2013/10/13 - 2013/10/13
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morino296さん
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全国でも暑い所として知られる埼玉県熊谷市に、国宝指定となった建造物があると聞き、以前から行ってみたかったのですが、ようやく秋らしくなってきたので観に出掛けました。
日本三大聖天の一つとされる妻沼(めぬま)聖天山の歓喜院聖天堂は、8年の歳月と総工費13.5億円をかけて行われた「平成の大修理」が平成23年6月に完成し、約250年前の建立当時の美しい姿に蘇りました。
そして、大修理が完成した翌年平成24年7月に国宝に指定されました。
別名「埼玉日光」とも呼ばれ、日光東照宮35棟の優れた技術がすべてこの歓喜院聖天堂に凝縮しているといわれるほどで、素晴らしい彩色彫刻を見ることが出来ます。
(旅行記のコメントは、パンフレット、ボランティアガイドさんの解説、妻沼聖天山のHPを参考にしています。)
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JR熊谷駅
横浜から新宿湘南ライン1本で熊谷まで来れます。
乗車時間は1時間50分ほど。
駅の近くで昼食を済ませ、目的地へ向かいます。 -
JR熊谷駅北口のバス乗り場6番から乗ります。
このバス停からは、4系統のバスが出ていますが、「妻沼」行きは妻沼聖天前へ行きませんので、要注意。
看板にも、「太田駅」「西小泉駅」「妻沼聖天前」行きに乗車するように書かれています。
11:40発のバスは「妻沼」行きですから、11:52発の「太田駅」行きに乗りました。
(私の前に並んでいた皆さんは、11:40発のバスに乗り込んで行かれましたが、運転手さんに確認して、降りてこられました。) -
妻沼聖天前のバス停に到着 12:17頃
バスは、1時間に数本あるようなので、安心です。 -
妻沼聖天山の入口
バス停からは、少し戻ると、この入り口があります。 -
妻沼聖天山
日本三大聖天の一つとして知られ、日光東照宮を彷彿とさせる事から「埼玉日光」とも言われる妻沼聖天山は、高野山真言宗の準別格本山で、治承3年(1179)の創建。
平家物語等で義理人情に厚い人柄が称えられている斎藤別当実盛が、自らの守り本尊である大聖歓喜天を民衆のために祀ったことに始まる。
聖天は、弘法大師が唐より請来されて以来、福運厄除、縁結びの神として信仰されており、縁結びの祈願をする人が後を絶たないそうです。
(日本三大聖天は、待乳山聖天(東京都台東区の本龍院)、生駒聖天(奈良県生駒市の宝山寺)とここ妻沼聖天) -
妻沼聖天山 貴惣門(国重文)
高さ18mの銅板葺きの八脚門、林門左衛門正道によって嘉永4年(1851)に竣工。
聖天堂を造営中に、台風の影響で発生した利根川の大洪水の復興工事を命じられた岩国藩、その中にいた長谷川重右衛門が造営中の聖天堂を見て、貴惣門の設計を思い立ち、正清に設計図を託し、それから100年余りを経て、正清の子孫の正道によって、貴惣門が完成したそうです。 -
妻沼聖天山 貴惣門(国重文)
精緻な彫刻が施されています。 -
妻沼聖天山 貴惣門の二天像
左右に持国天、多聞天(毘沙門天)の像を配置。
見た目は、ちょっと可愛い顔をされていました。 -
妻沼聖天山 貴惣門を横から見たところ
屋根を上下二重とし、下重は前後に2つの切妻屋根を架け、3つの破風をもつ特異な形式の門です。
この様式は、日本に3棟しかなく、規模の大きさでは他に例がないそうです。 -
妻沼聖天山 貴惣門の側面の彫刻
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妻沼聖天山 貴惣門の見事な彫刻
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妻沼聖天山 境内にある斎藤別当実盛像
平成8年、開創818年の記念事業として建立された「手鏡を見ながら髪を染める実盛」像。
源平合戦の英雄で、聖天山を開いたとされる斎藤別当実盛は、若者に侮られまいと白髪を染めて最期の戦いにのぞむ場面が有名で、戦前の小学校の唱歌(聞いたことがありません)にもなっているそうです。 -
妻沼聖天山 中門(別名、四脚門)(市重文)
400年近く前の物で、ここに現存する建物の中で一番古いものだそうです。
仲人業が盛んだった時代には、近隣の仲人は、3つの門の中でも最も古く貴惣
門と仁王門の間を取り持つ中門を男女の待ち合わせ場所に定め、ここで初顔合わせの後に本殿にお参りして数多くの良縁を結んだと伝えられ、縁結びのパワースポットだそうです。 -
