2013/09/13 - 2013/09/13
628位(同エリア876件中)
Yukaさん
三連休の土日を利用して実家に帰省した帰り、新幹線まで時間があったので、平泉に立ち寄りました。
子供の頃から写生や初詣、藤原祭りと普通にあった場所が世界遺産となり、騒がれることにとても不思議な気持ちでしたが、昔とどう変わったのか見てみたくなり行ってみました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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10月13日(日) AM
土日でやるべき用事を終え、帰りの新幹線を見る。
一ノ関発20:22。半日時間が余ってしまったので、2011年に世界遺産に登録された『平泉』へ行くことに。
電車の予定は
花泉14:19 → 一ノ関14:32、一ノ関14:37 → 平泉14:46 -
そうと決めたら行動は迅速に。
すぐにタクシーで『花泉駅』に着くと、強風の影響で電車が18分遅れとのこと。
『一ノ関駅』での乗り換え時間が5分&1時間に一本しか電車ないのに…。乗り遅れ決定か。
出鼻を挫かれる。 -
待ち時間の間にどのコースを回るか検索してみる。
平泉観光協会のHPに4コース載っていた
http://hiraizumi.or.jp/course/
コースは『歩いて廻る半日コース【中尊寺コース】』に決定。 -
『一ノ関駅』に15時頃到着し、次の盛岡行きの時刻を確認。
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待ち時間の間に新幹線改札前に出ていた臨時観光案内でパンフレットをもらい、行く場所の確認。
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ホームへ行くと既に電車が到着していた。
『めんこいテレビ』と『平泉』のステッカーが貼ってあります。 -
『わんこ兄弟』バージョンも止まってました。
そういえば明日(10月14日)は鉄道の日って花泉駅に貼ってあったことを思い出す。
でも、私は『鉄子』ではありませんが、友達は『歴女』だと言います(笑) -
車両に乗り込み出発を待っていると、反対側のホームに『臨時快速ジパング平泉3号』が停車。快速の盛岡行きで出発が6分早いので、急きょ電車を変更。
車体の写真は撮り忘れましたが、チョコレート色の4両編成で、2両目3両目が自由席になっているので、乗車券のみでの乗車もできます。
写真は『ジパング平泉』の車内。 -
15:28平泉駅到着。
平屋建ての駅舎は建て替えられていて、きれいになっていました。
ロータリーもでき、巡回バスなんかもあるようです。 -
駅前からすぐ右に入った『中尊寺通り』を歩きますが、人がいません。
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まず最初にやってきたのは『無量光院跡』。
ここで、先に『柳之御所遺跡』に行くことを思い出す。途中で右に曲がる路に気づかなかったらしいです。
次に行けばいいやと考え直し、まずはこちらから。
逆光のため、よくわからずすみません。
平安時代末に奥州藤原氏三代秀衡が建てた寺院の跡。浄土庭園として知られ、三方が土塁に囲まれた境内には、梵字が池と呼ばれる池があり、その中に本堂跡の礎石が残る西島跡と、東中島跡があります。
鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鏡』によると、『宇治の平等院を模す』と記されています。昭和27(1952)年に行われた発掘調査によって本堂の形なおが、平等院鳳凰堂ににていることが確認されました。
4月中旬と月末には、本堂と東中島建物の中軸線上に位置する金鶏山(きけいさん)の山頂に、夕日が沈む光景を見ることができます。 -
予想図
秀衡が描いたこの世の極楽浄土だったのでしょうね。 -
次に『柳之御所遺跡』。
この遺跡は、平安時代末(12世紀)の居館跡で、歴史書『吾妻鏡』に記載されている『平泉館(ひらいずみのたち)』に比定され、奥州藤原氏の政務の場と考えられている。南西側の低地は猫間が淵(ねこまがふち)と呼ばれている。
継続的な発掘調査によって、堀・園池・堀立柱建物・トイレなどの遺構、京都や海外との交流を示す土器や陶磁器などの遺物が多数発見されている。
わが国の北方領域に展開した政治・行政上の拠点を示す遺存状態の良好な遺跡として、平泉の文化遺産の中でもとくに重要である。 -
時間がないので資料館には立ち寄りませんでしたが、ゆっくり見てみたいものです。
ですが、このような『仮整備中』ばかり。
周辺には観光客はおろか、遺跡を管理する人の姿すらありません。
入ってはいけないところはないのでしょうか。 -
園池(えんち)
池は新旧2時期(1・2期)あり、新しい方の池を復元しています。導水路が見つかっておらず、池の水は湧水や雨水などを利用したと考えられています。 -
中心建物
遺跡内のこの周辺は、大型の建物が集中しています。これらの建物は規模が大きいことや、池や広場に面していることから、平泉館の中心的な施設と考えられます。西の建物は東西約11m、南北14mの大きさで、広い庇(ひさし)をもち、特に格式の高い建物と推定されます。東の建物は、南北25mもある長大な建物跡です。この2棟の建物と池、広場などを含めた一帯が、儀式に使用された空間と考えられます。 -
とはいっても、これでは…。
