しました。
そして装飾などについてはBC431年まで行われました。
ドーリア式建造物の中でも最高峰と言われています。
1987年には世界文化遺産に認定されました。 -
BC480年にペルシア戦争によって破壊されてしまいました。
その後、アテナイの国庫として使用されたこともあります。
6世紀にはキリスト教に取り込まれ、生神女(聖母)マリアの聖堂になりました。
また、1460年のオスマン帝国下では、モスクになったこともあります。
そしてミナレットまであったそうです。
かなり想像しにくいです。
1687年9月26日には、オスマン帝国によって火薬庫として神殿が使われていましたが、ヴェネツィア共和国によって爆発し炎上し、神殿や彫刻は酷いダメージを受けました。
1806年には、イギリスのエルギン伯爵によってイギリスに持ち出されました。(当時のオスマン帝国の了承を得た上で)
その後、大英博物館に売却され、現在はエルギン・マーブルとして、大英博物館で見ることができます。 -
2022年8月追記
パルテノン神殿北側からの情景。 -
2022年8月追記
Old Temple of Athena (アテナの旧神殿)
遺された石がその名残です。
位置は、パルテノン神殿とエレクティオンの間の付近です。
この写真のとおりです。
アテナの旧神殿(もしくはアルカイオ・ネオス)は、おそらくBC6世紀後半に建てられました。
石灰岩のドーリア式神殿で、アテナ・ポリアスのゾアノンを収容していました。
アテナの旧神殿の存在は、1886年に建物の基礎が発見されるまでは、長い間推測されていただけでした。
アルカイック時代の後期に中央のアクロポリス・テラスに神殿が建ったのですが、480年のペルシャの侵略で焼失してしまいました。 -
2022年8月追記
アテナの旧神殿方向からのエレクティオンの情景です。
右には円柱のあるポーチがあります。
イオニア式の建築です。
エレクティオンはアテナイ人にとって、最も古い聖蹟に関係していたと解釈されています。この隣の古代アテナ神殿もそうです。 -
Erechtheion(エレクティオン)
こちらから見えるポーチは、有名な「少女の玄関」で6体の少女の姿のカリアティッド(女人像柱)があります。
少女たちがこの屋根の部分を柱として支えています。 -
エレクティオンの東側から見た6本の柱です。
神々しいまでの光景です。
太陽がまぶし過ぎです。 -
2022年8月追記
エレクティオンのすぐ側の崖側から眺めた様子です。
エレクティオンは、BC421年からBC407年に完成したようです。
ギリシア神話の英雄であるエリクトニオスに捧げられた神殿です。
と同時にアテナイの王であるエリクトニオス王のために建設されたとも考えられています。
かつてはアテナの女神像が安置されていました。
ちなみにエリクトニオスの父は鍛冶の神であるヘファイストス(古代アゴラに神殿がありました。)、母は女神のアテナかガイア・・・とも言われています。
ただ、このすぐ隣には古代アテナ神殿がありました。
神殿自体はアテナとポセイドンとエリクトニオスに捧げられ、神殿内には蛇が棲息すると言われてました。 -
パルテノン神殿を間近で見ると感激です。
ちょっと全景ではありませんが・・・・。
この写真からはわかりませんが、黄金比になってるらしいです。
(√5-1):2
1:1618
流石ギリシアです。
紀元前3世紀の『ユークリッド原論』で明確に定義されました。 -
2022年8月追記
アテナの旧神殿方向(または、エレクティオン方向)から、パルテノン神殿を眺めた情景です。 -
2022年8月追記
パルテノン神殿の東側のファサードの情景です。
彫刻像は現在は、大英博物館や新アクリポリス博物館に所蔵されています。
ところで、アゴラのヘファイストス神殿で、ケンタウロスたしきメトープを見ましたが、このパルテノン神殿には有名な彫刻があります。
その物語は・・・・ペイリトオスの結婚式の日に起きました。
ペイリトオスは結婚式に、親族やテセウス、ケンタウロスなどの住民を招待しました。ただ、婚礼の途中、好色なケンタウロスたちはワインに酔い、女性達をさらおうとしました。特にケンタウロスの中でも荒っぽい性格のエウリュトスは、酔った勢いで花嫁を誘拐しようとまでしました。
そのため大混乱となり、ケンタウロスから女たちを守ろうとするラプトイ族は、他の人たちの協力も得て、ケンタウロスと戦ったのです。
このモチーフは、ルネサンス期以降の絵画の画題となっています。 -
Pediment(ペディメント)破風
右側には馬の頭部が描かれています。 -
2022年8月追記
Pediment(ペディメント)破風
左側は女神3体と太陽神ヘリオスです。本来その右側には女神3体がありますが、欠損しています。