妻沼聖天山 御水屋
手を清めようと近づいたところ、スズメバチが飛んでいたのでパスさせてもらいました。 -
妻沼聖天山 仁王門
万治元年(1658)創立、明治時代に台風で倒壊し明治27年に再建。 -
妻沼聖天山 仁王像
修繕を終えたばかりの仁王像は、室町時代の気風を残す逸品。 -
妻沼聖天山 歓喜院聖天堂(国宝)
歓喜院聖天堂は、火事などの被害で数度に渡り再建され、現在の建物は林兵庫正清及び正信らの手により、宝暦10年(1760)に完成したもの。
正清は再建の為に優秀な職人を呼び寄せ、また膨大な資金を集めるために自ら各地を奔走したが、工事費を負担したのは、幕府や大名など時の権力者や財力を誇る豪商でもなく、妻沼を中心とした庶民たちで、日々の食料にも事欠く人々が、僅かずつの浄財を出し合ったそうです。
正清の設計によって施工され、細工始めから25年の歳月をついやし、その子正信に引き継がれ完成しました。 -
歓喜院聖天堂・拝殿
日光東照宮の創建から百年あまり後に、棟梁の統率の下、東照宮の修復にも参加した職人たちによって、優れた技術が惜しみなくつぎ込まれた江戸後期の装飾建築の代表作とされます。
そして、完成後250年を経て、傷み・彩色の剥落が進んでいたが、再び多くの人々から浄財が寄せられ、国・県・市からの補助を受け「平成の大修理」が実現し、平成23年6月に建立当時の美しい姿を蘇らせ、平成24年7月、埼玉県内の建造物として初の国宝指定を受けました。
近世装飾建築の頂点とも言われる彫刻技術の高さに加え、このような建物の建造が民衆の力により実現したという建立当時の背景が、文化史の上で高い評価を得たのだそうです。 -
歓喜院聖天堂・拝殿の彫刻「琴棋書画(きんきしょが)」
中国古来の文人における必須の教養や風流事を意味する、「琴」「囲碁」「書」「絵」の四芸のことで、左から「絵を見る子ども」「碁を打つ人々」「琴を弾く男」「文字を読み書きする子ども」の順で配されています。
今回の修理工事では、塗装が完全にはがれていた碁盤の部分を、中国の元の時代に由来する碁石配置を参考にして描き直すなど、きめ細やかな彩色の復元が行われたそうです。
拝殿の正面に、龍などの威厳ある大きな彫刻ではなく、親しみやすい琴棋書画を用いたのは、聖天堂と庶民とのつながりの深さを示すものと言えるそうです。 -
歓喜院聖天堂・拝殿の彫刻
虎の下にある籠彫り彫刻は、鯉が龍に出世する姿を現すものだそうです。 -
歓喜院聖天堂・拝殿の彫刻
獅子の顔に、何か止まっていますが、これは彫り物ではなく、本物のカマキリでした。 -
歓喜院聖天堂・拝殿 軒下の彫刻
この中に、猿が隠れています。 -
歓喜院聖天堂・拝殿 軒下の彫刻
一番右側の葉の中に潜む猿 -
歓喜院聖天堂・拝殿 軒下の彫刻
一番右側の葉の中に潜む猿2匹。
よく見ないと見つけにくいです。 -
極彩色が蘇った歓喜院聖天堂(南面)
歓喜院聖天堂(本殿)は、左から奥殿(34?)、中殿(27?)、拝殿(127?)からなる廟型式権現造り(日光東照宮と同じ)。
奥殿は入母屋造、桁行3間・梁間3間、正面向拝付き(34?)、中殿は両下造、桁行3間・梁間1間(27?)、拝殿は入母屋造、桁行5間・梁間3間(127?)で、これらを接続して1棟とする廟型式権現造り(日光東照宮と同様)で、屋根はすべて瓦棒銅板葺き。 -
歓喜院聖天堂・奥殿と中殿(南面)
歓喜院聖天堂(本殿)は、周囲がすべて眩いばかりの極彩色の彫刻で覆い尽くされており、修復作業は経験豊かな現代の職人たちでも大変な困難を極めたそうです。
まず工事にかかる前に、古文書に残された資料や地道な調査で建立当時の色彩・彩色技法等の数々を割り出し、さらに宮大工たちによる匠の技で、気の遠くなるような緻密な作業が繰り返されたそうです。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(南面)
奥殿は柱、長押などの部材に地紋彫をほどこし、内法下の大羽目板には七福神、縁下には唐子遊びを題材とした彩色彫刻を施しておます。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(南面)の彫刻「阿の龍」
北面の「吽の龍」と対(阿吽)になっています。 -
歓喜院聖天堂の説明をされるボランティアガイドさん
めぬまガイドボランティア「阿うんの会」は、平成17年6月に発足、60名ほどのメンバーが交代で、妻沼聖天山をはじめとする歴史的建造物や伝統行事などの案内をされているそうです。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(南面)羽目板彫刻「鷲と猿」