こういった仮整備中の場所にはなにができるのでしょう。 -
遺跡内にはこういった原っぱにしか見えない場所も多く、整備が急がれますね。
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次に向かうは『高館義経堂』
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危うく見落としそうな順路
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右回りで坂を上り、上った先にある『チケット売り場』で入場券(200円)を購入。
入場は16:30までのようです。 -
この石段を上った先には
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束稲山(たばしねやま)と北上川
景色を見て気づきました、来たことがあることを。 -
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『義経堂』と『芭蕉の句碑』と左右に分かれていますが、まずは『義経堂』へ。
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左に進んでその先の階段を上ると
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『義経堂』
ここ高館は、義経最期の地として伝えられてきた場所。
藤原秀衡は、兄頼朝に追われ逃れてきた義経を平泉にかくまう。しかし秀衡の死後、頼朝の圧力に耐えかねた四代泰衡(やすひら)は、父の遺命に背いて義経を襲った。文治5(1189)年閏4月30日、義経はここに妻子を道連れに自刃した。
ここには、甲冑姿の義経の像が祀られています。 -
次は右側へ
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進むとそこには
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松尾芭蕉の有名な『夏草や 兵共が 夢の跡』の石碑です。
義経を思い、この句を詠んだのでしょう。 -
階段を下りて中尊寺方面と書かれた方へ行きます。
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5分ほどで中尊寺ですが、その手前に武蔵坊弁慶のお墓があります。
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北参道入口
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行きは『北参道』を、帰りは『月見坂』を歩きます。
参道は杉林の中を歩きます。花粉症(杉)の人は春は避けるべきでしょうね。
北参道を歩いていると、赤い制服をきたおばさんが『17時に金色堂が閉まりますので、どこも見ないでまっすぐチケット売り場に行きチケットを購入して、宝物館、金色堂に行ってください』と言いながら参道を下りてきた。
17時に閉まるの?と思いながら、先を急ぎます。 -
無事拝観権を購入(800円)できてひと安心
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宝物館『讃衡蔵』に入ます。ゆっくり見たいところですが、金色堂が閉まってしまうので、さくっと見て先を急ぎます。
またゆっくり来ようと思う。
宝物館は三千点を超える国宝・重要文化財を収蔵し、展示室では仏像・仏具、経典・書画や藤原氏の副葬品などが拝観できます。 -
イチオシ
宝物館の隣にある『金色堂新覆堂(こんじきどうしんおおいどう)』。ポスターやパンフレットでよく見る写真ですが、この中に金色堂があるのです。
金色堂の中には、藤原氏四代の遺体と首級が安置されています。 -
金色堂新覆堂の隣にある『中尊寺経蔵』。
創建時の古材を用いて再建されたものであり、堂内には平安時代の色彩文様が確認できる。国内最古の保安3(1122)年棟札が伝えられる。本尊の騎師文様菩薩と四眷属像(重要文化財)、堂内具(国宝)、紺紙金字一切経(国宝)等の経典類は、現在讃衡蔵に安置・収蔵されている。 -
『金色堂旧覆堂(こんじきどうきゅうおおいどう)』
正応元年(1288)の棟札より、鎌倉幕府によって金色堂の修復が行われ、覆
堂が立てられたと考えられてきた。近年の調査では、金色堂建立後50年ほどで簡素な覆屋根がかけられ、増改築を経て室町時代中期(16世紀)に現在の形になったとみなされる。昭和28(1963)年、新覆堂の建築にともない移築された。 -
『本堂』。ここだけお参りしていきます。
参道を下りていくとすでに薄暗く、しかも街灯が少なく、駅までの道のりが長く感じました。
来た時と同じ中尊寺通りを戻れば家が並んでいるので多少明るかったと思いますが、何を思ったのか4号線を行ってしまったため、国道にもかかわらず結構暗い道をひたすら歩くはめになりました。
それでも無事平泉駅に着き、18:26発一ノ関行きに乗れたのでした。 -
一ノ関に戻り、駅前のラーメン屋でラーメンと餃子をいただきました。
味はいたって普通。
そして、20:22発のやまびこで帰宅となりました。
半日コースでもじっくり見ようと思おうと時間がかかります。
今は日が暮れるのが早いので、午前中からの観光をおすすめします。
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