また、ヘリオスの乗る太陽の馬車を引く馬の頭部が、足元に描かれています。
この下の写真が同じものです。
大英博物館に所蔵されています。
ただ、全て存在しているわけではありません。
欠落部分には、アテナがゼウスの頭から誕生するシーンが描かれています。 -
2022年8月追記
2018年夏、大英博物館に行った際の1枚です。
パルテノン神殿の破風彫刻です。
女神アテナを讃えています。
この彫刻をイギリスに運んだのは、エルギン卿で、そのためイギリスでは「エルギン・マーブル」と呼ばれています。
大理石です。
実際には、着色されていたようです。
これは、ギリシャ彫刻は白というイメージの元、イギリスにて洗浄してしまったからです。
私も昔からギリシャ彫刻は白と思っていましたが、大間違いだったわけです。 -
2022年8月追記
古代ローマとアウグストゥスの神殿の説明 -
古代ローマとアウグストゥスの神殿
大理石の柱が残っています。
この神殿は、単翼円形のイオニア様式の神殿でした。
BC19 年アウグストゥスはアテネへへ2 回訪問しています。
パルテノン神殿の東の入口と軸方向に整列し、東に23 m (75フィート) ありました。
アクロポリスの中心地に古代ローマの神性を主張したこの神殿は、ローマとアテネの緊張した時代に建てられたプロパガンダ的な記念碑でした。 -
土台部分だけが残っています。
-
アテネの街が一望できます。
前日に行ったゼウス神殿が見えます。 -
ギリシア国旗が掲げられています。
-
Theatre of Dionysus(ディオニソス劇場)
ご覧のように大型の野外劇場です。
BC325年に建設され、14,000人から17,000人の観客を収容可能することができました。その後、劇場は使われなくなりましたが、61年ローマ皇帝のネロ皇帝が修理させたという記録があります。
ローマ風に復元されたものが現存しています。 -
2022年8月追記
こちらはパルテノン神殿の南側で、修復作業用のプレハブがありました。
それにしても、プレハブと柱を比較すると、古代ギリシアの大理石の柱が、いかに立派なものかわかります。 -
2022年8月追記
最後に振り返ってエレクティオンを見たところです。 -
2022年8月追記
プロピライアの付近だったと思います。
さすが要塞だったたけに、ファサードとは別に、裏口のような小さな階段があります。 -
2022年8月追記
要塞を守っているライオンでしょうか・・・・?
定かではありません。 -
2022年8月追記
後ろを振り返ってみると、神殿は結構高い位置にありました。 -
2022年8月追記
ローマンアゴラの側を通りました。
前日よりよく見えます。 -
2022年8月追記
Fethiye Mosque(フェティエ モスク)が、目の前に見えました。
17世紀のオスマン帝国のモスクです。
ビザンチン時代中期 (8~9 世紀) のキリスト教聖堂の廃墟の上に建てられました。
教会は、オスマン帝国がアテネ公国を征服した直後の 1456-58年に、スルタン・メフメトによる1458年の都市訪問に合わせ、モスクに改築されました。
ただ、1668年から1670年の間に取り壊され、現在の構造に置き換えられたこのモスクからは、ミフラーブの断片だけが残っています。 -
ホテルからの眺め
パルテノン神殿は、ライトアップしてます。
幻想的です。 -
朝の散歩(プラカ地区)
朝は静かで涼しくて、とても気持ちがいいです。 -
アクロポリス近くの猫ちゃんたち
-
新アクロポリス博物館付近からのパルテノン神殿の情景。
-
アテネの朝
アクロポリスの目の前の小高い丘より、アテネの街並みを眺めることができます。
アクロポリスの入場門では、水まきをしたり掃除をしている人たちがいました。
これからアテネの一日がスタートします。
http://www.youtube.com/watch?v=xhpj-tGGygc
アクロポリスの最古のものは、新石器時代初期であるBC6000年前頃のアッティカに遡ります。
既に、この丘に居住していたことが記録されています。
また、青銅器時代末期にミケーネ文明のメガロン丘の上に立っていたという事実もあるようです。
ヨーロッパの礎となる地、アクロポリス。
この地を訪れることができて、本当に嬉しく思いました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (13)
-
- salsaladyさん 2023/10/04 10:00:03
- アクロポリスの丘~パルテノン~
- ☆BC5500年から2023年の今も現存する神殿!この存在の凄さを人類は軽視し過ぎ❓