左甚五郎作との伝承があるが、時代的には無理があるようで、4代目、5代目あたりの左甚五郎の作ではないかとの話もあるようです。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(南面)羽目板彫刻「鷲と猿」
一見、鷲が猿を捕まえているようにみえますが、そうではなく、鷲が猿を助けているところだそうです。
木登り上手の猿はその上手さにうぬぼれて、手を滑らせてしまいます。下には深い川に波が渦巻いており、落ちれば水におぼれてしまいます。危機一髪のところ、鷲が猿を助けたのです。
猿が人間の煩悩を表し、それを救う鷲が聖天を象徴するものといわれるそうです。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(南面)の彫刻「猫」
甚五郎作の日光東照宮の眠り猫が有名ですが、この奥殿の猫は、眠らずに、牡丹にとまるアゲハチョウと戯れています。
日光東照宮が完成した約百年後にこちらが完成したことから、この彫刻は四世か五世の左甚五郎の作ではないかといわれます。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(南面)の彫刻
柱、長押などの部材に地紋彫をほどこし、内法下の大羽目板には七福神の彩色彫刻が施されています。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(南面)唐破風下の彫刻「孔子、釈迦と老子」
これは、孔子、釈迦、老子が酢をなめて、その酸っぱさを共感している様子を表現したもので、「三聖吸酸」という中国の故事に由来しています。
酢が酸っぱいという事実は皆同じであり、儒教、仏教、道教など、宗教や思想が異なっているとしても、真理は一つであるという「三教一致」を意味しています。
この故事のオリジナルは、儒教の蘇軾(そしょ)と道教の黄庭堅(こうていけん)という二人の書家が、仏教の仏印禅師のもとを訪れた際に、桃花酸という酢をなめ、三人が共に顔をしかめたという逸話に基づいています。
「三聖吸酸」は、寺社建築や屏風絵などの題材として使用されることがあり、日光東照宮における陽明門の彫刻や、海北友松の『寒山拾得・三酸図屏風』(重要文化財)などにおいても見ることができます。
聖天堂における三聖吸酸の彫刻では、三聖人が前方を向き、共に人差し指を立てながら、酸っぱさを確認するように口を小さく開けています。その表情はとても温和であり、親しみを感じることができます。
また、彩色に目を向けると、孔子の服装や中央の瓶、植物の彫刻などに使われている緑色は孔雀石を原料としており、その色合いからはとても落ち着いた雰囲気が醸し出されています。これらの表情や彩色は、漆塗りされた周囲の木枠の中心に浮き上がり、独特の空間を作り上げています。まさしく、だれが目にしても「美しい」という事実がそこに存在していることが分かります。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(南面)の彫刻
柱、長押などの部材に地紋彫を施し、内法下の大羽目板には七福神、縁下には唐子遊びを題材とした彩色彫刻が施されています。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(南面)大羽目板の彫刻
寿老人が鹿を従え、子供たちと、鶴・亀に餌を与える図。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(南面)縁下腰羽目の彫刻「竹馬遊び」
縁下腰羽目の彫刻は南・西・北の三面共に「唐子遊び」が題材。
ふっくらと可愛らしく生き生きした表情の子どもたちが四季の遊びに興じ、平和の世を表しているそうです。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(南面)縁下腰羽目の彫刻「こまどり遊び」
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歓喜院聖天堂・奥殿(南面)縁下腰羽目の彫刻「鳥あわせ」
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歓喜院聖天堂・奥殿(南面)の「猿」
聖天堂の壁面彫刻には、数多くの動物や霊獣の彫刻が施されています。
この猿も、思わず笑ってしまいそうなコミカルな姿をしています。
猿は全部で17頭いるそうです。 -
歓喜院聖天堂・奥殿 南面(右)と西面(左)
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歓喜院聖天堂・奥殿 西面の右角
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歓喜院聖天堂・奥殿 西面の彫刻
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歓喜院聖天堂・奥殿(西面) 唐破風下の彫刻「司馬温公の瓶割り」
水瓶に落ちた友達を救うために高価な水瓶を割っている図。
いくら高価な物よりも人の命が大切との諌め。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(西面)の大羽目彫刻
布袋様と恵比寿様と大黒様の福神三人による囲碁遊びの様子を描いた彫刻。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(西面)の大羽目彫刻
布袋様と恵比寿様が囲碁を打ちに興じている間に、米俵に乗ったり、鯛を担いだり、釣竿を取り合う子供たち。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(西面)の大羽目彫刻「布袋・恵比寿・碁打ち 大黒・酒」
七福神の布袋様と恵比寿様が囲碁を打ち、大黒様がそれを眺める場面。
三人の神様が酒を飲みながら碁打ちに興じる姿は、争いのない平和な世を願う心を表現したもの。
今回の修復で刻まれた碁石の配置は、江戸時代に第四世本因坊道策と、その門下生で天才棋士といわれた熊谷出身の熊谷本碩が対局した際の棋譜を再現したものだそうです。
この彫刻が縁となり、平成24年には妻沼聖天山の歓喜院本坊書院が本因坊戦第2局の会場となりました。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(西面)の大羽目彫刻
囲碁を打つ布袋様の袋をおもちゃに遊ぶ子供たち。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(西面)の縁下腰羽目彫刻「凧揚げ」
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歓喜院聖天堂・奥殿(西面)の彫刻 「すなどり七人に水・桃」
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歓喜院聖天堂・奥殿(西面)縁下腰羽目彫刻「夏祭り」
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歓喜院聖天堂・奥殿(西面)の彫刻
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歓喜院聖天堂・奥殿(西面)の彫刻
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歓喜院聖天堂・奥殿(西面)の彫刻
龍は全部で70頭以上いるそうです。 -
歓喜院聖天堂・奥殿西面と北面の角
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歓喜院聖天堂・奥殿(北面)の彫刻
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歓喜院聖天堂・奥殿(北面)唐破風下の彫刻
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歓喜院聖天堂・奥殿(北面)唐破風下の彫刻
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歓喜院聖天堂・奥殿(北面)の大羽目彫刻
弁財天と吉祥天がゲームをして遊んでいるのを毘沙門天が覗き込んでいる。
いつもは毘沙門天に踏まれている餓鬼が、隣の貴婦人を呼び寄せている。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(北面)縁下腰羽目の彫刻
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歓喜院聖天堂・奥殿(北面)縁下腰羽目の彫刻「獅子舞」
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歓喜院聖天堂・奥殿(北面)縁下腰羽目の彫刻「獅子舞」
獅子の後ろから顔を出している子をよく見ると「あかんべー」をしています。 -
歓喜院聖天堂・奥殿(北面)縁下腰羽目の彫刻 「梅竹に雪ころばし七人」
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歓喜院聖天堂・奥殿(北面)縁下腰羽目の彫刻「相撲大会」