☆かれこれ40数年前に訪れた時もパルテノン神殿がライトアップされていたし。。。
☆2015年のクルーズ旅行でギリシャの離島巡りをした折は、ミニトレインが大活躍~20分くらいのコースをガラガラとおもちゃの電車みたいに街中まで入っていくスタイルは、実に童心に却って楽しめた思い出~珈琲はつかなかったけれど、道行く人が皆にこにこと笑顔で振り返ってくれる平和なひと時でした。しかし島の入り口や山頂は要塞として今も砲台が残されている、戦争の名残?(いや世界中に戦いは続いているから)~
☆オリンピックで世界中が無駄な予算を計上しなくてはならない現代は、ギリシャのアテネを永久にOlympic都市にすべきだと思えてなりませぬ。ギリシャの経済も潤うはずよね。~
- noelさん からの返信 2023/10/04 20:30:25
- Re: アクロポリスの丘~パルテノン~
- salasaladyさん、こんばんは
メッセージありがとうございます。
ギリシャには40年以上前にも行かれたんですね。
現在の文明の基盤となったギリシャ。古代ローマもギリシャ文明があったからこそ。パルテノン神殿の美しさには感動しました。
しかもアテネのどかからでも見える象徴的な神殿。
昔からライトアップしていたんですね。
確かに今のオリンピックは、問題が多いですね。
昔も戦争はありましたが、オリンピックの間は休戦していたことを思えば、
もはやそんな余裕もなく、世界は分裂していく一方・・・。
暑い夏がようやく終息したようです。
急に涼しくなってきましたので、お気をつけてお過ごしください。
noel
-
- pedaruさん 2022/08/21 05:41:08
- アテネ
- noelさん おはようございます
大作ですね、写真の多さと、何よりも素晴らしいのは、その解説です。
いろいろ調べられたことと思います。感銘をうけました。
同じ一冊でも、短い私のアテネとはだいぶ差があります。
私が訪れたアテネもnoelさんの当旅行記を読んでいたら、もっと深く見ることが
できたのではないかと残念な気もします。
ありがとうございました。
pedaru
- noelさん からの返信 2022/08/21 11:04:10
- RE: アテネ
- pedaruさん、こんにちは
「いいね」とメッセージ、ありがとうございます。
> 大作ですね、写真の多さと、何よりも素晴らしいのは、その解説です。
> いろいろ調べられたことと思います。感銘をうけました。
いえいえ。
実はこのフォートラを始めたのが、こもアテネの旅行記からでした。
最初だったので、写真の数も少なく、コメントも以前はつけなくても良かったので、もっと少なかったんです。
ただ、先日写真の整理をしてると、他にも結構あることが判明したため、追加させていただきました。
pedaruさんの旅行記の方が、デルフィやクレタ島、そしてエギナ島などなど巡って興味深かったです。
しかもYou-Tube、わかりやすくて良かったです。
訪れた時期もいい時期でしたね。
夏の遺跡巡りは、疲れます。
ギリシャは島々はじめ、見所も多いので、できたらまた行きたいです。
残暑厳しい折り、どうぞご自愛ください。
noel
-
- travelさん 2021/01/27 12:53:51
- 旅先で体調を崩す時もありますね。
- noelさん、予定通りに行かなかった旅はより記憶が鮮明で何時何時までも思い出に残りますね。
私も旅先で体調不良になり動けなくなる事はよくあります。
同行者様もいろいろと大変な思いをされたとお察し致します。
ギリシャはメテオラも素晴らしいですので季節のいい時に是非再訪されて下さいね。
タヒチ、直行便は少ないですが日本~ハワイ~パペ-テとアクセスする方法もありますので機会があれば是非訪問されてください。
ボラボラ島がのんびりしてとても良かったです。
旧邸御室の旅行記に訪問頂きありがとうございます。
訪問した9月中旬の京都は観光客もほんと少なくのんびりとした感じでした。
travel
- noelさん からの返信 2021/01/27 21:22:23
- RE: 旅先で体調を崩す時もありますね。
- travelさん、こんばんは
旅行記をご覧いただきありがとうございます。
> noelさん、予定通りに行かなかった旅はより記憶が鮮明で何時何時までも思い出に残りますね。
確かに後になるといい思い出です。
> 私も旅先で体調不良になり動けなくなる事はよくあります。
それは大変でしたね。
様々な国にお出かけになっているので、ハプニングも色々あったのではないかと思います。
> ギリシャはメテオラも素晴らしいですので季節のいい時に是非再訪されて下さいね。
メテオラ、いいですね〜!