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歓喜院聖天堂・奥殿(北面)「猿」の彫刻
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歓喜院聖天堂・奥殿(北面)の彫刻 「吽の龍」
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歓喜院聖天堂・奥殿(北面)の彫刻
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歓喜院聖天堂・奥殿(北面)の彫刻「鳳凰」
彫刻は、上州花輪村(現在の群馬県みどり市)の彫刻師であった石原吟八郎を中心に、その弟子たちによって制作されたものだそうです。吟八郎は、日光東照宮の修復に参加したほか、北関東を中心とした多くの社寺建築に彫刻を残しているそうです。
精緻を極めた彫刻の最たる例が、奥殿の南面と北面に施された一対の「鳳凰」で、
吟八郎の次の世代である名工二人によって彫られたものだそうです。
この二つの彫刻は、今回の保存修理工事において、聖天堂から取り外され、彩色の復元が行われたそうです。 -
歓喜院聖天堂 南西の角からの全景
ボランティアガイドさんから、「塀が邪魔という人も多いですが、この塀だけで3千万円かかっているのですよ。」との説明。 -
妻沼聖天山の境内にて
何だかよく分からないのですが、縁結びのお店の案内でしょうか?
小さな石で作られているのはフクロウ?(猿かな?) -
妻沼聖天前始発の熊谷駅行きバス
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妻沼聖天前バス停 14:35のバスに乗り熊谷駅へ戻ります。
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JR熊谷駅前の熊谷直実像
帰りは、15:19発の湘南新宿ラインに乗り、横浜へ17:00に着きました。
修復工事が行われ、素晴らしい彩色彫刻にが蘇った歓喜天聖天堂、見応えがありました。
(おしまい)
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この旅行記へのコメント (7)
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- ツーリスト今中さん 2015/09/11 01:21:59
- やっぱり、行かなくっちゃ!行きましょう!
- いやぁ〜!296さんにお声を掛けて良かったぁ〜と改めて実感。
二階に上がったのでパソコンメール拝見しすぐにこちらへ。
やっぱり、いいですねぇ。行かなくっちゃ!行きましょう!
同じような季節になりますが。。。(熊谷だと夏には二の足踏みますよね!)
お猿さんたちや猫、思わず吹き出したり笑みがこぼれたり。。。
仁王様も怖くないですね。
見ごたえ十分。
「二人には黙って】連れて行ったらビックリするんじゃないかなぁ・・
私は本で写真を見たのと東照宮を重ね合わせて思い描いていましたが296さんの旅行記拝見して更に詳細な部分を見ることが出来ました。
ありがとうございます。
- morino296さん からの返信 2015/09/11 08:21:46
- RE: やっぱり、行かなくっちゃ!行きましょう!
- 今中さん
おはようございます。
妻沼聖天、一見の価値がありますね。
こんな素晴らしい建物が、あまり知られていないのは不思議ですね。
我が家からは遠いのですが、時間をかけても行った甲斐がありました。
でも、熊谷辺りの他の見どころを調べていなかったので、
ここだけ見てとんぼ返りになってしまったのは勿体なかったかも。
morino296
- ツーリスト今中さん からの返信 2015/09/11 08:53:37
- RE: RE: やっぱり、行かなくっちゃ!行きましょう!
- 296さん
おはようございます。
> 妻沼聖天、一見の価値がありますね。
> こんな素晴らしい建物が、あまり知られていないのは不思議ですね。
⇒本当に。熊谷の人は皆知っているようです。
修復前からもお詣りしているって(当たり前か)
人が少ない(だろう)のは知っている私たちには嬉しい事ですが。。。
> でも、熊谷辺りの他の見どころを調べていなかったので、
> ここだけ見てとんぼ返りになってしまったのは勿体なかったかも。
⇒今度は+α、β位で企画してみます(^◇^)
今中
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- 前日光さん 2013/10/25 11:59:57
- 東照宮によく似ていますね!
- morino296さん、こんにちは。
ダブル台風が接近中ですが、何事も起こらないことを祈るばかりです。
さて、いつも通過してしまう埼玉県にこんなに素晴らしい建物があるということを教えていただき、ありがとうございます。
白い華さんのブログで深谷市の駅舎(どう見てもミニ東京駅!)を知り、morinoさんのこのブログで、今度は埼玉の東照宮を知りました。
埼玉県って、わざわざ足を向けることが少なくて。
通過してしまいがちなのですが、そろそろ本気の訪問を考えてもいいのかな?(相棒殿の埼玉への興味もイマイチなんですよ。)
以前に次女の引っ越し絡みで所沢から帰るときに、ひどい渋滞に巻き込まれたイメージが強いらしく、なんだかなぁとなかなか行こうと言ってくれません。
さてこの妻沼聖天山というのは、普通の高校生地図などを見ても、場所が分かりませんが、熊谷市にあるのですね?
太田駅行きとか西小泉駅行きのバスに乗るようですが、すると群馬県境に近いのですか?
熊谷駅からバスで25分くらいの所にあるのですね?
それにしても、彫刻の数々がなんと東照宮に似ていることか。。。
貴惣門の3つの破風屋根って、確かにあまり見ませんよね。
猿や猫も描かれているのですね。
東照宮よりもさらにマンガチックで、伸び伸びしていますね。
東照宮を造った職人たちが、我が鹿沼市やこの熊谷市にも流れていったのでしょうね?
鹿沼市の秋祭りの彫刻屋台も素晴らしいものがたくさんありますよ。
これはまさに東照宮制作者たちの遺産だと思われます。
思いがけず立派な文化遺産のご紹介、ありがとうございます!
前日光
- morino296さん からの返信 2013/10/25 13:33:38
- RE: 東照宮によく似ていますね!
- 前日光さん
こんにちは。
いつも有難うございます。
台風27、28号は、少し南寄りに進んでいるようですが、
スピードが遅く大雨になる恐れがありますね。
私も、ここを知ったのは最近ですが、
妻沼聖天山の住所は、熊谷市妻沼1706-1です。
http://www.ksky.ne.jp/~shouden/
341号線を北進すると直ぐ利根川で、対岸は群馬県となりますね。
かつて、この辺りは、利根川の氾濫で、よく水が出たようですね。
歓喜天聖天堂は、日光東照宮の造営にかかわった人達が手掛けた
とのことですから、よく似ていますね。
ただし、庶民の信仰と寄進によって造り上げられたもので、
なんとなくほっこりした雰囲気があるように思います。
今回の平成の大修理を請け負ったのも、栃木の会社だったそうです。
栃木には、立派な彫刻を載せた山車も多くありますが、
やはり東照宮のお膝元で、彫刻などの技術者が多くいるのでしょうね。
歓喜天聖天堂、ご興味がありましたら、一度お立ち寄りください。
morino296
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- こあひるさん 2013/10/19 12:42:05
- すごい豪華・・・!
- morino296さん、こんにちは〜。
彫刻も豪華で、色彩豊か・・・これは見ごたえありますね〜〜。
寺社にはさほど強い興味をもたない私でも、これは見てみたい!と思いました。
東照宮などと違って身分の高い人の霊所ではないのですね。なのに、このお金のかけっぷりはすごいです!
解説も詳しくて・・・いつもちゃら〜っと見て写してくるだけの私には、とても勉強になりました。
こあひる
- morino296さん からの返信 2013/10/20 12:48:17
- RE: すごい豪華・・・!
- こあひるさん
こんにちは。
いつも有難うございます。
これだけ修理復元するのは、さぞかし大変だったことと思います。
地元の皆さんからの寄付も凄い金額だったようで、
復元に対する強い要望があったのでしょうね。
写真とコメントだけでは、なかなか素晴らしさが伝わりにくいので、
機会があれば、是非、実物をご覧になって下さい。
morino296
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