行きたいです。
時間に余裕があったら、本当は行きたかったのですが・・・。
> タヒチ、直行便は少ないですが日本?ハワイ?パペ?テとアクセスする方法もありますので機会があれば是非訪問されてください。
> ボラボラ島がのんびりしてとても良かったです。
そうなんですね。
コロナが明けて行けるようになったら、行っての〜んびりしたいです。
> 旧邸御室の旅行記に訪問頂きありがとうございます。
> 訪問した9月中旬の京都は観光客もほんと少なくのんびりとした感じでした。
そのようでしたね。
静かな京都は珍しいですが、本当はそんな京都の方が理想的かもしれません。
コロナが沈静化しますように。
どうぞお気をつけください。
noel
-
- arfaさん 2018/11/18 11:12:17
- パルテノン神殿の印象
- おはようございます、arfaと申します。
イイネをいただきありがとうございます。
パルテノン神殿はヘファイストス神殿に比べて本当にコンディションが悪いですね。
私も昔行った時に正直なところ遺跡ではなく廃墟のように感じました。彫刻などが
ここになく壊れた柱ばかりが目立つ印象でした。
パルテノン神殿は17世紀のベネティアとの戦争でトルコ軍が火薬庫に使用していて
ベネティア軍の砲弾が命中して大爆発して粉々になってしまったんです。
当時は文化遺産などという概念がなかったので仕方ないのですが人類の貴重な遺産
が破壊されてしまいました。
カンボジアのストゥントレンでもアンコールワット級の遺跡が住民が石を持ち出し
家の材料に使ったりしてほぼ破壊されてしまっています。明治維新直後の各地での
城郭の破壊や第二次大戦で空襲による城郭を含む文化的建設物の破壊はとても残念
なことだと思います。
歴史好きの私には本当にもったいないと思いますが、歴史の証人が後世の人間によ
って破壊されていくのが現実ですね。
パートナーの方が体調を崩されたのは残念でした。
私もインドのカニャークマリで当日バスで4時間かけて移動し、更にデリーまで国
内線で移動し帰国便に乗る予定で朝9時位から激しい下痢に襲われヒヤヒヤでした。
幸い午後には何とか治まりましたが、旅先での体調不良は大変ですね。
また宜しくお願い致します。
- noelさん からの返信 2018/11/18 21:28:04
- ありがとうございます。
- arfaさん、こんばんは。
私の方こそ、ご投票をしていただきまして、ありがとうございます。
> パルテノン神殿はヘファイストス神殿に比べて本当にコンディションが悪いですね。
> 私も昔行った時に正直なところ遺跡ではなく廃墟のように感じました。彫刻などが
> ここになく壊れた柱ばかりが目立つ印象でした。
そうですね。
ちょっと期待をして行ったので、工事中の姿に少しがっかりしました。
たまたま少し前に行ったヘファイストス神殿が良かっただけに。
パルテノン神殿は17世紀のベネティアとの戦争でトルコ軍が火薬庫に使用していて
> ベネティア軍の砲弾が命中して大爆発して粉々になってしまったんです。
このことは知りませんでした。
あまり取り上げていないような気がします。
とても勿体ないことです。
> 当時は文化遺産などという概念がなかったので仕方ないのですが人類の貴重な遺産
> が破壊されてしまいました。
本当にそうですね。
残念なことです。
自分たちの生活が一番だったのも無理はありません。
> カンボジアのストゥントレンでもアンコールワット級の遺跡が住民が石を持ち出し
> 家の材料に使ったりしてほぼ破壊されてしまっています。
破壊したのが他の民族であれば少しは理解できるのですが、当の住民たちによってだとするのは、やはり残念です。
自分たちの祖先が作り上げた遺産はこれからも永久に大事に保護したいものです。
> 私もインドのカニャークマリで当日バスで4時間かけて移動し、更にデリーまで国
> 内線で移動し帰国便に乗る予定で朝9時位から激しい下痢に襲われヒヤヒヤでした。
> 幸い午後には何とか治まりましたが、旅先での体調不良は大変ですね。
本当にそうですね。
これからも身体が一番ですので、どうぞお気をつけください。
私の方こそよろしくお願いいたします。
noel
-
- ヒコにゃんさん 2017/11/09 15:37:09
- 紹介文ありがとうございました
- noelさん
こちらこそ、毎回、旅行記ご覧いただきありがとうございます。紹介文まで作ってくださり嬉しいです。感謝いたします。
さて、パルテノン神殿の縦横がユークリッド原論で定義された黄金比(√5-1):2になっていたのですね。フジサンロクオームナク引くイチ対ニというわけか。勉強になります。中学高校の時に習った幾何の本名は、たしかユークリッド幾何学。ということは、、、私の若かりし頃、ギリシャ時代にこの地で発明・定義されたことを学んでいたのかと思うと、すごいところに行ってきたもんだとびっくりです。noelさんのこの旅行記を読んで感激ひとしおです。この話と別件ですが、国立考古学博物館にも行った気になりました。古代アゴラの東側、柱廊(大きい博物館)の展示物の写真もありがたく見せていただきました。ここには行っているのですが記憶からは飛んでおり、、、
今後もnoelさんの旅行記・口コミ楽しみにさせていただきます。
ヒコにゃん
- noelさん からの返信 2017/11/09 21:26:12
- Re: 紹介文ありがとうございました
- ヒコにゃんさん
わざわざお礼までしていただき、ありがとうございます。
私は古代ギリシャとか古代ローマが好きなので、ついついどうでもいいことまで書いてしまってました。
アタロスの柱廊(古代アゴラ博物館)に入館されたんですよね?
私は中までは入っていないんです。
本当は入りたかったんですが・・・。
- noelさん からの返信 2017/11/09 21:29:00
- Re: 紹介文ありがとうございました
- ちょっと途切れてしまいましたが、
いずれにしてもありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
noel
-
- jijidarumaさん 2017/04/25 10:10:30
- ギリシャ(アテネとその近郊)
- noelさん
何時も早々のお立ち寄りとご投票ありがとうございます。
1974年12月28日〜1975年1月6日の年末年始にギリシャ(アテネとその近郊)・トルコ(イスタンブ−ル)の旅をしました。もう43年前の事です。
会社(大学も)の先輩家族と初めての海外旅行でしたが、帰国の内示も出ていた先輩から誘われて、思い切った旅に行きました。
当時の私は駐在一年に満たない新米(一番若い)でしたので、他の駐在員の方々(その家族)から、あとでいろいろと反発がありました。
何しろ当時の駐在員も家族旅行でこの地まで来るのは稀なことでしたから。
以来、訪れたことが無い国々です。写真を見ると、noelさんの素敵な写真と違って、
もう黄ばんでいます。
旅先で何が起こるかわかりませんね。この旅では長女4歳が風邪にかかり、
私共家族だけイスタンブールで一日休息となりました。
実際は風邪と思っていたのはギリシャでうつった麻疹でした。
それではまた。
jijidaruma
- noelさん からの返信 2017/04/26 08:22:35
- RE: ギリシャ(アテネとその近郊)
- jijidarumaさん
私の方こそいつもありがとうございます。
43年前に初めての海外旅行されてらっしゃったんですね。
羨ましいです。
私は当時はまだ小学生でしたので海外旅行は憧れでした。
また現在と違って、情報も少なかったので、本当に夢の遠い世界でした。
実は当時いただいたパリのお土産の櫛を今も大事にとってます。
舶来品(古い言い方ですが・・・笑)自体私には貴重でした。
でもそんな時代に、もうギリシャ、トルコとは凄いですね。
それにしてもお嬢様が麻疹になってしまい大変でしたね。
ただ今では思い出の1つでしょうか。
しかも駐在生活もされてらっしゃたなんて、羨ましい限りです。
もう当時とは、かなり変わってしまったとは思いますが。
写真は黄ばんでしまっても、懐かしい思い出はずっとこれからも心に残るでしょう。
どうぞ今後ともよろしくお願いします。
noel
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
13
123